第三十八章 26
B月6日 17:29
亜希子と咲と葉山との戦闘後、佐胸は馳とアンナを病院に連れて行き、漸浄斎だけ享命会の屋敷へと帰宅した。
「何しとんじゃ? こちらの御婦人は?」
屋敷の前で信者の面々が揃っているのを見て、訝りながら声をかける漸浄斎。
「実は……」
憲三が説明する。説明の間、見知らぬ中年女――久美の母親はじろじろと胡散臭そうに漸浄斎のことを見ていた。
「なるほど……そういうことかい」
漸浄斎の中に、黒い炎が渦巻く。
「お待たせして、もーしわけありませんなー。拙僧がここの教祖様を務める者でございまする~。カッカッカッ」
「自分で様とか言ってるし……」
久美の母親に近づき、愛想よく笑いながら声をかける漸浄斎。そして突っ込む克彦。
「キイィイィィィッ! 来たわね! 悪事の首魁! あんだがうちの久美をかどわかしたのねええぇえっ! 絶対絶対ッ絶対絶対ぜったぁあぁい許さないわ! ウッキィイイィ! 訴えてやるからアァッ!」
突然キーキー喚きだした久美の母親に、漸浄斎も言葉を失ってしまった。
「うちの久美ちゃんの順風満帆エリートイケテルレディ予定人生が、あんたのせいで狂ったのよおぉぉぉっ! それがどれだけ罪深いことかわかってるにょおぉぉっ!? あんたらはいいわよ! 人生の落伍者のド底辺負け組らしく、シューキョーやってるのがお似合いよ! でもそんな汚らしい溜まり場に、私の夢と希望が詰まった私の分身である久美を引きずり込まないでちょうだあぁぁぁぁああぁい! きいぃぃぃィ!」
「あんたは娘さんの気持ちを考えてやれんのかね?」
言葉の切れ目を見計らって、漸浄斎が声をかける。
「はあっ!? じゃあ私の気持ちはどうなるのよ! 汚い格好した胡散臭い坊さんの分際で、人の家庭に口出ししないで頂戴! 私の娘が、私の家の者が、宗教に走るような人達に混じってるなんて、その事実だけで耐えられないわ! 何もかもこれで台無しよーっ! 今、正に私は疑いようがなく、絶対的被害者なの・よォオォ!」
「あんたの物の見方が全てではないのじゃぞ。久美ちゃん……辛かったじゃろうにな」
言いたいことは山ほどあった漸浄斎だが、この手の輩に説教も無理だろうし、言っても聞いている久美を苦しませるだけだと思い、その言葉に留めることにした。
「何よ! 今のぉおおぉぉ! 何が辛かったってのよおぉぉお! 久美も何頷いてんのよぉおおぉ! それじゃ何!? まさか私のせいで貴女が辛かったっていうのっ! キイイィィっ! そんなのありえなあぁぁあい! 認めなあぁぁぁい! 私が被害者! 被害者様は私なのよおおぉぉぉ! それなのに何で私が加害者で久美が被害者とか、いつの間に立場が替わってるのよ! ウッキィイィャアァァッ! 久美ぃいぃ! 貴女が私の思う通りにしないから私はこんなに苦しんでるのよおおぉ! それが貴女を産んで育てた私への仕打ちだというのおぉぉお!? この恩知らずの恥知らずのウッキィィィィ!」
「いい加減にしろ!」
叫び続ける母親に、久美が怒号と共にビンタを食らわせた。
「久美ちゃん……それは……せん方がよかったのお……」
あまりに突然の動きだったので、近くにいた漸浄斎も止める事ができなかった。苦い表情で、ぽつりと言う。
「親に手をあげるなど、後できっと後悔するぞ……一生もんの傷になるぞい」
親に手を上げたどころか殺した自分は傷になどなっていないが、一応教祖様らしい言動をしてみる漸浄斎であった。
「ならないよ! こんな最低の女殴ったって! 消えろ! 死ね! お前なんか私の母親じゃないっ! お前なんかから産まれたことの方がよっぽど恥ずかしいわ!」
「キィイイィ! 今日は人生最悪の日だわーっ! 私は世界一の被害者ァアァ! 私間違いなく、今世界で一番不幸な被害者あぁあアあアァぁッ! つまりムテ・キイィイイイイィィィ! 弁護士とカウンセンリングに相談よおおおぉぉ! あんた達、見てなさいよぉおぉぉ! 久美ぃイぃいぃいィィぃぃ! 覚えておきなさいよオォォオ!」
久美の母親は泣き喚きながら、捨て台詞を残して立ち去った。
「うわあぁぁんっ!」
母親が完全に見えなくなったところで、久美も火がついたように泣き出し、弥生子に抱きついた。弥生子は無言でその頭を撫でてやる。
「とりあえず皆、中に入るがよかろう。弥生子さん、久美ちゃんにお茶を淹れて落ち着かせてやっとくれ」
「はいはい。お茶は心のエリクサーですからね」
漸浄斎に頼まれ、弥生子は微笑み、泣きじゃくる久美を連れて屋敷の中へと入った。
「漸浄斎さんは?」
屋敷に入ろうとしない漸浄斎に、克彦が声をかける。
「ちょいと野暮用じゃい。カカカ」
そう言って漸浄斎が歩き出す。克彦と来夢は久美が心配なので、特に気に留めず、屋敷へと入っていく。
しかし憲三は漸浄斎のことが気になった。彼が向かった先は、久美の母親が帰った方角だったのだ。
***
B月6日 17:42
早足で久美の母親を追いかけた漸浄斎は、すぐに追いついた。
「ふむ。もう少しといったところかの」
歩きながら、久美の母親の周囲の家を見つつ、呟く。
「お、そこがベストじゃ。では、くだらん人生とつまらん命に別れを告げて、御仏の元に逝くがよいぞ。喝ッ!」
「何……ウキッ!?」
漸浄斎が錫杖を地面に打ちつけて叫ぶと、念動力でもって家の瓦を一枚吹き飛ばし、久美の母親の頭部に直撃させた。
うつ伏せになって倒れ、流れ出る大量の血でアスファルトを赤く染めながら、久美の母親はぴくびくと痙攣する。頭蓋骨が派手に割れて、脳も外にこぼれている。
「目撃者もおらんし、これにて、一件落着! カーッカッカッカッ!」
「います……」
両手を腰に当てて勝ち誇ったように笑う漸浄斎に、後ろから憲三が声をかけた。
「何じゃい御主、ついてきとったんか」
漸浄斎が振り返り、大して驚きも慌てもせずに、声をかける。
「何で……こんなこと……」
死体と漸浄斎を交互に見やり、憲三が問う。
「拙僧は僧であるが故、また一つ徳を積んだまでよ」
悠然と答え、汚い歯を見せてにかっと笑う漸浄斎。
「ここにいて人に見つかっても困るし、戻るとするぞ」
漸浄斎が踵を返す。憲三もそれについていく。
「これが一番ええ選択なんじゃよ。最も合理的で、あの子のためでもある。カッカッカッ。子は親を選べんし、子の足を引っ張る親なんぞ百害あって一利無し。後腐れなく成敗するのが一番じゃて」
歩きながら、全く悪びれずに話す漸浄斎。
「そんな……そんな乱暴な方法でなくても……」
「フィクションのお涙頂戴展開のように、うまいこと和解することでも期待しとったのかな? それは相手によるよ。こういう手合いは駄目じゃ。拙僧にはわかる。駄目なもんは駄目じゃ。使えないゴミは捨てるしかないんじゃよ」
なおも意見する憲三だが、漸浄斎は屁とも思っていない様子だった。
(こんなに簡単に人を殺せる人だったなんて……)
憲三はこの時、漸浄斎にかつてないほどの疑念と恐怖を抱いていた。そしてそれを漸浄斎も見抜いている。
「あの子もちょっとは悲しむことになるじゃろうが、この先、あんなもんが母親面してまとわりつくより、今ここで処分しておいた方が、あの子は不幸にならんのじゃ。安っぽいヒューマニズムは、人を不幸にしかせんぞ? それにの、前にも言うたであろう? 悲しみや辛さといった負の心は、前向きなパワーへ転換することもできると。あの子はこの悲しみをバネにしてきっとさらに高く飛べるであろうぞ。ゴミのような母親を、拙僧が娘の役に立ててやったんじゃい。これは立派な善行であり公徳よ。カッーカッカッカッ!」
高笑いする漸浄斎のその言葉に、偽りは無かった。憲三が自分に恐怖していることも承知のうえで、ますます自分を恐れるのも承知のうえで、あえて言ってのける。
これで自分から離れるならそれでもいいし、それも飲み込んでついてくるなら言うことはない。例え自分に災いをもたらす者となろうと、それはそれで楽しい。憲三に対し、漸浄斎はそのような認識だった。
***
B月6日 17:48
屋敷に入っても久美は泣き顔のままで、時折思い出して泣きじゃくり、泣き止んだかと思ったらまた泣くという繰り返しになっていた。弥生子の淹れた茶も、大して効果が無いようだ。
「辛いことだけど、いつまでも泣いていると、もっと辛いまま。涙を飲み込んで、貴女は貴女の宇宙を歩くしかない。貴女の宇宙は、貴女のものよ」
弥生子が励ましと慰めの言葉をかける。
「久美、泣かないで」
来夢も久美に優しい声をかけて慰める。
「久美の好きな美香だってBLが大好きなんだ」
「来夢……そんな慰め方は無いだろ」
斜め上とか斜め下どころじゃない、意味不明な言葉をかける来夢を、克彦が注意する。
「カッカッカ、ただいま~」
そこに笑顔の漸浄斎と、ひどく暗い顔の憲三が帰ってきた。
「漸浄斎さん、もっと久美をかばってくれるかと思ったら、全然だったね。期待はずれ」
来夢が立ち上がり、間近で漸浄斎を見上げる。
「おうおう? そうじゃったか? 拙僧、あれでもかばったつもりなんじゃがのー」
「それと……何でかな。教祖さんから血の臭いが凄く漂ってる」
来夢のその言葉に、憲三が顔色を変え、漸浄斎も薄い眉が片方はねあがるのを、克彦も来夢も見逃さなかった。
「ほほお、わかるかい。実は痔でのー」
「じ?」
「カカカ、わからんかい。わからんではしゃーないなー」
漸浄斎が踵を返し、部屋を出ていった。そのやりとりを、弥生子と、泣くのをやめた久美も、不思議そうに眺めていた。
「こういうのを煙に撒かれたって言うのかな?」
克彦の方を向き、肩をすくめる来夢。
「憲三……何か知ってる?」
来夢が憲三に声をかけるが、憲三は脅えた顔つきになり、無言かつ足早に部屋を出て行く。
「憲三、知ってるってさ。どうする?」
「今は放っておこう。押すタイミングではない」
伺う克彦に、来夢は言った。
警察からの電話で、久美が母親の死を知ったのは、それから約三十分後だった。
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