第三十八章 25

B月6日 16:39


 漸浄斎や亜希子達の視界から外れ、別の路地へと入る睦月と佐胸。


「この間は悪かった。俺はもう……お前とは戦いたくない」


 佐胸が頭を下げる。完全に隙を晒して謝罪する。


「来夢と克彦に助けてもらった時な、全て話してもらった。こっちの情報も全てあいつらに教えた」

「あはっ、そういうことかあ。ま、俺も克彦と来夢から話は聞いてるよう。そっちもそう出てくれるとありがたいねえ」


 睦月も戦意の無さを示して、軽く両手を上げる。


「とはいえ、ここでお前に戻って加勢されても困る。だから、俺とここで戦ったことにして、少し待ってくれないか?」

「いいよぉ。それを断ると、戦わざるもえなくなるだろうし。それはこっちにとっても条件は同じだからねえ」


 佐胸の申し出を快く受け入れる睦月。


「ところで、あんた達は何のためにアルラウネ狩りしてるの?」

「力を貰った事と引き換え。ただそれだけだ。ただそれだけだから、放棄しても構わない……はずだ」


 睦月の質問に、佐胸は歯切れの悪い口調で答えた。


***


B月6日 15:19


 享命会へと戻った来夢と克彦の目に飛び込んできたのは、屋敷の前に揃って立つ久美、弥生子、憲三の三名と、見た事の無い中年女性の四名だった。


「何だろ? 何で皆して家の前に?」

「負のオーラが出てる。魔に支配された禍々しい空間」


 異様な雰囲気を感じた克彦と来夢が、そのまま屋敷の前へと近づく。


「何してるの?」

「教祖さんに会わせろって、うちの母親が頑張ってるの」


 克彦に問われ、久美がげんなりした顔で答える。


「ひょっとして連れ戻しにきたとか?」

「そう……」


 克彦が久美の耳元で囁き、久美は頷いた。


「久美がいなくなるとこの教団おしまいじゃない? 引っ張る人がいなくなる」

「週末の風がキツくなるわね」

「おしまいってほどでもないけど、迷走しそう……」


 遠慮の無い来夢の言葉を受け、弥生子と憲三がそれぞれ言った。


「いくら連れ戻しにきても、本人が帰る気無いなら意味無いよね。でも家族でちゃんと話をつけた方がいいと思う」

「はっ、甘いよ、来夢。そんな話も通じないような馬鹿親だからこそ、私は縁切るつもりで家出したんだからさっ」


 来夢の正論にむっとなって、久美は母親にも聞こえる声で言った。


「親を目の前で悪く言ってはいけません。後になって自分が後悔しますし、親御さんだって辛いのですよ」

「むー……」


 今度は弥生子にたしなめられ、久美は顔をしかめて唸った。


「でも家族だろうと馬鹿は馬鹿。俺の妹だって馬鹿だし」

「来夢は花ちゃんディスるのやめろと何度言えば……あんなにお前に懐いてるのに」


 余計な口出しをする来夢と、それをたしなめる克彦。


「ムッキー! あんたら黙って聞いてれば言いたい放題! キィイィィー! シューキョーなんかに入れ込む人生落伍者共の分際で、ふざけんじゃないわよぉぉぉっ!」


 突然金切り声で喚きだす久美の母に、克彦と来夢は思わず身をすくませた。


「しかもこんな小さな子供まで信者とか、どうなってるの! いや、未成年が四人もいるし、いくらなんでもおかしいわよっ! ひょっとしていかがわしい目的じゃないの!?」

「憶測だけで失礼極まりないこと言わないで!」

「ワイドショーや女性週刊誌やレディースコミックやBL見すぎると、こんな風になるから、久美は将来気をつけて。もうそういうのが好きなら手遅れかもだけど」

「来夢も失礼なこと言わないで! つーか、母親だけでムカつくのに、あんたまで!」

「つまりそういうのが好きなんだ。手遅れかもだけど頑張って更生しよう」

「私が好きなのはBLだけよ! って、何言わせるの!?」

「キィイィっ! 何なのあんた達! 三つ巴で悪口言い合いしたいの! しかも久美は、レディコミならともかく、BLなんかこっそり隠れて読んでるの! 何て不潔なの! ムキャアァァァッ! 我が子がそんなものを読んでいるなんて悲しみ、どこに訴えたらいいの! どう考えても私は被害者よーッ! 神にも勝る絶対正義である被害者様よオォオォーっ!」

「母さんこそレディコミ読んでるって、今白状したようなもんじゃない!」

「お揃い親子」

「来夢! あんたは敵なの!?」


 来夢が面白半分に双方を煽りだしたせいで、久美と母親の双方が騒ぎ出す始末となった。


「とりあえず警察呼んだ方がいい」


 落ち着いた所で来夢が久美の耳元で囁く。


「それだと逆にややこしくなるよ。実際、私や憲三や来夢達も未成年だからさ」

「そっか。じゃあやっぱり漸浄斎さんを待つしかないね」


 久美に言われ、来夢はそう結論づけた。


***


B月6日 15:19


 亜希子と漸浄斎が前に立つ。


(このお坊さん……相当強い)


 錫杖を構えてへらへらと笑っている漸浄斎と対峙し、亜希子は直感する。手加減はしていられない。最初から火衣の力を用いた方がよいと判断する。

 火衣の力――男性器を見えざる力で掴んで、引き寄せる力を発動させんとする亜希子であったが、漸浄斎の股間に切っ先の照準を合わせているのに、何も起こらない。


「どうしたの? 火衣」

(こいつ……無いよ。男だけど……多分去勢したんだ)

「えええっ!? お坊さんて去勢もしなくちゃならないものなのーっ!?」


 思わず声をあげてしまい、はっとする亜希子。


「何でわかったんじゃ……。そして何故それを叫ぶんじゃ……。精神攻撃のつもりかい」


 流石の漸浄斎も思いっきり苦笑いを浮かべていた。


「じゃあ、そっちの子にしようかな……」


 馳の方を見る亜希子。こちらも強い感じがしたが、自分と年齢が近いことや、容姿がわりと好みというか、望とどこか似た雰囲気があるので、やりづらさを覚える。


 その馳の後方から、水の塊が幾つも飛んできて亜希子へと向かってくる。

 後方では、アンナが無数の水の塊を己の周囲に作って漂わせていた。


「顔を守れ! 溺れるぞ!」


 かつてアンナと抗戦した咲が警告を発しつつ、赤い花びらを地面すれすれにこっそりと放つ。


「大丈夫……」


 亜希子が小声で呟き、飛来する水の塊を小太刀で斬りつけていく。

 斬られた水の塊が、水を操るアンナの支配から解かれて、弾けるようにして地面へと落ちる。事実、火衣の妖力によって、水を支配する力を解除していた。


 アンナが驚きに目を見開いたその時、長く尾を引く銃声が響いた。葉山の狙撃だった。

 アンナの周囲に浮かんでいた水が、自動的に動いてアンナを守らんとしたが、銃弾は水を突き抜けて、アンナの肩を貫いた。


 水は全く効果が無いわけではなかった。銃弾の威力をわずかに殺し、弾道も微かに逸らした。

 しかしアンナは倒れ、全ての水が制御を失って地面に落ちる。


「カカカ、狙撃手スナイパーがおったか」


 漸浄斎が倒れたアンナをかばうように立つ。


 亜希子が今度こそ馳の股間に狙い、引き寄せの力を発動させる。


「わわっ!?」


 大事な所を荒々しく鷲掴みにされた感触を覚え、そのうえ引っ張られるという異常事態に、馳は混乱しかけたが、引っ張られる先に小太刀を構えた亜希子の姿を見て、能力を発動させた。


「強欲に踊る奴隷商人!」


 小太刀がまさに股間に届かんとしたその直前に、馳は能力を発動させた。

 小太刀と股間の間に赤黒く光る太い鎖が出現し、小太刀の斬撃を阻んだうえに、鎖がまるで生き物のように動いて、小太刀と亜希子の手をぐるぐる巻きにしてしまう。


「ええ~……」


 刀身を全て鎖で巻かれて斬れない状態にされてしまい、亜希子は嫌そうな声をあげる。


 一方で咲が放った花びらが、漸浄斎の頭部へと付着した。


「何じゃこりゃあっ!?」


 視界が歪んでぼやけ、平衡感覚が狂ってよろける。体の感覚そのものがあってないかのようだ。時間の流れが遅くなったり早く飛んだりしている。全ての認識がおかしくなっていると感じる。


 その漸浄斎の胴を狙い、葉山が引き金を引く。


かあぁーっつ!」


 漸浄斎が錫杖を地面に突き立てて、気合いをこめて叫ぶと、頭についた花びらが吹き飛び、葉山が撃った銃弾も空中で停止した。


「おやおや、丁度いいタイミングで撃ってくれたもんじゃて」


 胸から50センチほど離れた場所で止まっている銃弾を見て、漸浄斎はにやりと笑うと、錫杖で銃弾をつんつんと突く。すると銃弾は魔法が解けたように、地面に落下した。


「おやおや、弾を空中で止めるなんて、非常識にも程がありますね」


 スコープでその様子を確認した葉山が呟く。


「偶然だったんじゃないかなあ。咲ちゃんの能力を解除しようとして、その余波で弾も止まったとか」


 葉山のすぐ横で、人工魔眼の遠視機能で観戦していた純子が言った。


 亜希子の刀を縛っていた鎖が消える。


(どういうつもり? 縛ったままにしておけばよかったのに)


 馳を見て訝る亜希子。馳はそんな亜希子を見てにやりと笑う。


「六つの力が一巡した」


 馳にしかわからないことを口にすると、見えない何かを握るかのように、両手を構える。


「憤怒の聖人!」


 馳の両手から炎が一直線に噴き出し、炎の剣と化した。

 いや、それを剣と称していいのか。異様に長い。5メートル以上はあると思われる。


「とっておきだ」


 嬉しそうに馳が炎の剣を横に払う。狙いは亜希子ではなく、離れている咲の方だった。


 遠心力も重量も障害物も無視して炎の剣が振られる。途中にあった街路樹も電灯も突き抜けてきたし、突き抜けた街路樹に火が移った。


 咲はからくもかわしたが、一目でこの能力が脅威であると感じた。リーチが長いにも関わらず、リーチの欠点も無視して攻撃ができるのだ。


「このっ!」


 近くにいた亜希子が、馳めがけて突っ込む。

 馳は炎の剣を縦に振り下ろした。亜希子は素早くかわしたが、馳は振り下ろした腕をすぐさま斜めに振り上げる。


(あの炎には重さという概念がほぼ無い。通常の火なら、燃焼している分だけなら重量があると考えてもいいけど、物理法則を無視するかのように長い棒状に固定されて、振り舞わすあの炎の剣には、その概念はほぼ無いと見ていいねー。存在するのは腕の重さだけ。腕の動きに合わせて、長大な炎の剣が、慣性の法則も空気抵抗さえもほぼ無視して、切っ先に至るまで瞬時に振られている。こうなるともう、炎という化学反応の物理法則も無視しているかな。炎の形状を取った、炎とは異なる熱生体エネルギーと見た方がいいだろうねえ)


 葉山の隣で観戦していた純子が、馳の炎の剣に対してそのような結論に至った。


 馳の炎の剣で逆袈裟に斬られた亜希子の服に、火がついた。さらに熱は体内をも焼き焦がし、体の中にも火がついた感触を味わう。


「うわあああああっ!」


 パニックを起こし、亜希子が悲鳴をあげる。


「亜希子!」


 咲が転がり回って服の火を消そうとする亜希子に駆け出す。このままでは容易にとどめをさされてしまう。

 しかし馳は苦しみもがく亜希子を見て、躊躇していた。


(殺すのか……)


 人を殺したことが無いわけではないが、自分と同じ年頃くらいの女の子をいざ殺すことを意識すると、激しく躊躇ってしまった。


 その馳の体を、葉山の銃弾が撃ちぬいた。

 馳が倒れる。炎の剣も消える。


「あれ? 葉山さん、加減したの?」


 純子が意外そうな声を発する。銃弾は馳の急所を外し、膝を撃ち抜くに留められていた。


「ええ……とどめを刺すのを躊躇っていた感じでしたしね。とはいえ、あのまま放っておいたら死ぬかもですし、まだ次に何かしようとしたら、今度は殺します」


 狙撃銃に新たな弾を装填しつつ、葉山は言った。


「どこかに潜んでいるスナイパーが厄介すぎるのー」


 漸浄斎が言う。これで咲とスナイパーと自分という二対一の組み合わせになったが、このまま負傷者達を放って戦い続けるのは、得策ではないと判断する。睦月とどこかに行った佐胸が無事戻ってくるのを期待するのも、危険な賭けだ。


「喝!」


 咲めがけて念力を衝撃波として放つ漸浄斎。


 咲がひるんだ隙をついて、馳を担ぎ上げ、さらにはアンナの方へ向かい、アンナも担ぎ上げる。


 葉山は隙だらけの漸浄斎を狙撃しようとしなかった。ここで狙撃して失敗した場合、漸浄斎が死に物狂いで、咲と倒れている亜希子に向かって攻撃を仕掛ける可能性がある。二人の安全を考えたら、逃がした方が得策と判断した。

 咲も漸浄斎を追おうとはしなかった。それよりも亜希子の火を消しにかかる。


「服だけじゃなくて……体の中味も焼かれちゃったみたいで……動けない……」

「しっかりしろっ!」


 弱々しい声で訴える亜希子に、力強い声をかける咲。体内のダメージなど、自分にはどうにもできない。しかし――


「純子っ、助けてくれ!」

『わかったー。すぐ研究所に運ぼう」


 咲が電話をかけて悲痛な叫び声で訴えると、純子は即座に承諾した。


「ぐぬぬぬ……重いのー。佐胸君は何しとるんじゃか」


 二人を担ぎ上げて運ぶ漸浄斎が、脂汗をにじませて呻く。


「また撤退か……」

 馳が悔しげに呟く。


「カッカッカ、星一郎君よ。生きておれば勝ちじゃよ。しかし重いっ」

 漸浄斎が笑いながら告げる。


「あいつらかなり強かったよね~……」


 純子が助けてくれると知り、少し安堵した亜希子が、咲に膝枕してもらいながら無理して微笑む。


「葉山さんがいなかったから危なかった。向こうもそれはわかっていたようだけどな」


 自分はほとんど戦闘の役に立っていなかったと引け目に感じながら、咲は言った。

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