第三十七章 27

(梅津を倒したのか……)


 真は夕月を見て、明瞭な恐怖を覚えていた。首筋の毛が全て立っている。気を抜けば手足が震えそうになる。最初に会った時と同じだ。


『コイツトハタタカッテハナラナイ』『キケン』『シヌ』『ゼッタイカテイナイ』『ヤバイ』『ニゲロ』『コロサレルゾ』『ボクヨリツヨイ』


 本能が全力で真に訴えている。戦闘の拒否を。一目で恐るべき実力とわかるが、梅津を倒した事実もまた恐怖の上乗せになっている。梅津は明らかに自分より強いからだ。


(いつもより光の帯が少ないぞ。それに……途切れているものが幾つも……)


 一方で夕月も、真と李磊と向かい合い、これまで以上に油断ならない相手と認識していた。


 真は高速で頭を回転させる。この恐るべき敵に勝利する方法を――戦って生き延びる方法を探る。

 ふと、修の話を思い出す。


『夕月は感覚的に、予知能力めいたものを持っている。相手の攻撃と防御のパターンが先読みでき、それに対応して最善の動きが出来る』


 さらに、純子の言葉を思い出す


『リアリストな人ほど容易いものはないんだよねえ。想像力に欠け、既成概念という鎖に縛られ、固定観念という首輪をつけられた奴隷タイブが多いからさあ。狭い視野の範囲外から攻められると、脆弱さをさらけだすし、教科書に無いことに弱いっていうかー』


 そして尊敬する傭兵、サイモン・ベルの言葉を思い出す。


『俺はスポーツって奴が大嫌いだ。しかしルール無用の殺し合いなら、ありとあらゆる方法を考えて、勝負に臨める。そう、生まれつきの才能やらガタイだけで決まっちまうような、スポーツなんかより、ずっと幅のある勝負ができる』


 思い出したくなかったが、尊敬しない傭兵の話を思い出す。


『経験則は大事だが、やたらと経験則ばかりあてにしているような奴は、逆にちょろいわ。そいつは経験するまでは、経験した事もない、見た事もないものに適応できない阿呆ってことだからな』


 それらの記憶や情報から、真の得意手に結びつける。真は奇襲や不意打ち、相手をひるませるこけおどしの類を恥じらいもなく使う。それどころか好んで使う。それらは自分より格上の相手との戦闘の勝率を上げるものだ。今までそうやって真は、自分より明らかに強い相手と戦い、生き延びてきた。


「ちょっとタンマ」


 夕月の方に向かって片手をかざして真が言った。


「タンマって……お前も新居の影響受けてそうだね」

 李磊が笑う。


「悪い冗談だ」


 夕月が動かないのを確認しつつ、真は李磊に近づいて顔を寄せる。


「これは僕一人では勝てそうにない……。もちろんお前も」

「いやー、二人がかりでも怪しいぞ。芦屋の到着を待った方がいいんじゃないかな?」

「それまで敵は待ってくれそうにないし、逃げられる保障も無い。逃げるにしても戦うにしても、いちかばちかになる。だったら戦う道を選ぶ」

「相変わらずなやっちゃ。俺だったらその二つになったら逃げる道を選ぶけどね。しかし……口論している暇も無いし、お前さんを説得できる自身も無いから、合わせてやんよ」


 まんざらでもない顔で、李磊は真に向かって拳を握ってみせる。


「チャンスは一度きり、一瞬だけだ。上手く僕に合わせて気の塊の弾で攻撃してくれ」

「お、おう……よくわからんけど、自己判断でいいのね?」


 真から非常に曖昧な指示を受け、李磊はちょっと引く


「信用してる」

「うわーい、そういうの苦手なんだよね。プレッシャーかけてこないでほしい」


 真と李磊が夕月へと向き直る。


「作戦会議は終わったか?」

 夕月が問う。


「余裕ぶって待っててくれてありがとうと言っておく」

「最高のコンディションと、練った作戦の全てをぶつけて俺にかかってきてもらいたいからな」

「その結果死ぬことになるかもしれないのにか?」


 真のその言葉に、夕月は微笑をこぼす。


「むしろそれが望みだ。俺は戦いの果てに死にたいんだ。俺自身も死力を尽くしてのうえで、自分より強い奴と戦ってな。お前達は俺のその望みを満たしてくれるか?」

「僕はそんなの御免だな。それは負けて死ぬってことだ。一番嫌な死に方だ。僕は畳の上で大往生するよ」


 以前にも何度か真は、この台詞を口にしている。もう何度目か自分でもわからない。


「む? この世界で生きていて、そんな発言をするなどとは……理解しがたい奴だな」


 不可解なタイプだと、夕月は真を見て思った。裏通りで生きる者――特に荒事を生業にする者は、形は違えどニヒルさを備えているし、まともな死に方など望んではいない。死を受け入れ、覚悟している者ばかりだ。それなのに、真はそれを否定している。


「僕にはお前が理解できない。今日のために明日を捨てる人種とは、わかりあえない。僕は明日のために生きるタイプなんでね」


 そこまで言ったところで、真がナイフを抜く。


「そうか」

 夕月が剣を構え、腰を落とす。


 真が夕月めがけて走る。夕月は――今回は自分から前に出ようとはせず、迎え討つ所存であった。後方にいる李磊を警戒している。

 自分の体から光の帯が伸びるのを、夕月はしっかりと確認した。真に向かって伸びる複数の光の帯。それらに合わせて自分は動けばいい。それで勝負はつく。それが見えた時点で、もうこの勝負は決まったと夕月は心の中で断ずる。


 夕月が真に迫ったその瞬間にタイミングを合わせ、李磊は腹の前でもって、両手でお椀を持つようなポーズを取り、気孔塊を放った。夕月に対してではなく、真の背に向けて。

 真の体が夕月の攻撃の制空権に入る直前――夕月から見える光の帯が届く直前に、真は背中に気孔塊を食らい、その小柄な体が大きく前方に吹き飛ぶ。この動きは完全に夕月の予想を超えていた。夕月が見える光る帯の道からも逸れていた。いや、その瞬間見えていた光の帯が全て消失した。


 夕月の剣の軌道から激しくズレた場所を吹っ飛ぶ真。夕月の横をただすれ違って、夕月の後方へと着地する。

 後ろから撃たれると思い、振り返るより前に左へと跳んでから、振り返る夕月。


(取った……)


 真がほくそ笑み、口の中で呟いた。李磊は久しぶりに、そして夕月は初めて見る真の笑み。


 真はナイフを手にしてはいたが、構えていなかった。ナイフを右手に持ったまま、両手首を顔の前に掲げて交差させている。


 この時ようやく、夕月は気がついた。自分が持つ剣に、異質な感覚がある事を。常人なら間違いなく気がつくことはないが、剣を振り続けた夕月にはわかった。糸一本の絡まる重量分の変化を。


(李磊のアシストがあったからこそ、可能だった。僕一人では無理だったろう)


 そう思いながら、真が交差した両手を一気に引いて開く。吹き飛びながらすれ違う際、夕月の剣に絡めた超音波震動鋼線に、力が加わる


「む……」


 加わった不可思議な力に、夕月は反射的に腕を引いて抵抗する。このごく当たり前の抵抗する動きが、全く逆作用――正確には反作用として働いた。


 超音波震動鋼線によって、夕月の剣の刀身が切断された。

 刀が床に落ちて乾いた金属音を立てる。柄から残っている刀身は三分の一程度だ。半分の長さも無い。


(やったっ)


 声に出さず喝采をあげ、拳を握り締めて歯を見せて笑う李磊。梅津も安堵した。これで相当な戦闘力低下になるのは間違いないと。


 しかし梅津と李磊は気付いていない。見えていない。知りもしない。夕月の闘志がいささかも衰えていない事に。夕月の表情に変化が無い事が。夕月の武器が剣だけでは無いことを。


(それで勝ったつもりでいるか? ここはむしろ……俺の勝ち筋だ)


 間違いなく油断していると思われた真に、夕月はさっきを最小限に抑えつつ、剣の柄を向け、柄にあるスイッチを押した。

 剣の柄に仕込んであった銃。使うのは久しぶりである。夕月がこれを使ったのは、今回も含めて、片手で数えるほどしかない。


 銃声を聞いて、李磊の笑顔が凍りつく。梅津も驚愕に目を見開く。

 硝煙が漂う。撃ったのが夕月であることは、李磊も梅津も理解している。


 夕月の表情が強張った。真は――まるで夕月が仕込み銃を撃ってくるのを予期していたかのように、あっさりと銃撃を回避していた。

 いや、実際予期していた。知っていた。


「虹森流剣術の切り札……僕は知っているんだ。悪いな」


 過去に修と共闘した事があって、その際に目撃している真であった。


「全ての人間は常に淀みを帯びている。淀みに犯されている」

 夕月が唐突に語りだす。


(淀み……?)

 訝る梅津。


「迷い、躊躇い、恐れと言ってもいいか。誰もが常に集中しきれない状態だ。しかし時折、その精神状態によって、淀みが消えうせて、心がクリーンに透き通った状態になる。お前達も経験があるんじゃないか?」


 何故そんな話を夕月がしているか誰にも理解できなかったが、とりあえず何か語りたいらしいし、話そのものにも興味を抱く。時間稼ぎをしている気配も無い。


「ゾーンに入るって奴か?」

 李磊が問う。


「どうかな? その言葉は安っぽく使われすぎているし、多分俺が語るものとは微妙に違う。もっとクリーンな状態だ。もしそのクリーンな状態を常時維持できたらどうなるか? その答えが――俺だ」


 剣を持った手の親指で自身を指す夕月。


「そういう状態になった人間は非常に強い。完全なる集中。恐れも迷いもなく、最善手をタイムラグ無しに実行するからな。どんなジャンルでもそうだ」

「つまり――僕等にもそうなれと?」


 真が訊ねる。


「うむ。俺と同じ領域に来られない者は、俺には絶対に勝てない。いや……それは言いすぎか。せめて俺と――」


 喋っている最中に、真が撃った。


「身も蓋もないね」

 李磊が笑うが、その笑みが凍りつく。


 真の銃弾を回避した夕月は、近くにいる真ではなく、李磊の方へと向かってきたのだ。


(余計なアシストをする俺から片付けようというのか。堅実だね。俺と一脈通じるかもな)


 迫る夕月を見やりつつ、李磊はそう思って、何故か笑みがこぼれる。


 夕月の剣が閃くその瞬間を狙い、李磊は気を練り、夕月めがけて放射した。

 夕月の勢いは若干衰えたが、刀を振る手が止まることは無かった。


 上段から刀が振り下ろされ、李磊の頭部をかすめる。夕月の体も至近距離からの気孔塊を食らい、大きく後方に吹き飛ぶ。

 頭部から激しく出血する李磊。斬りつけられた傷そのものは浅いが、傷の範囲が広く、頭部は傷がつくと血が派手に噴き出る。それに斬撃よりも、殴られたような打撃の衝撃も同時にあって、そちらの方が厄介だ。


 吹き飛ばされた直後の夕月を狙い、真が銃を撃つが、夕月はそれを予測していて、大きく床を蹴ってかわし、同時に立ち上がる。


「李磊!」


 真が叫ぶ。出血がひどく、真の目からは殺されたかのようにも見えた。


「だ、大丈夫……。大丈夫じゃないけど……大丈夫」


 李磊が真の方に手を上げて、弱々しく言う。ダメージは深刻だが、命に別状は無いし、戦えるという事を伝えたい李磊であったが、そんな言葉しか出てこない。頭がくらくらしている。


(いや、戦うのも無理か。脳震盪だ。景色が歪みまくって……)


 頭を押さえ、李磊は夕月を見る。自分にとどめをさそうとはせず、真の相手をしている。


 夕月は真の銃撃をかわしつつ、あっさりと真に迫る。

 真はナイフで応戦しようとしたが、折れた剣で振り払われると、真のナイフが吹っ飛んでいった。ナイフを握っていた真の指も、人差し指から小指に至るまで四本、切断されて吹っ飛んでいる。


(今は……堪えろ。俺は今、とてもじゃないがアシストはできない)


 夕月が真に猛然と襲いかかる様を見つつ、李磊は祈るかのように、口に出さず真に訴える。


 しかし真は果敢に立ち向かおうとしている。斬られた片手の指から噴き出る血で目潰しを仕掛けたが、あっさりと夕月に避けられる。避けた直後を狙って、銃を撃つがこれも軽々とかわされる。


(馬鹿……。今、そんなに飛ばすな。もう少し待てよ)


 頭に気孔をあてて、大分視界がはっきりしてきた李磊が、真を見て歯噛みする。


「真、基本に返れっ! 守る時は守るんだっ!」


 堪えきれずに声をかけてしまった。夕月にも伝わってしまう。


「愚かしいな。守りに入ったら、ひたすら攻め込まれるだけ。守る姿勢を露骨に見せてもな」


 夕月が動きを止め、呆れたように吐き捨てる。


「真、思い出せ。お前が俺らと一緒に戦場にいたのはたった半年程度だが、その間、濃い学習期間だったろう? 習ったことは沢山あったろう?」


 李磊の台詞を聞いて、真は嫌でも記憶を掘り起こされた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る