第四十二章 26

 テレンスとバイパーの戦いを隠しカメラの映像で見届け、ヴァンダムは難しい顔になっていた。


「あのテレンスが負けるとはな……。うん、言ったぞ」


 テレンスの台詞を思い出して口にしたというニュアンスもあるが、一方で、ヴァンダムの本心からの驚嘆でもあった。


「脱出を推奨します」

 桃子が告げる。


「いや……バイパーという者は、おそらく犬飼を護るだけ。犬飼の指示で、私を殺しにかかるということは無いと見た。そして犬飼も、そのように命じることもないだろう」


 しかし犬飼自身は何かしてくるのではないかとも、ヴァンダムは警戒している。


「最後のゲームは、私が彼と命がけで臨む。ケイトを悲しませた罪、私達夫婦を貶めようとした罪、私自らの手で裁いてやる」

「モシ、貴方の前ニ犬飼サンが亡くなってイタラ、どうなサルつもりデシタの?」


 闘志を漲らせて宣言するヴァンダムに、ケイトが疑問をぶつける。


「それならそれでよい。しかし彼はこうして最後まで生き延びた。運命など私は信じなかったが、今ははっきりと感じるよ」

「今ノ貴方は、普段の貴方とは全く違イマスね。いつもの貴方ガ今の貴方を見たら、ナンセンスだと一笑に付スでしょう」


 爽やかな表情で語るヴァンダムを見て、ケイトは安心することができた。


「だろうな……。実際に体験してこそわかるものがある。過去の私が見たら嘲笑するであろう行為を、今の私は必死になって行っている。復讐するにしても、いつもの私ならもっとスマートな方法を選んだだろうに、このように、泥臭く、相手を貶める方法を選んだ」


 そこまで喋った所で、ヴァンダムは自虐的な笑みをこぼす。


「しかしあの男は……大して堪えてもいなかった。雪岡純子とどことなく似ているというか、同じ属性のように感じられる。この世界そのものを遊び場だと、全ての人間が玩具か何かだと、そんな認識をしている手合いだ」


 それでも自分のしたことが誤りだとは、ヴァンダムは思わない。


(実に悪趣味な復讐方法ではあるが、これは相手に合わせた結果とも言える。いや、結果的にそうなったのだ)


 むしろ結果的にこれでよかったとすら、ヴァンダムは思う。


「だからケイトも、桃子君も、馬鹿げた熱を帯びて馬鹿げた戦いに挑む私を、よかったら応援してくれると嬉しい」

「はい」

「マスコミ騒動の時、私ハ貴方を応援できマセンでしたガ、今回は違いマス。心配デスけど、ちゃんと応援しておきマスヨ」


 ヴァンダムの言葉に対し、桃子は言葉少なに返答し、ケイトはヴァンダムにとってこれ以上無く嬉しい言葉を投げかけた。


***


 その日、亡き妻の墓を前にして、犬飼は悲しい報告をした。


「俺の数少ない理解者がまたいなくなったよ」


 姉が病気で、若くして他界したのだ。


「いい人は……皆さっさと死んでいく。俺みたいな悪いのはしぶとく生き延びて、だから世の中はどんどん悪くなっちゃうんだろうなあ」


 ニヒルな笑みを浮かべて、普段から思っていることを口に出して語りかける。


「俺達の結婚、姉ちゃんも喜んでいてくれたし、姉ちゃんの結婚も、俺達は祝福して……なのに二人共、男を置き去りにして逝っちまうなんてさ。ひでー話だ」


 この頃の犬飼は自暴自棄気味になっていて、賭け事に熱中しては金をすり、その日暮らしの毎日だった。


(自分を改めなくちゃいけないってのは、わかってるけどな……。いや、そろそろ自分を大事にしてやらないと――って、考えた方がいいのか?)


 自堕落で怠惰で刹那的な生き方も、どこかで区切りをつけなくてはならないことは、犬飼自身もわかっていた。しかし姉の死でそれをかこつけるのも抵抗がある。


(いちいちヒネくれすぎだな、俺は。天邪鬼な自分は好きではあるが、天邪鬼もそこまでいくと笑えねー)

『男って皆天邪鬼で馬鹿だから……。あんたは特に天邪鬼で勝手で馬鹿だけど』


 妻の呆れた声が、その時聞こえたような気がした。


「何言ってんだか。女の方がずっと自分勝手だろ。文字通り死ぬほど」


 笑いながら呟くと、犬飼は墓石に背を向けた。


***


 ロビーへと向かった犬飼は、先程運んで置いたダンボール箱を覗き込みながら、姉が死んだ後に、妻の墓参りに行った日のことを思い出す。


(いつ死んでもいいとか思ってたのに、今はこう思う。死にたくない……。十年前に霊界の存在も認められた。あいつら二人、天国でくっついている可能性高そうだし、俺が死んで、そんなラブラブに二人にお出迎えされたら、たまったもんじゃねーし)


 亡き妻と亡き友人が天国でいちゃつく場面を想像して、激しくげんなりする犬飼であった。


(ま、俺は地獄に落ちそうだから、会わずに済む可能性が高いけどさ)


 溜息をつき、ロビーを離れようとする犬飼。一応404号室に向かい、あれやれこれや仕掛けてみようと考えた。


『待て。どこへ行く気だね。最後のゲームはそこだぞ。私が行くまで待っていたまえ』


 そんな犬飼の動きを見て、スピーカーからヴァンダムの声がかかる。


「何だと?」


 全然予想していなかったわけではないが、あえて予想外だったように振るまう犬飼。


『サシで戦おうじゃないか。君の小説でも、最後は主人公と、ゲームを仕掛けた運営のボスが一騎打ちだったろう?』

「あんたそんなキャラじゃねーだろ?」

『君が私とケイトを引き裂こうとした結果だ。君が私をこんなキャラへと変えてしまった。導いてしまった。ガラにもなく熱くなっている。自分でも馬鹿だと思うがね』


(いや、マスコミ騒動だってケイトが原因で熱くなっていたし、あいつは元からこういうキャラだったか……)

 犬飼は自分の考えを改めた。


「好都合だな……。奴が来るまでの間に、準備しておくか。電子レンジは……流石にキッチンには取りに行けないが……」

「電子レンジなんてどーすんだよ……」


 床に尻をついて壁にもたれかかったバイパーが尋ねる。手足の腱を切られているし、正直もう動きたくはなかった。


「タイマーもついているし、時限爆弾代わりにできるぜ。燃料を詰め込んでな」

「卵いっぱい入れて愉快なことにでもする気か?」

「まあ電子レンジは諦めて、ここにあるもんだけで何とかするさ」


 そう言ってまたダンボール箱を犬飼がまさぐりだした、その時であった。


「見つけたわあぁあ~んっ!」


 男と女の声が重なった叫び声がロビーに響いた。どちらも聞き覚えのある声だ。

 廊下の方を見ると、憤怒の形相の靴法の姿があった。


「何だ……あいつ……」


 明らかに様子のおかしい靴法を見て、犬飼が呻く。その体は、服が今にもはちきれんほどに、筋肉が膨れ上がっている。

 何よりも、あのいつも温厚な靴法の顔が、激しく歪みまくっていることが異様だった。唇はめくれて歯を剥きだしになり、眉間に皺が何本も刻まれ、目大きく見開かれて血走っている。


「キーッ! 今度こそ逃がさないわーっ!」


 二つの声が叫ぶ。ここで犬飼もバイパーも理解した。靴法の体にキーコが憑依したのだと。


「バイパー……あと一戦だけ頼む……」

「いや、俺もうぼろぼろなんだぜ? 大体ちぎれるのか……? あれを」


 申し訳なさそうに手を合わせて頭を下げる犬飼であったが、バイパーは気乗りしない顔で、立ち上がろうとすらしない。


「今度は体があるからいけるだろ」

「その体をばらばらにしたら、こっちの攻撃が当たらない、スカスカの幽霊が出てくるんだぞ。つかさー……今の時点でも、今のこんな俺じゃあ、結構ヤバそうだぜ……」


 キーコに憑依された靴法が、憑依の効果で常人をはるかに超える身体能力を備えているのは、バイパーの目には一目でわかった。ベストコンディションでならどうにでもできそうだが、片手片足が不自由な身では辛い。


「じゃあ俺も援護するわ。大船に乗ったつもりでいろ」


 ダンボールの中からスプレー缶を取り出して、靴法に向かって勇ましく構え、犬飼が言い放つ。


「そういうギャグ、聞きたい気分じゃあねーんだけどなー……」


 バイパーがゆっくりと立ち上がり、悪鬼と化した靴法を見据えた。

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