第三十八章 4

A月31日 23:20


 睦月の『ファミリアー・フレッシュ』――雀による先制攻撃を目にして、佐胸は即座に対応した。


 佐胸は裏通り歴が長い。かなりのベテランだ。しかしだからといって歴戦の兵というわけでもない。それどころか最底辺のチンピラでしかない。腕っ節に長けているとはとても言い難いが、地虫のように底辺でしぶとく生き延びてきた。油断だけはしない。


 佐胸の体中から、幾重にも途中で分かれた、黄緑色の鋭い枝のようなものが突き出される。二つの雀は、佐胸の体に衝突する前に、佐胸の前方に瞬く間に結界のように張り巡らされたこの枝によって阻まれた。二匹とも、枝の先端に突き刺さっている。

 回収しようにも刺さったまま動けない雀を見捨てて、睦月は蛭鞭を体内から出す。


 鞭を振るい、枝をなぎ払う睦月。しかし鞭に大量の枝が刺のように刺さる。そして佐胸には届いていない。

 佐胸はアルラウネを宿主として、この枝を出す能力だけではなく、身体能力も強化されている。反射神経も動体視力も膂力も敏捷性も。ただし、再生能力は無いので、下手に攻撃を食らうわけにはいかない。


「え……?」


 蛭鞭を見て睦月は驚いた。刺の刺さった箇所も、そうでない部分も、所々腐るようにして欠けている。

 佐胸の枝の中には腐蝕性樹液が詰まっている。生物であろうが金属であろうが、腐蝕させる。佐胸自身を含め、腐蝕できない物質も存在するが、生物が腐蝕できる時点でほぼ問題は無い。


 見ると雀も腐れて地面に落ちていた。体の大半が欠けて、完全に行動不能だ。


(これ……俺の体内に戻して回復するのもヤバくないか? 腐れる毒だか何だかを、体の中にまで入れちゃうし、再生能力の強い俺は、腐敗の効果を逆に強くしちゃう可能性もあるし)


 しかしこのままでは武器そのものが使えない状況になる。そのうえ今後あの枝に当てないように、当たらないように攻撃しないといけない。


「もしかしなくても、俺とすごく相性悪い相手?」

 苦笑いを浮かべながら呟く睦月。


 睦月ではなくても、飛び道具を持たない戦闘スタイルの者とは、かなり相性の悪い相手と考えられる。


(枝の中の液体に触れたり、刺さって注入されたりすると不味いから、それを避けるか、液体に触れずに枝を破壊できれば……)


 そう考えつつ、睦月が刃蜘蛛を出す。こっそりと足元に針金虫も。


「睦月~っ、加勢するよぉ。ちょっとヤバそうな気配だし」


 後ろから声をかけ、亜希子が小走りに向かってくる。


「いやいや、亜希子はもっと相性悪い相手だって。あいつの枝の中に、腐らせる液みたいなのが詰まってるんだよお?」


 再度苦笑いを浮かべる睦月。加勢してくれる気持ちはありがたいが、近接戦闘オンリーの亜希子にここで来てもらっても困る。


「何だ、そんなことか。大丈夫。私に考えがあるわ~」


 自信有りげな笑みを浮かべ、亜希子が佐胸と向かい合い、小太刀を抜いて構える。


「うまくタイミング合わせてね。えいっ」


 亜希子が小太刀を引くような動きをすると、それに合わせて、佐胸の体が浮き上がった。


「なっ、何だっ!?」


 佐胸は仰天していた。股間を鷲掴みにされたかのような感触を覚えたと思いきや、股間が見えざる力で引っ張られ、体が宙に浮かび、睦月と亜希子の方へと向かっていく。


 空中にいる佐胸に刃蜘蛛が飛びかかる。佐胸は空中で枝を張り巡らせて、刃蜘蛛を防ごうとするが、蜘蛛は脚の刃で次々と枝を切断していく。素早く切断しているので、枝の切断面からあふれる腐蝕性樹液が、刃蜘蛛に付着することも無い。

 佐胸の前方の枝が尽く切断され、枝のガードが完全に切り開かれた。即座に新たに生やすことはできない。そのうえ空中にいるから回避もできない。そこに亜希子の妖刀『火衣』が閃き、佐胸の股間を切り裂かんとする。


 しかし……亜希子は大慌てでその場を飛びのいた。

 切り裂かれた枝の切断面から、一斉に腐蝕性樹液が噴出されたのだ。


「うわわわっ!?」


 服や腕についた黄緑色の腐蝕液を慌てて払う亜希子だが、服の一部は繊維がぼろぼろに腐れおち。肌と肉の一部も急激に腐っていく。


「何これ……痛みさえ感じないし……いや、そんなことないっ。少し遅れてから痛くなってきたっ」

「亜希子っ、俺の後ろにいてっ」


 うずくまってしまう亜希子をかばう形で、睦月が移動する。


 睦月と亜希子の後方で、家の扉が開くのを佐胸は見た。


 またさらに加勢が増えるとしたら、流石に面倒だと判断し、佐胸は睦月と向かい合ったまま後方へと走り、壊れた門から外に出た。


「あらあら、これはひどい有様ですわね」


 穴の開いた門を見て、百合が笑う。


「ママ~、門の方が私より大事なのぉ~?」

「あらあら、亜希子も無様にやられていましたの? 気がつきませんでしたわ。あらあら、苦しそうな顔ですわね。とても可愛らしいこと」

「いいから早く治してよ~」


 意地悪い口調で言う百合に、恨めしげな視線を向ける亜希子と、三度目の苦笑いを浮かべる睦月であった。


***


B月1日 12:22


「週末は風が強くなる」


 畳の上に様々なタペストリーを並べて眺めながら、老婆が呟く。

 背の低い、やや小太り気味のこの老婆は、蒼墨弥生子あおずみやえこという名だ。漸浄斎につき従う信者の一人で、信者と漸浄斎に提供している家も、彼女のものである。生活費も彼女が全て出している。

 どういう素性の者かは、誰も知らない。聞いてもにこにこ笑っているだけで、答えようとはしなかった


 弥生子と同じ部屋に、漸浄斎、久美、憲三の三名もいた。今日の久美は普段着だ。弥生子が服を見繕ってくれた。


「とりあえず団体名を決めようよ。ていうか、今まで決めてないってどういうことよ」


 漸浄斎の方を見て、久美が言った。


「カカカ、細かいことは気にせんタチでの」

「それくらいは流石に気にして。えーっと……『ミルメコレオの晩餐会』とかどう?」

「裏通りの組織的なネーミングはちょっと……いや、絶対勘弁願いたいわい。好かん」


 久美のあげた名に、笑いを消し、露骨に渋い顔をする漸浄斎。


「ふーん、それは気になるんだ。じゃあせめて団体名は漸浄斎さんがつけようよ。代表なんだしさ」

「そうじゃのお。では、『元気もりもりチーム』というのはどうじゃ?」

「宗教団体なのに、名前にチームとかつくのはちょっと……」

「却下」


 思いっきり苦笑する憲三と、首を横に振る久美。


「むむむ、では……『享命会』というのはどうじゃろう。字はこうじゃ」

「あ、バーチャフォン? いいなあ」


 漸浄斎が投影したホログラフィー・ディスプレイと文字を見て、憲三が言った。指先携帯電話よりずっと綺麗なグラフィックであるし、投影の仕方も異なる。


「うむ。拙僧のバーチャフォンは数珠に組み込まれておるんじゃよ。カッカッカッ」

「そんなもんに金かける前に、そのボロボロの袈裟をどうにかしたら?」

「こりゃまた手厳しい正論であるなっ。カッカッ」


 久美に指摘され、漸浄斎は笑いながら己の額をぺしっと手で叩く。


「あ、そうだ。ネットで客引きしようよ。私が客引きパンダになるから」

 久美が申し出た。


「それ、一種の詐欺ではないかの? 久美ちゃんみたいなめんこい子が客引きして、鼻の下伸ばして足を運んだら、拙僧のような胡散臭い小汚い坊主が待ち受けてるんじゃぞ。最悪じゃわい」

「じゃあ一応漸浄斎さんも、教祖ってことで動画に出演しようね」

「一応扱いされてしまうとはのー」

「よーし、早速実行」


 久美が動画サイト『腰痛屁』にアクセスする。


「ただいま」


 と、そこにダーマス佐胸が帰宅し、障子越しに沈んだ声を発した。


「ちょっと佐胸君とお話があるでなー。席を外すぞよ」


 漸浄斎が立ち上がり、障子を開けて部屋を出ていく。


(私達の前ではできない話があるの? そもそもあの人は何の用でしばらく顔を見せなかったの?)


 何か怪しいと感じる久美。


「昨日の件な、失敗したよ……」

「カッカッカッ、そのようじゃな。その落ち込みようではな」

「あいつは複数で行かないと、周囲にも強者がいる。後回しでもいいかもしれない」

「左様か。ならば拙僧も折を見て加勢しようぞ」

「悪い……いつも足を引っ張ってばかりで」

「カッカッ、またそれか。お互い様じゃい」


 申し訳無さそうに頭を下げる佐胸の肩を、勢いよくばしっと叩く漸浄斎。


(この人といると……心が落ち着く。こんな俺なんかも認めてくれるしな。でも、まるっきり善人というわけでもない)


 佐胸は複雑な票所になっていた。


 佐胸は裏通りでも最下層のチンピラとして生活していた。詐欺や恐喝など、ケチな犯罪ばかりして稼ぎ、裏通り課に目をつけられて尋問の際に顔の半分に大きな傷をつけられ、右目も潰された。

 表通りでまともに生きることができず、裏通りでも半端者な生き方をしている事に、ずっと劣等感を抱き、卑屈な想いで生きてきたが、漸浄斎と会ってからは、その気持ちが少し和らいだ。


 しかしその一方で、佐胸は漸浄斎に疑いの心も抱いていた。


(この人は、平然と人を殺すからな……。何かどこかで食い違いがあれば、俺も……)


 それに加えて、これまでの人生で、裏切られることもしょっちゅうだった事もあり、漸浄斎に親しみを覚えつつも、信じきれない佐胸であった。


***


B月1日 14:48


 プルトニウム・ダンディーのアジト。


 克彦のバーチャフォンに、情報組織『凍結の太陽』から情報の提供があった。

 動画サイト腰痛屁に、『享命会』なる宗教団体の宣伝動画が上がっているというのだ。


 早速動画を開いてみると、セーラー服姿の美少女が笑顔で登場した。


『はーい、皆さんっ。人生ちゃんと充実してますかーっ? 何? してないっ? そんな貴方は、できたてホヤホヤの宗教法人『享命会』に入信してみてはいかが? 教祖の電々院漸浄斎さんが、貴方に活力を注入してくれまーすっ。教祖様はとっても優しくて気さくで愉快な人なんですよー。それでは教祖様、おいでませーっ』

『カーッカッカッカッ、拙僧がその電々院漸浄斎じゃ。元は仏門に帰依したもんじゃが、ちょっくら破門されてしまってのー。仕方なく自分で怪しい信仰宗教おっぱじめたっちゅーわけじゃ! 今、新たな信者をバリバリ募集中でのー。拙僧のこと、怪しいと思っておるじゃろーが、拙僧の法力に関しては本物じゃからのー。物は試しで、体験入信などしてはいかがかな~? お待ちしているぞーいっ。カッカッカッ』


 少女の後に、ボロボロの僧服をまとった、怪しさ前回の初老の男が現れ、奇怪な笑い声をあげながら宣伝を行った。


「昔の漫画でこういう笑い方するキャラ、見たことある気がするんですよねー」


 怜奈が動画を見て、そんな感想を口にする。


『明後日B月3日の午後二時より、安楽市絶好町にある安楽市民球場にて、享命会によるイベントが行われまーす。是非お越しくださいねー』


 最後に少女が現れて、笑顔で手を振りながら告げた。


「正にエンジェルスマイルだな。営業用天使の……」


 エンジェルがサングラスに手をかけながら呟く。


「これ、女の子目当てにぜんまいかかる人、いるのかな?」

 と、来夢。


「多少はいるんじゃないか。まあ俺らも行ってみよう」

「うん」


 克彦がディスプレイを消しながら言い、来夢も頷いた。


***


B月1日 14:30


 久美が畳の上で大の字に寝転がっている。その横で、漸浄斎と憲三と弥生子がディスプレイを開き、ネットの反応を伺っていた。


「あまり反応は無いな。ちょっと書き込みがあるだけで……って、また書き込み増えた。それなりに好感触だけど……」


 久美につられてもう少し反応があると思っていた憲三は、思ったほど手応えが無く、少しがっかりしていた。


「私……こんなキャラじゃないのに、宣伝、超頑張った……」


 久美が天井を見上げ、死んだ魚の目で呻く。


「偽りの自分を演じる時、自分の新たな一面を見る」


 弥生子が呟き、部屋に飾ってあるタペストリーを見渡す。


「カッカッカッ、弥生子さんは詩人じゃのおっ。いや、拙僧よりずっと重みのある言葉を吐くし、教祖は弥生子さんの方が合っておるかもしれんぞっ」


 漸浄斎が冗談めかす。


「言葉は孔雀の羽根のようなもの。羽根をちぎって飾るだけなら誰にでも出来る。漸浄斎様は孔雀そのもの」


 弥生子がそういった直後、障子が開き、コンパニオンスーツ姿の、二十代半ばの女性が現れた。

 名は芽塚めづかアンナ。ここに来る前にいた四人の信者の中で、この女性とダーマス佐胸とは、まだ会話したことがない久美である。


「佐胸さんから、新しい子が頑張ってるって聞いたけど、久美さんて最近入ったばかりなのに、凄く貢献しているのね。しかも可愛いし。いい人が入ってくれたわ」

「いやいやそんな」


 アンナの褒め言葉に、一応謙遜してみせる久美。実際にはあまり謙遜していない。小さい頃から褒められてばかりいるからだ。しかし当然だと奢っているわけでもない。ただそれが当たり前の空気のように受け止めていて、何も感じないだけだ。


「新たにいっぱい人が来るなら、幹部とかそういうのもちゃんと決めた方がいいんじゃないの?」


 と、アンナが漸浄斎に向かって言う。


「そういう役割も必要じゃの。さしずめナンバー2は久美ちゃんで文句あるまいて。新参だろうと実力があるからのー。文句言う人はいまい」

「えー、私なんかでいいのかなー」


 また謙遜してみせる久美だが、謙遜はしていない。この参謀ポジションは、最初から狙っていたし、役割的に自分が相応だと思っていたからだ。


「週末には強い風が吹く」


 意味不明なことを意味深に呟き、茶をすする弥生子。何度も口にしているその言葉が、彼女の口癖だということを久美は理解した。

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