第三十七章 30
「私は一匹残らず皆殺しにせよと命じたはずだ! 我々にも相当の被害が出ている! それなのにどうして降参したら許すなど、そのような約束を勝手にしたのだ!」
鎮圧した後で、生き残った肉塊の尊厳の構成員達をあっさりと解放したという報告を受け、雫野春雄署長は怒髪天を衝く勢いで怒り狂った。
「芦屋警部補の指示です。適切だと自分は思います。そうすることで無用な争いを避け、犠牲を抑える事ができるのですから」
「むぅぅぅ……」
部下の報告を受けて唸る春雄。
「彼等は首謀者である剣持幸之助に恐怖で縛られ、否応無しに戦わされていたようです。彼等は竹田巡査部長のかつての同胞ですから、竹田巡査部長としては殺したくはないでしょう。何より、もう危険は無いと判断されたようです」
「そうか。ならば問題無し!」
現場の刑事がそう判断したなら、全て信じて任す雫野春雄署長であった。
***
肉塊の尊厳による安楽警察署襲撃は、光男の降伏により終結した。
双方の犠牲者がロビーに集められて並べられる。警察官達は、まだ生きている肉塊の尊厳の構成員達に、憎悪の視線を向ける者もいる。
「銀……二……」
重体の銀二の前に連れていかれた光男は、愕然として倒れた銀二に抱きついた。
「おお……光男、無事でよかった。最期に会えて……もっとよかった……」
麻酔の効果で苦痛は無い。銀二は晴れやかな笑顔を光男に向ける。しかしその顔色はひどく、明らかに死相が浮かんでいる。
「竹田さんがいて光男がいて、離れていった奴や死んじまった奴等もいたあの頃……あの時……一番楽しかったなあ。輝いていた時代だった。あの時に……戻りたいな……。光男はそう思わないか?」
「思うっ、超思うっ」
穏やかな笑顔で話す銀二に、光男はぐちゃぐちゃの泣き顔で頷く。
「光男……お前は俺達の救いだった。お前がいたから、俺達はあの暗い世界でも、頑張れたんだ……。お前は俺達の……太陽だった……。お前を守れて、俺は……」
「銀二ぃぃぃっ! うわあああぁあんっ!」
身も世もなく泣き喚く光男に、生き残った肉塊の尊厳の構成員達も涙を誘う。
「銀二……逝ったのね」
剣持との戦いを終えてロビーへとやってきた香苗が、銀二の死を悼む。
「銀二、お前のおかげで……剣持を倒せたわ。いや、違うか……お前がくれたチャンスを私が活かせなかったせいで、お前を死なせ、こいつらも死なせ、署の皆も……」
「そういう考え方はよせ」
震える声で語りかける香苗の言葉を、梅津がやってきて遮る。横には真と李磊もいる。三人共ひどい負傷で、包帯でぐるぐる巻きだ。
「全部剣持が悪い。それでいいだろ」
「まーね」
梅津の言葉に、香苗は憑き物が落ちたように、和やかに微笑んだ。銀二も浮かばれない。
「自分達は……皆殺されますか?」
肉塊の尊厳構成員の一人が、香苗にすがるような視線を向けて不安げに訊ねる。
「首謀者の剣持は殺した。お前達が剣持の意思を継ぐとも思えないし、お咎めは無しよ」
香苗が断言する。
「それは……警察内でそういうことに決まっていたんですか?」
「違う。今、私が決めたの」
「そんなんで……通るんですか?」
「通らなかったら、私も警察の敵に回ってお前らを守ってあげるから、安心していいよ」
信じられないといった面持ちで訊ねるかつての部下に、香苗は不敵な笑みを浮かべて告げる。
「悪いことをした僕を捕まえないの?」
泣きやんだ光男が不思議そうに訊ねる。
「法は犯したかもしれないが、お前は俺の機嫌を損ねてないんでな。ま、ムカついている奴は結構いるだろうがよ」
未だに疑っている光男に問われ、梅津が笑顔で答える。
「普通の警察ならな、法を犯した犯罪者は、何が何でも捕まえなくちゃならないんだろうさ。罪と罰、国家の治安、警察の体面、いろいろあってな。しかしうちら裏通り課は違う。今危険な奴だけを捕まえる。どんなに大量虐殺した屑だろうと、そいつに危険性が無くなったのなら、もう捕まえる必要は無い。罪と罰は神様にでもお任せしとけ」
そこまで喋り、梅津は煙草を取り出して口に咥え、火をつける。
「うちらの仕事は害獣駆除に近いんだ。害獣に罰を求めても仕方がない。今現在進行形の危険の排除だけ、必死になればいい。その辺の割り切りができないようなら、裏通り課はやめておけって話になるしな」
「君等を生かしておくのは、今後大きな貸しであるし、枷でもあるぞ。次からはうちらのために役立ってもらう。ま、竹田の面子を立てるって意味もあるけどね」
梅津の台詞の後に、黒斗が補足した。
「そもそも俺だって竹田と同じく元裏通りの住人だし、悪いこともたっぷりしてるぞ。法に照らし合わせれば、間違いなく死刑だろうよ。死刑じゃ償いが足りないくらいだから、こんな仕事しているとも言えるが」
渋面になって梅津が告白する。
「それにね、自己弁護するわけじゃないけど……」
香苗が口を開く。
「悪いこといっぱいしてその後改心した奴ってのはね、普通の人間よりずっと世の中の役に立つケースもある。そいつがいることで、救われる者が現れることもあるのよ。絶対に罪人を許せない、報復しないと気がすまないってんなら――警察や法が頼れないってんなら、罪人への報復は警察や法に甘えず頼らず、自分でやっとけばいいわ。できないんなら、黙ってしょぼくれてりゃいいのよ」
香苗のその言葉を聞いて、梅津はますます渋い顔になる。
「竹田はちょっと言いすぎだがな……。それじゃあ力の無い者は、泣き寝入りしなくちゃならねーのかっていう話になっちまうだろ。その考えは改めた方がいいぞ」
「ああ……そういえばそうね。失言だったわ」
梅津に注意され、香苗は非を認める。
「竹田さん、僕ね……」
涙をぬぐい、光男が香苗を見上げる。
「剣持さんともちゃんと仲間になりたかった。僕達を助けてくれたのは本当なんだ。だから……普通に仲良くしたかったよ。そうなればいいって、いつも思ってたのに……そうなれば、こんなことにならなかったのに、どうして……」
光男のその台詞が、先程香苗が剣持に向かって言い放った台詞を思い起こさせる。
(ほら見ろ。救いの手は近くにあったのよ、剣持。お前が気付かないアホだっただけ。そういう奴はとっとと負けてくたばった方が、世のため人のため、そして本人のため……)
剣持は殺さない限りは救われなかったし、あのまま生きていてはいけない存在だったと、つくづく思う。
「どうにもならないことがある。どうしても負けることもある。剣持はどうにもならない屑だったし、負けるしかない運命だった。そう割り切るのよ」
「そんなの悲しいよ……」
「悲しいから何だっつーの。負けないために、その悲しさを飲み込むのよ。それが大人になるってことなの」
「わかった……」
香苗に厳しい口調で諭され、光男は再び溢れそうになった涙を隠すように、ごしごしと両手で顔をこすった。
「真達もおつかれさままま」
香苗が満身創痍の李磊と真に向かって声をかける。二人とも床に尻餅をついてへばっている。相当激しい戦いであったことは、二人の疲れきった顔から伺えた。
「夕月の話ではアドニスがまだ生きていて、監禁されているらしいから、解放してやってくれ」
「わかったわ。光男、案内してね」
「うんっ」
真の要望に頷き、香苗は光男の頭に手を乗せる。
「俺の頼みも聞き入れてもらえるんだよね?」
「マフィアのボス張浩然の身柄だろ。わかってるよ。そっちで拘束する手筈が整ったら、すぐに引き渡す」
李磊の確認に、梅津が答えた。
「これでようやくこの件も解決か。中々ハードだったわ」
大きく息を吐き、胸を撫で下ろす李磊。
「久しぶりに一緒に戦ったわりには、呼吸が合ってたな」
真が李磊の方を向いて言う。
「相性ってもんがあるよ。真はサイモンのことを慕ってたが、たぶんお前さんは、俺や新居とのコンビの方が相性いいよね」
「李磊はともかく、あいつとは御免だ」
心なしか憮然とした面持ちで言う真の横顔を見て、李磊はにやにやと笑っていた。
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