第三十七章 25

 迂闊に身動きが取れなくなった警察官達。


 肉塊の尊厳側が、次にやる事は決まっている。

 自動射撃の銃同様、襲撃が始まる前にセットしておいたものがある。

 剣持がホログラフィー・ディスプレイを投影し、構成員達にメッセージを送る。


 停めてある車の陰から、構成員達が次々と筒のようなものを投擲していく。そのうちの幾つかは、隠れている警察官の近くにも落ちる。筒からは空気が漏れているような音がした。

 危険と感じてすぐに蹴り飛ばした警察官もいたが、反応が遅れた者もいた。


「げほげほげほっ!」

「がはっ、ごほごぼっ!」

「うえぇえぇーッ!」


 煙が見えないタイプの催涙ガスにやられ、目をこすりながら激しく咳き込む警察官達。中には嘔吐している者もいる。


(署内突入までの計算しつくされた作戦――しっかりとハマったようだな)


 剣持がほくそ笑み、ガスマスクをかぶる。他のメンバーもマスクを装着しだす。


(ネットに上がっていたあの動画――中国の工作員達が武装して攻め入った際、警察官は全てこの警察署庭で応戦していた。恐らくは中国側に情報提供者がいて、襲撃情報を安楽警察署に流していたという事か。だからこそ、ああも早く対応してきた)


 夕月はそう判断する。そして今回は完全な不意打ちであるうえに、襲撃の首魁は、元安楽警察署に務めていた剣持である。


 構成員達が銃を撃ちまくりながら、あちこちから一斉に警察署に向かって駆けだした。

 催涙ガスにやられた警察官達はあっさりと射殺されまくっていく。肉塊の尊厳サイドは犠牲者を出すことなく、突破していく。


 正面入り口だけではなく、裏口に回る者も多数いる。夕月も裏口班だ。剣持、光男、銀二は正面から突入する。


 一人も犠牲を出さず、正面入り口へと入ったが、そこで警察官達が多数待ち構えており、突入した肉塊の尊厳の構成員達に銃弾の雨が降り注ぎ、たちまち死体の山が出来上がる。


 だがロビーにいた警察官達が、体から力が抜ける感覚と共に、床に崩れ落ちていく。立つ事はもちろん、銃を構えることすらろくにできない。


「チェリー空間にひきずりこんだよっ。あ、名乗り忘れてたっ。童貞戦士ドウテイダーっ、参上っ!」


 黒ずくめの格好に、黒いバイザーのついた黒い帽子をかぶった光男が、名乗りと共にポーズを決める。


「壁際の端っこは、今はまだチェリー空間になってないから、端を通ってっ」

「上出来だ」


 光男の背後から現れた剣持が、素直に光男を称賛する。普段は光男を罵ってばかりの剣持だが、今は光男のことが頼もしく感じられた。


「童貞と光男はロビー待機だ。非童貞は壁の端に沿い、全員警察署の奥に向かえ。撤退命令が出るまでロビーに近づくな。他のメンバーが奥へと向かい終わったら、光男はチェリー空間の範囲を広げ、思う存分、力を振るい続けろ」

「わかったっ」

「了解っ」


 剣持の指示に従い、肉塊の尊厳のメンバーは、次々と移動を開始した。剣持自身も、警察署の階段を上がっていく。


***


 襲撃の報告を受けて、安楽警察署置長雫野春雄は激怒した。

 先日のあの警察署前で繰り広げられた、工作員襲撃を一方的に蹂躙して撃退した動画を挙げておいてなお、その数日後にまた平然と警察署に襲撃をかけるなど、全く誰のも考えていなかった事だ。当然署長も。


 しかも今回は賊の侵入を許したうえに、かなりの犠牲者をすでに出してしまっているという。


「署内にばらけて侵入し、あちこちで交戦が繰り広げられているようです」


 婦人警官がさらに報告する。


「我等警察に楯突く痴れ者がまだいようとは。恐怖を知らぬ愚物か。勇敢なる挑戦者か。いずれにせよ、生かして帰せぬ。身の程知らず共を一匹残らず根絶やしにせよ! 我等に牙を剥いた代価、血をもって贖わせろ! 警察署内に死の嵐を吹かせるのだ!」


 顔中に血管を浮き上がらせ、歯を剥き出しにし、眉間に無数の深い皺を刻み、悪鬼の形相と化して、春雄は怒鳴り散らした。


「どうやら現在裏通り課が担当している肉塊の尊厳の構成員達のようです」

「首魁と思われる剣持の姿も確認されております」


 部下複数に続け様に報告を受ける。春雄の怒りが増す。


「かつて安楽警察署に務めていたにも関わらず、裏通りに堕ちた罪深き叛逆者か。断じて許せぬ輩よ。剣持は殺すな。生かして捕えよ。裏切り者は殺すだけでは済まさぬ。ルキャネンコからたっぷりと呪いを仕入れ、ありとあらゆる呪いをかけて、苦しめぬいてやる。死んでも怨霊化させてひたすら苦痛を与え続け、犯罪者の呪殺係として、警察のために未来永劫働いてもらうとしよう。くっくっくくくっ……それが警察を裏切った者に相応しい末路よ。はーっはっはっはっはっはっ!」


 憤慨しながらまくしたてたかと思うと、哄笑をあげる署長。


「ロビーには童貞戦士ドウテイダーがいて、多数の警察官が無力化されております。中には戦闘力上位ランキングに入る者もいます。ドウテイダーは動こうとしません」


 しかし部下のさらなね報告を受け、春雄は笑うのをやめる。


「むう……報告にあった、チェリー空間に引きずり込んだ非童貞と非処女を無力化する、正義のヒーローを僭称する者か。小賢しい……。非童貞と非処女をロビーに近づかせないよう、アナウンスせよ。そして処女と童貞の署員は速やかにロビーに向かい、童貞戦士ドウテイダーを討つのだ」

「ははっ」

「ところで、しろ……いや、何でもない」


 出しかけた言葉を引っ込める春雄。


(素人童貞がどちらに勘定されるかなど、聞くに及ばず!)


 うっかり質問して、自分が該当している事が署内で噂になってはたまらない。


***


『ロビーに童貞戦士ドウテイダー出現。チェリー空間によって非童貞と非処女は無力化されてしまうので、非童貞と非処女は近づかないように。童貞と処女の署員はロビーに向かい、童貞戦士ドウテイダーの排除にあたれ。繰り返す。ロビーに童貞戦士ドウテイダー出現』


 署内にアナウンスが流れる。もちろん敵にも聞こえているが、聞かれても構わない内容だ。


 香苗はロビーへと向かった。ドウテイダーである光男と戦える者は限られているし、光男は自分の手で確保したい。間違っても殺されるようなことは避けたい。

 廊下を駆けていると、前方から見覚えのある者が二人現れた。どちらも肉塊の尊厳の構成員で、かつての香苗の部下だ。


「竹田さん……」


 香苗の姿を見て躊躇する肉塊の尊厳構成員達。


「お前ら自分が何やってるのかわかってんのか?」


 あえて恫喝気味のドスの効いた声を発する香苗。


「私はお前らが死ぬ所なんてみたくない。武器を捨てて手を上げな。手錠をかけてその辺の部屋にぶちこんでおく。命は保障する。それができないんなら、どうしても戦うってんなら、今ここで私を殺して行けっ!」


 香苗の確かな覚悟の台詞と迫力に圧され、肉塊の尊厳の構成員二人は銃を捨てて手を上げた。


 それを見て香苗は安堵し、手早く二人を拘束し、ロビーへと向かう。


***


 裏口から侵入した夕月は、単独で行動している。


 夕月は肉塊の尊厳の構成員達より少し遅れて、警察署に侵入していた。強戦力である自分が先に入った方が良い事はわかっていたが、背後から挟み撃ちにされるという可能性も見越して、その排除と警戒をした方がよいと判断したのだ。


 入ってしばらくすると、四名の警察官と遭遇する。

 警官達は夕月の姿を見るなり、一斉に銃を撃ってくる。


 夕月は飛んでくる銃弾と銃弾の隙間を易々と抜け、警察官達に接近し、その脇を駆け抜ける。

 駆け抜け様に剣を振られ、四人のうち三人が倒れる。一人は銃を持った腕を切断され、一人は腹を斬られて腸があふれ出し、一人は首をはねられていた。


 残る一人は硬直し、完全に戦意を失くしていたので、峰打ちで昏倒させる。


 先に進み、曲がり角を曲がると、背の低い男がミニガンを抱えて待ち構えていた。そもそもミニガンなど持ち運びするものではないが、それを身長140センチ台の男が軽々と持っているのは、シュールな光景だ。


「虹森夕月! 剣で銃に勝てるか試してみろ! これが本当の銃だ!」


 ガトリング銃の所持と使用を許されている警察官、猿島末春が吠えると、六つの砲身が高速回転し、夥しい量の弾を吐き出す。

 それは文字通りの弾幕だった。廊下一面が弾で覆い尽くされる勢い。一分間に数千発の弾を発射するこれの前に立ち、生き延びれる者などいないと、猿島は勝利を確信していた。


 夕月は一気に右斜めへと駆け、右の壁すれすれまで移動する。猿島もそれに合わせて砲身を傾けたが、傾け終わった時には夕月はスライディングして、左へと抜けていた。


 猿島がまた砲身の向きを変える。今度はスライディングしても当たるようにやや下向きにして。


 しかし夕月は大きく跳躍し、両脚を腹につきそうなほど折り曲げて、空中で――いつの間にかミニガンの砲身の上にまで移動し、刀に手をかける。

 猿島が己の死を確信した直後、夕月は刀を振るう。空中で振るわれた刀が、猿島の上顎と下顎を分断する。


 夕月が着地して一秒後、猿島の口から上の頭部が床に落ち、下顎の歯と舌が露出した猿島の体が、横に傾いて倒れる。


(背が低い分、楽だった)


 猿島の亡骸を見下ろして、口の中で呟く。


「猿島さん!」


 立ち去ろうと歩いていたら、背後から声がかかり、夕月は立ち止まる。

 振り返ると、全身真っ白の小さな体に、真紅の髪と蛾のような触角、ふさふさの尻尾を持つ人外が現れて叫んだ。ワリーコのアネモネだ。


 アネモネは果敢に夕月に向かっていき、一度左にフェイントをかけてから、右へと跳ね、そこでまたフェイントをかけて停止し、夕月のタイミングを二度にわたって乱したつもりで、最後に夕月の首めがけて跳躍する。


 夕月はそれらのフェイントに全く惑わされることなく、剣の柄でアネモネの小さな体をあっさりと叩き落した。


「ううう……」


 頭部を打ち据えられ、軽い脳震盪を起こしてうずくまるアネモネ。


「雑魚相手に無双するのは楽しかったか? しかし今度は、お前らがされる番になったな。今、どんな気分だ?」


 静かに声をかける夕月に、アネモネは歯噛みして睨む。


「さっさと殺しなさいよ……」


 アネモネが悔しげに吐き捨てる。


「殺さん」


 夕月が短く告げると、アネモネの後頭部を刀の峰で打ちすえ、気絶させた。 


「殺さねばならない時は殺すしかない。殺さなくて済むなら殺さないに越したことはない。しかし――」


 夕月は目の前に現れた新たな警察官を見据え、語りかけていた。


「お前は殺した方がいいかな? 動画で見たぞ。戦意を失くして命乞いをする相手も、容赦せず潰していたことだしな」


 夕月の目の前にいたのは、警察のマスコットキャラ、ピィィィポくんの着ぐるみだった。裏通り課課長、酒井清継だ。


「巨大化はしないのか?」


 屋内で巨大化できるはずがないということもわかったうえで、あえて問う夕月。

 ピィィィポくんが前かがみになって力を入れる。するとその身長が天井すれすれまで伸びて、横幅も広がる。建物につっかからない限界まで巨大化した。


 向かい合う両者。しかしどちらも動こうとはしない。


 ピィィィポくんは単純に夕月を恐れていた。どう攻めても斬られる予感がしていた。


 夕月は単に相手に合わせようとしているだけだ。一応敵は人外の域にいる者であるし、油断できない。敵が動いたら、それに合わせて動くのが無難と、夕月の直感が告げていた。


 そのまま両者は一分近くも睨み合っていたが、ピィィィポくんが先に動き出す。

 それに合わせ、夕月も動く。夕月とピィィィポくん、ほぼ同時に互いに向かって駆け出していた。


 ピィィィポくんは、巨大化して鈍重になったという事は無い。むしろ単純な速度だけなら、筋力がついた分だけ上昇している。そのうえ体重に勢いもつけられる。人間であれば、適正なサイズと重量というものがあり、それをオーバーすると俊敏さは損なわれてしまうが、ピィィィポくんの身体構造は、人間のそれともかけ離れている。


 ただし、スピードそのものは上がったが、小回りにはやはり向かなかった。

 互いにアタックレンジに入り、ピィィィポくんが拳を振り下ろすが、夕月は横に逸れると同時に剣を振るい、ピィィィポくんの腕を切り払っていた。


 夕月はそのままの勢いで駆け抜け、体を入れ替えると、ピィィィポくんの背面から返す刀で、ピィィィポくんの首をはねた。


 ピィィィポくんの生首が勢いよく吹っ飛び、ワンバウンドしてから廊下を転がっていく。

 その先で、曲がり角から出てきた人物の靴に当たって、ピィィィポくんの首は止まった。


「課長……」


 足元のピィィィポくんの生首を見下ろし、呆然と呻くその男は、裏通り課係長、梅津光器だった。

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