第四十二章 13
靴法英道はかつてサラリーマンであったが、何となく刺激が欲しくて、与党の公募に乗ったらあっさり採用されてしまい、たまたま他に選挙候補者も少なかったので、運良くトントン拍子に通ってしまった。
秘書になった経緯も無ければ市議を経たわけでもなく、公募枠でいきなり出馬していきなり当選した靴法は、ある意味とても幸運ではあったが、県議になってからいろいろと勉強するハメになった。
サラリーマン時代の靴法はいまいちぱっとしない男であったが、不思議と県議になってからは、人から注目されるようになっていった。県庁の中でも激しく評判の悪い、暗愚な県知事と激しく対立した事が、その原因なのだろうと靴法は見ている。敵ばかり多い男に率先して噛み付いた結果、自然と味方が増え、一目置かれるようになったのだ。
靴法からしてみれば、今の立場に特に未練も無かったからできたことだ。しかし他の者達はそういうわけにもいかない。
そんなこんなで知り合いも増え、いずれは国政に打って出るとさえ目されていた靴法であるが、彼にその意志は無かった。その本心は誰の前でも口にしなかった。
靴法は政治の世界にも、政治家という存在にも、後ろ向きな考えしか持ち合わせていなかった。靴法に注目して声をかけてくる党の議員達も、自分の党を維持だの党内の派閥争いにしか意識が無い。市民、県民、国民のために働くという気持ちがあるように思えない。自分には少なくともそれがある。
このまま粛々と今の仕事だけしていればよいと、靴法は考えていた。それでもちゃんと世の役には立っているだろうと――今の自分もきっと必要であろうと信じて。
ある日、靴法は一人の女性と知り合った。
キーコという呼称で親しまれていた彼女は、靴法の嫌う政治家の家系で、彼女もまた政治家になるために活動していたようだった。そのため最初は靴法もキーコを色眼鏡で見ていたが、彼女と何度か直に接してみて、キーコに対する見方は改まった。
キーコは非常に熱い心の持ち主だった。いささか暴走しがちな部分もあるが、それでもちゃんと論理的に説明すれば、人の意見にも耳を傾ける。
靴法はキーコを大器と見なし、彼女の力になりたいと思っていた。地方議員のままで良いとしていた靴法であったが、キーコのためにも国会議員になろうとすら考え始めた。
そのキーコが、何者かに殺害された。
死因は肺炎とされていたが、靴法は不審に思い、裏通りにも精通した探偵に調べてもらった所、キーコの死は裏通りの組織が関与して、強引に偽装されていた。本当の死因は、何者かにボールペンで延髄を突き刺されたという他殺だという。
靴法は激しい落胆と怒りを覚えた。キーコは絶対に死んではいけない人物だった。彼女が生きていれば、彼女が総理大臣になれば、きっとこの国をよくしてくれるだろうと夢想していた。それが何者かによって命を奪われるという結末が、許しがたかった。
人の死の真実すら書き換えるほどの力を持つ者が、この世に潜んでいるというおぞましさ。その探偵は、これ以上は危険で踏み込めないと仕事を断ってきたので、本格的に裏通りの力を借りるしかないと思い、靴法は独自にいろいろと調べてまわった。
その結果、非常に胡散臭い占い師の元へと行き着くことになる。
「うんうん、確かに死者の霊を呼び出せば、てっとり早く犯人も見つかるわな」
星炭玉夫と名乗った、自分と同年齢か少し若い程度の占い師は、靴法の事情を聞いたうえで、そう告げた。
「まず殺害現場を占ってみよう。殺された霊が、現場に地縛霊として留まっている可能性があるやもしれん。うまいこと霊と遭遇したら、霊をお客さんにも見えるようにするから、誰が犯人か聞きだすがいい」
と、玉夫は言うものの、仮に霊を呼び出して真実を聞き出した所で、霊の証言を元に検察を動かすなど、まず不可能に近い。いくら世界中で霊や転生や冥界の存在が実証されたといっても、日本では霊に関わる法整備までは回っていない状態だ。
つまり、犯人を特定したら、そして犯人を裁きたいなら、非合法な手段で犯人を裁くしかないと、靴法は覚悟を決めた。
靴法は玉夫の占いに従い、二人で殺人現場へと赴く。
玉夫が怪しげな呪文を唱えると、怨念に満ちたひどい形相のキーコの霊が出現し、靴法は仰天した。
「キーコちゃん……本当にキーコちゃんですよね?」
「んまーっ!? 靴法さんじゃなーいっ。キーッ! キーコ、ずっと一人で寂しかったわーっ! 会えて嬉しいーっ。キーコ感激ーっ! ウッキー! あ、久しぶりにウッキーが出たわよ~ん。いつも叫ぶ時はキーッなんだけど、本気の本気で超絶に昂ぶったあたしは、ウッキーが出るの」
それは間違いなくキーコだった。
「キーコちゃん、私も会えて嬉しいです。キーコちゃんはどうして死んだのか、真相を知りたくてここにきました。教えてください」
靴法はキーコから真相を聞いた。
「あの……ちょっと相談いいかな?」
玉夫がキーコを見て、目を輝かせながら声をかけてきた。
「そのキーコさんのことでね。正直これだけ強い霊は見たことがない。しかも怨霊なのに――時間は限られているようだが、一時的に思考力を取り戻すのも凄い。私に任せてもらえれば、キーコさんをこの場から動かすこともできるようになるし、もし殺した相手に復讐したいというのなら、それができるよう、儀式で術をかけることもできるかもしれん。時間はかかりそうだがね……」
「キーコちゃんを実験台にでもするつもりですか?」
「キーッ! キーコここから動けるの!? しかもキーコがパワーアップしてウッキーコになれるの!? ウッキーコでは語呂が悪いわね。よし、ここはそのまんまだけど、スーパーキーコにするわっ! ぜひあたしをスーパーキーコにしてちょうだい! スーパーキーコになってにっくき犬飼を懲らしめてやるわ~ん。キーッ!」
玉夫の申し出を聞き、靴法は眉をひそめたが、キーコは歓喜の表情で、自分の方からお願いした。
それからしばらくの日が経ち、靴法はヴァンダムと出会い、犬飼の話を聞いた。
「君が火捨離威BBAの件で、犬飼一を調べている事を知ってね。彼に恨みのある者ではないかと見て、声をかけた」
ヴァンダムからも事情を聞いた靴法は、復讐の舞台をマスラオホテルにすることを勧めた。
その理由は、玉夫とキーコにある。玉夫によって、霊的にいろいろと強化されたキーコであったが、少し失敗してしまったらしい。霊的磁場が強く、幽霊が出る事も度々あるマスラオホテルでキーコを改造していたが、移動できるようになったはずのキーコが、今度はマスラオホテルから移動できなくなってしまったのである。
「依代となる者がいれば、話は別だがね。そして霊体のままでも力を出せるが、キーコさんが信頼している者を依代にすれば、さらに大きな力が出せるかもしれんなあ」
と、玉夫の弁。
靴法はヴァンダムをあまり信用していなかったので、彼に復讐を任せきりにはせず、キーコの事も伝えなかった。
***
ヴァンダムが部屋に戻ると、犬飼からの言伝を二夜に伝えた。
嗚咽を漏らす二夜を見て、気まずさを覚えるヴァンダム。
ノックがされて扉が開き、桃子が顔を見せる。
「テレンスさんとロッドさんがそろそろ到着するようです」
「わかった」
「犬飼さん達を殺サセル気ですカ?」
桃子の報告を聞いて、夫に向かって悲しげに尋ねるケイト。
「銚子君達もかつてバイパー相手に健闘したが、あの時はキャサリンという司令塔もいたうえに、現在、強化吸血鬼は四人しか連れていない。他は人間の私兵で――」
「ソウイウことを聞いてイルのではアリマセン」
「では、こう答えよう。そういうゲームなのだ。私は君を傷つけらけた復讐のために、こういうゲームをしているのだ」
少し苛立たしげな口調になってヴァンダムが告げると、ケイトはうつむいてしまった。
桃子はそれを見て無言で去り、依然として二夜は嗚咽を続け、非常に気まずい空気が室内を支配していた。
ちなみに室内に、靴法の姿は無かった。何故なら――
***
「つーか、いつまで言いなりになっているんだ?」
廊下を歩きながら、バイパーが犬飼に声をかける。
「残りミッション数が同じかどうかに賭ける。ヴァンダムの言うとおり、原作と同じなら、残りのミッションは四つ。俺の本の中では、この時点で結構追っ手に追い回されだすんだがな。バイパーがついてくれているおかげで、それがなくて済んでいる」
追っ手に追い回されることだけは、犬飼としては避けたかったし、こればかりは自力でどうにかなるとは思えなかった。バイパーが来てきてくれて心底よかったと感じる。
「残り一つか二つになったら、こっちも反撃に動きたい。まあ、どうやって反撃するかのプランがまだ立ってないけどな……」
最後のミッションで、お遊びは終わらせにかかる可能性が高いと、犬飼は見ている。確実にとどめをさしにくると。そうでなければ、復讐にはならない。
五つ目のミッションは三階の自販機売り場だった。
三階の部屋もチェックして回る。しかし気配は感じられない。
「あんたか……」
自販機売り場に着き、そこで待ち構えていた人物を見て、犬飼はぽつりと呟いた。
靴法英道だった。
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