第四十二章 27

「キーッ! 何なの!? あたしが相手をしたいのはそっちのヒョロヒョロであって、貴方じゃないのよ~っ。お下がりなっさあぁ~い!」


 キーコ憑依状態の靴法が、男と女の声を重ね合わせて発し、バイパーに向かって叫ぶ。


「いや、俺がこいつを護る役目みたいだしさ……」

「キーッ! 貴方ってば怪我人じゃな~い! こんな怪我人を戦わせるなんて、犬飼一って男はとことん腐ってるわね~っ! 納得の腐りっぷりっ! それでこそよっ! でもそんな男を護る価値なんてあるの~っ!?」

「ひょっとして……」


 憤慨するキーコを見て、バイパーがぽつりと呟いた。


「こいつ、いい奴じゃね? 少なくともお前さんよりは」

「いやいや、いい奴は人に憑依して、キーキー叫びながら人を殺そうとはしないでしょ」


 バイパーの台詞を聞いて、犬飼が苦笑する。


「キーッ! キーコ、今の言葉を聞いて、ますます貴方と戦いたくなくなったわ~! それでも争いは避けられないの~っ!?」

「そっちで考慮してくれよ」


 靴法――というよりもキーコの切なげな言葉を聞き、バイパーも笑ってしまう。


「それもできないわ~、だって靴法さんが命がけで、こうしてキーコと合体してるのよォ! その覚悟を無駄にはできないじゃない! 引くことはできないのよォ! キーッ!」

「そうかよ……。じゃあ、やるしかねーな」


 キーコに向かって、ゆっくりと近づいていくバイパー。


「キィィィィーッ!」


 気合いの咆哮をあげ、キーコが四つん這いになって、獣のような動きでバイパーめがけて突進する。

 バイパーとかなり距離が離れている場所から、キーコは大きく跳躍した。明らかに高さ2メートルは跳んでいる。


(跳んじまったらかわせねーだろ)


 呆れながら平手を突き出し、キーコの顔面に直撃させる。

 あっさりと迎撃されたかに見えたキーコであったが、そのまま床に倒れはしなかった。口の中を切って血を吐きながらも、両手でバイパーの腕を掴んできたのである。


「キーッ!」


 叫び声と共に、怪力でもってバイパーの腕をねじ回す。


 そのキーコに至近距離から脚払いをかけるバイパー。靭帯の切れた方の脚を使った。アルラウネを移植されたバイパーの体は、このダメージでもなお、多少なら動かすことができる。


「関節技をしたいのか投げ技をしたいのかわからん……」


 バイバーの腕に両手でぶら下がっている状態になったキーコを見て、バイパーは溜息混じりに言った。


 バイバーが腕を大きく振り回し、腕一本でキーコの体を投げ飛ばす

 しかしキーコは手を離さなかった。バイバーの肉を指が突き破るほど食い込ませている。


「このっ……」

「キーッ!」


 頭にきたバイパーであるが、次の瞬間、驚愕することになった。


 キーコがとうとうバイパーの体を引っこ抜き、不恰好な一本背負いで投げ飛ばしたのだ。


 床に打ちつけられたバイパーは、受け身こそ取ったものの、それなりに衝撃を受けた。

 体勢不十分のバイパーに、キーコが飛び乗る。いわゆるマウントポジションを取ろうとしたが、バイパーは完全に倒れた状態でもないので、うまくはいかない。


 あっさりとバイバーにはねのけられ、床を転がるキーコ。


「がむしゃらって感じだな……」


 辟易としながらバイパーが呟いた直後、いつの間にか近くに来ていた犬飼が、スプレー缶で作った簡易火炎放射器を掲げ、キーコとバイパーに向けて炎を噴射した。


「うわっ」


 思ったより勢いよく炎が出たので、慌てて犬飼は火を止める。


「ふざけんなっ! 俺まで焼く気かっ!」


 怒号を発するバイパー。熱気を浴びた程度だが、それでもかなり熱かった。


「いや……助太刀するつもりだったし、こんなにデカい火が出るとは思わなかったし、バイパーなら避けられるかなーと思って……」

「この脚が見えないのか! 靭帯切られちまってるんだぞ! 普通動けないぞ!」

「すまん……」


 バイパーが本気で怒っているようなので、犬飼は縮こまって謝罪する。


「キーッ! 熱い熱い熱い!」


 一方キーコはまともに火を浴びて燃え上がり、床を転げまわりながら必死で火を消していた。


 好機と見たバイパーが、片足でけんけんをしながら、キーコに向かってく。キーコの戦い方そのものは非常に粗いが、そのパワーは油断ならないと感じた。


 キーコの腹部めがけて、バイパーが蹴りを放つ。本気で殺さないように、一応は加減している。バイパーが加減しなければ、一発で人体など破壊できる。

 しかし加減はいらない相手だったと、バイパーは思い知った。倒れたまま、キーコはまたしてもバイパーの攻撃を両手で受け止め、掴んできたのだ。


 キックを放ったのは靭帯が切られた脚だ。苦痛を押しての無茶な攻撃であったが、さらにそれを掴まれたとあって、さすがのバイパーも冷や汗を流した。


「ウッキー!」


 キーコが叫び、バイパーの足首を脇に掲げて立ち上がると、己の体をきりもみ状に回転させて再び倒れこんだ。プロレス技でいうドラゴンスクリューに近い格好だ。バイパーの体もそれに合わせて巻き取られるようにして回転し、投げ飛ばされる。


「がああああっ!」


 その投げられる際に、膝の靭帯が切られているというのに、さらに同箇所へダメージを咥えられ、さしものバイパーもたまらず絶叫をあげた。


「今の聞いたっ! そうよ! ウッキーが出たわ! あたしがウッキーを自然に出す時、それは絶好調の証! そこにいる犬飼なら知ってるわよね!?」


 キーコが得意気な顔で犬飼を見るが、犬飼は半眼でノーリアクション。


「キーッ! 何とか言いなさいよ! ぐべっ!?」


 余所見をしているキーコの横っ面に、即座に復活したバイパーの右ストレートが炸裂する。


「しんどいな……畜生め……。でもまだいけるぜ……」


 痛みを凌駕する怒りの一撃を放ったバイパーだが、直後にその体が大きくふらつかせていた。しかしふらつきながらも、不敵に笑っている。


「あああ……みっちゃん……」


 這いつくばったキーコが、折れた歯と血を吐き出しながら喘ぐ。


「みっちゃああぁあぁああぁぁぁんっ、タカシくうぅぅうううぅうぅん、キーコに力を貸してえぇぇぇっ!」


 絶叫と共に立ち上がったキーコの体が、さらに膨れ上がった。服がちぎれ飛び、不自然なまでに肥大化した筋肉が露わになる。


「何がみっちゃんだ……何が力を貸してだ」


 犬飼がそれを聞いて、忌々しげに吐き捨てた。


「姉ちゃんよ……、くたばって怨霊になって、弟を殺そうとしている馬鹿な親友と、まだ一応生きているデキの悪い弟、どっちに力を貸してくれる?」


 皮肉げな犬飼の呟きは、キーコの耳には届いていなかった。


「みっちゃあぁあああぁぁぁんっ!」


 叫びながら、また四足獣のように四つん這いになって、キーコはバイパーめがけて向かっていく。


(バイパー、ヤバくないか……ふらふらだし)


 ダメージが蓄積し、体力も失いつつあるバイパーを見て、犬飼は恐怖する。


(頼むから、その一発だけは凌いでくれ。そうしたら……俺は降参するわ。俺を殺すようキーコに言う。お前は嫌がるだろうけど、見てらんねえし、俺のために死んでほしくはねーわ)


 犬飼はそう心に決めるも、バイパーはいささかも闘志が衰えてはいない。止めたらきっと怒りまくるだろうなと思いつつも、犬飼は止めるつもりでいる。


 バイパーに迫るキーコ。


 そのキーコの顔面を、何かが打ち据えた。

 それは犬飼とバイパーの目には、何も無い空間に突然現れて、キーコの進行方向からキーコの顔をカウンター気味に打ちつけたように見えた。


「キイィィEィぃぃぃィイeEeeEEぃーッ!」


 キーコの突進は止められた。キーコは顔を押さえて痛みと衝撃で転げまわり、悲鳴をあげ続けている。


「イェアーっ、みっちゃん登場! 安楽市から薬仏市は結構遠かったぜィ。あばばばあばば」


 バイパーが破壊した自動ドアをくぐり、明朗快活な声と共に、みどりが現れた。その手には薙刀の木刀が握られている。今の一撃は、薙刀の切っ先だけを空間転移させて放ったものだ。


「あ……そういやお前もみっちゃんと言えるが……」


 犬飼がみどりを見て呟く。


「いい所にきたな……」

 バイパーが安堵の笑みをこぼす。


「キイィィィイィイッ!」

 怒りの咆哮と共に立ち上がるキーコ。


「許せないわああぁぁっ! キィィーッ! 今のは何なのよォ~っ!? 誰の仕業ああ!? 訴えてやるわぅあぁうぁうああぁぁっ!」


 先程のパワーアップと同時に、キーコの理性は激しく失われていた。今や怒りと怨念の塊だ。


「ふわぁぁ、つーか、何なのよォ~、このうるせー悪霊は……」


 鼻白むみどり。男に憑依している女の霊の姿も、みどりの目には映っている。


「その昔、俺の姉ちゃんのダチだった馬鹿女だよ。その後、俺が一番嫌いな規制派になったから、いろいろあって俺が殺したら、逆恨みして悪霊になって、しょーこりもなく今また俺を殺そうとしているんだ」

「ふえぇ~、犬飼さん、そりゃ逆恨みじゃなくて立派な恨みだよォ~。あぶあぶぶぶ」


 犬飼の説明を聞いて、みどりがいつものおかしな笑い声をあげる。


「すまねえけど、みどり……任せた。こちとら満身創痍で立ってるのもキツい」


 そう言ってバイパーが力を抜き、その場にへたりこむ。

 みどりがこのタイミングで現れた事が、完全にピンチに颯爽と駆けつけたヒーローのように思えてしまった、バイパーであった。


「オッケイ、バイパー。前世からあんたのケツを拭くのは、いつだってみどりの役目だぜィ」


 バイパーの方を向き、にかっと歯を見せて笑うみどり。


「そーなのか?」

「余計なことは言ってほしくなかった……」


 犬飼が再確認し、バイパーは憮然とした顔になっていた。


「なるほど、外法でおかしな憑依して、ドーピングチートって感じか~。でも依代の精神にかなり悪影響与えちゃってるよォ~」


 バイパーをかばうかのように、バイパーとキーコの間に立ち、薙刀を構えつつ、キーコと靴法の様子を見て、みどりが言う。


「早くあいつを消してくれ」

「無理だわさ」


 犬飼が要求したが、みどりは首を横に振る。


「雫野の浄霊術は、除霊はできないんだよね。物質や人に取り憑いた状態だと、物質の壁に阻まれる形になっちゃうから、まずは肉体から霊を追い出さないと駄目なんだよね」

「どうやって追い出すんだ?」

「イェア、あたしのポーズ見てわかんない~? もちろん殴って追い出すんだぜィ」


 犬飼の問いに答えると、みどりはキーコに向かって己の闘気を浴びせ、挑発した。

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