第四十二章 22

「辞めてもいいんだぜ?」


 カードを並べる遥善に、犬飼はにたにた笑いながら声をかける。


「続ければお前は死ぬ。俺に勝てると思ってるのか? いや、もしお前が俺の立場だったらどうだ? ここまで生きてこられたか? 途中でさっさとおっんでんじゃねーか? そんなお前が、ここまで突破してきた俺に、本気で勝てると思うのか?」


 プレッシャーをかける犬飼であったが、遥善は動揺する素振りを見せず、並べた攻めのカードをめくる。


 遥善のカードはラットプルダウンとクロストレーナー。


「おやおや、ツキは俺に傾いているかな」


 犬飼が守りのカードをめくると、ショルダープレスとレッグプレスだった。遥善は完全に外した。一枚もかぶらずに0ポイント。


「じゃ、攻めていきますか」

 犬飼が攻めのカードをめくる。


「おいおい……」


 パイパーが思わず唸る。犬飼の攻めの手札は、3ターン目と同じだった。即ち、両方共チェストプレスだ。

 そして犬飼がそれを選んだのは、遥善がチェストプレスをまた守りにもってくると、踏んだからなのだろう。そこまで見てとって、ギャラリーの三人が遥善に注目する。果たして犬飼の読みは当たっているのかどうか。


 遥善は固まっていた。実にわかりやすいリアクションだ。


「めくらなくてもわかるよ。そっちも3ターン目と同じで、守りは両方チェストプレスだろ?」


 犬飼が意地悪い口調で指摘する。

 遥善が守りのカードをめくると、確かに両方チェストプレスだった。


「冴えてるねえ、俺。勘ていうのはさ……冴えっていうのは、突然くるもんなんだよなあ。今、正にそうだった。お前さんの性格は本当読みやすいけど、俺はエスパーじゃないから人の考えを100%読むなんて無理だ。勘とか運とかも絶対作用する。で、俺はそいつらも今味方につけている状態だ。さて、勝負を続けるか? ギブアップするなら今のうちだぞ?」

「いいから次の器具を決めろよ」


 犬飼が発した言葉を意識しまくりながら、震える声で促す遥善。爆弾が仕掛けられていないことがわかったマシンのカードで勝敗がついたら、勝った方が残りのマシンのカードを伏せ、負けた方に選ばせるルールだ。


(気の毒だが役者が違いすぎる。こういう勝負は、人間としての力の差が大きく作用するもんだ。あの小僧は完全に犬飼に飲まれちまってる)


 二人を見比べて、バイパーは思う。


 犬飼がカードをシャッフルして並べる。

 遥善がめくったのはクロストレーナーだった。


 無言でマシンに向かう遥善。


 三回動かしたが、爆発はしなかった。


 すっかり生気を失くした顔でテーブルに戻ってくる遥善を見て、犬飼は溜息をつく。


「あのさ、俺は意地悪で挑発しているだけじゃないからね? ましてや自分が助かりたいがために、やめろやめろと言ってるわけでもねーよ。お前のためだ。そんくらいはもうわかるだろ?」


 死の恐怖を二度も味わって顔面蒼白になっている遥善に、犬飼はできるだけ優しい声を発して継げる。


「ま、それでも引くに引けねーという気持ちもあるんだろうがね」

 さっさとカードを並べる犬飼。


「あんたは怖くないのか?」

「死ぬのは怖いし、さっきも死の恐怖は味わってきた所さ」


 遥善に問われ、犬飼は腹の傷を指す。


「でもまあ何度もこういう修羅場はくぐってきたからな。恐怖を押し殺す術くらいは心得てるよ。ほれ、さっさと並べろ」


 犬飼に急かされ、遥善は震える手で白紙カードに器具の名を書き込み、並べる。


 犬飼が攻めのカードを二枚めくる。ショルダープレスの二枚。それを見た遥善の全身から力が抜ける様が、他の四人にもはっきりと見えた。

 遥善が守りのカードをめくる。ショルダープレスとチェストプレス。これで犬飼が2ポイント勝った事になる。


 続け様に遥善が攻めのカードをめくる。クロストレーナーの二枚。

 犬飼が守りのカードをめくる。ラットプルダウンとレッグプレスだった。


「三連敗だな。そろそろ当たりがくるんじゃないか?」


 犬飼の薄ら笑いが、遥善には悪魔の笑みに見えた。


 遥善がショルダープレスへと向かい、三回使用したその時だった。

 音が鳴り出した。爆発を知らせる警告音だ。

 遥善が恐怖に凍りつく。すぐに立ち上がって逃げなくてはと理性が告げているが、その動きはひどく鈍重だった。


 そんな遥善に凄まじい衝撃が襲いかかり、小太りの体を大きく吹き飛ばした。


 爆音。そして爆風。


(死んだ?)


 うつ伏せに倒れた遥善は、奇妙な感覚を覚えていた。何かが自分に覆いかぶさっている。重い。


「すげーなあ。あの距離を一気に詰めて。つーかバイパー、爆風食らったろ」


 犬飼が感心の声をあげる。


「そよ風だったぜ」


 バイパーが立ち上がって、不敵に笑う。ショルダープレスの椅子はバラバラになっている。


「どうして……?」


 怪訝な面持ちで、自分を助けてくれたバイパーを見上げる遥善。


「予め、奴に頼まれていた」

 親指で犬飼を指してバイパーが答える。


「あ、何で言うんだよ……」

「別にいいだろ」


 顔をしかめる犬飼。軽く肩をすくめるバイパー。


「どうしてだよ……。父さんを殺したくせに……」


 泣きそうな顔で犬飼を見て、遥善が呻く。


「お前さんに恨みはねーと言いたい所だが、俺を貶める連中と結託した時点で、完全に敵だな。情けをかけたわけじゃねーよ。殺すより助けた方が残酷だろ? お前はこの先、一生この屈辱の記憶を背負っていくんだ。お前が貶めようとして、殺そうとした相手に、助けられた命で生き延びているっていう屈辱を抱えてな」

「……別に屈辱は感じないよ」


 何となく犬飼のことがわかった気がして、遥善は力なく笑った。


「親父と同じで厚顔無恥か?」


 口にしてから、言い過ぎたと後悔する犬飼。嫌味にしても度が過ぎる。セーブしているつもりであったが、つい口走ってしまった。


「そうじゃない……。あんたに完敗だと受け入れたからね。完全に受け入れてしまうと、悔しさも無い」


 憑き物が落ちたような顔で遥善は告げる。


「さっきも言ったけど、俺の父さん、仕事上は最低の人間なんだろうけど、俺の前じゃあ凄くいい父親だったんだ。いつも愛想良くて、優しくて、俺の話もよく聞いてくれて……まあちょっと過保護だったかもしれないけど」


 最後の台詞で、遥善は気恥ずかしそうな笑みをこぼした。


「あんただって、憎まれ口叩いてはいるけど、情けをかけてくれただけの話だろ?」

「うん……まあ……。お前の親父は最低のクズだったけど、たった一つだけいいことしたからな。お前っていう人間を作った。クズのたった一つの善行の成果まで、潰しちゃうってのは、アレだよ……。うん……俺のポリシーには合わないから……」


 遥善に指摘されて、犬飼も気恥ずかしそうに、本音を口にする。


「で、最後のゲームの場所は?」


 八つ目――最後のゲームはできれば避けたかったし、今でも何とか避けたいと思う犬飼であるが、一応聞いておく。


「またロビーだ。じゃあ……」

 遥善が答え、ジムを出ていった。


「さて……お待たせしちゃったね。生き残っちゃったから、話もできるぜ」


 犬飼がケイトの方を向いて、声をかける。


「何故、犬飼さんハ私の夫に、私の正体を明かしたノですカ?」


 最も聞きたかったことから質問するケイト。


「それをわざわざ聞かないとわからないのか?」

「はい、ハッキリと犬飼サンの口から聞きたいデス」


 鬱陶しそうに問い返す犬飼に、ケイトは力強い声で告げた。

 犬飼の中で激しい嫌悪感が沸き起こる。


「あんたがムカついたからだよ。とんでもない偽善者の悪党だったからだ。その自覚があるかどうかは知らんけどね」


 思っていることを犬飼はストレートにぶつけた。


「自覚はアリます……。でも……」


 ここでケイトは言葉を詰まらせる。口にしていいかどうか迷う。


「ソレナラ私だけを殺セばヨカッタはずデス」


 結局口にした。迷ったのは、開き直ったか、あるいは偽善的と思われそうな気がしたからだ。


「それはあんたの考えでしかない。俺は俺の考えだけ述べる。議論する気は無いぞ。女と言い合いだの口喧嘩なんて、超不毛な行為だ。やっちゃいけないことだ。男は腕力では女に勝てても、女と口喧嘩したら絶対に勝てないようにできてるからな。何故ならどんなに論理的に弁を尽くしても、最後はキレるか泣き出すかして終わりだし、女が男の前で、己の非を認めるなんてことは無いからな」


 喋りながら犬飼は、指にはめた指輪を意識し、甘酸っぱい思い出の数々が胸の内に蘇っては、突き抜けていくような感覚を味わっていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る