第三十七章 11

 香苗は単独で、自分がボスを務めていた時代の、肉塊の尊厳の元拠点である場所を訪れた。


(思い出の品を置いていくって事は、思い出の場所で……っていう、ちょっと無理矢理なこじつけだけど)


 アジトには見事に何も無かった。事務所の体を成していたエリアでさえ、机も椅子もテーブルも無くなっている。痕跡がほぼ消えている。

 しかしそれでも、香苗はいろいろと思い出してしまう。ここにいた時に起こった出来事の数々を。

 壁にある弾痕の数々はそのままだ。卸売り組織同士の抗争が激しい時期であり、『日戯威』や『溜息中毒』や『踊る心臓』などともよく争った。あの時はかなり多くの卸売り組織が乱立していたようだが、現在の安楽市内には、溜息中毒と踊る心臓の二つしか残っていない。


 仲間達と過ごした楽しい思い出。仲間達を失った悲しい思い出。それらを思い起こし、胸にじんわりと熱いものがこみあげてくる。

 仲間だけではない。しつこく自分にまとわりつき、更生させようとしていた少年課の警察官。彼のことも思い出す。このアジトにもよく足を運んでいた。そしてここで命を落とした。


(ここが無ければ、あの日々が無ければ、そしてあの人の死が無ければ、今の私も存在しない)


 まるで自分の人生は数々の屍の上にあるようだと、意識してしまう。


(ああ、もうっ。そんなこと考えたら負けだ。重くなる。暗くなる。ていうか、やっぱり私の思い違いだったかなあ……。アジトのあちこち探したけど、特に何も無いようだし)


 誰かがいて待っているわけでもなく、手がかりとなりそうなものも無い。

 しかし香苗は離れられずにいる。何か得体の知れない力が働いて、香苗をここに引き止めていた。


(ていうか、銀二にしろ光男にしろ、人身売買なんておぞましい仕事を自分達の意思でやっているはずがない。何か事情があるはず。銀二もあの様子だと嫌がっていたし、自分達を縛る何者かの目を気にしていた)


 その縛る者こそが、剣持なのではないかと、香苗は考えている。


 かつての自分の部屋にも何も無い。事務室にも何も無い。そして光男達構成員の休憩室で、香苗はそれを見つけた。

 それは手紙だった。埃の上に置かれた手紙。つまり置かれてからまだ新しい。


 果たして、中味は銀二から香苗宛の手紙であり、そこに現在のアジトの場所と、全ての真相が書かれていた。


 組織が多額の借金を抱え、安心切開に全員の臓器までも担保に入れていた。そこに現れたのが剣持だった。

 剣持は組織を救った。皆その恩に縛られる格好で人身売買組織になった。そして次第に恩だけではなく、恐怖で縛られるようになっていった。

 反抗した場合、即座に殺された。組織から逃げ出した者も殺された。厳しく組織への出席が管理された。何より光男は、かつての仲間が殺されるのが嫌で、剣持に従い、剣持に組織の人間を殺さないようにと、泣きながら土下座して懇願したのだそうだ。


 その事実を知り、香苗は激しく歯軋りをして、拳をキツく握り締めた。その直後、泣きながら土下座する光男の姿を想像して、蕩けた顔になる。自分の前でも泣きながら土下座させたいと、そんな欲求に捉われる。


 最初は人身売買組織となることで、安心切開の下働きをするような形でゴマをすっていたとのことだ。しかしいつしか力関係は逆転してしまった。

 剣持の組織運営のやり方は極めて強引で、他者に多くの恨みを買う形であったが、それでも組織の力と規模を強くするその手腕は、確かなものだったという。

 剣持は自分の意のままになる組織が欲しかったらしい。何故肉塊の尊厳を選んだかはわからない。たまたま懐柔しやすい条件が成立していただけなのか、それ以外にも理由があるのか。


 メンバーの動きは剣持にほぼ把握されているし、迂闊に連絡も取れない。電話もネットも無断で使えない有様で、ここにこうしてメッセージを置くのも綱渡りだという。

 ようするに彼等と連絡を取り合い、協力して内外から組織を潰すのは難しいという事であろうと、香苗は判断する。


 手紙の最後にこう書かれていた。


『自分達を助けてください』


 最後の一言に、かつての仲間達の血を吐くような想いが込められている事がわかった。剣持に組織を乗っ取られてからの艱難辛苦が伺えた。


(今までずっと辛かったでしょうに……。私はそれも全然知らないままで……。でも、運命は私と貴方達を再び巡り合せてくれた。こんな残酷な酷い運命を与えた神様を呪えばいいのか、救いの機会を与えた神様に感謝すればいいのか……)


 香苗は全て写真に撮り、梅津へと送った。


「絶対助けるよ。当たり前でしょ……」


 香苗は声に出して、ここにはいないかつての仲間達に向かって答えた。全身が粟立つ。体中の細胞が震えているかのような、そんな感覚だ。こんなに気持ちが昂ぶった事は、これまでの人生に数える程しかなかった。


***


 雪岡研究所に帰宅する真。


 純子はリビングにて、フィギュアの掃除をしていた。怪獣、怪人、ヒーロー等のフィギュアが棚にずらりと並んでいる。他の掃除は青ニート君と呼ばれる雑用怪人に任せているが、自室とリビングのフィギュアの管理だけは、純子自身が行う。


「ふえぇ~、ほぼ毎日やってるよねー。まるで園芸みたいだわさ」

「昔、遺伝子操作してフィギュアの生る植物とか作れないかなーと、悪戦苦闘したんだけど、私のその時の技術力では無理だったよー。今でも多分無理かなー」

「人間以外の生き物は実験しないんじゃなかったんですか?」

「植物はおっけーなのが私ルール」


 真がリビングの扉の前に着くと、みどりと純子と累がお喋りをしていた。真はその間に呼吸を整え、覚悟を決める。


「ただいま」

 扉を開き、にっこりと笑って帰宅の挨拶をする真。


 リビングルームの空気が凍りついた。限定空間の時間停止能力が発動したかのように、全員固まっていた。


(ここも……初回は予想通りのリアクション。しかし何度もやれば慣れるはず)


 全員ドン引きしているのを見ても、真はへこたれなかった。しかし――


「う、うわぁああぁぁんっ! 真おにーちゃんが壊れたああぁっ!」


 まず生首鉢植幼女のせつなが怯えて泣き出して、沈黙が破れる。流石に泣き出すのは想定外だったので、真も少し引いた。


「うっひゃあ……真兄、何か悪いモンでも食った?」

「悪い霊には取り憑かれてはいないようですが……。あるいは誰かから精神攻撃を受けたとか……?」

「不自然すぎる愛想笑いだよねー。何かの罰ゲームなの? それともどっきり? どっかで撮影してるの?」

「こいつはきっと偽者だよっ。本当の真おにーちゃんはどこかで誰かに拘束されてぴんちなんだよっ。助けに行かなくちゃっ」


 それぞれ言いたいことを言うみどり、累、純子、せつなの四名。純子に至っては真の裏の壁を人工魔眼の力で透視してみたり、狼並の嗅覚をフルに働かせたりして、撮影者の居場所を真剣に探している。


「真兄、悩み事があるなら素直に相談すべきだと思うぜィ」

「何でそこまで言われなくちゃいけないんだよ」


 研究所の面々のリアクションにとうとう耐えきれず、真は鞄の中から『快い人との接し方について学ぶ! デリカシーのある人間へと成長』というタイトルの本を取り出して見せた。


「お、おう……。真兄もちったあ心を改める気になったってわけね」


 苦笑いを浮かべてみどりが本を手に取る。この本の影響だということは、タイトルを見ただけでもすぐにわかった。


「真君は感情を自然に表情に表せるように努力してたし、少しずつ改善してきてるような気はするけど、今のそれは違うと思うんだよねえ……」


 純子が精一杯言葉を選んでたしなめる。


「僕もやってて正直辛い部分があったし、もうやめとく……」


 心の中で溜息をつく自分を想像して、真は言った。


「ところで、童貞戦士ドウテイダーって知ってるか? 非童貞と非処女を無力化してしまう、チェリー空間に引きずり込んで――」

「あのさァ……真兄は今日いろいろと飛ばしすぎじゃね?」


 真が喋っている途中に、みどりが呆れきった顔で突っ込む。


「いや、真面目な話だ。雪岡の作ったヒーロー系マウスなんじゃないかと思ってさ」

「うん……確かにそれは私が作ったマウスだよー。懐かしいなあ。もう十年以上昔の話だけどー」


 ドウテイダーの事も光男の事も、純子はちゃんと覚えていた。


「対抗策は無いか? 僕は多少レジストできたが」

「条件ハメ系も所詮は力と力のせめぎあいだからねえ。いいアドバイスはできないなあ。しかし懐かしいなあ、光男君。面白くていい子だったよー」

「そうだな……」


 少しうつむき加減になって、純子の言葉な頷く真。光男と遭遇した際、真は思い出していた。亡き友人のことを。知的障害を持つ者を見る度に思い出してしまう。


「せつなにいいアイディアがあるヨっ。せつなを見習って、真おにーちゃんは真おねーちゃんに転生すればいいんだヨっ。そうすれば非童貞ではないけど、処女にはなれるヨっ」

「いいですね、それ。でもその敵を倒した後、真の処女は今度こそ僕が先に貰いますね。純子は手出ししないようにお願いしますよ」


 せつなの案に、冗談なのか真面目なのかわからない発言をする累。


「確かにいいねえ。女の子バージョンの方は名前をマコトにするのはどうだろう。じゃあ、早速……」

「何が早速だ」


 笑顔で近づいて来る純子を押しのけて、真はソファーに腰を下ろした。まともな対抗策は無さそうだという結論に至った。

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