第三十八章 5

B月3日 14:00


 この日、安楽市民球場にて、新興宗教団体『享命会』の宣伝イベントが行われる事になった。


 来夢と克彦が訪れた頃には、球場に設けられた特設会場には、思った以上に人が来ていた。三十人くらいはいるだろうか。

 特設の壇の前に大量の椅子が用意されていたが、多くは余っていた。


「やっぱりさ、あの女の子目当てで来ましたって感じのが、わりといそうだな」


 球場に訪れた者に、女性はほとんどいなかったので、克彦にはそう思えてしまう。


「それも織り込み済みで、あの子が宣伝動画に出たのは間違いない」

「だろーなー」


 来夢の言葉に克彦が頷く。


 やがて特設舞台の上に、宣伝動画に出ていたセーラー服姿での美少女が現れる。


「あざとい。あざとすぎて痛い」


 それを見て、思いっきり悪い第一印象を抱く来夢。


「蓋を開けてみないとわからないって、昔来夢が俺に言ってたろ」

「もう開いているようなもの。中味は見えないけど、中味から出てきたものが今見えた」

「来夢、あれはあれで頑張ってるように俺には見えるし、そういう努力も買ってあげなよ」

「ううう……克彦兄ちゃんがそう言うならそうする」

「俺がそう言うならじゃなくて、納得して決めような」

「で、でも、克彦兄ちゃんの言ってることが正しい気もしたし」


 困り顔で自分を見上げておろおろする来夢が、克彦にはひどく可愛らしく映った。


「それならいいよ」


 克彦が笑顔になって、来夢の頭を撫でる。来夢もそれでほっとして微笑む。


『それでは教祖様である電々院漸浄斎様においで願いましょーっ。漸浄斎様、どうぞーっ』


 セーラー服の美少女が告げて壇を降りると、代わりにボロボロの僧衣をまとった初老の薄汚い男が、壇上へと上がり、客達に向かって満面に朗らかな笑みをひろげてみせる


『皆の衆! 今の人生を楽しんでいるかーっ!? 生き甲斐が欲しいかーっ!? 新しい世界へと行きたくはないかーっ!? 下を向いてグジグジと腐ってないかーっ!? 顔を上げろ! 前を向け! ひた向きに走れ! 生きている間には楽しいこともいっぱいだ! 気付かないだけ! 目を向けようとしないだけ! 感じようとしないだけだ! 悪いものだけ意識して膨らますな! 人生は一度しかないのだ! 今を精一杯生きよ!』


 いきなり絶叫説法を始めた漸浄斎に、客の多くはその勢いに押されていた。

 ふと、客席の中から一人の青年が挙手する。


『何か言いたいことがあるのかね? どうぞ!』


 笑顔のまま発言を促す漸浄斎。青年が立ち上がる。


「でも今は死後の世界や転生も証明されているし、今を頑張って生きなくても、死んでリセットしていい環境に生まれるまでやり直しした方がよくね?」

『カーッカッカッカッ、いかにも現代っ子らしい発想よのお!』


 青年の主張に、漸浄斎は心底おかしそうに笑う。


『いくら死後の世界や輪廻転生の存在が科学的に証明されたとしても、最も大事なのは今の命、今こうして生きている人生が何よりも重要なのだっ! 例えば君達は、前世の記憶や生まれる前のあの世の記憶や人格を、全て取り戻したいと思うかね!? 思わんだろう!? しかし一方で今の記憶と人格が、死んだら全部消滅してしまった方がいいとおもうかね!? 思う者もいるかもしれんが、大抵は思わんだろう!? 自分自身が大事だろう!? しかし前世の自分とて、きっとそう思うであろうにも関わらず、前世の記憶や人格など不要と考える矛盾! 否! 矛盾に非ず! これこそ今この時こそ、今の人生こそが最も大事だと思っている何よりの証拠というものよ!』

「中々いいこと言う。ちょっとだけ心が動かされたかも。心地好い言霊」


 演説の合間に、来夢が克彦の耳元で感想を囁く。


「それで……この宗教に入って、どういうことをするんですか?」


 別の一人が挙手して質問する。


『おお、よくぞ聞いてくれた! ズバリ! 皆で楽しくワイワイ! 日々ニコニコじゃ!』


 得意満面に抽象的答えを返す漸浄斎に、客達は呆然とする。


 重い沈黙が流れる。それまでハイテンションだった漸浄斎も、流石にこの空気には気がついて、大きなポカをしたと気がつき、おもいっきり渋い笑みを浮かべていた。


「いきなり盛り下がった感あるよな……。あ、あの女子高生な子も引いてる」

 克彦が来夢に囁く。


「具体的に何をするのか聞きたかったんだと思う」


 漸浄斎をフォローするかのように、来夢が発言した。


『で、ではっ! 具体的にどんな活動をしていくのか、漸浄斎様におっしゃっていただきましょーっ!』


 司会進行役っぽいポジションのセーラー服女子高生も、壇の下から強引に盛り返そうとする。


『うむ! つまり、皆で楽しく共同生活じゃ!』


 再び空気が重くなった。


『いやいやいやいや、何じゃい、そのリアクションは! 大抵の怪しいカルト宗教はそんなもんじゃろーに! 信者で集って変な念仏唱えて、変な修行して人生の無駄遣いして、一方で教祖と幹部共は、美人はべらせてウハウハハーレムじゃろう! いや、拙僧は純情坊主じゃから、そんなことは断じてしとらんぞ! せいぜい人妻たぶらかしたくらいじゃて! いや、ともかく! 共同生活しつつ、自分を見つめなおし、人生の楽しさを見つけてゆくというコンセプトに変わりは無い! 皆で支えあおうぞ!』


 一人が席を立った。それにつられるようにして、何人かが席を立ち、さらにつられるようにして、席を立ち……みるみるうちに数が減っていく。

 残ったのは来夢と克彦と、他四人の、計六人だった。


『カッカッ、少数精鋭にしぼられたのー』


 漸浄斎はそれを見ても全くへこたれず、快活な笑顔のままである。


「私の努力、教祖さんに物凄く台無しにされた気がするー」


 一方で久美はへこみまくり、泣きたい気分になっていた。


***


B月2日 14:00


 その日、睦月と亜希子が雪岡研究所へと訪れると、実験室にと通され、そこには犬飼の姿もあった。


「一昨日襲われた件でねえ。一応直接会っていろいろ話したいと思ってさあ」

「私はちょくちょくここに足運んでるけどさあ。何か睦月は来たくても来づらい感じだったから、いい機会だし私が無理矢理連れてきちゃった~」


 睦月が研究所に来た理由を口にした後で、亜希子が悪戯っぽい笑みを浮かべて言った。


「ちょっ……別に来たくなんてないしっ」

「睦月ちゃん、もっとがんがん来てもいいんだよー。真君も喜ぶよー」

「何でそこで真が出るのさっ」


 亜希子の言葉に動揺する睦月に、さらに純子が追い討ちをかける。


 その後、純子と犬飼の口から、アルラウネ移植者達の襲撃事情や、どう対処をしているかを聞いた。


「こっちも手は考えてあるからさー。それに加え、他に動いてる人達もいるしね」

「敵は単独じゃないからな。今調査してもらっている。敵の狙いが何か。どれほどの規模なのか、とかな」


 純子と犬飼がそれぞれ言う。


「睦月はまた狙われそうだけど、どうやって睦月達の居場所を嗅ぎつけてるの? アルラウネだけの臭いみたいなものがあるの?」


 亜希子が疑問を口にする。


「多分あるんだと思う。その辺は私もわからないけど、推測としては……アルラウネ持ち同士が近づくと互いにわかる共鳴現象を、さらに超強化して、探索機能にまで強めたんじゃないかなーと……」


 純子が推測を述べた。


「とりあえず、睦月ちゃんは一人で行動しないように気をつけてねー」

「あはっ、またそれかあ。俺って何か狙われてばかりだねえ」


 掃き溜めバカンスにいた頃を思い出す睦月。あの時は純子側から狙われていた。その後は百合の仕掛けた復讐者達にも狙われ続けた。


「とりあえず、私は今手がけている改造をいい加減済まさないとねー。ていうか、この人を使って罠を仕掛けるつもりなんだけど」

「ふう……やっと出番か。待ちわびた……」


 寝台に乗っている、全身オパールグリーンの肌の怪物めいたもの――変わり果てた虹森夕月が呻いた。


 頭部に空いた大きく開いたその歪んだ穴は、おそらく口なのであろう。確かに声はそこから発せられていた。しかし歯は見当たらない。舌も見えない。鼻は小さな穴が二つあるだけ。かろうじて目のようなものもあるが、薄い膜で覆われ、それが目として機能しているかどうかは不明だ。

 頭からは髪の毛の代わりに、半ば溶けて混ざり合った触手のようなものが生えている。胴体はムカデのように節だらけであるが、ムカデと違って足は一切無い。腕は一本だけ生えている。その一本の腕が極めて太く、おまけにアンバランスに長い。腕に肘関節が六つも有る。長い胴の先は刀剣のように尖っているうえに、刃もついている。


「純子には可哀想と思う気持ち無いわけ~?」

「あったらこんなことしないだろ……」


 半眼で問う亜希子に、犬飼が苦笑しながら言う。


「いや、この姿は夕月さんのリクエストなんだけど……」


 全部自分の悪趣味の産物とされていることを、純子も苦笑して否定する。


「本当かよ……」

「ああ。私はホラー映画やSF映画に出てくる、人間を襲う怪物の類が好きでな。ずっと憧れていた。だから、特別怖くて邪悪な姿にしてくれとリクエストしたんだ」


 疑う犬飼に、嬉しそうな声で言う夕月であった。

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