第四十三章 33
「久美ちゃんもだけど、あのつくしちゃんって子にも気をつけた方がよさそうだねえ。強そう」
空に浮かぶ無表情の園児を見上げ、純子が注意を促す。
『純子は多分見抜いているだろうが、私のマウスは、過ぎたる命を持つ者達との戦闘も想定して作られている。つくしは私の四人のマウスの中で、ぶっちぎり最強だ』
得意げに語るミルク。
『お前達とよくじゃれあっているバイパーは、私のマウス四人の中でも三番目に弱いし、私のマウスの面汚しですよ』
「それ二番目に強いってことだろォ~。それで面汚しなら、さらに下の二人はどーなるんでーい」
意地悪い口調で言うミルクに、みどりが突っこむ。
「おあつらえ向きに、週末に吹く強い風の息子もいる。何とかあれを人質にとれば、週末に吹く強い風は抑えられるかもしれない」
ミルクの側にいた、細長い尻尾の先がカメレオンのようにくるくると丸まり、角が三本生え、長い嘴を持つ鳥のような生き物が、羽ばたきながらこっそりと耳打ちする。空気を震わせて喋っているのではなく、肉声で日本語を喋っていた。
『あ? 気に入らんわ。そんなやり方』
ミルクが不機嫌そうな声を発して却下する。
「悪役上等じゃなかったのにゃ?」
ナルが微笑みながら問う。
『私は不意打ちやだまし討ちの類は好きですけどね、そういう人の弱みを握ってつけこむやり方は、大嫌いなんだよヴォケガ』
「くああああぁぁぁあぁ!」
ミルクが吐き捨てた直後、ラクィレァが咆哮をあげ、木々より高く飛びあがった。
「アルラウネ宿主達に対し、雷撃による攻撃と予想」
つくしが告げる。アルウラネ達も心得ているようで、大急ぎで散開しだす。
つくしの警告通り、雷鳴が続けざまに鳴り響き、森の中のあちこちに雷が降り注いだ。その多くが木に落ちて、衝撃波で木を真っ二つに割ったり、炎上させたりしている。
『ナル、あいつを止めろ』
「わかったにゃー」
ナルが精神世界からラクィレァに干渉し、攻撃をやめさせようと試みる。
「ふにぅ?」
精神世界に入り、ラクィレァの心に触れようとしたまさにその時、ナルの心は弾かれた。
「あばばばばば、さ、せ、なぁい」
同じく精神世界に自分の心を侵入させたみどりが、ナルの前に立ち塞がり、口を大きく横に広げて歯を見せて笑う。
「あんたがあたしと同質の力を持つのは、一目見てわかってたんだよね」
「なるほどにゃー。でもラクィレァさんのマインドコントロールには気づいてなかったのかにゃ?」
「洗脳と違ってマインドコントロールってのは、わかりづらいんだぜィ。それに、ラクィレァはそれでなくても昨夜も襲ってきたから、余計にわかりづらいよォ。つーか今の台詞はアレかい? 煽ってんのかい?」
「純然たる好奇心による質問にぅ。そこをどいてほしにぅ」
「あぶあぶあぶぶぶ、どくつもりなら最初から立ち塞がらないわ」
爽やかな笑顔で要求するナルに、みどりは不敵な笑みを浮かべてそう返す。
にらめっこが始まる。ナルは手出しをしてこようとはしない。こうしてみどりだけでも抑えられれば、それでよいと思っている。みどりはそれに気づいていたが、みどりからしてみてもそれは好都合だ。他人の精神に干渉する力を持つ者が好き勝手すれば、戦場が乱れまくる。それを防ぐだけでも意義がある。
(数が多いうえに、全員が特殊能力や超常の力持ちってのが厄介だな)
襲ってくるアルラウネ達に対して応戦する真だが、敵から連続して放たれる攻撃のせいで、銃で攻撃するより、回避している事の方が多い。火の玉、変な液、不可視の攻撃、鞭のようなツル、単純な牙、爪から伸びる光の刃と、多彩な攻撃をことごとく避けていく。
「クォオおォォ!」
クォが高速で飛来し、鋭利な爪でアルラウネ達を引き裂かんとする。こちらは真とは逆に攻勢一方だが、アルラウネも戦い方をわきまえているので、巧みにかわしていく。
「メガトン・デイズ」
そのクォを狙い、上空からつくしが手に装着したクロスボウから光の矢を撃った。
光の矢はクォに当たる前に弾けるようにして霧散した。
空中に手首から先だけの手が出現し、光の矢を受け止め、かき消していた。
「あ痛~……結構重いね」
手首から先を転移させた純子が、心地好さそうに笑う。
つくしが純子の方を向いたその瞬間、つくしの眼前に転移した累が現れ、空中で袈裟懸けにつくしに斬りかかる。
スモックが斜めに切り裂かれ、水色の布が赤く染まる。しかしつくしは痛みを感じないかのように、全く顔色を変えない。
「カニバリズムブレイド」
つくしが手を突き出すと、手から黒い三本の反り返った刃が現れ、それぞれ別の角度から、累に振るわれた。
転移することで二本はかわしたが、一本はかわせなかった。地上に降り立った累の太ももがざっくりと斬られ、白い肌から血が流れている。
単に斬られただけではない。斬られた箇所から、生命力が吸い取られるような、そんな感触を覚える累。
つくしが累を見下ろし、両掌を胸の前で近づけると、掌の間に光球が現れる。
「マギア・モーター」
光球は目にも止まらぬ速さで放物線を描き、空中から累のいる場所へと降り注ぐ。
累は転移したばかりだったために、連続転移による回避はできなかった。動体視力では捉えられない速度の攻撃であったが、殺気と第六感頼りに、後方に跳んでかわす累。
しかし光球は地面に着弾すると爆発し、累の小さな体を大きく吹き飛ばした。
(まるで気の迫撃砲だねえ……ていうか、累君……)
純子が倒れた累を見る。服はあちこち破れ、体もあちこち皮膚がめくれて肉も爆ぜ、血まみれの凄惨な姿だ。
(嗚呼……ぼろぼろの累君て素敵……)
血達磨ぼろぼろで倒れる絶世の美少年という、純子にとっては垂涎ものの光景を目にして、堪えられずに撮影しておく。
さらにつくしが光の矢をつがえて、空中から累へ追撃しようとしたが――
「くあァあぁぁぁあアァ!」
好敵手を目の前でぼろぼろにされたラクィレァが、怒りの咆哮と共に、横からつくしに超高速で襲いかかった。
つくしは危うい所で後方へと飛んで回避したつもりであったが、あろうことかラクィレァはかわされた直後に急停止し、135度の急旋回を行ってつくしへと突っ込んだ。
ラクィレアの頭突きを食らって、つくしが空中で縦方向に激しく回転して吹っ飛んでいく。
(空中戦で戦うには無謀な相手)
慣性を一切無視したかのような、ラクィレァのありえぬ動きを目の当たりにして、つくしは落下しながらそう判断する。
「クゥァアァ!」
地面に落下したつくしに、雷を落としてとどめをさそうとしたラクィレァであったが、つくしの攻撃の方が早かった。
「マギア・モーター」
累を倒した光球が再び放たれ、ラクィレァに直撃した。空中で爆発が起こり、ラクィレァは頭から地面へと落下する。
「累君」
写真を撮ってから、倒れたままの累を助けに行こうとした純子だが、その前方に立ち塞がる者がいた。
『お前は私が遊んでやんよ』
いつの間にか移動してきたミルクだった。
「ふっふっふっ、こんな時のために……」
笑顔で白衣の内ポケットをまさぐり、猫じゃらしを取り出す純子。
「ほーらほーら」
『効かねーよ』
しゃがんで猫じゃらしを振り回す純子であったが、猫じゃらしの先っぽが念動力で潰され、ばらばらになる。
『距離が遠すぎるわ』
「距離の問題だったんだ」
呆れたようにミルクが口にした一言に、純子は笑ってしまう。
『それはそうと、お前は私の手口も知ってるし、私の攻撃、よけられるよな?』
からかうように言うミルク。いや、実際からかっている。
『今から念動力で攻撃する。よけろよ? よけろよ?』
ミルクがそう言った刹那、純子の体が地面にうつ伏せに倒され、そのまま押し潰された。
「肉球……」
真が呟く。純子を潰した念動力が地面につけた跡が、巨大な肉球の跡だったのだ。つまり肉球の形で念動力を放っている。
『よけろって言ったのになあ。うすのろとんま』
地面にめりこんだ純子を見て、ミルクが嘲る。
「やれやれ、私だけさぼっているわけにもいかんようだな」
テントから霧崎が出てきて呟く。
『こっちは手の空いている奴がまだまだいっぱいだぞ。そっちの相手をしとけよ』
ミルクが霧崎に向かって言ったその時、久美が霧崎の側面に現れた。
「喝!」
久美が叫ぶと、衝撃波が発生して、霧崎の細い体を大きく吹き飛ばす。
空中で二回転ほどした霧崎が、しかし何食わぬ顔で着地し、その手にはいつの間にか、ワイングラスがかざされていた。グラスの中には赤い液体がゆれている。
「ワインはロゼ派かね? 白派かね? それとも――」
問いかけながら霧崎が、グラスを傾けて、中の赤ワインを地面にこぼす。
久美は嫌な予感がして、急いでその場から前方へと飛びのいた。すると自分がいた場所に、大量の赤い液体が降り注いでいた。
赤い液体は意思を持つかのように動き、無数の突起を作って突きかかったり、広がって包み込もうとしたりなどして、久美へと襲いかかる。
「貧者の暴食」
避けきれないと見た久美は、この赤い液体を消すことにした。深緑の巨大な唇が久美の前に現れると、唇が赤い液体を吸いこんでいく。
赤い液体が残らず吸い込まれると、緑の唇も消えた。
「ふむ。君の趣味らしからぬ能力だ。コピーの宿主か、リコピーから転写したものだろうが」
霧崎がにやにや笑いながら言う。
「君に人の趣味をとやかく言われる筋合いも無い」
久美が霧崎に向かって冷たく言い放ち、手をかざして、掌から電撃を放射する。
霧崎は笑みを張り付かせたまま、足を一切動かすことなく、滑るようにして後方に動いて、電撃をかわした。
「都市伝説型怪奇現象発動! 集団ダッシュ噛み付きお歯黒婆!」
と、そこにやってきた春日が叫ぶ。
「な、何だ、これは」
さしもの霧崎も驚いた。地球とは別の惑星で、黒い着物にお歯黒をべったり塗った老婆が十人ほど現れ、物凄いスピードで殺到してきたからだ。
ある程度迫った所で、老婆達は跳躍し、霧崎めがけて顔から突っ込んできて噛みつかんとする。
一瞬面食らった霧崎であったが、落ち着いて胸ポケットからハンカチを抜くと、頭上へと放り上げる。
ハンカチは空中で巨大化し、落下して霧崎の体を覆い隠したかと思うと、元のサイズに戻る。霧崎の体がどこかへと消失し、ただのハンカチが地面へと落ちていた。
「い、今のは怪奇現象!? まさか霧崎剣もオイラと同じく、目にした怪奇現象を能力として取り込めるのか!?」
「違うと思う」
慄く春日に、久美が冷静に言った。
「ならば! 怪奇現象発動! 妖怪ハンカチ隠し! 無くなった物は全部妖怪の仕業!」
ハンカチに白い手足が生え、どこかへと走っていく。そして一体どういう原理か、ハンカチがめくられた場所に、まるで沸いて出たかのように霧崎が現れた。
「な、何だと!? どうなってる!?」
驚愕する霧崎。平面空間へと身を隠す能力を用いたというのに、それがあっさりと破られ、通常空間へと引きずり出されてしまった。
正直、霧崎の能力を破った春日とて、霧崎の能力の術理を見抜いたわけではない。ただの直感で、自分が用いる怪奇現象が有効ではないかと、ヤマをかけてみただけの話だ。
現れた霧崎の背後に空間転移した久美が。右腕をカマキリのカマ状に変えて、霧崎の肩口から胸へと食い込ませんとする。
霧崎は前方に転がって難を逃れたが、久美の計算通りの動きだった。
「娼婦の嫉妬深き爪!」
久美が叫び、左手に現れた赤い光の短剣を、体勢の崩れた霧崎へと投げつける。
手放してしまえばすぐ消えてしまう能力だが、それでも消える前に当てるには十分な距離だった。霧崎の腕を赤い光の刃がかすめる。
立ち上がった霧崎が、足元をぐらつかせた。まず胸部に圧迫感を覚え、吐き気と頭痛と眩暈が一度に襲いかかる。不整脈が起こり、呼吸さえ困難と化す。
(神経伝達物質の分解が……阻害されているのか)
己の体の異変を解析し、即座に察知した霧崎であったが、その間に、たっぷりと隙を晒していた。
久美は大気中から大量の水を発生させると、隙だらけの霧崎の鼻、口、目、耳、果ては毛穴までもから、体内に侵入させる。
解析した後に、伝達物質の正常化を試みる暇も与えてもらえず、霧崎は肺と胃の中にたっぷりと水を入れられ、白目を剥いて崩れ落ちた。さらにどんどん水を入れられていき、体内の水分濃度も高められる。そうすると体内のナトリウム濃度が低くなり、重度の低ナトリウム血症となって、精神錯乱や全身痙攣を引き起こす。
(いかんな……このままでは……)
霧崎は強烈な自我により、精神錯乱に陥ることはなく、何とか己の体を正常化しようと試みるも、肉体の異常が複数同時に引き起こされ、それもままならなくなっていた。
『ははは、霧崎もあっさりとやられちまうし、お前はこの様だし、それでよくもまあ三狂だとか、この私と同列を名乗れるものですよ』
霧崎が倒れて痙攣している様を横目で見やり、ミルクが純子に笑いかける。
(名乗った覚えもないんだけど……。んー……転移もできないくらい、がっちりと押さえ込まれちゃってる。シンプルな強さだねえ)
念動力で押さえつけられ、倒れて身動きとれないまま、純子は打開策を考える。
『おーい、真。お前の大事な純子がこんな無様な姿晒してんのに、助けにこねーのかー?』
ミルクが真の方を向いて煽るが、真は無視した。正直腹が立たない。
(どうせミルクは雪岡を本気で殺そうとはしないだろうしな。それにあの構図は、雪岡がやられているようであるように見えて、雪岡がミルクの動きを抑えているという風にも受け取れる)
次々と襲いかかってくるアルラウネ達の攻撃を避けつつ、真はそう冷静に判断する。しかしその一方で、現状は限りなく劣勢なのも確かだ。
(でも……僕とクォはアルラウネの猛攻を凌ぐので手一杯。累と霧崎とラクィレァがやられて、つくしと春日と久美はフリー。みどりはナルと睨みあい。もう……これは勝負決まったんじゃないか?)
冷静に戦況を見渡せば、勝ち目は全く見えてこない。完全敗北に至るのは時間の問題ではないかと、真には思える。
期待するとしたらせいぜい、今ダウンしている三人が早めに同時に回復して復帰することだが、一人ずつ復活したのでは、集団で各個撃破されてしまう。
「クアァァアァッ!」
その時、ラクィレァの咆哮が響いた。一番早くダウンから復活したようだ。
つくしが、手の空いているアルラウネが、久美と春日が、ラクィレァの咆哮の方角を見やる。
(やっぱり全員でふるぼっこだ……)
その光景を一瞥し、真は自分の悪い予測が当たったと思い込んだ。
やがてラクィレァが飛翔して戻ってくる。
しかしそこにいたのは、ラクィレァだけではなかった。
飛んできたラクィレァは、一人の少女を抱きかかえていた。そして倒れている累の近くで手を離し、少女を下ろす。
少女は上手いこと着地すると、かがんで累に手を触れた。
「痛いの痛いのとんでけー」「朝ですよー。おっきして」
少女が二つの口で同時に呪文を唱え、累の傷を癒し、累の意識を戻す。
「貴女は……どうして……」
目を覚ました累は、自分を覗き込む二つ並んだ同じ美貌を見上げ、意外そうな声を発する。
空中ではラクィレァとつくしが対峙している。
「そっちにつく気か?」
ラクィレァが連れてきた牛村姉妹に、久美が問う。
「事情は大体把握」
「どっちが悪い奴かも把握」
麻耶、伽耶の順に言った後、姉妹二人は同時にこう宣言した。
「ラクィレァに」「雪岡純子側に」
『助太刀する』
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