第四十二章 15

 ヴァンダムから電話がかかってきたことに、純子は少し驚いたが、電話をかけてきた理由はさらに意外なものだった。


『そちらに雫野みどりという人物がいると聞いたのだが。薬仏市にある、マスラオホテルに寄越してもらえないだろうか。ホテルに幽霊が出て大暴れしているのだが、犬飼一という人物が、除霊士に彼女を推薦してね』

「ちょっと待ってねー」


 自室にいた純子は、リビングへと赴く。リビングでは、みどりとせつなと毅がテレビを見ていた。

 純子が三人の前で、かかってきた電話の内容を告げる。


(犬飼さん、あたしの存在をヴァンダムにバラしちゃったんかーい。みどりのこと秘匿しておきたい真兄が聞いたら絶対不機嫌になるよォ~、これ)


 この場に真がいなくてよかったと思うみどりだが、毅とせつなもいるので、すぐにばれそうな気もした。精神が繋がっていても、記憶や情報の全てまで共有しているわけでもない。


「マスラオホテルって、先程SOSサインがありましたね」

 毅が言った。


「SOSのドッグは犬飼さん、プリセンスはみどりちゃんのことだったんじゃなーい?」

「ふわぁぁ~……」


 純子に指摘され、みどりは難しい顔になった。


「言っちゃいけないことだった? だったらすまんこ」

「ん~……まあ触れないでおいて~。じゃあ、ちょっくら行ってくるわ~」


 みどりがタクシーを呼ぶ。


「みどりおねーちゃん、幽霊のおみやげ忘れずにねっ」

「そんなもの持ってこられても困りませんか?」

「幽霊はいらないなあ。生体じゃないと」


 せつな、毅、純子の声を背に受けながら、みどりはリビングを出た。


***


 五つ目のミッション、気まぐれダーツ。


 前もって数字が指定される。

 三回矢を投げてダーツの数字を当て、当てた数字の合計が、指定された数字と同じになるようにするゲーム。

 例えば指定数字が100なら、ダーツの的に表示される数字を、35、17、48と当てて、合計100にしなくてはならない。

 プレイヤーは前もって毒薬を飲み、指定数字を当てれば解毒剤がもらえるが、解毒剤は四つ必要なので、四勝しないといけない。

 ゲームは七回まで。つまり四回負けたらそれで終わりだ。


 ダーツの的は液晶ディスプレイで、矢は先っぽが吸盤になっていた。試しに投げてみると、簡単にくっつく。


「あの???は何だ?」


 バイパーがダーツの的に出された数字を見て尋ねる。的には数字だけでなく、赤い???と青い???が表示されていた。


「赤いクエスチョンマークは、当てるまでは隠されている数字。青い方はランダムな数字だ。赤いのはたまに当てなくても数字に変化して固定されることもある」

「なるほど……。だから気まぐれダーツなのか……」

「数字の合計を狙っても、表示されている数字だけでは、指定数字にするのが不可能なこともあるんだ。そういう時は赤い???の中から探るしかない。ランダムな数字が出る青い???を狙うのもありだが、それは追い詰められた時だな。あ、青い???には、回数を増やせるボーナスの的の時もある」

「これ、理不尽な運ゲーだろ……。いや、運要素だけじゃねーけど、運要素強すぎだろ」


 犬飼の説明を受けて、バイパーは苦笑した。


「それがいいんじゃねーか。全く運要素の無い遊びなんて、楽しくないぜ? そうだ。バイパーにやらせてやろうか? 毒は俺が飲むからさ」

「は? 何言ってんの?」


 犬飼の突然の提案は、冗談ではなく本気のように感じられて、バイパーは顔をしかめる。


「お前、ギャンブルとか全然しないタイプだろ? だからその悦びを教えてやろーと思ってさ」

「いーよ……俺は賭け事とかやらねー主義だ」

「そうだと思ったからこそ勧めてるんだよ。お前は極力運に頼らず、自分の力で全て解決したがる奴だからさ。しかしこの楽しさは……どんなに口で言ってもわからん領域だ。実際にやってみないとな」

「そんなに楽しいもんなら、お前がやればいいだろ」

「俺も……昔は博打にハマってたけど、今はもう楽しめなくなっちまった」


 寂しげな笑みをこぼす犬飼。


「どうしてだ?」

「それはお前がこのゲームやって勝ったら教えてやるよ。ま、正直言うとこれは運動神経や動体視力も使うからな……。そこん所が俺じゃ不安なんだ」

「なるほど……」


 少し納得するバイパー。


「つーか俺が代わりにやっていいのか?」

「毒飲むのは俺だし。原作でも代わりにやる展開とかあるから大丈夫だろ」


 駄目ならヴァンダムが静止するであろうが、静止は無いと犬飼は見ていた。

 犬飼が毒薬のカプセルを自販機の中から拾う。飲めばその時点でスタートされる。バイパーもダーツの矢を構える。


「じゃあ飲むぞー」


 声をかけてから、犬飼が毒薬を飲んだ。すると的の液晶ディスプレイが光って、ゆっくりと回転しだした。

 ダーツの中心には指定された数字が映し出されている。今は77だ。


 矢を構えたバイパーの動悸が速まる。


(自分の命ならまだしも、この手が間違えれば犬飼の命を失くすかと意識すると……他人の命を背負うって、自分の命を賭ける以上にプレッシャーが強いぞ……)


 現時点で表示されている数字だけで合計値にもっていけるので、緊張しながらも、20、42、15と、合計が指定された77になる数字を狙って投げていく。


 三回とも問題無く当たり、ダーツの的が激しく光った。

 そして自販機に解毒剤の入った、アンプルタイプの容器が落ちてくる。


「まず一つ……。お見事だ」


 犬飼が呟き、すぐに解毒剤を飲んだ。毒の進行の遅延効果もあるので、出てきたらさっさと飲むしかない。


 次の数字は65。まだ表示されている数字だけで合計は可能だが、ルーレットの動きが速くなった。そのうえ急に逆回転を始めたり止まったりと、当てづらくなっている。


 しかしバイパーは問題無く三回当てて、解毒剤の二つ目を出す。


 3ターン目、数字は83だが、ダーツに表示されているのは偶数ばかり。合計しても83には絶対にならない。


(???を使えってことか……。青のランダム狙いはありえないし、赤の???のどれかに隠れた数字を使えば……)


 最初の一投目でバイパーは、隠れた数字である赤の???を当てた。

 ???が数字の3に変化する。


 表示されている数字はどれも40に届かない。つまり、また???に当てないとならない。


 もう一つ、赤い???を狙ってみる。出た数字は31。これでまた偶数になってしまったうえに、表示されている数字では、どれを当てても83に届かないので、どちらにしても???をまた狙うしかない。


「俺なら、こうなったら、一発逆転を賭けて青のランダムを狙うな」

「俺はしないわ……。確率低すぎるだろ」

「青は運が良ければ、投げる回数を増やすこともあるんだぞ」

「そうか……。じゃあ青いってみる」


 犬飼の言葉に従う形で、バイパーは青を狙ったが、回数は増えず、しかも表示された数字が12で、このターンは負けとなった。


 残りのゲーム回数は四回。そのうち三回負ければ解毒剤が足りず、ゲームオーバーとなる。


「ランダム要素がえげつなさすぎるぜ……」


 バイパーが呟いた直後、液晶ディスプレイに新たな数字と指定数字が現れ、4ターン目が開始された。今度もまた、表示されている数字だけでは、指定数字にならない。


 4ターン目は赤のランダムから、三つ足して指定表示になる数字が出たので、難なく突破し、三つ目の解毒剤も手に入れた。これで残りゲーム回数は三回。一回勝てばクリアーできる。

 三回あるからといって安心はできないと気を引き締めるも、ランダム要素のせいで、全く安心できない。


 不安は現実のものとなり、5ターン目、6ターン目とも、ランダムの壁に阻まれ、あっという間に残り1ターンとなってしまった。


「さあ盛り上ってまいりましたーっ。ここからが面白い所だぞー」


 自分の命がかかっているというのに、犬飼はいつも通りへらへらしている。一方のバイパーはすっかり顔色を悪くしている。


(こいつはこの気分を俺に味あわせたかったのか? 糞っ、雪岡との戦い以来……いや、それ以上だ。俺がこんなにビビるとかよ……)


 バイパーにとって、失敗したら自分以外の人間が死ぬというシチュエーションは、初めてではないが、それは大抵力ずくで解決できることだった。今やってるこのゲームは力ではどうにもならない。


 指定数字は88。例によって、???を開けない限りは揃わない代物だった。


(固定の隠された数字がハズレだらけってことは、これ、ランダムを最初から狙った方がいいんじゃないか?)


 厳しい賭けだが、固定に隠された数字を狙うことからして運なので、それならばランダム数字の運に賭けた方がよいのではないかと、バイパーは考え出した。ランダムである青い???は、回数を増やすこともあるというらしいし。


(よし、それに賭けてみる……)


 失敗の恐怖と戦いながら、バイパーは最初から青い数字を狙う。出た目は12。

 数字そのものは指定数字を揃えられない代物だったが、数字の枠が光って点滅し、回数が一回増加と映しだされた。


 さらにも青い???を狙い続けるバイパー。数字はハズレの10。回数も増えない。


 三回目を投げた際、32が出た。合計で54。指定の数字へと届く34は、盤上に存在した。つまりこれで、揃えられる数字となった。


 安堵で全身の力が抜けるような感覚を味わいつつ、34を当てる。最後の解毒剤が自販機に落ちてくる。


(勝った……勝ったのか……)


 達成感、安堵、勝利の悦び、解放感、この四つが強烈にバイパーの中で吹き荒れる。全身が小刻みに武者震いをしている。動悸の速さも止まらない。


「おつかれさままま。そしてありがとさままま」


 佇んだまま固まっているバイパーに、解毒剤を飲んだ犬飼が声をかける。


「さっきの話だけど、何でお前はギャンブルが楽しめなくなったんだ?」


 気持ちを収めるために、バイパーは犬飼に話しかけた。


「小説家として成功して、金持ちになっちまったからさ。それと……自分の命もぞんざいに扱い始めたからな」


 ニヒルな笑みを浮かべ、犬飼は語りだした。


「金持ちのくせして競馬にハマってるとか、ガチャゲーでレアキャラ出るまで金つぎ込む石油王とかいるじゃん? あれらはギャンブルを浅くしか楽しめねーよ。安全圏から一歩も出ないし、失っても大した痛みが無いんだぜ? 本当にただのお遊戯だ。賭ける楽しみってのはな、痛みを伴う恐怖を味わいながら、勝負に挑むスリルがあってこそだ。自分が金持っちまって、それをつくづく実感しちまった……。かといって金を全部手放す度胸も無いし、オケラになったところで、俺はその気になればいくらでも稼げちまう」


 喋りながら犬飼は、小説家になる前、その日暮らしの荒れた生活を送っていた時のことを思い出していた。


「昔、貧乏だった頃は違ったけどな。こんな痩せっぽちな俺が、日雇いの肉体労働のバイトしてたんだぜ? 漁師の手伝いとかキツいけど、いい金になったし、面白かった。で、必死の想いで稼いだ大事な大事ななけなしの金をさ、賭け事に継ぎ込んで台無しにしちまった痛みと悔しさって、そりゃもうたまらないぜ。しかしその痛みと恐怖があるからこそ、最高のスリルが味わえるし、勝った時の喜びがまたたまらないんだ。まさに勝利の美酒って感じで。それは今、お前も実感しただろ? やったこともねーくせに、先入観だけで賭け事を馬鹿にする奴もいるけど、一度でもいいからやってから言えってな。ちゃんと本気で、痛みが伴う形でよ。この悦びを一度でも味わったら、絶対に馬鹿にする気になんかなれねーよ」

「はあ……」


 犬飼は珍しく興奮気味に話していたが、バイパーはついていけないという感じで、気の無い相槌を打つ。


「この快楽こそ、貧乏人の――弱者の特権だ。金持ちになっちまったら絶対に味わえない、至高の悦楽だ。ましてや俺みたいに、死の恐怖さえも麻痺してきて、自分の命もわりとどうでもよくなっちまった人間は、命がけのギャンブルでさえ燃えない。スリルがあるからこそ、デスゲームは楽しいんだ。だから、その楽しみを味わえない俺がやるより、お前を楽しませてやろうと思ったんだ。賭け事とか絶対したことねーだろーなーと思って」

「いやあ……お前の言いたいことはわかったし、実体験で味あわせてもらったけど、俺はもう二度と御免だ……」


 放っておくといつまでも喋っていそうな犬飼に、バイパーはうんざり気味の顔で言った。


「スリルあって面白いのはわかったけど、だからといって、誰も彼もがギャンブルにずっぽりのめりこむわけじゃねーだろ。やっぱり俺には合わねーよ。貴重な体験させてもらったとは、素直に思う」

「そうか。そりゃ残念……」


 犬飼が肩をすくめ、最後の解毒剤と共に落ちてきた、次の行き先のメモをバイパーに見せる。二階宴会場と書かれていた。


 移動しようと、二人が歩き出そうとしたその時、二人の前に、一人の若い黒人男性が立ち塞がった。

 男は闘志を滾らせ、ふてぶてしい顔でバイパーを睨みつけている。犬飼のことは全く眼中にないといった感じだ。

 現れたのは海チワワの戦士、ロッド・クリスタルだった。


「よう、久しぶりだな」


 バイパーが口角の片側を吊り上げて嬉しそうに笑い、声をかける。他人の命がけのしんどい博打をやらされてげんなりしていた所に、明らかに自分の得意分野で遊べそうな気配を感じ取り、全身の細胞が喜悦に沸き立つような感覚を覚えていた。

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