第四十二章 16
「キーッ!」
靴法がキーコを探して歩き回っていると、キーコの叫び声が前方から聞こえた。
ほっとした靴法は、足早に廊下を駆けていく。
「あ~っ 靴法さんじゃな~いっ、やっと見つけたわ~ん」
「やっと見つけたはこっちの台詞ですよ」
空中に浮かぶキーコの例を見上げ、靴法は苦笑いを浮かべる。
「どうしたのですか? いきなり消えてしまって」
「ごめんなさ~い。あたしにもわかんないのよね~。犬飼一にキーコの恨みを思い知らせてやろうと、彼の中に入っていったけど、凄い強い力で跳ね返された感じだったの~。そうしたらあたしの体が吹っ飛ばされちゃって……あたしの意識も薄くなって、どこかへ飛びそうになって、怖かったわ~ん」
「なるほど……憑依をはねのけられた反動で、キーコちゃんは一時的に弱体化していると思われますね」
ここ最近で仕入れた霊の知識から、靴法はそんな答えに行き着く。実際に弱体化が見えているわけではない。
「それは困るわ~。キーコ、しばらく休んだ方がいい? 休んでいる間に、犬飼一への怨念を募らせておくわ~っ。キーッ」
「憑依は確実な手段ではなさそうですね。やはり切り札のあれを使うしかないようです」
覚悟を決めて言う靴法に、キーコが慄く。
「でも……それは靴法さんが……」
「キーコちゃんも含めて122人が殺されました。でも彼はあれだけではなく、きっともっと殺しているはずですし、生きていればさらに殺すでしょう。警察に捕まるようなこともなく、ね。そんなおぞましい犯罪者をやっつけることができるのなら、この命は喜んで差し出しますよ」
「靴法さん……」
笑顔で告げる靴法に、キーコは泣きそうな顔になっていた。
***
「刺客登場ってわけか。単身だし、ボディーアーマー着てる兵隊達より明らかに強そうだな」
灰色のジャージに身を包んだロッドを見て、犬飼が言う。
「あのボディーアーマー兵の中には、モブとは違うのが混じってるぞ。以前お前とグリムペニスビルに突入した際、散々俺を手こずらせた強化吸血鬼兵共が何人かいる」
と、バイパー。
「お前といつぞやの勝負の続きをすることを夢見ていた。いや、お前とは会う前からやりあいたかった」
相変わらずバイパーだけに視線を注ぎ、体を揺らしてほぐしながら告げるロッド。
「人気者だなー?」
「たまにこういう奴はいる。たまにな」
からかう犬飼に、バイパーは微笑む。
「あの姉貴と何度もやりあっていたと聞いていたし、何より俺と同じで、得物がこいつってのいうのがな……どうしても親近感が沸く」
胸元で拳を握り締めて、ロッドは珍しく嬉しそうな笑みを満面に広げる。
「悪ィな。俺は完全に素手ってわけでもねーし、武器は持ってるんだ。隠してるだけでな」
額に垂れてきた髪を指で後ろに払い、申し訳なさそうに言うバイパー。
「何でそれをわざわざバラすんだよ」
犬飼がおかしそうに突っ込む。
「加えて、俺はマッドサイエンティストの所で改造されて、これだけの力を得たっていう面もある。実戦で鍛え上げもしたけどな」
「それがどうした。引け目に感じているとでも言うのか? 俺はやりあう時にスタイルの問題を言ってる」
「戦いのスタイルと言えば、俺はお前の姉貴のキャサリンとは、かなり相性が悪かったな。何度も手玉に取られたわ」
「わかる。俺達のようなタイプにとっては天敵だ」
バイパーの言葉に、ロッドはおおいに納得する。ロッドもキャサリンには頭が上がらないし、訓練でもまるでかなわない。
「なあ、バイパーが死んだら、俺も殺される?」
犬飼がロッドの方を見て尋ねる。
「そうなるな。非戦闘員を殺めるのは心が痛むが、話を聞いた限り、お前は相当なクズらしいから、その心配はいらなさそうだ」
ロッドが初めて犬飼の方を見て言った。
「どんな話聞いたか知らないが、犬飼は俺と同じだよ。敵対した奴か、死んだ方がいいような奴しか、手をかけない」
犬飼が皮肉っぽい笑っている一方で、犬飼をかばうかのような発言をするバイパー。
「そうでなければ、俺だってわざわざ助けに来やしないしな」
「そうか。クズと言ったのはすまなかった」
「どっちに謝ってるの……」
バイパーを見たまま謝罪するロッドを見て、思わず突っ込む犬飼。
ロッドがファイティングポーズを取る。バイパーは構えもせず、ズボンのポケットに手を突っ込んで、無造作にロッドに向かって歩いていく。
(くっ……)
バイパーのたったそれだけの挙動に、強烈な圧力を感じ、ロッドはひるんで後退しそうになった。強い恐怖に、足から逃げたがっている。
(どっちが強いかは、素人の俺の目から見ても歴然だな)
両者を見て、犬飼は思う。ロッドが勝てるヴィジョンが全く見えない。
ロッド自身もそれは、戦う前から理解してしまった。そしてロッドの体が――ロッドの命そのものが、戦闘を拒絶していた。
だがロッドの魂は戦闘の拒絶を拒否する。自分の体の情けなさに憤慨しながら、恐怖を殴りつける気持ちで、前へと踏み出す。
改造されたわけでも、超常の力を持つわけでもないが、ロッドの拳の威力も規格外だ。常人のそれを越えた怪物の範疇に入る。人体をたやすく破壊し、それでいてロッドの拳は何ともない。一撃で成人男性の頭蓋骨を砕く。
そのうえ動体視力と反射神経にも優れ、幾度となく、銃やナイフを持った複数のゴロツキを相手にしてきたが、それらを難なく殴り倒してきた。常人には嘘のように聞こえる、信じられない話だが、ロッドにはそれは日常の出来事に過ぎない。
バイパーと自分との距離が縮まるに連れて、ロッドの恐怖は跳ね上がるようにして増していく。何と戦っているのかもわからない。バイパーと戦う前に、この膨れ上がる恐怖との戦いを乗り越えねばならなかった。
ロッドの制空権にバイパーが入った瞬間、ロッドとバイパーが同時に、互いに拳を突き出していた。
だが、ロッドの拳は空を切り、ロッドの体は宙を舞っていた。
「浅い」
ロッドの胸部にアッパーを炸裂させたバイパーが、ぽつりと呟く。
ロッドと攻撃のタイミングが微妙に重なったせいで、狙い通りの一撃とはならなかった。それでもロッドの肋骨を何本か折り、ロッドの体は後方に回転しながら、大きく吹き飛ばされていたが。
横向きに倒れたロッドであるが、すぐに立ち上がる。強烈に噴き出すアドレナリンのおかげで、あばら骨を折ってもなお、痛みはさほど感じない。
(まだ……いける)
果敢に向かっていくロッド。
バイパーは、今度は自分から向かおうとせず、ロッドを迎えうつ体勢に留めていた。
ロッドの左ジャブがバイパーの頭部めがけて唸る。バイパーは腕でガードする。
体の硬軟を変化させ、銃弾を受けても平気なバイパーの体であるが、それが不可能な部分もある。特に頭部は無理な部分が多いので、防がなければならない。
ジャブの後に右ストレートを繰り出さんとするロッド。しかしその瞬間、バイパーの上体が消えたかのように錯覚し、目を剥いた。
直後――ロッドの体が、今度はほぼ垂直に宙を舞っていた。
車ではねられたかのような凄まじい衝撃を受けたロッドは、空中からバイパーを見下ろし、自分がバイパーに蹴り上げられた事は理解した。バイパーは上体を大きく逸らし、ほぼ180度の角度で右脚を大きく突き上げ、ロッドを上へと蹴り飛ばしていた。
後頭部と背中を天井に打ちつけられたロッドは、血を吐きながら床に落下する。
落下して倒れたロッドは完全無防備状態。あまりのダメージと衝撃に、すぐには立てないどころか、転がって逃げることすらかなわない。完全に隙だらけだ。
これで勝負は決まったと、ロッドは覚悟していたが、バイパーは追撃しようとはしない。
「まだいけるだろ。そっちから喧嘩売ってきたんだし、もう少し楽しませろよ」
うつ伏せに倒れ、血反吐を吐いてあえぐロッドに、バイパーが獰猛な笑みを広げて言い放ち、手招きする。
(コケにしてくれる……。だが……そうやって余裕を吹かしていられるほどに、実力差はある。認めたくないが、それが確かな現実)
怒り、悔しがりながらも、ロッドはその現実を受け入れざるをえない。
しかしそれでもなおロッドの闘争心は消えておらず、ゆっくりと立ち上がり、バイパーを睨みつけた。
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