第四十二章 12
移動の途中、ゆっくりと歩きながら、相変わらず扉越しに部屋の中の気配を探る犬飼。カメラが見張っているだろうから、止まると不審がられる。
(やっぱりいないか……)
六階の部屋のいずれにも気配が無い。ただし、これから向かう601号室は別だ。扉が堂々と開きっぱなしで、中に灯りもついている。そして人がいる気配もある。
601号室に到着すると、中には予想外の人物が待ち構えていた。ヴァンダムがソファーに腰かけていたのだ。
(靴法や肝杉の息子もそうだが、こいつらはどうやって先回りして移動しているんだ? エレベーター? どこかに専用の階段が隠されているのか? その辺が、こいつらの居場所を知るための鍵になりそうだが)
犬飼はヴァンダムを見て驚く一方で、無言のまま思案する。
「今度は護衛無しか。今、ここでひきちぎったら、おしまいじゃねーの?」
と、バイパー。
「そのつもりが彼に無いとわかったから、護衛は連れてこなかった」
犬飼を一瞥して、ヴァンダムはにやり笑う。
「せっかく用意してくれた舞台だ。ちゃんと付き合って、満喫してやらないとね」
犬飼も笑顔で言ってのける。その言葉は、本音と嘘が半々であった。そういう気持ちもあるが、最後まで付き合うつもりはない。どこかで引っくり返して台無しにしてやりたい所だが、その具体的な方法をまだ思いついていない。
(潜伏場所さえわかれば、アドバンテージを得ることができるけどな……。もちろんそれでも、こっちの動きを悟られることなく、こいつらの居場所にあれこれ仕掛けるのは、至難だし……。うーん……うまくいくヴィジョンが全然見えないな。根本的に考え直した方がいいのか?)
笑顔の裏で、浮かない気分で思案し続ける犬飼。
「次のミッションは君の命に関わる事ではない。君が命より大事な、君の作品のファンに関係する」
ヴァンダムの言葉を聞いて、犬飼は心臓を鷲掴みにされたような気分になった。余裕の笑みも一瞬にして凍りついた。
すでに見抜かれている、犬飼の一番弱い所を突いてきた。
「君のファンの中でも特に狂熱的な者を、何人か捕まえてある。そのために今日、君の講演会を開いたのだ」
「あんたそんな汚い手も使う奴だったのか……。これはちょっと予想外だった。そこまではやらないと信じていたんだがな」
「ふむ。高く買ってもらえていて光栄だね。そして失望させてすまないね」
真顔で指摘する犬飼に、ヴァンダムは憎々しげな笑みをたたえてみせる。
(何だ、嘘か……)
そのわざとらしい笑い顔を見て、ヴァンダムが嘘をついていると見抜き、犬飼は安心した。
「ああ、聞きたいことがある。あの幽霊はあんたが仕組んだの?」
犬飼が尋ねると、ヴァンダムの笑みが消える。
「幽霊? そう言えばそんな噂は聞いたが……。全く知らんぞ。信じてもいなかった。まさか、実際にいたのか?」
とぼけている風ではなく、不審げに尋ね返してくるヴァンダム。
「先ほど、君達二人が、慌てて逃げていたのは、幽霊が出たからなのか? 二人揃ってそんな嘘をつく……というのは考えにくいが」
「壁を派手に壊していたぞ。カメラには映ってないのか? 二階見てこいよ」
「後で確認させる……。では四番目のミッションの説明に入ろう」
ヴァンダムがテーブルの上に、それぞれ異なる数字が書かれたカードと、小さな機械のようなものがとりつけられた首輪を置いた。カードに書かれた数字は、98、121、555だ。
「四番目は俺の小説とは違う内容できたか」
犬飼が言う。
「首輪は爆弾が仕込まれている。爆発は小さいが、首輪をはめた者を殺す程度の威力はあるな。はめたまえ」
ヴァンダムの指示に従い、爆弾つき首輪をはめる犬飼。
「三枚のカードから、当たりを選んでもらう。たったそれだけのシンプルなゲームだ」
「何だ、そりゃ……。ヒントも何も無しかよ」
ヴァンダムの説明を聞いて、呆れ声をあげるバイパー。
「いいや、ヒントなんていらん。これは物凄く簡単だ。何しろ俺にだけはわかる数字を出してきやがったからな」
98、121、555の三つの数字を見て、つまらなそうな顔で犬飼は言い切った。
「ほう」
犬飼の言葉を聞いて、ヴァンダムが面白がるように薄笑いを浮かべる。
「あんた、説明終わってもそこにいる気?」
「見学しても構わんだろう? 何しろこのゲームはすぐ終わる」
犬飼の問いに、ヴァンダムが肩をすくめた。
犬飼がカードの一枚を手に取る。
「これだろ」
犬飼が手に取ったカードは121だった。
「正解だ。首輪を取りたまえ」
「簡単すぎてつまらん……。もっとハラハラするような博打やらせろよ」
首輪を取りつつ、犬飼はいった。
「どういうからくりだ?」
バイパーが質問する。
「火捨離威BBAの集会で起こった火事の焼死者の数。ったく、悪趣味だな。俺が覚えていなかったら、ここでゲームオーバーってわけか」
簡単と言ったが、覚えていなかったら三分の一の確率であっさり死亡という、理不尽とも呼べる内容でもあった。
「わざわざ嫌いな人種を集めて、そのリーダーに収まり、最後はまとめて焼き殺すような男は、良い趣味をしているというのかね?」
皮肉たっぷりに問うヴァンダム。
「あんたは散々、マスゴミを人の姿をした蝿だと言ってたろ? 俺も同じ気分さ。手のかかるゴキブリホイホイを用意しただけだ」
犬飼が傲然と言い返す。ヴァンダムは微かに眉根を寄せる。
「で? 人質は? ま……どうせふかしなんだろうけどな」
犬飼が微笑んだ。
「見抜かれていたか」
ヴァンダムもつられるようにして微笑をこぼし、小さくかぶりを振る。
「言っただろ。あんたはそこまで悪漢じゃねーと信じていたって」
「なるほど。しかし実は一人だけ、脅迫している人物がいる。人質に取るつもりはないし、身の安全は保障するがな」
「人質に取らず、脅迫だけで動かすのも十分タチが悪い。ま、誰のことかはわかるよ。大日二夜さんだろ?」
犬飼を今日、このマスラオホテルの講演会に呼んだ人物だ。ホテルそのものから人払いがなされ、ヴァンダムの思うがままにされている所を見ても、大日二夜市議がヴァンダムの脅迫で仕方なく犬飼を呼び寄せたのであろうと、犬飼は見ている。
「大日さん、可哀想にな……脅迫されたとしても、心を痛めているだろう。そんなわけで言伝を頼む。俺のせいで巻き込んで悪かったとな」」
「わかった……。伝えておく」
ヴァンダムも若干後ろめたさを覚えているようで、犬飼の要望を受けて、神妙な声で引き受けた。
「それともう一つ教えてくれ。ゲームの数はあと幾つだ? 俺の本と同じか?」
「私が同じだと言えば、額面通りに信じるのかね? では同じだと言っておく。では健闘を祈る」
皮肉っぽく言うとヴァンダムは立ち上がり、部屋の外へと出て行く。
そのヴァンダムの後ろを、ぴったりと着いていく犬飼。バイパーも苦笑いを浮かべてその後を追う。
ヴァンダムが足を止め、振り返る。
「ついてきてもらっても困るんだが……」
「そりゃ困るだろうなあ。だから困らせてるんだよ」
微苦笑をこぼすヴァンダムに、にやにやといやらしい笑みをひろげる犬飼。
しかし実際このままぴったり着いていっても、話がまともに進まないであろうから、悪戯程度に留めておくことにした。
「こんな話知ってるか?」
再び歩き出そうとしたヴァンダムに、犬飼は声をかけた。ヴァンダムは三歩歩いた所で足を止める。
「ゲージの中にハムスターを入れて、スイッチを押すと餌の出る仕組みの餌供給装置を置く。ハムスターはスイッチを押して餌を出して食べる。で、しばらくしたら餌抜きにする。腹をすかせたハムスターは何度もスイッチを押すが、やがてもうスイッチを出しても餌は出ないものだと学習し、絶望する。つまり、諦める」
「知っているが?」
「そっか。知っているか。なら、俺が全てのミッションを突破したらあんたの中にも、その実験のハムスターと同様に、諦めの念が生じるんじゃないかな? こいつには何をしても駄目だ。生き残ってしまう。自分には殺せないって――な」
「あるライオンのハーレムで……いや、今はよしておこう」
何かを喋りかけて、ヴァンダムはすぐさま中断し、立ち去った。今度は犬飼も追わなかった。
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