第三十七章 9

 今から十三年前、光男は強い力を欲した。


 肉塊の尊厳は抗争で多くの死者を出した。その抗争で、香苗が密かに恋心を抱いていた少年課の警察官が、香苗をかばって殉職するという悲劇が起こった。

 光男はその光景にデジャヴを覚えた。似たような事が以前にもあったのである。

 そして香苗はショックのあまり、肉塊の尊厳を去った。


 光男は香苗から特に可愛がられていたが、ただ最年少で子供だからという理由だけだったと知った。

 光男も香苗の喪失にショックを受け、強い男でありたいと望み、そのためには手段を選ばず、雪岡研究所を訪れる。


「実験台になって死にたくはないよっ。痛いのや苦しいのは我慢するから、死なないようにしてっ。強い力が欲しいっ」

「具体的にどう強くなりたいのー?」

「えっとー、えっとー……とにかく強いのっ。強くなって認められたいし、守りたいのっ」


 光男の見た目は小学生高学年といったところだが、実際の精神年齢はもっと幼いまま停まっていると、わずかな会話で純子は察する。


「守りたいって? どうしてそう思ったの? もうちょっと詳しく話してくれないと、君の望み通りの改造はしてあげられないよー? 改造してからこんなんじゃないと言われても、私も困るし、光男君も嫌でしょー?」

「そ、そうだねっ。えっとね、えっと……」


 どこから話していいかしばらく迷い、自分が裏通りに堕ちるに至った理由から語り始めた。


 桜井光男の両親は、軽度の知的障害を持つ光男を溺愛して育てた。

 しかし溺愛する一方で、障害であることを原因に甘やかそうとはせず、きっちりと教育を施した。


「お前にもわかっているだろうけど、お前は他の子より出来が悪い。特殊学級に入った時点で、普通より劣る子だ。でもね、それでも出来る範囲で頑張って生きていかなくてはならない。少しでも勉強して賢くなって、人の中に混じって、社会の一員として生きていけるようにならないといけない。少しでも前に進み、少しでも上へと登っていくんだ」


 父親が優しい表情で、しかし力強く語ったこの時の台詞は、光男の記憶に、そして魂に、しっかりと焼きついた。


 だが両親は光男が十歳の時に揃って死んだ。裏通りの抗争に巻き込まれたのだ。

 抗争に巻き込んだ組織が、発足したての肉塊の尊厳だった。ボスだった香苗は光男に謝り、親族にたらい回しにされたあげく、施設へと入れられようとしていた光男を引き取った。


 光男は香苗の事も組織の事も恨まなかった。香苗に確かな謝意と誠意を感じたからだ。彼等に悪意があったわけではなく、仕方のないことだと割り切った。知的障害を煩う一方で、他の子供より優れた一面も、光男にはあった。人を見抜く目と、感情を抑えて真理を見抜く事と、意志の強さだ。


 光男はただ香苗の保護下にいることを自分でよしとせず、自分に出来るだけでもいいので、働くと申し出て、組織の一員となった。

 香苗は光男のことを気に入っていたし、光男は香苗に恋心を抱き始める。だが例の事件が発生し、香苗は光男の前から姿を消したのである。


 光男はそこまで純子の前で語り、気持ちを落ち着かせてから訴えた。


「僕は今まで守られてきたっ。組織でも守られてきただけ。でもこれからは……僕が守りたいっ。竹田さんはいなくなっちゃった。竹田さんは僕達の元を去っていったっ。代わりに僕が組織の皆を守っていきたいっ。でも子供の僕にはできることはないのは、僕でもわかるっ。もしまた組織が襲われたら、僕も死ぬかもしれないし、皆も死ぬかもしれないっ。だから僕が力を手に入れて守るのっ。もう哀しい人を出さないためにっ」

「それだけー?」


 純子に問われ、光男は恥ずかしそうにもじもじしながら、しかし正直に言った。


「竹田さんにも……認められたいから……。いつかまた会えた時に、褒めてもらいたいから……。もしかしたら、僕が頑張れば、また一緒に……って……」


 赤面してうつむく光男を見て、純子は微笑ましく感じる。実際微笑んでいたが。


 純子は実験台にするにも好みがある。誠実な者や、努力家で向上心のある者、純粋な者には、ニーズに合った力を授けて、改造以外でも応援する。

 それらとは異なるが、自分勝手な復讐目的や、破滅願望を持つ実験台志願者も、大好きである。ニーズに合わせて、命の危険などお構いなしに、滅茶苦茶な改造を思う存分に施すことができるからだ。


「強い力を手に入れるには、それなりの代償が要るよー。それでいて死にたくないとか、死の危険を抑えるとかなると……いくら私でも、方法が限られてくるねー」


 純子は頭を巡らし、つい最近手に入れた魔道具のことを思い出す。


「君はヒーロー系マウスの方が向いているから、ヒーロー系マウスにして肉体強化するとして、それ以外にももう一つ強い能力を身につけよう」


 そう言って純子は、魔道具や神器が置かれている部屋から、ある物を持ってきて、光男に見せた。

 光男はそれを見て震えた。黒い字で『恨』と書かれた、人間の舌だったからだ。


「これはつい最近、幾三ルキャネンコさんと私が共同で作った、科学と魔術のコラボレーションによる、呪われた魔道具、『持たざる者の舌』。これを君の体内に移植したうえで、誓いを立ててもらうよー」

「誓い? 持たざる?」


 純子が舌を摘んで、光男の前でかざしてみせる。


「君にはこの先、何かを失くしてもらう。または何かを得られなくする。あるいは何かを禁止してもらう。その代価を支払うことで、君が失った何か――君が得られない何かを持つ者に、呪いをかける。正確には、君を中心にして呪いの空間を発生させて、その空間の中にいる人は問答無用で呪われる。ちょっとやそっとの代償じゃあ、効果が薄いと思うからね。失うことに相当な覚悟が必要なものじゃないと駄目だよー」

「じゃあ……じゃあっ」


 光男は純子の話を聞いて、香苗のことを思い出していた。


「一生竹田さんのことを想いながらシコシコしないっ」

「えっと……」


 光男の口から思ってもみなかった言葉が飛び出してきたので、純子は絶句した。

 光男は自慰行為を覚えたばかりの年齢で、毎日のように香苗のことを考えながら自慰に耽っていたが、それが物凄く悪いことをしているようで、いつも罪悪感に捉われていた。純子から出された条件を聞き、辞めるのにいい機会だと捉えていた。


「それはちょっと……無理かな。うん」


 頬をかきながら純子は苦笑し、申し訳無さそうにダメ出しした。


「んんんんっ……じゃ、じゃあっ、一生結婚しないっ」

「それではちょっと……弱いかなあ」

「じゃあっ、じゃあっ、一生Hなことしないっ。シコシコもしないしっ、まだやったことないけど、パコパコもしないっ」

「ぱこぱこ……」


 再び絶句した純子であるが、とにもかくにもこうして、童貞戦士ドウテイダーは誕生した。


***


 肉塊の尊厳のアジトがあるという場所へと向かう、梅津と香苗の二人。浩然が吐いた情報によるものだが、すでにそこには誰もいないと、浩然も見ていたし、香苗達もそう判断しているため、少人数で手がかりがないかを探りに行った。


 浩然と銀二が口にした、剣持幸之助という男とは、かつて同じ裏通り課の刑事として共に働いていた。

 正直、香苗から見てあまりいい印象の男では無かった。ほとんど他人と絡まず、自分を出すことが無いが、常に暗いものを引きずっているような印象で、笑っている所も見た事が無い。同僚と飲みに行くような事もしないし、雑談にすら入ってこない。完全に壁を作っていた。

 何故、同じ課で働いていた剣持が、元は自分がボスを務めていた肉塊の尊厳に入ったのか。何か関連性があるのかと疑う香苗。しかし心当たりは何も思い浮かばない。


「やっぱり、すでにもぬけの殻か」


 半ば廃墟化したラブホテルのロビーに入り、梅津が呟く。人のいる気配は全くしない。そこら中に埃が積もっている。


「これは……」

 フロントの机の下に、香苗が何かを見つけた。


 丸まったカラフルな紙を吹くと伸びる笛。縁日等でよく売っているあの名称不明の笛だ。正式な名称は吹き戻しと言う。

 ただのゴミであるかのように落ちているが、香苗はこの玩具に覚えがある。自分が肉塊の尊厳のボスであった時代、皆で祭りに行って、光男に買ってやったものだ。

 光男は喜んで、何日も同じ吹き戻しを加えたまま吹いたり戻したりを繰り返していたので、いい加減鬱陶しいからやめろと香苗が注意したら、落ち込んでいた。


(ずっと大事に持ってたの? いや……そんな大事に持っていたものを、思い出の品を、ゴミのように適当に捨てていく? つまりこれは……メッセージ?)


 一見ゴミのようなものだから、放置しておいても問題無いと見なされることも見越して、自分にだけ伝わるように、ここに置いていったのではないだろうかと、香苗は勘繰る。


(思い出の品……思い出……)

 思案し、ふと思い至る。


(もしかして、あれかな?)

「何かわかったのか?」


 香苗の様子を見て、梅津が声をかける。


「私一人で行動させて」

「おう、駄目だ」


 香苗の要望を即座に却下する梅津。


「もしかしたら私一人じゃないと駄目かもしれないのよ。誰か……待っているかもしれない。ぞろぞろ行ったら現れないかもしれない」

「罠だったらどーすんだ?」

「最悪私が負けるだけよ。後は頑張って」


 言うなり香苗は、ホテルの外へと向かって力強い足取りで歩き出す。梅津も肩をすくめて、渋面でその後を追った。

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