第三十八章 13
B月3日 18:45
望と別れ、咲は睦月と亜希子に、二人の済む家へと連れていかれた。
「この前もそうだったが、また豪華な屋敷だな」
広い庭付きの大きな洋館を見て感嘆の声を漏らす咲。
「私は最初の家の方が好きだったわ~」
「そう言えば私が関わった騒動の際に、焼けてしまったんだったね」
不満げに肩を落とす亜希子に、咲が微笑みながら亜希子の肩に手を置いて言った。
「おや、葉山も来てるねえ。咲と会うのは初めてかな?」
玄関の靴を見て、睦月が言った。
「ここによく来る食客なのよ」
「食客?」
亜希子の言葉の意味が咲にはわからなかった。
「簡単に言えばママのお友達~。そういえば葉山さんて、どうしてママと親しいんだろ」
「確かに変な組み合わせだけど、それ言ったら白金太郎もねえ……。百合って変人と相性がいいのかもねえ」
「やめてよ~。私は変人じゃないよォ~」
どんな人物なんだろうと、亜希子と睦月の話を聞きながら咲は思う。
「はじめまして、所詮蛆虫です」
リビングにて噂の人物を目にし、背も高いしスタイルもいいし、ルックスも中々だと思ったら、一発で噂が真実である証明をする挨拶が口から出た。
「葉山さん、初対面くらいまともな挨拶できないのォ~」
「はっ、すみません……。これが蛆虫の
「その呼び方はやめてくださる? 普通に友人と表現してはいかが?」
「はっ、すみません……。やはり僕は蛆虫……」
亜希子に突っ込まれ、百合に突っ込まれ、その度に謝る葉山を見て、咲は思わず笑みをこぼす。
「武村咲です。しばらくお世話になります」
「あらあら、いつぞやは喧嘩腰でしたのに、今夜は腰の低いこと」
頭を下げる咲をからかう百合。
「ちょっとママ~」
「冗談ですわ。安心して生活できるようになるまで、ここでゆっくりしていきなさいな」
抗議の声をあげかけた亜希子だが、百合が愛想よくにっこりと笑って優しい声をかけたので、咲も亜希子も安堵の笑みをこぼした。
「百合様の御厚意、一生感謝するようになっ」
お盆にティーカップとティーポットを乗せてやってきた白金太郎が、居丈高に言う。
「何で白金太郎が威張ってるんだよ」
いつものことながら、呆れる睦月。せめて客人のいる時だけでも大人しくしてほしいと願うが、無理なのもわかっている。
「百合様は慈母神の如く優しく、心の広いお方だから、代わりに俺が憎まれ役を買って、言ってやらなくては駄目なんだっ」
「一生感謝する。これでいいか?」
傲然と言い張る白金太郎に、咲がにっこりと笑いかける。
「うむ。心がこもっていてよろしい」
胸を張り、鼻息を荒くする白金太郎。
「白金太郎……憎まれ役を買う以前に、客人に無礼を働くのは私の顔に泥を塗ることだと、もう私自身が覚えていられないほど、何度も何度も何度も言いましたが、貴方の頭では記憶できませんのかしら? 鳥と同じくらいの脳みそしか入ってませんの?」
「あぎゃあぁああぁあっ! そうでしたっけ!? ずびぶぁぜえぇぇんっ!」
両手の義手で強烈なウメボシを食らい、悲鳴をあげる白金太郎。
「咲さん、白金太郎君はあんな風ですが、彼の淹れるお茶はとても美味しいんですよ」
葉山が柔らかい笑みを浮かべてフォローし、白金太郎に代わってカップに茶を注ぐ。
「本当だ、美味しいね。顔に似合わず繊細なんだな」
ティーカップに口をつけ、咲が白金太郎の方を見て言った。
「顔に似合わないは余計だろー」
それでも自慢の茶を褒められて気分を良くして、照れ笑いを浮かべている白金太郎。
「それはそうと、襲撃者に狙われているというのでしたら、守りに徹していても仕方ないでしょうし、こちらから攻めることも考えた方がよろしくてよ」
百合もカップを取り、真面目な口調で言ってから茶をすする。
「もちろん敵の動向がわかってからの話ですわ。調査は純子達にやらせておいて、美味しい所はこちらでもっていくのが理想ですわね」
「おー、おー、流石ママ、狡賢い」
百合の方針を聞き、亜希子が軽く拍手してみせる。
「ま、敵の数も規模もわからないし、俺と咲だけを狙っているわけではないしねえ」
狡賢いことを言っているようで、百合が口にしていることはちゃんと理にかなっていると、睦月は受け止めるのであった。
***
B月4日 23:58
ダーマス佐胸は本心では、このような生き方をしたくはなかった。
アウトローな生き方が性に合っているとは思えない。しかし裏通りの住人としては非常に長生きをしている。
人には
まるで侮辱するような言い方であるが、ケチな犯罪まがいのことをして鎬を削る、チンピラとしての才能が佐胸にはあった。
代償も大きかった。顔の半分は削られ、目も潰された。心だけは何とか潰されまいと踏ん張っていたが、まず恋人に裏切られ、次は相棒に裏切られ、心も少しずつ削られていった。
佐胸は夢を見てうなされていた。かつて殺し屋の使い走りを請け負って、依頼主の殺し屋が殺され、護衛組織である銀嵐館の追撃を受けた時の夢を。
あの時、相棒であり親友であると思った男は、あっさりと自分を裏切って、足止めに利用して逃げおおせた。
佐胸は殺されそうになったが、その際に遭遇した銀嵐館当主のシルヴィアが、実はネット上のSNSでいつもやりとりしている、絵関係の親しい相手だったというまさかの展開で、一命を取り留めた。自分が相棒に裏切られたことも話すと、同情して見逃してくれた。ちなみに相棒はその後で、銀嵐館に始末された。
捨てる神あれば拾う神有りとは正にあの事だと、佐胸はつくづく思う。二度目の裏切りで心が潰れそうになったが、シルヴィアの情けで助けられた。
人を完全に拒んで信じないのはよくないと、心を閉ざしてはいけないと、その時、自分自身に向かって理屈で言い聞かせた。しかしそれでも二度の裏切りは、佐胸の心に深いダメージを与えた。
佐胸が布団から起き上がり、胸を押さえる。
動悸が荒い。不整脈が起こったのを意識する。アルラウネを宿してもこれは治らない。以前からの持病だった。
(アルラウネに……こっちを治すのを望むべきだったか?)
(治したいと必死に望む気持ちがあれば、進化して治癒できる。しかしその気持ちが無いのでは無理だな)
内なる声が響く。アルラウネの声だ。たまに話しかけてくる。
トイレへと向かうと、久美と遭遇した。
「顔……真っ青ですよ」
「ほっとけ。子供が夜更かしするな」
声をかけてくる久美に、ついつい荒い言葉をかけてしまい、その後で自己嫌悪を覚える。
どうしてもぶっきらぼうな対応ばかりしてしまうが、好きでこんな態度を取っているわけでもない。本当は普通に接したい。しかし佐胸にはそれが難しい。
「ほっとけないですよ」
「いや……いつものことなんだ。放っておいていい。気遣ってくれるのはありがたいが、お前にどうこうできるわけでもない」
なおも食い下がる久美に、佐胸は出来る限り丁重なつもりで断りを入れ、トイレへと向かった。
(そういやあいつとまともに会話したの、初めてか? それ以前もあったか?)
久美や憲三などのティーンズ組とは、ほとんど言葉をかわした覚えがない。少なくとも雑談の類はしていない。
長いトイレを終え、佐胸が自室に戻ろうした所で、途中の部屋で話し声が聞こえた。先程までついていなかった灯りもついていた。
来夢と克彦の部屋だった。
***
B月5日 0:02
来夢は部屋を暗くして、布団に素っ裸で寝転がり、ホログラフィー・ディスプレイを天井に向けて投影していた。耳にはイヤホンをはめている。
ディスプレイに映っているのはエロ動画だった。童顔のAV女優が激しく責めたてられている。その様子を見るのが来夢は楽しい。
しかし性器を持たず、性別という概念の無い来夢には、性欲も無論無い。性的な快楽も全く理解できないし、欲求も無い。ただ生殖行為に憧れる。自分に無いものへの欲求と願望が存在する。
「暗くして見るなって言ってるだろ」
尾行から帰宅した克彦が電灯をつけて叱る。
「でも暗い方がムード出るからこっちのが好き」
「駄目だ。目が凄く悪くなる。これは退かないぞ。言うこと聞け」
主張する来夢を見下ろし、有無を言わせない口調の克彦。
「わかったよ」
消え入りそうな声で言い、切なげな表情で見上げてくる来夢を見て、克彦は溜息をついてすぐ横に腰を下ろし、来夢の頭を軽く撫でた。
「俺、女になって、AV女優みたいに、克彦兄ちゃんに滅茶苦茶にされたいっていう願望、あるんだけどさ……。でもその一方で怖い」
来夢が克彦にこの話をするのは何度目になるか、もうわからない。性別をはっきりと決めてしまいたいという気持ちがある一方で、それを激しく躊躇する気持ちもある。
無いものを得ることに、恐怖がある。自分が激しく変化してしまい、自分では無くなってしまうのではないかという、そんな恐れが来夢につきまとっている。それも克彦には何度も話していた。
「来夢……」
克彦が来夢の頬に掌で触れる。まるで赤子のように柔らかいと感じる。頬だけでなく体の全てがそうだ。常人とは体の構造もいろいろと違うのではないかと、克彦は思う。
一見起伏の無い来夢の体だが、自分も裸になってこの裸体を思いきり抱きしめたら、どんな気持ちいいのだろうかと、そんなよからぬことを考えてしまう。そして考えると股間が膨らんでくる。
「克彦兄ちゃん、いやらしいこと考えてない?」
「お前と再会してから、よく考えるようになったよ」
「じゃあ俺、やっぱり早い所、女になった方がいいのかなあ?」
「いいや、俺に合わせてとかはやめろと言ってるだろ? 来夢が本当に迷いが無くなって、本気で心から決めて、その時にしてくれ」
これも克彦は何度も言っていることだ。
「それにさ、俺は正直、今のままでも構わないと思ってるし、それが悪いってことはない」
「うん。わかった。いつも同じ所でぐるぐる回ってごめん」
「いいよ。しつこいとか思ってない。お前とぐるぐる同じ所で回れるのは、俺しかいないだろ?」
克彦が微笑みながら言うと、来夢も微笑んだ。
「克彦兄ちゃん、最近言うこと大胆になった。恥ずかしくないの?」
「来夢相手なら恥ずかしくないなー。他の人の前とかではさすがにハズい。それより……仕事の話をしよう。いろいろあったんだ」
克彦は山の中での出来事を全て語った。
「面白いね。それって妖怪じゃないんだ」
アルラウネの話を聞いて、興味深そうな顔になる来夢。
「本人が妖怪じゃないみたいな言い草だったしな。宇宙人なのか、それとも人工生物か」
未知の存在への興味に、来夢は心を躍らせていた。
「純子はどうするのかなあ。今後の方針をゆっくり考えるとか、楽しそうに言ってたけど」
「純子の動きは気にしなくていい。俺達は俺達の判断で動いていく」
克彦の言葉を遮るかのようにして、来夢はきっぱりと言う。克彦は来夢の兄貴分ではあるし、二人の間では克彦が決定したら、それに来夢が従う形になる事が多いが、プルトニウム・ダンディーという組織のボスは来夢だ。最終的な決定は来夢が行う。
「アルラウネに身を宿したばかりの、憲三と親しくなってから揺さぶりをかける方針はどうかな?」
「しっ……」
来夢が提案したその時、気配を感じて人差し指を立てる。
「お前達も夜更かしか。最近の餓鬼共ときたら……」
襖の向こうで野太い声がした。佐胸だ。
克彦が襖を開ける。
部屋の中を見て――というより来夢を見て、佐胸は面食らった。
「何ですっぽんぽんなんだよ」
「俺はこの姿が一番リラックスできるから。これが俺の真なる姿」
「まあいいや……ちょっと話したいことがあってな」
「入って。何でも話して」
言いづらそうな佐胸を、来夢は微笑んで快く迎え入れる。来夢が佐胸に好意的なのは、克彦にもわかっている。
「累のことだ。仲間とか言っていたが、詳しい関係を知りたいし、あいつが最近どう変化したのかも知りたい。本人に直接聞くのも……何となく照れくさくてな」
喋りながら佐胸は、自分の本心をいとも簡単に他者にさらけ出していることが、不思議に思えた。
それから二人は、闇の安息所という場所について語り、そこでの累の様子を語って聞かせた。
「あいつ……相当成長しているみたいだな。SNSでは普通に文字打って話すが、リアルでは、つっかえつっかえのたどたどしい喋り方だったのに、そんな普通に喋れるようになっていたなんて……短い期間で随分と変わったもんだ」
自分が心開ける数少ない人間が、良い方向へと向かっていることを聞いて、佐胸は嬉しくなって、穏やかな笑みを浮かべていた。
「悪かったな。こんな夜中に押しかけて、話をさせちまって」
「悪いと思ってるなら俺達の絵も描いて」
立ち上がる佐胸に、悪戯っぽく笑いながら、来夢はまた絵の要望をぶつける。
「ちっ……わかったよ」
忌々しげに舌打ちして了承し、部屋を出ていく佐胸の背を見届けながら、来夢はずっと微笑んでいた。
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