第四十二章 14

 犬飼は火捨離威BBAの運営をしていた際に、何度か靴法と会話をしているが、誠実な人物であり、犬飼もさほど悪感情を抱いていなかった。規制派であるという点を除けば――


 憎悪に満ちた目で自分を睨む今の靴法は、まるで別人のように見える。


「貴方のような大量殺人鬼が、のうのうと社会で暮らしているのは、実におぞましいことです」


 静かな口調だが、嫌悪と憎悪をたっぷりと込めた声で靴法は語りだす。


「火捨離威BBAだけでも122人殺した。しかしきっとそれだけではないでしょう? 数え切れないほど殺しているのではないですか? 裏通りの組織の首領も務めていたそうではないですか」

「ああ、いっぱい殺してるよ。でもな、俺は殺しが嫌いだよ。暴力も嫌いだ。これは皮肉でもからかってるんでもなくなく本当だ。いや、人殺しが嫌いな俺が、殺しまくっている事実そのものは、すげえ皮肉だけどさ」


 アンニュイな口調で語る犬飼。


「あっさり白状していますが、録音してますよ? 公表されても構わないほどやけくそですか?」

「別にいいぞ。あんたらが勝った後に好きにすればいい。それより言いたいことがまだ途中だ。殺したくないけど、殺さないと駄目な奴ってのが、この世には確かに存在する。自分勝手な理屈で、他人を無闇に傷つけてくるような人間、人を騙したあげく被害者面するような最悪の偽善者、こういう奴等は殺せる機会があったら殺した方がいいだろ?」


 犬飼のその台詞に、靴法の顔がいかに歪む。


「キーコちゃん達を悪人呼ばわりして自己正当化ですか……」

「悪人なんだよ」


 今にも怒りが爆発しそうな靴法に、犬飼は冷たく断言する。


「お前達って、自分達が悪である自覚が本っ当に無いんだな。おぞましいのはお前らだ。お前らこそ身の毛もよだつ悪だ。楽しんでもらうため、自分が面白いと思うことを、表現したいことを、精魂込めて書いた俺の作品。そしてそれを受けとって楽しんで好きになってくれた人達。それらを自分達の感情だけで頭ごなしに否定したあげく、権力を用いたり悪い風評を立てたりして、とにかく潰そうと躍起になるお前らが、悪でなくて何だって言うんだ」


 静かに、冷たく、しかし確かに強い怒りを込めて犬飼は喋る。いつになく迫力が出ていると、側にいるバイパーは感じ取る。


「結局規制したがる奴は、ただ自分が気に食わないっていう、それだけのことなのさ。不愉快だから潰す。それだけ。それにあれこれ御立派な理屈をつけて押し通す。俺も同じことをやり返しただけだ。でもな、俺は御立派な理屈なんかつけねーぜ。俺を不愉快にした奴を物理的に消した。それだけ」


 話を聞いている靴法の拳が小刻みに震えている。


「法律に護られて、政治屋ブタどもを動かして、安全圏から他人の楽しみを一方的に潰せると信じ込んでいた奴等が、逆に無様に殺される。スカッとしないか? 俺は心からスカッとしたぞ。人の家に入り込んで、逃げ回っていた中々殺せなかったゴキブリを、ようやく仕留めた時のあの気分だ」

「もういい……」

「いや、まだ言いたいことはあるぜ。キーコのこととかさ」


 震える声で拒絶した靴法だが、一度火がついた犬飼は止まらなくなっていた。


「あんな醜悪な女もそうそういねーよ。顔のことじゃなくて、中味がな。どこまでいっても独りよがりで、感情の抑えが効かなくて、独善的で、あんな女が政治屋になったら、どれだけ大勢の人間が迷惑したかわかったもんじゃねー。社会正義としても、殺して正解だったと思うね。あんたはあんなもんに入れ込んで、支えていこうとしていたらしいが、あんなののどこに価値を見出した?」


 キーコのこともディスりまくられて、靴法はとうとうキレた。


「聞きましたか? キーコちゃん」

「え……?」

「キーッ!」


 叫び声と共に、靴法の背後にキーコの霊が現れた。


「もうゲームとかどうでもよくなりましたし、教えてあげますよ。キーコちゃんをここに導いたのも、キーコちゃんを霊としてパワーアップさせたのも、私なんです。キーコちゃんの無念をキーコちゃんに晴らさせてあげたくてね」

「えっ? 霊をパワーアップさせる力なんてあるの?」


 意外そうに問う犬飼だったが、靴法は答えなかった。正確には依頼しただけの話だが、面倒臭くなった。


「キーッ! 今度は逃がさないわよ~っ!」

「いや、逃げるし」


 背を向けた犬飼は、キーコが現れた時点で、バイパーが先に逃げ出した事実に気がついた。すでにかなり離れている。


(あいつ、やっぱり幽霊苦手だろ……)


 小さくなったバイパーの背に疑惑の視線を送りつつ、犬飼も必死で走る。


「逃がさないと言ったわよーっ! キーッ!」

「げっ……」


 すぐ背後にキーコの声を聞いて、犬飼は慌てた。


「ぐああああっ!」


 追いついたキーコが体に触れ、自分の中へと入ってくる異質な感覚に耐えられず、犬飼は絶叫した。


(うわ、俺漫画のキャラみたいな悲鳴あげてる……)


 憑依され、キーコの感情をもろに浴びながらも、場違いなことを考える。


「犬飼っ!」


 遠く離れたバイパーが立ち止まり、振り返って心配そうに叫ぶ。しかし近づいてこようとはしないので、犬飼は憑依されながらも笑ってしまった。

 キーコの気持ちがダイレクトに伝わってくる。自分とは全く異なる価値観と感性の持ち主が、自分の心と重なることへの不快感と苦痛は、筆舌にしがたいものだった。


「ふざけんなよ……ははは……」


 必死で自我を保ち、嘲り笑う犬飼。


「お前は自分のことばかりしか考えていない、くだらない女だ。卑屈で被害者意識にあふれていて、善意をふりかざしながらも、自分のちんけな物差しを振りかざして、マウント取って他人を見下したがってばかりいる、典型的な低脳ヒステリー女だっ。人としての会話もまともに通じないクリーチャーだっ。そんな奴の嘆きや怒りなんざ、知ったことか!」


 最後に一渇した直後、犬飼はキーコが自分の中から出て行ったことを実感した。

 キーコの気配は消えた。犬飼の拒絶と罵倒で、それなりにダメージを受けたようだ。


 自販機売り場に戻ると、いつの間にか靴法は消えていた。


「ミッションどーすんだって話だが、あいつは俺を殺せればどうでもいいのかもな……」


 あいつとは靴法を指している。ヴァンダムのゲームも、もうどうでもよいという雰囲気だった。


「あの幽霊、みどりを呼ばないとどーにもできないぞ」


 呟く犬飼に、バイパーが声をかける。犬飼もそれには同意だったが、安楽市にいるみどりを呼び寄せて、ここに来るまでにもつのか疑わしかった。東京西部の安楽市から、神奈川県三浦半島とその北部を占める薬仏市までは、最短距離とコースでも、電車で一時間半近くかかる。


***


「何だったんだ、あれは……」


 ヴァンダムがディスプレイを見て呻く。カメラにもキーコの姿はばっちりと映っていた。犬飼に憑依する瞬間も見た。


「このホテルに出るっていう幽霊?」

 二夜がぽつりと呟いた。


「会話カラすると、アノ幽霊さんノ正体を、犬飼サンと靴法さんハ知っているミタイですね」

「靴法め……。勝手なことを……」


 こちらの指示に従わない者が出るのは、外部の人間を呼び込んで共闘する際にはつきものであるからこそ、大丈夫そうな二人に絞ったのだが、そのうち一人があっさりと暴走したことに、げんなりしていた。


***


 靴法はホテル内を足早に移動していた。

 もうヴァンダムの元に戻れない。しかし予定より少し早まりはしたが、離反することは予定通りだ。


「キーコちゃん、いないんですか?」


 歩きながら声をかけるも、キーコが現れる気配は無い。


(憑依を失敗した反動で、実体化が希薄になったのでしょうか)


 霊のことをいろいろと勉強した靴法は、そう勘繰る。


(まさかあのまま成仏してしまったということは……)


 そんなことを考えかけて、はっとして足を止める。


(いや、キーコちゃんがあんな怨霊のままでいいわけがない。成仏するのが一番いいはずです。なのに犬飼への復讐ができなくなるから、今成仏するのが不味いと考える私は……)


 自己嫌悪に陥る靴法であったが、やがてそんなことを今更考えて自己嫌悪に陥っている自分に、自嘲の念のほうが強くなった。


(もう引き返せない所にきています。日常から外れたおかしな世界に足を踏み入れたのです。こんな所で迷う方が間違いですよ!)


 自身を叱咤して、靴法は再び歩き出した。


***


「結局ミッション内容はわからんのか?」

「靴法が説明してくれる予定だったとしたら……な」

『どうやらあの男は私の手を離れ、勝手に君を殺すつもりでいるようだぞ」


 バイパーと犬飼が話していると、どこにあるかわからないスピーカーから、ヴァンダムの声が響いた。


「見りゃわかるよ……」

 犬飼が呆れ気味に言う。


『靴法の代わりに、私が五つ目のミッション内容を説明しよう。と言っても、君の小説と同じ内容だがね。つまり、『気まぐれダーツ』だ』

「うーん……それできたか……」


 渋面になる犬飼の前で、自販機の後ろからダーツの盤が横にせり出してきた。


『まず数字の指定が出てくる。矢を三回投げて的の数字に当て、合計値を指定数字と合うようにする。ダーツはルーレットにもなっている。激しく動くこともあれば、突然逆回転になったり、止まったりもする。数字の内容が変化することもある。参加する前に、自販機の受け取り口にある毒薬を飲んでもらう。指定した数字を当てる度に、自販機から解毒剤が一瓶配布されていく。この解毒剤には解毒作用だけではなく、毒の進行を遅延させる効果もある。解毒剤を四瓶飲まないと、完全に解毒しきれない。つまり指定の数字を四回当てればよい。ただし、ゲームは七回までだ』

「作品内ではどんな毒か触れてなかったが、そんな毒と解毒剤が実在したのか?」

『いいや、このゲームのために特別に調合したのだよ』

「そいつは何ともゴクロウサンな話で」


 自分への復讐のために、あれやこれやと細かく手間をかけていることを意識すると、おかしくて笑いがこみあげてくる犬飼だった。


「ところで……あの幽霊見たか? 何とかしたいんだが、協力してくれないか?」

『ふむ……。話だけなら聞いてみよう』


 犬飼の要望に、ヴァンダムは耳を傾けた。ヴァンダムからしてみても、あのような制御できそうにないイレギュラーは、排除したい。


「雪岡研究所に連絡してくれ。で、雫野みどりってのをここに呼ぶように伝えてくれないか? 除霊目的でさ」

『却下だ。君に新たな助っ人を追加するだけの結果になりそうだからな』

「却下? ふざけんてんじゃねーぞ」


 声をあげたのは犬飼ではなくバイパーだった。


「こっちはその気になれば、妨害電波とか関係なく連絡できるぜ? そこの窓を壊して、外に飛び降りて電話をかければいいだけだ。面倒ではあるがな。こっちはいつでもゲームを降りることができる。そっちに合わせて、付き合ってやっている立場だぞ」


 バイパーが苛立ち混じりの声で口出ししたので、ヴァンダムは考えを変えた。


『わかった……。そっちで連絡して、ついでにいろいろと呼ばれてはかなわんし、こちらで手配する』


 諦めて溜息をつき、ヴァンダムは要望を聞き入れることにした。

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