第三十七章 29
勇猛果敢――黒斗から見て、光男の印象を表すと、その一言だ。
怖気づくことなく、ひたむきに戦いを仕掛ける光男に、黒斗は好印象を覚える。
黒斗は防戦一方に回って、自分から手を出そうとはせず、しかし光男の攻撃を悉くいなしていた。
「まるで稽古をつけてやっているみたいだな」
「ああ……でも、何ていうか、嫌な感じがしない。どっちも……」
「クリーンな戦いだ」
光男に対する黒斗の戦い方を見て、肉塊の尊厳の構成員達が感想を口にする。彼等はいつしか銃を撃つのをやめていた。弾が当たっても黒斗は平然としているし、そもそも光男と近接戦闘をしているので、光男にも当たりそうで撃ちづらい。
(そう映るか。でもそれは俺のせいじゃない)
彼等の感想は光男の耳には届いていなかったが、黒斗の聴力ではちゃんと拾えていた。
(この子のせいだ。殺気がまるで無い。ひたむきで純粋な闘志。そして仲間を思いやる心――か。それに俺もあてられてしまっているよ)
果敢に自分に向かってくる光男を見て、黒斗は微笑ましい気分になってしまう。
(でもいつまでもこうしているわけにもいかない、か)
ある程度光男の攻撃を受けきった後、黒斗の側からも攻撃を仕掛けた。多少手加減して。
「あうう……」
黒斗から嵐のようなラッシュを仕掛けられ、光男は目に見えて余裕を無くし、防戦一方になる。
やがて黒斗の拳が光男の鳩尾に決まり、光男は腹を抱えて蹲った。
「やめろ」
構成員達が再び銃を構えるのを見て、黒斗は静かに制する。
「殺さないでおいてやる。潔くお縄につけ」
言いつつ黒斗は、光男の健闘を称えるように、その頭を撫でてやる。その光景を見て、構成員達も戦意を失くし、銃を下ろした。
「あ、ありがとうございます……げほっげほっ」
涙を流し、反吐を吐きながら、黒斗に礼を述べる光男。
「お前がボスなんだろ。だったら放送室に来て、お前の部下皆に、戦いをやめるようにアナウンスしろ。もうそっちに勝ち目はないからね」
「わ、わかった……」
黒斗に命じられ、光男は承知して、ふらふらと立ち上がった。
***
(こいつにはぜえぇぇっっっったいに負けない! 私の仲間達を苦しめて、死地にまで追いやったこいつは、例えどんな事情があろうが許せない! 私の手で殺してやる!)
剣持を意識する度、香苗の中では激しい怒りが渦巻く。面と向かった今となっては、さらに顕著だ。一秒でも早く殺したい。
「お前は可愛くないけど、思う存分に壊してやるっ」
普段抑えている破壊欲を解放できる相手と認識し、香苗は喜悦を覚えながら、剣持に襲いかかる。
「ふん、可愛くない女に言われてもな」
「ブッ殺す!」
剣持に可愛いなどと言われたくはないが、それでもこうはっきりと言われると、ムカっ腹が立つ。
香苗の両腕からピンクに光る刃が一斉に飛び出す。剣持の両手にゼラチンが溢れる。
二人が同時に前方に手をかざす。
増殖するゼラチン。空中を乱舞して全てを切り裂く無数の光の刃。
刃はゼラチンを突き抜けて剣持に襲いかかる。
ゼラチンは刃で切り裂かれても、それ以上の増殖を展開し、香苗に覆いかぶさる。
二人は同時に横に動いて互いの攻撃を避け、互いにお見合い状態になる。
「死ね!」
香苗が怒りに顔を歪めて叫び、拳を繰り出す。拳の指と指の間からピンクの刃が飛び出る。
剣持は身をかがめ、香苗が放った刃をくぐりぬけるようにして、香苗に抱きつかんばかりに密着した。
(不味い……)
それが何を意味するか、香苗にわからないわけがない。
(殺れる)
剣持がほくそ笑み、超至近距離からゼラチンを放出する。
だが、香苗の驚くべき変化に、剣持は攻撃の手を止めた。
香苗の顔面が左右に開いたのだ。顔の横側に切れ目が入り、まるで扉か蓋が開くかのうように、ぱかっと。
開いた顔面の奥から、ガラスの突起のようなものがせり出してくる。剣持は危険な気配を察し、ゼラチンで攻撃するのではなく、盾扱いしつつ、回避を試みる。
香苗の顔面からレーザービームが照射される。手にも組み込んであるが、霧崎に頼んだバージョンアップで、顔面にも組み込まれた。威力はこちらの方がずっと高いうえに、顔面が開くという事で、相手を驚かせる効果もある。
ゼラチンが焼き払われる。回避の遅れた剣持の左腕を焼き切られて、肘から先が床に落ちる。
「ひどい改造をされたもんだな……。頭部はどうなってるんだ?」
「知らないし、あまり知りたくもない」
剣持が脂汗を滲ませて揶揄するのに対し、香苗は開いた顔面を手動で元に戻しながら、げんなりした口調で言った。
『安楽警察署に攻め込んだ肉塊の尊厳の皆っ! 戦いはもう終わりだっ! 今すぐ降参してっ! 今すぐ降参すれば許してくれるって、芦屋さんが約束してくれたからっ! もうこっちに勝ち目はないよっ! これは肉塊の尊厳ボスである僕の命令だからねっ!』
その時、署内アナウンスから聞き覚えのある声で、降伏の命令がなされた。
「ボスはああ言ってるわよ?」
にやにや笑いながら香苗。無論、剣持が従うはずがないのはわかっている。
「あの無能が! 勝手なことを!」
剣持が怒りのあまり、顔のあらゆる筋肉をぴくぴくとひくつかせて毒づく。
「ま、お前は例え降参しても、光男に頼まれても、私に許す気はない。世界中の人間に懇願されても許す気は無い。誰が何と言おうとこの場でブチ殺すわ」
「やってみろ……」
戦いを再開する両名。
今度はゼラチンではなく、銃を用いてくる剣持。撃ちながら後退し、距離を取る。
(はっ、露骨に何か狙ってやがるわ)
弾をかわすことなく、両手で生身の部分だけをガードしつつ、香苗はそう判断する。
香苗はすぐに間合いを詰めることなく、ゆっくりと剣持の後を追った。
(ああ、そういうことね)
足元に異質な感覚を覚え、香苗は剣持の狙いを察知し、鼻で笑った。
そのまま罠を承知で接近すると、足元から大量のゼラチンが噴き上がり、香苗の体を覆う。
剣持はゆっくり後退しながら、足元に平面状にゼラチンを垂らしておいて、香苗がその中心部に来た時を狙い、爆発的に増殖させたのだ。
香苗は見抜いていたので、全く慌てることは無かった。
剣持がほくそ笑むが、その笑みはすぐに凍りつく事になる。
ロケット噴射で、ゼラチンに覆われる直前に突破した香苗が、剣持の横を抜けて、背後にまで回っていた。
(一度お前の前でこれは見せてたろうに、そいつを忘れるとか……アホな負け方)
嘆息と蔑みを込めて、剣持の背中からピンクの光の刃を突き刺す。
「がはっ!」
口から血と空気と声を吐き出し、苦悶と怒りがないまぜになった表情で、自分の腹から突き出た光の刃を見下ろす剣持。
勝負は決まった。剣持は再生能力が無いし、ゼラチンで出血を止めるくらいはできるが、内臓の深刻な損傷はどうにもならない。
香苗が刃を引き抜くと、剣持の体が横向きに崩れ落ちた。
「私は負けてない。でもお前は負け。もうこれで死ぬんだから。お前の我は通らない。通すのは私の我。悔しい? ざまーみろよ」
ここぞとばかりに罵る香苗。Sっ気があるとはいえ、普段は敗者にこのような言葉を投げかけるようなことはしない。しかし剣持だけは話は別だ。生涯の中で、これほど憎み、怒りを覚えた人間は他にはいない。
「ああ、悔しいともさ。結局俺は……何をしても駄目だった。俺の望みは何一つかなわない……。ひどい話だ……」
剣持が掠れ声で、自己憐憫を口にする。
「お前の過去がどうだろうとね、他人を傷つけていい権利なんてないわ。お前の理想がかなわない現実でもね、その現実と折り合いをつけて明るい道に進むことだって、できたはずなのよ。救いの手が差し伸べられていても、お前はどうせ気付かなかったか、無視したかのどっちかでしょ。いずれにせよアホ!」
死にゆく者に容赦ない香苗であったが、自分が後味悪くならないために、少しだけ情けもかけておくことにする。
「来世ではもう少し……人を見ることね。誰からも背を向けて、一人で生きて、人の心に触れようとしなかったから、そんなことになったのよ」
「うるさい……」
毒づく剣持であったが、香苗が急に優しくなった理由を見抜いて、笑っていた。そしてそのまま笑いながら絶命した。
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