第三十八章 12

B月4日 21:20


 漸浄斎、憲三の二名は、笠原と合流した。


「はじめまして……でもないかな? 前に一度見たか?」

 憲三を前にして、笠原が言った。


「漸浄斎さんと佐胸さんと一緒にいる所を見たような……」


 まだ久美が入ってくる前に、漸浄斎達が笠原と会話している姿を目撃し、誰だろうと思っていた憲三である。


「そうか。今後ともよろしく」

「は、はい……」


 よろしくと言われてもどういう素性の人物かも紹介されていないし、何をどうよろしくなのだろうと思う憲三。


 三人はそのまま電車へと乗り、安楽市の西部へと向かった。つまりどんどん田舎の方へと向かっている。


「タクシーではなく、電車で移動してくれるのは助かるな」

「こんな時間だし、もしかしたら帰りは終電無くなって、タクシーになるかもだけどねー」


 漸浄斎達三名と着かず離れずの場所にいながら、純子と犬飼が囁きあう。帰宅ラッシュ時で非常に混雑しているので、尾行も見つかりにくい。


(純子達もいるけど、俺のことには気がついてないみたいだなー)


 少し離れた所にいる克彦が、純子と犬飼を後ろからチラ見していた。視線くらいは感じているかもしれないが、二人がこちらを見る気配は無い。

 克彦は電車に乗り込む前に亜空間から出て、電車の中では通常空間にいる。亜空間トンネルが電車ごと移動できないためだ。


 西に行くにつれ、そして途中で電車を幾つか乗り換えるにつれ、乗客の数も次第に減ってくる。


 すっかり空いた電車の中で、楽しそうに喋りあう児童達を、憲三は羨ましそうに見る。

 憲三の親は度の過ぎた英才教育を憲三に叩き込んでいた。幼稚園の頃からひたすら勉強だけを強いる日々であった。


(友達を作ることも禁止して、他の子を悪く言うひどい親だったからな……)


 それに従うことはなく、学校内では友達は作っていたが、外で遊ぶことは一切許されなかった。


『他の子達が遊んでいる間に、けんぞーちゃんは勉強するざーますっ。遊んでいる子は底辺の仕事に就いて、不幸な将来を送ることになるざーますっ。一切遊ばずにお勉強をたっぷりした子は、いい会社に入れて、出世して、お給料いっぱい貰えて幸せになるざーますっ。だから今は辛くてもお勉強ざーますっ! せっかくいい学校に入れてもらっているのに、お勉強もせず遊ぶ子達は頭の悪い子達ざーますっ。将来も知れているざーますっ。そんな子達と遊ぶと馬鹿が伝染するざーますっ。けんぞーちゃんはいっぱいいっぱいいーっぱいお勉強をして、頭狂大学に入るざーますっ。そしていいお仕事に就くざーますっ』


 骨と皮だけの不気味な面構えの母親は、念仏のように同じことばかり繰り返していた。


 学校の友人達も悪く言われていることを、憲三は特に意識してしまう。だからこそ母親の言うことは信じたくなかったし、信じられなかった。

 そして成長するにつれて、そんな風に狭い考えをしている母親が、ちっぽけで醜くてどうしょうもなく感じられていき、とうとう爆発してしまった。


「ありゃ塾帰りじゃの。こんな夜遅くまで塾に通わせて詰め込み学習。子供は遊ぶのが本分じゃろうに。嘆かわしいのう」


 電車内の児童数名を見て、漸浄斎は顔をしかめていた。


「俺もあんな感じだった。教育熱心な親で……遊ぶことそのものを禁止されてて、空いてる時間は全て勉強させられてた。それに耐え切れなくて……」


 家のものを全て破壊し、両親も金属バットで死なない程度にぼこぼこにして、家を飛び出してきたことは、漸浄斎にもすでに伝えてある。


「でも、親も大変なんだなって……そう思うようにもなってきて……」

「カーッ、阿呆かい。そんなもん同情に値せんわ。世の中誰でも大変なんじゃい」


 憲三の台詞を、漸浄斎はますます顔をしかめて否定する。


「阿呆な親は、親の苦労云々見苦しく言いつつ、己のいたらなさを認めようとせんがの。何をぬかそうが、親が子を苦しめ、子を追い詰めてよい理屈など、何一つ無いわい。親も辛いなら、それを免罪符に子を追い詰めて苦しめてもよいのかね? 子がどうであろうが、親は逃げずに全力で守らねばならん。その努めが果たせぬ輩は大人とは言えんし、親の資格も無い。無様な言い訳をするような駄目大人の元に生まれては、子が不幸になるのは当然のことじゃ。よって、御主のしたことは正解じゃよ。御主はそうするしかなかった。やるべくしてやったこと、なるべくしてなったことじゃ。深く考えるでないよ」


 漸浄斎の持論に憲三は説得力を覚える一方で、疑念も抱いていた。漸浄斎が親というものに対して、相当否定的な考えを抱いていると、そんな印象を受けた。

 そして憲三は考えてしまう。漸浄斎も家庭環境がよろしくなかったのではないかと。


***


B月4日 21:54


 東京のかなり西部――周囲は山と森と畑ばかりの田舎の駅にて、漸浄斎、憲三、笠原の三名は電車を降りた。


 漸浄斎達は、そこから徒歩でどこかへと向かっていた。純子と犬飼、それに亜空間トンネルを使った克彦がその後を尾行する。

 駅を降りた所で、克彦は純子と犬飼に声をかけようか迷ったが、あえて二人にも気付かれないまま、別行動をしてみようと考える。


(見えない所や気付かれない所から補佐、ここぞという所で救援っていうのも、俺の能力の持ち味の一つだしな。まあ純子がそんな危機に陥るとは思えないけど、何かあったら助けて、驚かせてやれるし)


 という、ただの悪戯心が理由であった。


 周囲は山ばかりだ。


 漸浄斎、憲三、笠原の三名は、唐突に道路から外れて、山の中へと向かう、林の中に続く土がむき出しの道を下っていく。灯りも無い。


(賭源山……)


 山の名前が書かれた看板が、途中に落ちていたのを憲三は発見した。


 純子と犬飼も三人を追う。こうした山中の獣道の先にある秘密のアジトを、純子は何度も訪れたことがある。


「何、ここ……」


 憲三が唸る。林の中に開けた場所があった。広間には電灯があって、灯りがついている。そして広間の中心には、草を編み上げて作った祭壇のようなものがある。ここまで憲三は、真っ暗闇の中を漸浄斎に手を引かれて歩かされた。


 少し離れた場所から、広間と漸浄斎達三名の様子を伺いながら、純子は異様な気配が周囲に充満しているのを感じ取った。極めて異質な何かがいる。しかも相当な数だ。

 それらが森の中から一斉に祭壇に向かってきている。幸いにも純子達が潜んでいる道の方からは来ないので、見つかることはなかったが。


(私はこれと同じ気配をよく知っている……。でも、いつも扱っているリコピーよりはるかに濃い。まさか……)


 純子は気配の正体が何であるか、大体察していた。


「何も見えないんだが……何かあるのか?」


 小声で囁いて訊ねる犬飼。ここまで来るのに、犬飼も憲三同様に、純子に手を引いてきてもらった。夜空も曇りで月はおろか星明かりすらない。前方広間の明かりは見えるが、この位置からではよく見えない。


「祭壇みたいなのがあって、そこで何かするみたい」


 一方、純子は人工魔眼の暗視機能が働いているので、大体わかる。


 暗闇の中にある、草の祭壇の前に立つ漸浄斎、憲三、笠原。

 闇の中で、憲三は漠然たる不安と恐怖を覚えていた。異様な雰囲気も感じ取っていた。


「とりあえず……と」


 漸浄斎が憲三の手を離し、無数に並ぶ蝋燭に火をつけ、草で編まれて作られた小さな祭壇の前に置く。無数の蝋燭の火のおかげで灯りが強くなり、犬飼も祭壇を目にする事が出来た。

 ちなみに克彦は亜空間トンネルの中から、外が暗闇であろうと、有る程度は周囲の物体の形を把握できる。


「これは……何です?」

「怪しい宗教っぽい秘密の儀式の祭壇じゃよ」


 恐る恐る訊ねる憲三に、笑い声で答える漸浄斎。


「もう神様達も集ってきておるようじゃぞ」

「神様達?」


 漸浄斎の言葉を訝る憲三の前に、驚くべきものが姿を現した。


 憲三が息を飲む。夢でも見ているのではないかとさえ思った。あるいはよく出来た動く玩具なのではないかとも。

 しかし現れたそれは、一体だけでない。あちこちから複数現れて、祭壇の周囲に立ち、三人をじっと見つめている。


(小人?)

 憲三が口の中で呟く。


 人のように手足はあるが、どう見ても人ではない。サイズからしてまず違う。身長は結構個体差があるが、大きいもので30センチあるかないか。小さいものは20センチもなさそうだ。

 この暗闇の中でも肌は真っ白であることがわかる。いや、乏しい光を吸収しているので、余計にその白さが際立っている。肌と同じ真っ白の頭髪があり、頭からは鮮やかな真紅の花を咲かせ、背からはまるで翼のように双葉が生えている。足は人のそれとは違い、植物の根のように枝分かれしている。


 どんどん数を増やしていく謎の植物小人達。すでに数えきれない数が集って、祭壇周囲を所狭しと埋め尽くしている。しかし祭壇の前には立たないようにスペースを空けていた。


「アルラウネ」


 植物小人の大群を見て、純子がぽつりと呟いた。


「以前、咲に寄生していたっていうアレが……これか」

「うん」


 犬飼の言葉に頷く純子。


「これは……妖怪?」

「カッカッカッ、神様じゃと言うたろうに、よりによって妖怪扱いとは失礼じゃのお?」


 思わずこぼした憲三の言葉を聞いて、漸浄斎はおかしそうに笑った。


「ご、ごめんなさい」

「妖怪でもないが、神様でもない。まあ人間にどう思われても仕方が無いがな。私達のことはアルラウネと呼ぶがいい」


 アルラウネの一人が進みでて、声を発した。淀みない日本語で喋っていることに、さらに驚く憲三。犬飼と克彦もこっそり驚いている。


「さて、この子ですじゃが、どうですかのー?」

「資格有りだ」


 確認する漸浄斎に、アルラウネの一人が憲三を見て即答した。


 群れの中から一人のアルラウネがよちよちと歩いて、憲三の前に進み出る。


(ちょっと可愛いな)


 アルラウネを見下ろし、憲三は思う。


「私達アルラウネは、宿主に力を与える一方で、自分の全ての力を与えきるに相応かどうか、選別してもいる」


 憲三の前に来たアルラウネが、憲三を見上げて話しだした。


(それはリコピーとコピーの区別無く同じ。全ての力を与えればどうなるかはまだ不明なんだよね。力の一部を与えているにすぎない。それには、選別以外にもアルラウネを受け入れる条件があるみたい)


 アルラウネの話を聞いていた純子が思う。オリジナルから聞いた情報だ。


「欲望、願望、希望――強く欲する気持ちがある者ではないと、進化はできない。進化とは、強い想いからもたらされるのだ。では、いくぞ」


 アルラウネが憲三へと歩み寄る。憲三は息を飲む。


「え……?」


 憲三はきょとんとした。体内に入るというから、何か苦痛が伴うと思いきや、アルラウネが憲三の手に触れるなり、触れた箇所から痛みもなく、するすると体内へ侵入していったからだ。


 実に呆気なく、同化の儀式は終了した。


(聞こえるか? 私は君の中にいる)


 体の中から声が響き、憲三はぎょっとした。


(望みがあるなら望め。それが君の進化へと繋がる。幾夜かの睡眠の後になるか……早ければすぐにでも……)


 憲三は静かに望んだ。人の役に立つことができて、人からちゃんと見てもらえるような、そんな力が欲しいと。


(曖昧すぎるな。それでは難しい。焦らなくていいから、ゆっくりと決めてくれ)


 体内の声は苦笑しているかのように、憲三には聞こえた。


 一方、どうやら儀式が終わったと見なし、純子は思案する。

 今すぐアルラウネ達に接触を試みるか否か。


 接触したとして、『彼女』等が純子の好奇心を満たす受け答えをしてくれるかどうか、定かではない。むしろ自分が作ったマウスを積極的に狙ってくる事を鑑みれば、敵意を露わにしてくる可能性の方が高い。

 彼女達にどのような目的があるかを知りたい。相手に協力する意志があれば、生体も研究したい。かつてアルラウネのオリジナルは、自ら進んで研究材料になることを申し出た。オリジナルと繋がっているのなら見込みはあるかもしれない。


「こんばんはー、純子、犬飼さん」


 克彦が空間の扉を開き、顔だけ出してにっこりと笑って挨拶をする。


「おや、克彦君も来てたんだ」

「びびった。お前も来てたのか」


 純子が微笑み返し、犬飼は軽くのけぞっている。


「それよりさっきの光景の方が俺はびっくりだよ」

 と、克彦


「それよりその亜空間トンネルの中に入れてー。私もその気になれば作れるけど、トンネル作りはあまり得意でも無いし」

「了解」


 純子の要望に応え、黒手が二本出て、純子と犬飼の体に巻きついて、亜空間トンネルの中へといざなう。黒手に招かれる形でないと、克彦の亜空間トンネルの中には入れない。


「小さいのが……」


 克彦がトンネルの外を見て言う。アルラウネ達が一斉の山の中へと帰っていく。

 そして漸浄斎も広間の蝋燭を全て消し、獣道を戻っていく。


「終電に間に合うかねえ」

 犬飼が呟く。


「尾行はこの辺で打ち切っていいと思う。私達はタクシーで帰ろう」


 純子の提案に、犬飼と克彦は頷いた。

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