第三十七章 26

 剣持も夕月同様、単独で警察署内をうろついていた。

 とりあえず目に付いた警察官は、次から次へと殺している。特に戦闘力の高い者には未だ会わなかったが、ようやく骨のありそうな敵と遭遇する。


「この裏切り者が。ここで終わらせてやる」


 地の底から響くような声を発し、剣持の前に立ちはだかったのは、身長2メートルを越す少年課の巨大婦警、佐治妙であった。


 剣持が妙の額に向かって銃を撃つ。甲高い金属音が響く。


「鉄板なんて入れたのか」

「そういう奴がいたんで真似してみた。体内にも防弾繊維を入れてある」


 剣持の言葉に対し、妙が言う。


(つまり銃弾で殺すのは至難ということだな)


 出し惜しみせず、能力を用いる事を決める剣持。


 妙は力任せに突進してきた。打撃や斬撃の通じづらい体でもって、この巨体での突進は、馬鹿にはできない。

 妙が目前まで迫った所で、剣持が手をかざし、前方からゼラチン状の半透明のものを溢れさせた。


「むっ!?」


 警戒して立ち止まろうとした妙であったが、遅かった。


 大きく拡がったゼラチンに包まれる妙。中から必死に腕を振るい、ゼラチンから逃れようとする。スライムではなくゼラチンなので、千切られたらくっつくことはないが、増殖スピードがかなり早いので、一度取り込まれたら、脱出は困難と思われた。

 剣持自身、この能力はかなり厄介かつ凶悪だと思っている。特に近接戦闘を挑む者にとっては悪夢のような代物だ。


 ゼラチンから大量の溶肉液が分泌される。ゼラチンの中で必死にもがいていた妙だが、やがてその動きは鈍くなっていく。表面から、皮膚が、肉が次第に溶かされていき、顔も手も筋肉や神経や血管が露出し、髪の毛も全て溶けて、やがては頭蓋骨が露出し、動きが止まって崩れ落ちた。


「裏切り者だと? 先に俺の心を裏切ったのはお前達だろうが」


 瞋恚に燃えた眼差しで溶けた骸を見下ろし、冷たく言い放つ剣持。


「おやおや、部下に戦わせて自分は後方待機じゃなかったんだ」


 そこに聞き覚えのある声がかかった。


「竹田か。少し遅かったな」


 剣持が振り返り、香苗を見て歪んだ笑みを浮かべる。


(妙さん、遅れてごめん……)


 目を背けたくなるような無惨な骸と成り果てた妙を一瞥し、香苗は声に出さず謝罪する。


「これは俺の戦いだ。俺が戦わなくてどうする」

 静かに言い放つ剣持。


「お前は戦いから逃げた女。無様な逃亡者にして敗北者だがな。お前がやたら負けだの勝ちだの負けだの負けだの負けだのにこだわってた理由は、その敗走の記憶があったからだろう? 勝ち負けを気にして、実際に負けの意識ばかり気にする。それは軽口でも何でもなく、トラウマなんだろう?」


 剣持の嘲りに満ちた指摘を、香苗は黙って聞いていた。間違ってはいない。


「お前の逃げた結果が今のこの有様だ。肉塊の尊厳は、俺が新たに雇ったお前の知らない構成員よりも、かつてのお前の仲間の方が多い。そいつらも全部連れてきた。そしてお前の今のお仲間に、どんどん殺されている。実に笑える構図だな? どんな気分だ? 満足してるか? これは全て――竹田、お前が招いた始末だ。お前が逃げ出して投げ出したからだ」

「そうね」


 苛立ちを覚えながらも、香苗はあっさりと認めた。事実を指摘された怒りや、剣持の所業に対する怒りというより、もっと別な苛立ちがあった。


(この糞野郎に調子こかせているのがムカつくわ。でもそれでいい。このムカつき、そっくりお返ししてやる楽しみが出来たから……)


 そう思い、香苗も剣持同様に歪んだ笑みを浮かべる。


「可哀想な光男達。慕っていたボスに見捨てられたうえに、最後は殺される。本当に最悪の女だな、お前は。こんな最悪極まりない奴、そうそう御目にかからんぞ」

「最後のはちょっと余計かな。的外れだしさ。今のであんたの負け。私はあいつらを守るつもりでいる」


 力強く言い切る香苗に、剣持は呆れた。


「守る? もう殺されまくってるぞ。無理だな。それとも光男だけでも守るか?」

「一人でも守れば私の勝ちだと思ってるし、あんたの負けだから」

「無茶苦茶だ」

「お喋りはもういい? 言い合いもあんたの負け。マウンティングしたいんならもうちょっと頭ひねれ。私はね、あんたの言うことから、目を背けてはいないんだよ。全部自覚済みなことをわざわざ言われて、それがどーしたっつーの」


 香苗が笑い飛ばすと、剣持の顔から笑みが消える。


「思い通りにいかなくて残念ね。ま、もう何一つ、あんたの思い通りになんてなりゃしねーから」

「いいや……俺の思い通りにいく……」


 憎悪を込めて宣言すると同時に、剣持は殺気を膨らませた。


***


 銀二は部下二人と行動を共にしていたが、すでに二人共部下は殺されてしまった。

 今、部下二人を殺した刑事一人と撃ちあいをしている。形勢は明らかに不利だ。


 銀二の相手は松本だった。遭遇したのが三人とあって、松本も最初は少しぎょっとしたが、落ち着いて戦った結果、銀二一人にまで追い詰めることができた。

 すでに銀二は半ば混乱し、動きが怪しくなっている。あっという間に二人を片付けた手練が相手だと意識し、今、この場で自分も殺されるヴィジョンしか見えない。


 やがてその時はやってきた。

 銀二めがけて撃たれた二発の銃弾が、二発とも防弾繊維を貫いて腹部を直撃する。


 うつ伏せに倒れる銀二。


 想像を絶する衝撃の後で、想像を絶する苦痛がやってきた。

 死の恐怖、自己憐憫、絶望、後悔――様々な負の感情が渦巻き、涙があふれ出る。


(どうしてこんなことになっちゃったんだ……)


 逃れられない死を実感しながら、己の運命を悔やむ。悲しみが一気に噴出する。


「嫌だよう……。こんな所で……死にたくないよう~っ。こんな人生の終わり方、嫌だよぉ~」


 身も世も無く泣きじゃくりだす銀二を見て、松本ははっとする。自分が人を殺したということを強く実感してしまう。

 松本は今までにも幾度も戦闘を行い、何人も殺してきた。人を殺したことで心が痛んだ事は今まで無い。殺しあいという対等の条件の結果であるからだ。今もそうだ。心を痛める必要など無いはずなのに、己の死を嘆いて泣きだす銀二を見て、ひどく胸が痛む。 


「死ぬ覚悟も無しに、何しに来たんだよ。死にたくなけりゃこんなことするなよ」


 顔をしかめて言い、松本がとどめをさそうと銃口を銀二に向ける。


「待って」

 松本の後ろから制止がかかった。


「大日向さん……」


 現れたのは少年課の大日向七瀬だった。松本の脇を抜け、銀二の側でしゃがみこみ、手当てをしだす。


「もう無理ですよ、その傷では……」


 思わずそう言った松本であったが、自身の発言を、言わなければよかったと後悔した。


「そうかもしれませんね。でも、彼の心は救うことができます」


 七瀬が柔らかな声で言い、銀二に麻酔薬と鎮静薬を注射する。


(この人が菩薩の大日向……か。噂には聞いていたけど、なるほど、確かに菩薩だ)


 七瀬に膝枕をしてもらいながらその顔を見上げ、痛みが引き、心が落ち着くのを感じながら、銀二は漠然とそんなことを思っていた。


***


 ロビーには童貞と処女の警察官が集い、童貞戦士ドウテイダーとなった光男と抗戦していた。


 ヒーロー系マウスであるがため、身体能力もかなりの向上がなされているが、いかんせん、十三年前に作られた旧式ヒーロー系マウスであるため、純子が手がけた現在のヒーロー系マウスに比べると、様々な点が見劣りする。その中でも一番顕著なのは、持続力だった。

 徒手空拳で戦い、ロビーにやってきた警察官を気絶させた光男は、すでに息があがっていた。ここで敵が来ると不味い。


「光男さんは休んでいてください。敵が来たら俺達がやりますので」


 チェリー空間の中でも動ける童貞構成員達が、肩で息をしている光男を見かねて申し出る。


「ありがとうっ。少しだけ休ませてもらうねっ。でも無理しないでっ。絶対に死んじゃだめだよっ」


 光男がバイザーを上げ、部下達に眩しい笑顔を見せる。


「一人も殺してないのか」


 いつの間にか非常階段に佇んでいた人物が声を発し、光男と肉塊の尊厳の構成員は驚いて、非常階段の方を見る。そしてさらに驚くことになる。

 異常な背の高さの美女。いや、女装の刑事。これだけで裏通りに知らぬ者はいない、生ける伝説の一人。警察の最終兵器。最強の――


「すごいっ、芦屋黒斗も童貞だったんだねっ」


 肉塊の尊厳のメンバー達が慄く中、光男は全く物怖じせずに、嬉しそうな笑顔で思ったことを口にした。

 そこかしこで失笑が漏れる。ドウテイダーの力で無力化されている警察官達も、何人か笑っている。


「俺の趣味を理解してくれる人と巡り会うのって、中々ハードル高いだろ?」


 黒斗も微笑をこぼして、光男を見る。特に腹を立ててもいないし、嘆いてもいない。


「ボス……芦屋と戦うのは……」

「うん、わかってる。僕じゃあ、かないそうにないっ」


 心配げに声をかける部下に、しかし光男は気合いの入った声でそれを認め、黒斗と対峙してファイティングポーズを取る。


「時間稼ぎするから、皆は逃げてっ」

「それなら一緒に戦いますっ」

「ボスの護衛がボスを劣りにして逃げるとかないでしょ」

「光男を見殺しになんかできるかっ」


 光男の後方で部下達も銃を構える。


「そういうの、好きなんだけどねー。人の家に攻め込んでそんなことやられてもな」

 黒斗が溜息混じりに呟く。


「好きでこんなことしてるんじゃないっ」

 光男が叫ぶ。


「そっか。まあ……主義には反するけど、竹田に恨まれたくもないし……」


 自分に向かって言い訳をすると、黒斗はゆっくりと光男に向かって近づいていく。


 光男が黒斗に向かって駆け出し、構成員達が一斉に銃を撃った。


***


 いくら十分なサイズに巨大化できない屋内とはいえ、裏通り課課長が殺されたという事実に、梅津は驚きを隠せなかった。巨大化能力も込みのランキング三位とはいえ、屋内でもかなりの強者である。


「梅津光器か。お前が殺し屋をしていた時、一度会っているな」

「覚えていたのか。一緒にチンケな仕事をしてたっけかな。すぐに終わったし、あまり感慨深い思い出も無いが」


 その頃は虹森夕月の名も売れていないし、梅津もまだ裏通りに堕ちて間もない頃であった。


 梅津がその場にかがむと、ピィィィポくんの生首を拾い上げ、夕月に向かって歩いていく。いや、正確にはピィィィポくんの胴の方に向かっていた。

 堂々と夕月の横をすり抜け、ピィィィポくんの胴の前にかがみ、頭部を首に押し付ける梅津。さらに、斬られた腕もくっつける。

 一応繋がりはしたが、心臓は止まっているし、おそらく脳も仮死状態になっているので、しかるべき処置をしないと蘇生はしない。


「俺が死んであんたにとどめをさされない限り、あとはお湯をかければ元通りだ」


 梅津が言い、夕月の方へと向き直る。


「一応俺、ここの戦闘力上位ランキング四位で、結構強い方みたいなんだ。この着ぐるみは三位だが、多分このサイズなら……俺の方が強いかな」

「そうか。楽しませてくれ」


 夕月が剣の柄に手をかけ、腰をわずかに落とす。二人の距離は近い。

 梅津も懐に手を入れる。そのままの姿勢で、両者は向かい合ったまま中々動こうとしない。


 夕月が仕掛けてくるのを警戒しながら、梅津はどう攻めるか思案していた。この思案は、夕月が先に踏み込んできたら途切れるが、その時の対処は決めてある。

 梅津の武器は銃だ。安楽警察署の警察官達は、力を手にするために、純子や霧崎の元に改造しに行く者が多いが。梅津は改造されていない。生身だ。超常の力も一切持っていない。


(こいつも俺と同じ生身で、安楽警察署の猛者達を次から次へと斃すとは、ちょっと嬉しくなっちまうね)


 そう思い、頭の中で狙いを定める梅津。


 梅津が懐から手を抜く。同時に夕月も駆け出す。


 夕月は一瞬だが虚を突かれた。背広の裏から抜かれた梅津の右手には、何も無かったからだ。しかし油断はせずに、そのまま一気に剣の届く位置まで踏み込む。


 抜いた手の袖口から掌サイズのポケットピストルが飛び出し、梅津の手の中に収まった。


 このフェイントにどれだけの意味があったかはわからない。梅津が至近距離で銃を撃つも、夕月は苦もせずかわし、片腕で剣を振りかぶった。

 梅津は後方に身を引いてかわしたつもりであったが、服と皮一枚が横に斬られていた。わずかに血が滲む。


(刀の制空権に入るやいなや、切っ先だけで斬ろうとしたのが仇になったか。しかし今ので普通の奴なら殺れている)


 夕月がさらに半歩踏み込み、返す刀で斬りつける。

 今度は初太刀の一撃よりも深い位置からであるが故、避けるには後方に下がる必要があった。


 二太刀目は余裕をもってかわした梅津。そこで左手でもって懐の中から、今度こそ拳銃を抜き、至近距離で撃つ。狙いは夕月の胸部中心と腹部。フェイントや行動予測先は撃たず、ストレートに狙いをつけて撃った。


 夕月は半身になってかわしながら、同時に剣を振るう。


 銃が切断されて床に落ちる。引き金にかけてあった梅津の左手の人差し指も、同時に斬られて落ちていた。


 梅津はひるまず、剣が振るわれた直後を狙い、右手のポケットガンで撃った。


(いいスイッチだ。素早く鋭い判断と動き)


 心の中で梅津を称賛する夕月。光の帯は全く見えない。全て消えていた。避けることができなかった。

 銃弾は夕月の刀身に当たり、床を穿っていた。


(おい……まさか今のは狙って刀で防いだのか?)

 驚愕する梅津。


(半分偶然。半分は狙った)


 梅津の心の問いが聞こえたかのように、声に出さず答える夕月。


 夕月が剣を振るうと、梅津のポケットガンが切断された。ポケットガンが梅津の右手の半分と共に床に落ちる。勝負はこれで決まった。


「何で殺さないんだ?」


 夕月が殺気と剣を収めたのを見て、両手の出血を止めようともせず、梅津が問う。


「よく言われる。うまいこと殺さないで済ませられる場合は、殺す必要は無いとしているだけだ。戦うことができなくなったら、それで終わりだ。死でも、重傷でも、戦意喪失でも、降参でも」

「意外と甘い男だったのか。わかった……俺の負け……降参だ」


 夕月の言葉を聞き、渋い笑みと共に血まみれの両手をあげてみせる梅津。


 と、そこに夕月の後方から、梅津の知る者が二人現れる。


「危機一髪に援軍到着っ。俺らの時には来なかったけどね」

「竹田のおかげで生還できただけだな」


 廊下を駆けて来ながら、李磊と真が言う。


「いや、全然危機一髪で到着じゃないぞ。俺、この有様だし、降参したら許してもらえたし」


 真と李磊に向かって、梅津は血の噴き出る両手を軽く上げてみせ、力なく笑った。

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