第三十八章 3

A月30日 17:09


 電々院漸浄斎とその信者達は、信者の一人の提供により、かなり広めのお屋敷に住んでいる。内装はほぼ全ての部屋が和風で、襖と障子と畳の無い部屋はほとんど無い。信者達の生活費も住居の提供者によって賄われている。


 信者の一人である彩河憲三あやかわけんぞうは、つい最近まで一番新しい信者だった。歳は十五。漸浄斎と出会ってすぐに付き従うようになった、家出少年である。

 漸浄斎と出会った時、憲三は喝というものを入れられた。文字通り喝と間近で叫ばれたら、不思議なことに、気力がある程度回復した。少しではあるが、確実に楽になった。その経験があって、漸浄斎がただのインチキカルトの教祖ではなく、実際に超常の力の持ち主であると確信した。


 憲三は親に反発して、ひどい家庭内暴力を振るい、家出してきた身である。家の中のあらゆる物を滅茶苦茶に壊してきた。後悔している気持ちも多少あるが、それ以上に憎悪が残っている。親達の脅えるあの顔を思い出す度に、スカッとする気持ちの方が強く沸き起こる。


「私達これからどこへ向かうか、わからないね」


 そんな憲三にも一人だけ後輩信者ができた。目の前にいるセーラー服姿の少女、羽賀堂久美だ。別にずっと同じ服装のままというわけではないが、布教に出かける時は宣伝効果も計算して、セーラー服にしている。今、丁度布教から帰宅して一息ついている所である。

 きりっと凛々しく整った顔立ちの美少女なので、憲三は見つめられる度に胸の高鳴りを覚える。一緒にいるだけで幸せな気分になれる。その感情の正体は当然わかっているが、こんな可愛い子が自分と釣り合うわけがないし、向こうが気持ちを寄せてくれるはずがないと、勝手に悲観的になっていた。


「憲三は今後のこととか気にならない?」

「俺はただ行き場が無くて……漸浄斎さんが受け入れてくれるから……それだけだよ。今後の心配とか考えないようにしている。羽賀堂さんはここにいるのは不安?」

「名前で呼んでいいって言ってるでしょ。私、その苗字嫌いなんだ。別に私だって立派なわけじゃないよ。私も家出してきたしね。もう学校行くのもやめてやるし。心底せいせいした」


 名前で呼んでいいと言われても、久美は憲三より二つ上の十七歳なので、憲三にはどうも抵抗がある。


「学校嫌いだったの?」

「友達はいたし、楽しい事もあったけど、息苦しかったのは事実。優等生するのもしんどかった」


 久美の口から「優等生する」という言葉を聞き、憲三胸に刺さるものを感じる。自分もそうだった。必死に優等生をしていた。そうなるよう努めていた。


「ただね、正しいと思ったことは無理していたわけじゃなく、ちゃんと自分の意思でやってきた。こんなこと……自慢するわけじゃないけど、常にクラスでは一目置かれていたリーダー的存在だったんだよ。常に正しく生きてきたつもり。いじめの光景を見ても、無視せずに、やめろって止めに入らずにはいられないタチ。誰かが困ってるのを見ると、助けずにはいられないタチ。誰もやりたがらないことは、自分がやらなくちゃと思って立候補せずにはいられないタチ。これってさ、一見正義感強くて立派みたく見えるかもだけど、私はしんどいよ? 勇気のある人とか、立派な人とか、周りは勝手に思うらしいけど、そうじゃない。そういうタチなだけ。つい口や手が出ちゃう。その結果優等生扱い。リーダー扱い。トラブル請負人よ」


 しかし久美のその話を聞いて、憲三は落胆と安堵を同時に覚えていた。憲三が優等生をするというのと、まるで違う。久美はナチュラルだ。憲三は優等生を無理矢理演じていただけだ。


「いじめを止めて、恨まれたり、いじめられたりはしなかったの?」

「最初だけよ。いつものパターン。いじめをする奴って、相手が本気で強いとわかったら、絶対いじめなくなる。半端な抵抗じゃあ駄目。本気の抵抗。教師の見ている前で堂々と訴えるし、必要ならこっちから突っかかりもする。そして私は明るく振舞う。そうすると相手はいたたまれなくなって、逆に不登校になった奴もいたよ。で、いじめなんて嫌いな生徒達の方が実は多いから、支持もこちらに傾く、と」


 憲三の質問に、久美は笑いながら答えた。


(俺とは次元が違う。久美は……普通じゃない、本当に上の存在なんだ……)


 久美と自分との差を意識し、憲三は激しい劣等感を覚えてしまう。


「立派と思われるのが嫌なのはわかるけど、俺からすると立派だと思えちゃうよ。俺はもっと……つまらない人間だしさ」

「じゃあ私は面白い人間? でも私の人生はつまらなかったよ? 息が詰まりそうな毎日だった。だから今ここにいるの」


 沈みがちになる憲三を見て、微苦笑をこぼして久美は言った。


「レールの上に乗って行く人生にずっと疑問を覚えていた。でもそれが普通だから、親の望みだからって、そんな理由でそれに従ってきた。でもそこから抜け出して、今は本当にせいせいしてるよ」


 そう言って久美は爽やかな笑みを浮かべる。後悔は無いらしいと憲三は見る。憲三の方は、自分がしてきた事に後悔もあるというのに。


「ここ、大人ばかりだったから、こうして話せる相手が出来て、ちょっとほっとしてる」


 漸浄斎とその信者四人の計五人のうち、未成年は憲三だけであった。


「そっか。今まで会話してなかったの?」

「会話くらいはしてたけど、やっぱり大人相手だと……」

「カーッカーッカッカッ! 残念じゃったのーっ! その大人様の参上じゃーっ!」


 会話途中に障子が開き、大声で笑いながら漸浄斎が入ってきた。


「ちょっと漸浄斎さん、ノックくらいしようよ」


 柔らかな口調で抗議する久美。


「障子にノックなど聞いたことなど無いし、そこで聞き耳立てていた事に気付かんかったのか?」

「うわあ、ひどい教祖様。そんなんだから人望無くて、ここは数が少ないんじゃない?」

「それはないっ、一応うちに入信して出ていったモンはおらんでのー。カカカ」


 教祖相手に平然とタメ口をたたく久美だが、漸浄斎は意に介さず笑顔で返す。漸浄斎のこういった気さくさに、久美は親しみを覚える。


「ここに来たからには、いろいろあったんじゃろうが、悲観することはないぞ。人生は悪いこともあるように出来ておる。そして悪いことは悪いだけではないと、拙僧、つくづく身を持って知っているでのー」

「どういう日本語?」

「うむ、言い方が悪かったの。うーんと……」


 久美に突っ込まれ、漸浄斎は言葉を選ぶための思案をする。


「例えば誰かを恨んでいるとする。恨みというのも立派なエネルギーじゃ。それは作用反作用の法則に従い、呪いという力となって他者に降りかかることもある。意図的に呪いをかけることすらできる。しかしのう、恨みつらみ、怒りや嫉妬という負のエネルギーは、完全にただ悪いだけのもんでもないんじゃなー。本人の気の持ちようで、それを正しい方向へと転換することもできるぞ。そういったストレスはな、前向きな努力へのパワーへと変える事もできるよう、人間は出来ておるんじゃ」

「おおっ、教祖様らしい説法してるっ」


 茶化す久美だが、内心わりと本気で感心していた。


「うむ。拙僧は破戒坊主じゃが、皆のために優等生教祖しようと、無理して頑張ることに決めたからのう」

「む……」


 聞き耳立てて聞いていた話の内容を絡めてきたので、久美は唇を尖らせた。


「これからどうしていくの? ずーっとこんな調子で毎日布教活動続けるの?」


 毎日あちこちの町に出向き、漸浄斎が叫んで注目を集めることの繰り返し。正直飽きてきた久美である。その間、信者達はずっと後ろにいるだけなのだ。


「地道な活動に付きあわせて済まんの……。まあ発足仕立ての新興宗教じゃし、拙僧がああして体を張って、道でアピールしていく所から始めるしかないわい。それしか思いつかんしの。そのうちメジャーになってきたら、活動の仕方も改めたいとは思うが……」

「今すぐでも改めて方がいいよ。私がいい案出したら、漸浄斎さん、聞き入れてくれないかなあ」

「おうおうおう、拙僧、こう見えて聞き分けのいいフレキシブル爺であるが故、良い意見であれば誰の言うことも聞き入れるぞ。ガシガシと意見を提出したまえよ。カッカッカッ」

「じゃあ考えておく」


 この名前も無い教団において、久美はこの時、自分の役割を見出した。他に適役もいないし、これは自分にしかやれないと。


「ところで、佐胸さむねさんが昨日から見当たらないけど、どこに?」

「佐胸君なら野暮用じゃ。ま、しばらくしたら帰ってくるじゃろ」


 久美の問いに漸浄斎が答える。


 四人の信者の中で、その男がいなくなっている事に、正直久美はほっとしていた。外見で人を判断したくはないが、それでも怖い見た目であったし、無口で、非常に不気味だったからだ。


***


A月31日 23:18


 その男の名はダーマス佐胸という。

 小太りの中年男で、顔の右半分に大きな傷があり、右目も完全に潰れている。顔左半分の方もひどく人相が悪い。一言で言えば凶顔の持ち主だ。


(でっかい屋敷だな……。うちの教団よりは小さいし、洋館という違いはあるが)


 目的の人物がいると思われる屋敷を前にして、佐胸は思う。以前ならもっと金持ちへのやっかみの感情を抱いていただろうが、今は自分も金持ちの大きな屋敷で世話になっている身なので、そうした感情を抱きにくい。


 屋敷の庭の門を破壊し、堂々と正面から入る。

 鉄の門には大きな穴が開いていた。壊れた門の破片はほとんど落ちていないが、破片や残った断片は、赤茶けた錆だらけでぼろぼろになっていた。


「あはっ、監視カメラは壊さなかったのかい?」


 佐胸が堂々と扉の前まで進んだ所で、扉が内側から開き、癖っ毛の多い頭髪が印象的な、学ラン姿の美少年が現れ、笑顔で声をかけてくる。睦月だ。

 佐胸は自分の体内にいるものが激しく反応しているのを感じた。ターゲットはこの少年だと理解する。この家に入る前から佐胸は、自身の体内にいる者の共鳴作用を強化して、感知できる範囲を広げておいたが故に、この家にいるとわかった。


「あんたもアルラウネの宿主ってわけか。俺の中のアルラウネが反応してるよう。純子からの連絡通りだねえ」


 純子は全てのアルラウネを移植されたマウスに、アルラウネ持ちのマウスが限定で狙われていることを告げ、警戒を促す連絡を入れていた。睦月もちゃんと聞いている。


(タブーの睦月……こんなガキだったとはな。本当にあの八つ裂き魔の睦月か? そんな酷い奴には見えないが……。糞っ……。ガキを殺さなくちゃならないのか……?)


 睦月を見て、意識してしまう。汚れ仕事は今まで散々してきた佐胸であるが、正直、未成年の殺害など気が進まない。しかしそれが自分の役割だから仕方が無い。


 佐胸は無言で睦月を見据え、殺気を漲らせた。

 それに反応したかのように睦月は、体内から二つの茶色い塊を、佐胸めがけて射出した。

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