第三十八章 29
B月6日 22:14
来夢と克彦は与えられた部屋でくつろいでいた。相変わらず来夢は全裸である。
「今後はどうする?」
素っ裸でしなだれかかってくる来夢に、克彦が尋ねる。
「漸浄斎が今度どこかに行こうとしたら、ちゃんと尾行する。もうずっとつきっきりでいい。どんな細かい動きも見逃さないようにしよう」
「こうしている間にも動くかもしれないし、それは難しいだろ。まあ可能な限りやってみるとして」
「あれは思っていた以上に腐れ外道だと感じた。久美の母親を殺したのは凄く効果がある」
「効果?」
来夢のその言葉の意味が、いまいちわからない克彦。
「あの母親は邪魔でしかないと、面倒にしかならないから、さっさと殺した方が合理的だと、漸浄斎はそう判断した。そして今は久美も落ちこんでいるけど、邪魔な母親が死んだおかげで、これまで以上に、久美の心を享命会に縛り付けておけると、漸浄斎は計算した。依存する場所として強めたんだ。俺にはわかる。だって俺も悪だし、それは簡単に思いつく。俺は実行こそしないけど、いい手だと思う。悪いことだけどいい手」
「なるほど……そこまで頭が回らなかった」
「やった。克彦兄ちゃんに勝った」
にやりと笑う来夢
「いきなり勝った負けたにもってくなよ」
克彦もつられて笑ったその時、廊下を誰かが歩いてくる音がした。
「ちょっといいか?」
佐胸だった。スケッチブックを手にしている。
「どうぞ」
「また裸なのか……しかも……」
来夢が裸で克彦が抱きついているのを見て、佐胸は眉をひそめる。
「前にも言ったように、これが俺の一番好きな姿」
来夢がそう言って克彦に頬をすり寄せる。
「いや、そういう仲じゃないから……。勘違いしないで……。ただ仲がいいだけ」
自分でも苦しすぎると思いつつも、言い訳せずにはおれない克彦だった。
「ちょっと……これを見てくれ……」
佐胸が照れくさそうな顔で。スケッチブックを二人に差し出す。
スケッチブックを開くと、まず漸浄斎がへらへらと笑う顔が鉛筆で描かれていた。
さらにページをめくると、アンナ、佐胸自身、憲三、久美、来夢、克彦、そして他の六人の信者達と、全員の顔が描かれている。
「たった二日の間にこれを描いたの? だとしたら凄い」
「だとしなくてもそうなんじゃないか?」
興奮と感心に声を弾ませる来夢と克彦。
「久美があんなことになっちまったし、見せる雰囲気じゃなくなっちまったな」
「いや、今こそ見せるべき」
渋面で言う佐胸であったが、来夢は力強い声で推す。
「佐胸さんは俺等の味方だよね?」
急に話題を変える来夢。
「佐胸さんは気がついてる? 久美の母親は事故死じゃなくて殺されたってこと」
「あの糞坊主が殺したかもしれないと、お前達も疑っているわけか」
佐胸が乾いた笑みを浮かべる。
「そもそも漸浄斎さんに気をつけろと警告してくれたのも、佐胸さんだしね。それ抜きでも、いろいろと怪しいしおかしい」
克彦が言った。
「お前達が何でここを探り出したかも知らんし、俺は今、漸浄斎の側で動いている。お前達がはっきりと漸浄斎と敵対したら、それでも味方になってやれるかどうか、わからないぞ……」
うつむき加減になり、苦しげな表情で佐胸。
「そんなことを言うってことは、つまり味方になってくれるって言ってるのも同じだよ」
来夢が決め付けてにっこりと笑う。その朗らかな笑みを見て、佐胸は自分の中のもやもやした気持ちが、薄れていくのを感じた。
「漸浄斎は好きではないが、裏切るのも躊躇う所だ。あいつのおかげで今俺はこうして衣食住にありつけている。そしてアルラウネのおかげで、俺は力を得ることもできたんだ」
「じゃあ裏切っちゃ駄目。確かに裏切りはよくない。あれ? デジャヴが」
「来夢、俺にもそれ言った。踊れバクテリアにいた時にさ」
と、克彦。それほど時間は経ってないのに、もう懐かしく感じてしまう。
「まあ……俺には期待してくれるな。でもここぞという時は、お前達の味方になりたいかもな」
そう言って佐胸は立ち上がる。
「なるべくここぞという時が発生しないようにして、佐胸さんを苦しませないようにするよ」
部屋を出ようとする佐胸の背に、来夢が告げる。佐胸はまんざらでもない顔で小さく息を吐き、襖を閉めた。
***
B月6日 20:38
漸浄斎の元に馳から電話がかかってきた。
「おお、警察に逮捕されたと聞いたが、脱走したんかい」
『うん。それより……思ったより押され気味だ。今日一日で相当やられた。アルラウネ狩りが困難なレベルになるほどな。一度潜伏して、宿主を増やす方向に切り替えた方がいい』
「何じゃい、昼間は威勢よく全面戦争だの、俺が指揮を取るだのと言ってたくせして、夜になったらもう弱腰かい。カッカッカッ」
『オリジナルの指示を仰ぐとする』
馳の言葉に、漸浄斎の笑いが止まる。馳は居場所を知っている。
「昼も言ったが、どこにいるかくらい教えてくれてもええじゃろ」
『あんたの近くにずっといるさ。気がつかなかったのか?』
「何じゃとぉ?」
漸浄斎の顔から笑みが消える。
(拙僧ではないのは確かだとして、佐胸、アンナ、憲三の三人のうちの誰かに、アルラウネの本体が宿っているちゅーわけか……。しかし誰じゃ?)
しかし憲三とアンナは、明らかに違う気がしてならない。アルラウネの宿主としては、どちらも新参だ。ずっといるということは、消去法で佐胸になりそうだが、それにしてもイメージ的に合わない。
「思わせぶりに言ってないで、はっきりと教えてくれんかのー」
『口止めされている』
「つまり拙僧は信用されて無いという事かい。んで、口止めされとるのに、重要なヒントを与えるお前さんは信用されてるのかい。いやはや、おかしな話じゃのー」
『どうせわかりはしない』
意地悪い声を発する馳。
(わからんちゅーことは、拙僧の中のアルラウネが本体という可能性もあるのかの? 拙僧が寝ている間にでも勝手にこの体を操って、指示を出しているとか、そういうことかのー?)
そう推測する漸浄斎だが、あくまで推測の域だ。しかしどうせわからないと言われてしまうと、この可能性が高いようにも思えた。
***
B月6日 21:00
久美は弥生子と相部屋であった。
弥生子は久美を一人にした方がよいかと遠慮して、居間の方にいたが、久美の方から部屋に来てもらった。
「そもそもここは弥生子さんの家なのに、私の都合で部屋から追い出すとかできないよ。それに……弥生子さんと一緒にいるとほっとするから、今は一緒にいて話し相手になってほしい」
「お父さんはいらっしゃらないの?」
「うん、お母さんのヒスに愛想つかして蒸発した。で、ますますヒスがひどくなって、教育ママ化して、自分の学歴コンプを私で埋めようとしてた。凄くちっぽけでつまらない人間。でも、小さい頃はいい思い出もちょっとだけあったんだ……。神怠植物公園に連れていってもらった事とか……。ああ、その一度だけだったな。家族で遊びに出かけた思い出。つくづく酷い母親だわ。ははは……」
虚ろな笑みは長くは続かなかった。
「死は消滅ではないのよ。輪廻の縁でまた巡りあえる。その時は、心を通わせ、笑いあえる仲になると信じましょう」
「来世じゃなく、現世でそうしたかったけど、もうかなわない望みだしね……」
弥生子の慰めを聞き、皮肉る久美。
「この世界は、かなう望みより、かなわぬ望みが多くなるように出来ている。でも、かなえたいと思い、かなえる者もいる。鳥は翼を生やす前に、飛びたいと願うあまり、翼を生やしたの。トムソンガゼルは恐ろしいライオンから逃げたいと願い、脚が速くなった。チーターはそんなガゼルを食べたいと思って、さらに脚が速くなった」
「でも私はどんなに願っても、もうお母さんには会えないよ」
「守護霊となって貴女の後ろにつくかもしれません」
真顔で告げる弥生子に、久美は息を飲んでしまった。
「だから、貴女はできるだけ前向きに、元気に生きることで、それをあの世にいるお母さんに見せることで、お母さんの気持ちも変える事ができるかもしれない」
「ありがと、弥生子さん……私、明日からまた頑張るよ」
「この教団のために頑張るの? そんなにここが好き?」
真顔で尋ねる弥生子に、久美は少し思案して――
「んー……私、ずっと息が詰まりそうな日々を送っていたから、何か刺激が欲しかった。もっと別な生き方がしたいと思ってた。とりあえずそれっぽいのを見つけたから、今こうして打ち込んでいる感じかなあ」
「じゃあ、別にそれはここでなくてもよかった?」
「えー? そういうこと聞くの? まあ……他の道もあったかもしけないけど、巡りあったのはここでよかったって、私は思ってる。漸浄斎さんの息が臭い以外、ここに不満も無いし、楽しくやってるもん」
これは久美の本音であった。
「他にもっとよい道もある。貴女はたまたま今の道を選んだけど、本当にここが貴女にとって一番よい道かどうか、それを容易く決めては駄目ですよ。貴女はまだ若い。進化の可能性は無限。望むなら、宇宙にだって飛び出せる。週末に吹く強い風を止めることもできる」
しかし弥生子の口振りは、どこか感心しないようであるように、久美に感じられた。まるで自分の視野が狭くなっているように、今のまま満足していることがいけないかのような、そんな風に受けとった。
「いきなりスケール大きくなったしー。ていうか週末の風って何? 弥生子さんよく言うけど」
「さて、何かしらね……」
老婆の寂しげな微笑が、久美は気になった。
「私、明日からまた気を取り直して頑張るよ。新しいプランも考えてあるし」
久美がそう言った時、廊下に足音がした。
「ただいま、久美……大変だったわね。お悔やみもうしあげます」
部屋の前の襖で、声をかける者がいた。アンナだ。
「アンナさん、事故で入院していたって聞いたけど?」
「実際この通りだけど、病院は苦手で、無理言って戻ってきちゃった。じゃあ……」
襖を開けずに挨拶だけして、アンナは行ってしまった。
「アンナさんと佐胸さんて仲いいの? よく一緒に行動するけど」
「そういうわけではないようです。教祖の指示で、働いているようですが」
久美の問いに、弥生子も詳しく知らない素振りを見せていた。
(私達だけでなく、弥生子さんも知らない指示って何なの? 何かヤバいことでもしてるのかな……)
どうしてもそう疑ってしまう久美。知りたいような、知りたくないような、何か暗部がこの教団にあると考えると、ぞっとしない。
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