第四十二章 25

 バイパーとテレンスは向かい合って、互いに似たような中腰のポーズを取っていた。

 テレンスの得物はナイフ。バイパーはいつも通り徒手空拳だ。


(バイパーが戦う際に、あんな風に真面目に構えてみせるってことは、敵が本気で強いってことか?)


 犬飼は思う。薄幸のメガロドンにいた頃も、みどりを狙った暗殺者と戦う様を幾度も見たが、いつも悠然と構えていた。いや、ただ佇んでいるだけで、構えてすらいない事の方が多い。


(葉山と知り合いと言ってたが、葉山と大体同じくらいの重圧を感じるな)


 向かい合って動こうとはせず、バイパーはテレンスを観察していた。もちろんテレンスが動き出したらすぐに観察は中断するが、テレンスも自分をまだ観察して様子を伺っているとわかっているので、その余裕はある。


(ゴムのように柔軟で、鋼のように強靭な筋肉だ。天性のものに加え、幼い頃から鍛え続けた代物みてーだな)


 服の上から、皮膚の上からでも、バイパーの目にはテレンスの中身が見えた。超常の力というわけではない。いや、ある意味それに近い代物だが、数え切れないほど実戦を繰り返してきたバイパーには、いつしかそれが見えてしまうようになった。


(単純な速度だけなら、俺とそんなに……)


 バイパーの思考は中断された。テレンスが中腰のまま真っ直ぐ突っ込んできたからだ。

 あっという間にアタックレンジに入り、同時にナイフが振られる。


 電光石火という四字熟語が、バイパーの脳裏によぎる。そのスピードも脅威だが、洗練された動きも目を見張るものがあった。


 喉元近くをナイフの切っ先がかすめる。バイパーの体の大半の部分は、銃弾であろうが刃物であろうが通す事は無いし、首も横や後ろであれば平気だが、喉は無理だ。常人同様、バイパーにとっても急所である。


 元々中腰に構えていたバイパーは、上体を起こしてテレンスのナイフを避けた直後、長い脚を振り上げるようにして、テレンスの胴を狙って蹴りを放つ。


 際どいタイミングであったが、テレンスとて当然カウンターは念頭に入れていたので、体を横にずらしてかわした。

 テレンスが攻撃をかわした直後、バイパーの側面から首を狙って、ナイフを突き刺さんとする。


 今度は、バイパーはかわそうとしなかった。その必要は無かった。


 テレンスのナイフが寸止めされる。そして後方に跳び、距離を置く。


「何だ? どういうつもりだ?」


 テレンスの奇妙な挙動を見て、バイパーは訝る。


「いや、それはこっちの台詞ですけど……。今のはかわせたでしょ? それとも僕の勝ちでいいですか?」


 戸惑いを露わにするテレンス。


「予習不足みてーだな。まあ次はそのまま突き刺して構わないぜ」


 獰猛な笑みを広げて言い放つバイパーを見て、テレンスも何となく察した。


 再びテレンスの方から詰め寄る。

 今度は先にバイパーから攻撃を放った。


 放たれた左ジャブに高速反応し、テレンスは余裕をもって回避する。

 回避直後にテレンスがナイフを突き出すも、バイパーが続け様に膝蹴りを放ってきた。


 犬飼の目から見て、互いの攻撃はほぼ同時であったかのように思われたが、結果としてはテレンスが空中で半回転して大きく吹っ飛んだだけで、バイパーは無傷だ。

 床にうつ伏せに倒れたテレンスは、二重に驚いていた。一つはバイパーの蹴り。車で正面からはねられたかのような威力と衝撃だった。あるいはそれ以上かも知れない。もう一つはテレンスのナイフは、確かにバイパーの鳩尾に届いていたが、柔らかいような固いような奇妙な手応えがあっただけで、突き刺さることは無かった。


(やっぱりそうか。今のおかしな感触からして、彼の体は生半可な攻撃が通じない。でも……最初の攻撃はかわしていた。通じる部分もある)


 視線をバイパーに固定したままゆっくりと起き上がり、テレンスは確信する。胃液が逆流し、喉までこみあげてきたが、堪えて飲み込む。


 今度はバイパーの方から、テレンスへと接近した。真っ直ぐ迫るのではなく、中腰の状態で左右にステップを踏んで近づいていく。

 テレンスは空いている左手で懐から銃を抜き、アタックレンジに入る直前のバイパーに向かって、一発撃つ。


 バイパーは避けようともしない。ひるみすらしない。銃弾は膝を狙ったものであったが、ジーンズの太股の部分に穴を開けただけで弾かれていた。


(今のはたまたま外してしまったのか、それともかわしたのかな?)


 テレンスにはいまいち判断ができない。肉の厚い部分には攻撃が通じないようだが、膝などの関節部分、喉のような肉に覆われていない部分は、通じるのではないかと、テレンスは見ている。


 アタックレンジに入ったバイパーの右フックが唸る。

 ダッキングで回避したテレンスが、ナイフを一閃させる。狙いは、今フックを放ったバイパーの右腕の肘の裏だった。


 血飛沫が床に落ちる。浅かったが、テレンスは確かな手応えを感じた。普通に肉を斬った感触だ。


(やっぱり関節部分には通る)


 勝機を見出したテレンスは、果敢に攻める。関節部分を狙ってナイフで集中的に小刻みに突く。


(へっ。わかりやすいっていうか、ある程度腕の立つ奴は、皆同じ場所を狙ってきやがるな)


 バイパーには十分余裕があった。


 手首、肘、膝、首、時には目を狙って、連続で突き込んでくるテレンスであったが、バイパーは巧みに身を引き、少しずつ後退しながら避けていく。

 一見、防戦一方のようでいて、バイパーが隙を伺っていることは、テレンスも意識している。


 テレンスのラッシュが途切れたその時、バイパーが後退を止め、前に一歩踏み込みながら、胴めがけてフックを打ち込む。


 その際、バイパーは奇妙な現象を味わった。

 目の前にいるテレンスが、消えてしまったかのような、そんな感覚。確かに目に映っていながら、テレンスの蜃気楼だけが存在し、そこにテレンスの姿は存在していないような感覚。

 存在感の消失。実体はどこに行ったのかと、気配を肌で探る触覚と第六感が勝手にテレンスの気配を探りに回る。


 バイパーの目にはテレンスの姿は映ったままだ。目でテレンスを追う一方で、テレンスの存在を認知しきれていない。


 放たれたフックを、大きく斜め前方に跳んで避けたテレンスは、そのまま悠々とバイパーの側面に回りこんでいた。そしてその動きにバイパーは反応しきれていない。


 左腕の肘の裏が、ナイフで切り裂かれる。


「ええっ……?」


 驚きのあまり、間の抜けた声をあげてしまうバイパー。目で確かにテレンスの動きを確認していたのに、その存在を見失い、あまつさえ手ひどい一撃を食らってしまった。

 肘関節の靭帯が切られるも、バイパーは痛みなど無いかのように、テレンスの頭部めがけて回し蹴りを放つ。


 テレンスはこれを避けきれないと直感し、反射的に両腕でガードした。

 腕が軋む感覚と共に、テレンスに凄まじい衝撃がかかり、テレンスの体が大きく後方へと吹き飛んだ。


(ひょっとして、今のがあれか?)


 バイパーは、ヴァンダムと義久が関わったマスコミ騒動の際、テレンスと累が戦っていた映像内での出来事を思い出した。


「お前と雫野累との戦いを映像で見た時、不可解だった。あれは累がどう考えても勝っていた戦いだったのに、突然お前の動きを追えなくなって、意味不明な負け方をしていたように見えたが……それがこれか」


 少し離れた場所で倒れたテレンスを見やりつつ、バイパーが告げた。映像で見ていたのではわからないが、現場において生で見れば、どういうことか理解できる。


「感覚の目を狂わせる……か。葉山のあの殺気の無い攻撃とどこか似ている。お前は葉山と知り合いらしいから、その技を習っていても不思議じゃねーな。でも、次は気をつけておくから、それがお前の切り札だっていうなんら、もう通じないぞ?」

「降伏勧告のつもりですか? それならむしろ僕の方がしたいです。腕一本使えなくなったのが、どれだけ戦力に響くか――」

「脚を狙っておくべきだったな。腕一本くらいならどうってことねーよ」


 テレンスの言葉を遮り、不敵な笑みを広げたバイパーが、ゆっくりとテレンスに近づいていく。

 テレンスは両腕に痛みを覚えていた。腕の骨にヒビが入っているのかもしれない。


(まだ……いける)


 己を鼓舞しつつ、テレンスは、自分に接近してくるバイパーの頭部と、行動予測後の喉を狙い、銃を撃つ。

 バイパーは頭を狙った銃弾を回避し、行動予測後の銃弾も予測を外した。


 バイパーがテレンスに迫る。テレンスもバイパーめがけて飛び出した。


 テレンスがバイパーの喉めがけてナイフを振るうも、バイパーの上体が大きく沈んだ。

 バイパーがローキックを放ったが、テレンスは跳躍してこれを避ける。そのうえ両脚でバイパーの胴を思いっきり蹴りつけて、その反動を利用して空中で一回転して、少し離れた位置へと着地する。

 このテレンスの軽業にバイパーは一瞬だが面食らった。それもテレンスの計算のうちだ。距離を取って着地したテレンスは、動きを止めることなく、即座にバイパーに突進する。


 身を低くした状態のテレンスが、バイパーのすぐ横を駆け抜ける。バイパーは反応しきれなかった。テレンスはこれまでにない最も速い動きをみせた。


(こいつ……俺に速度を慣れさせるために、惑わすために、今までスピードを抑えていたってのか)


 黒豹の如く駆け抜けていったテレンスを横目にし、バイパーは驚愕していた。


 バイパーの体が大きく傾く。膝の靭帯を切断されていた。


 しかしバイパーは、片脚ですぐに体勢を立て直して、何も無かったかのように、テレンスのいる方へと向き直る。


(難攻不落……か?)


 バイパーを見て、そんな言葉と漢字がテレンスの脳裏によぎる。


(クールな言葉だと思ったけど、自分が相手に抱く印象としては……辛いね)


 そう思い、テレンスは場違いな笑みをこぼす。


「こっちは立ってるだけでやっとだぜ。そっちから来てくれると嬉しいわ」


 わざわざ自分の現状を相手に知らせるバイパーに、テレンスは迷う。


 バイパーは、先程やった気まぐれダーツを思い出していた。


『俺はもう二度とごめんだ』


 あの時バイパーが口にした台詞。それは本心であったが、しかし人は生きている限り、どこかで必ず博打を打たなくてはならない。運に賭けなくてはならない時がくる。今がまた正にその時と感じる。

 わざわざ自分の不利な状態を告げて、相手を接近戦へと誘う賭け。そんなことをしなくてはならないほど、バイパーは追い詰められている。


 テレンスが銃のみの攻撃に切り替えてくる可能性を防ぐことになるか、あるいは距離を置いての銃による攻撃のみにしてしまうことになるか。バイパーは前者に賭けた。テレンスは累との戦いでも自分との戦いでも、最初から近接戦闘を果敢に仕掛けてきたので、そちらの方が好みであると踏んで。


「そんな虫のいいお願いされて、乗ると思いますか?」

 テレンスは一笑に付した。


「乗りますけどね」


 そう言ってテレンスは、これまでにない速度でバイパーめがけて突っ込むと、途中で己の色を消した。

 流石にバイパーはもう気配や勘で頼ることなく、視覚だけでテレンスの動きを追う。しかし普段から目だけで敵の攻撃を読んでいるわけではないので、どうしても敵の動きが読み辛くなり、守りが甘くなる。


 テレンスのナイフが閃く。


 テレンスのナイフを持つ手に、物凄く柔らかくて厚くて芯は硬いゴムを切ったかのような、そんな感触が伝わってきた。テレンスの手の動きが途中で止まっている。

 横振りに振られたナイフを、バイパーは素手でキャッチしていた。


 至近距離からバイバーの回し蹴りがテレンスの胴に炸裂し、テレンスの体が大きくひしゃげて、横向きに吹っ飛んだ。

 床にうつ伏せに倒れたテレンスは、そのまま動かなくなった。これでも一応手加減はしてある


「楽に勝てるとは思っていなかったが、想像していたよりずっとやるな……」


 戦闘中に放出していたアドレナリンの効果が切れて、手足の斬られた箇所に痛みを覚えながら、バイパーは動かなくなったテレンスを見やり、満足げに微笑み、称賛した。

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