第三十八章 28

?月??日


 かつての電々院漸浄斎は非常に好色な生臭坊主であり、女漁りが激しかった。

 主なターゲットは人妻であった。それも家庭内に問題があって落ち込んでいる子持ちの人妻ばかり狙っていた。出会い系のSNSで、それらを探り出し、近づき、関係に至る。


 しかし漸浄斎はただ女遊びをしているだけではない。自分の性欲を満たすだけではなく、もう一つの目的があった。


 漸浄斎は一人の女を二度しか抱かない。


 その日も、漸浄斎は親しくなった子持ちの人妻とようやく肌を合わせた。場所は安いビジネスホテルだ。ラブホテルではなく、いつも同じビジネスホテルへと連れ込む。

 すぐ股を開くような女に、漸浄斎は興味が無いし、すぐに行為には至らない。何日も時間をかけてプラトニックな接し方を貫き、十分に親しくなって、相手が自分にある程度の好意を寄せてからようやく致る。愛の熟成期間と、漸浄斎は自身で名づけている。

 その方が燃えるし萌えるのだ。性欲の放出だけのためなら、自慰で十分だ。


 漸浄斎にとって女性との目合は、理趣経の実践である。故に、尊いものとしなくてはならないのだ。一人の女を二度しか抱かない主義だが、一夜の遊びで済ますことなどあってはならない。セックスに至る経緯も含めての付き合いである。


「ふーっ、すっきりした。よし、お待たせ」


 行為を終えた漸浄斎が電話に向かって声をかけると、入り口の扉が開いて、複数の男がなだれこんでくる。


「ど、どういうこと!? きゃっ!」


 それまで自分が相手をしていた女が、男達にもみくちゃにされるのを、漸浄斎は心地良さそうに見ていた。

 これが漸浄斎の趣味だった。暗く沈んでいる不幸な女に幸せにした後、地獄へと突き落とす。その時の女の絶望する顔を見るのが楽しくて仕方がない。


 男達からは金も巻き上げるし、趣味と実益も兼ねている。これまで女に貢いだ分を考えればマイナスではあるが。


 男達に輪姦され、虚脱した女をさらに抱くのが、漸浄斎が最高に燃える一時である。この二度目こそが、漸浄斎にとっての仕上げだ。絶望しきって力の抜けた女をいいように弄ぶこの時こそ、最後に行われる至福の一時だ。ここで漸浄斎の理趣経は完成する。

 人妻を選ぶのは、亭主のいる女を寝取ることへの楽しみや、愛に飢えた女を満たした後に突き落とす悦びというだけではなく、家庭を人質にできるからだ。カメラに収めて脅しをかけて、黙らせることができる。これで全ての女は黙ると、漸浄斎はたかをくくっていた。


 ところがある日、漸浄斎に乱暴された女の一人が、家庭崩壊も省みずに警察に駆け込み、漸浄斎は逮捕された。


 刑務所を出たらまた同じことを繰り返すつもりでいた漸浄斎であったが、刑務所内で漸浄斎が連続婦女暴行と脅迫をしていたことが知られると、漸浄斎は受刑者達から激しくいじめの対象となり、そこで陰茎と睾丸を切断されてしまった。


 出所後の漸浄斎はすっかりと気力を失い、乞食坊主としてさすらう日々が二十年以上も続いた。

 人生の三分の一に相当する時間、この世の底辺をさまよい歩きながら、漸浄斎はこれまでとは異なる命の楽しみ方を堪能した。


 悟りを開いたかのように、全てに対して享楽的になる一方で、漸浄斎は、心の底では別な欲望も秘めていた。

 ちゃんと人に交じって生きたい。もっと人から認められたい。褒め称えられたいという願望を……


***


B月6日 19:01


 弥生子の家に戻った享命会の面々。

 久美は少し一人になりたいと言って、自室へと戻った。


 残った信者達でもって、暗い雰囲気で食事を取る。誰も一言も話さない。いつもは大人数故に、そこかしこでわいわいと会話しながらの、楽しい食事であったというのに。

 特に久美は、いつもひっきりなしに誰とでも会話をしながら、食事をとっていた。明らかにここの中心人物であった。その久美が欠けているという事を、皆、嫌でも意識せずにはいられなかった。


(本当にあんなことして……それでよかったっていうの?)


 漸浄斎を意識しながら、憲三は思う。漸浄斎への不信感は拭えない。教祖だからといって、全てを盲信するほど、どっぷりと信奉していたわけでもない。


(いや、いいわけがない。こんなの許せないことだ……。でも……)


 それを告発するのも怖くてできない憲三である。


「神様は意地悪だよね」

 唐突に口を開いたのは来夢だった。


「久美のお母さんをあんな死なせ方させて、久美をあんなに悲しませるなんてさ。底意地の悪さが半端じゃない。下衆そのものだよ。最低だよ」


 信者達が来夢に注目する。来夢が漸浄斎をまっすぐ見つめて話しかけている事に、信者達はヒヤヒヤとしていた。まるで来夢が漸浄斎に噛みついているかのように受けとれた。

 一方、克彦は来夢をただ見守っていた。内心小気味いいとすら感じている。弟分のことが誇らしくもある。


 克彦が信者達を見渡すと、弥生子だけが黙々と食事を続けている。


「ふむ、来夢は神様が嫌いかね?」

「もちろん大嫌い。漸浄斎さんが仏様に仕えるお坊さんだから、ここに入った。神様と仏様の違いはよくわからないけど」


 質問する漸浄斎に、来夢は小馬鹿にしたような物言いを口にする。


(どうしたんだ、来夢……。まるで漸浄斎さんに喧嘩売ってるみたいじゃないか。もしかして……来夢は気付いているんじゃ……)


 あからさまに様子がおかしい来夢を目の当たりにして、憲三はそう勘繰ってしまう。


「その理屈で神様を嫌うなら、仏様はもっと嫌いそうなもんじゃがのー。仏様の思想では、前世の悪行が現世の苦行になるっちゅーもんじゃしの。ま、浄土真宗は転生という概念が無いんじゃが」

「じゃあここにいる人達は皆、前世は悪人なのかな。俺と漸浄斎さんは現世でも悪だから、来世もろくでもなさそう」

「カカカッ、言い寄るわい。来夢はどうか知らんが、拙僧は間違いなく苦行に満ちた楽しい来世を送るじゃろーな」

「苦行に満ちているのに楽しいんだ」


 不思議そうな顔になる来夢。


「おうよ。平々凡々な人生より波乱万丈な人生の方が、どう考えても楽しかろうて。拙僧の六十年は、とんでもなく苦しいもんじゃったが、今振り返ってみると、その辛く苦しい思い出もまた良いもので、とても楽しかったと感じるでのー」

「生きてさえいれば、どんなに辛くても、いつかは救われて、良い人生だったと振り返る可能性もあるってことなのかな」

「そうじゃな。辛くてもそう信じて生きなくてはならんな。カッカッカッ」

「じゃあ……」


 そこまで喋った所で、来夢は悪意に満ちた笑みを浮かべた。


「その可能性さえ奪うこと――人殺しなんかは、凄く悪いことだよね」


 思わせぶりな声で言う来夢に、漸浄斎はそれでも笑顔のままであったが、目は全く笑っていなかった。


「そうじゃのー。殺生はよくないのー」

「久美のお母さんも、改心して久美と和解する可能性もあったのに、死んじゃったよね」


 あまりにも露骨な物言いに、憲三は今や来夢が何を言いたいのか、はっきりとわかっていた。来夢が見抜いていることもわかった。


「私の母さんが何だって?」


 その時、憔悴した面持ちの久美が現れ、来夢と漸浄斎の会話は中断される。


「悲しくてもお腹は減る……」

 皆を前にして力なく笑う久美。


「ていうかさ……あんな親だったせいか、ショックではあるけど、涙は出てこない。でも、私のこと、認めてほしかったな……」

「うちの親も……俺のこと理解してくれなかったし、多分一生理解なんかしてくれないよ」


 おずおずと発言したのは憲三だった。


(俺も……と言いたいところだけど、黙っておこ)


 克彦が自虐的に思う。克彦は自分で自分の親を殺している。そのため、今の来夢の物言いは、自分に対してのあてつけのようにも思えて、少し嫌だった。もちろん来夢にそんな気は無く、漸浄斎を挑発するためだという事は、わかっているが。


「死は命の糧。消滅ではない。腐れた肉に花が生え、木となり実を結び、実は肉の糧となる。お母さんの命も死も無駄ではない」


 弥生子が涼やかな口調で語り、皆の注目を浴びる。


「久美ちゃんはまだ生きている。生者は死者の分も生きなくてはならない」


 弥生子の言葉を聞き、来夢は蔵と獅子妻のことを反射的に思い出していた。

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