第三十七章 8

 安楽警察署取調べ室では、名も無きチャイニーズマフィアのボス、張浩然への尋問が行われていた。


「うおぉ……ぉぉ……こ、ころじ……で……殺してくれ……。もう嫌だ……。もうこれ以上は何も……知らないんだ……。本当だ……。慈悲を……殺してくれ……」


 手足が付け根から無くなり、顔も口と右目以外ほぼ無くなり、全身の皮も剥かれ、人の原型をあまり留めていない浩然が、床に這いつくばって悲痛な声で哀願する。


 香苗と梅津による尋問の結果、幾つかの情報を聞き出すことはできた。


 浩然曰く、人身売買組織肉塊の尊厳と、臓器密売組織安心切開の二つの組織の関係がこじれた理由は、肉塊の尊厳がこれまで、安心切開に酷い条件を一方的に突きつけてきたからだという。バレないように守ってやっているのは自分達だからであるとして、仲立ち料金をどんどん上げ続けた。

 安心切開はこの横暴にとうとう耐えられなくなり、肉塊の尊厳を無視して、チャイニーズマフィアと直接交渉して、商品を仕入れるに至ったのだそうだ。


「つまりこれは、目先の利益にとらわれて失敗したのは、肉塊の尊厳とも言える……か。パートナーとも呼べる組織かから搾り取りすぎて、反乱を起こされることまで考えていなかったと。度合いってもんがわからない奴は、必ず負けるわね」


 話を聞いて、香苗はそう感想を述べる。


 そしてもっと重要な情報も聞き出せた。肉塊の尊厳に関する情報だ。その時のやりとりは次のようなものであった。


「俺達は肉塊の尊厳の構成員と直に会った事が有るし、内情もある程度知っている」

「それを知るからこそ、消そうとしてきたんだろうな」


 浩然の話を聞き、梅津は納得した。


「俺は……奴等のアジトを知っている。しかしもうそこはお払い箱にされたはずだ。調べて手がかりが出るかどうかはわからんが、一応教えておく」

「でもそれだけじゃあ消されないだろ」

「ああ……もっと大事なことは、肉塊の尊厳のメンバーに関する情報だ。お前達が捕えた桜井光男――あれはお飾りのボスに過ぎない。実質上のトップがいて、そいつがあの組織を仕切っている」


 梅津に指摘され、浩然は全て語った。


「そいつの名は剣持幸之助」


 名前を聞いて、梅津と香苗は固まった。残った右目でそのリアクションを見て、浩然はおかしそうに笑う。予想通りの反応だったからだ。

 七年前まで、香苗や梅津と共に働いていた男だ。


「そう、元安楽警察署裏通り課の刑事だ」


 その後も尋問を続けたが、これ以上の情報は聞きだせず、二人は取調室を出た。


「すみません。少年が逃げました」

 そこに若い警察官がやってきて、報告した。


「はあ?」

 香苗が険悪な声を出す。


「食事を運んだ際に能力を使われて……鍵を奪われて……。その後も、止めようとした署員を全て無力化し、悠々と外へ出て行きました」

「あれほど童貞か処女に管理させろと言ったのにっ」


 事情説明をする警察官を叱責する香苗。


「すみません、伝達が行き届いていなかったか、その話を信じなかったようです……」

「私、追うわ。GPSは付けてあるんでしょう?」

「ええ……」


 香苗の確認に、若い警察官は頷いた。


「俺も行く――と言いたい所だが、足手まといにしかならんな。気をつけて行け」


 梅津がそう言って見送る。香苗は大急ぎで警察署の外へ出る。


 ホログラフィー・ディスプレイを呼び出し、地図で光男の位置を確認する。大して離れていない位置にいた。


 白バイにノーヘルで乗り、光男のいる場所に急行する。すぐに光男の後ろ姿を確認した。

 光男の前方へと回り込もうとしたが、通行人が邪魔で出来なかったので、仕方なく後ろでバイクを停める。


「光男!」

 後ろから声をかけると、光男は立ち止まり、振り返った。


「お願い。せめて話だけでもさせて」

「あうう……うう……」


 意図的に優しい声を出すが、光男は怯えたような、困ったような呻き声と共に、後ずさりする。


「あれから何があったの? あんたは今も肉塊の尊厳のボスなの? 口封じは誰かに命令されたの? どうして人身売買組織なんかやりだしたの?」


 一度にいろいろ聞きすぎであることは、香苗とてわかっている。しかしいろいろ訊ねれば、光男の性格からすると一つくらいは答えてくれるかもしれないと期待した。

 何者かが光男の影にいるのは明白だ。今は外したが、光男の服には盗聴機があったのが確認されている。あれで会話もチェックされている。


(浩然は実質上のボスは剣持だと言っていた。でも今はその名を出さないでおく)


 自分の口で言うより、光男の口から言わせた方がいいと、香苗は判断する。


「今も……僕がボスだよっ。でも……ううう……言えないっ」


 苦しげな顔で首を横にぶんぶんと振る光男。


「じゃあ……これだけは教えて。人身売買なんかやり始めたのは、お前の判断? お前が本当にやりたかったことはそれなの?」

「違うっ」


 香苗の質問に、光男はむきになって即答した。


「それが聞けただけでも安心した」


 にっこりと微笑んでみせる香苗。それを見て光男は涙ぐむ。


(相変わらず泣き虫なんだから。ま、そこがいいんだけど)


 香苗の笑みが一瞬邪悪なものへと変わるが、涙ぐんでいる光男は気付かなかった。


「え……」


 その香苗の顔から笑みが消えた。光男の後ろに、見覚えのある人物が姿を現したのだ。


「よかった、光男。出て来られたんだな。そして竹田さん……お久しぶりです。銀二です」


 現れたのは、香苗が肉塊の尊厳のボスをしていた時代、かつて部下であった構成員、蓑銀二であった。あの頃は光男と同年齢で小学生だったが、光男とは違い、今やすっかり大人になって、見違えた。しかし子供だった頃の面影は残っていたので、一目でわかった。


「あんた達……一体……」

「どうか昔のよしみで見逃してくださいっ!」


 何か喋ろうとした香苗に向かって、銀二が手で制しながら叫ぶ。しかしその傍らで銀二は、ホログラフィー・ディスプレイを大きめの画面で投影し、何か打ち込み始めていた。

 ディスプレイを反転させると、文字が書かれている。


『俺達もこんなこと好きでやってるんじゃない。助けてください』


 書かれていた内容を見て、銀二の苦しそうな顔を見て、香苗は目を細める。


 光男の体にも盗聴器が仕掛けられていた。おそらく銀二もそうなのだろう。何者かに会話が聴かれているのであろう。そして好きでやっているのではないという言葉から察するに、何者かに支配されている可能性が高いと見る。

 浩然の歌った事が本当ならば、剣持幸之助がそうなのだろうが。


『お前達は誰かの言いなりになっているのか?』


 香苗の方もホログラフィー・ディスプレイを投影し、文章を書いて問うた。すると銀二は苦しげに頷く。


『何者だ? そいつは』

『剣持幸之助』


 書かれた名を見て、香苗は静かに息を吐いた。これで確証が得られたも同然だ。銀二のディスプレイはこっそり撮影してある。

 銀二が光男の体に探知機を当て、GPS受信機が服に着いているのを発見して取り外す。


『私にしてほしいことは無い?』


 香苗が尋ねるも、銀二と光男はそれ以上何も言わずに、その場を立ち去った。香苗も今はそれを追わずにいた。彼等の背後に黒幕がいて、今は支配されている格好であれば、今、下手に追うと、彼等の立場が悪くなると判断して。


***


 煉瓦隊長の王秀蘭ワンシゥランに定期報告を行った李磊は、そこでげんなりする指令を受けてしまった。


『李磊の失敗を上層部が問題視しています。証拠としては弱く、不足と見なしていると通達を受けました。日本警察を敵に回してでも、せめてマフィアの親玉だけは確保しろとのことです』

「いやいやいやいやいや、無理無理無理無理っ」

『煉瓦本隊にも動くよう命じられています』

「死人の山が出るよっ。何とか誤魔化して動かさないようにしてっ。あ……もってことは」

『他の部隊にも命令が出ていますよ』

「そっちが死人の山だなー。でもまあ煉瓦じゃないからいいか。せっかくこちらは警察と協力体制築いたんだから、それをぶち壊したら駄目だと思うんよ」

『そうですね。李磊の言うこともわかりますが、しかしどうしたものか……』

「一応俺が動いているんだ。それで煉瓦も動いているってことにしてよ。こっちで何とか……上の連中が納得できる土産を持ち帰れるよう、いろいろ頑張ってみる」


 言いつつ、李磊はすでに計算をめぐらしていた。


 他の工作員達も動いてくれるなら好都合だと、李磊は計算を働かす。彼等が失敗しまくれば、一応の成果を得た煉瓦は言い訳が立つ。とはいえ、このまま何もせずにいるわけにもいかない。

 どうせ放っておいても失敗すると李磊は見ている。日本国内に無数に潜伏する中国工作員部隊で、煉瓦以上に優秀な工作員部隊は、未だ御目にかかった事が無い。それどころか、李磊の目から見れば、はっきりと無能ばかりだ。


(馬鹿ばかりで嫌になるね。俺もそろそろ引退したいな……。拳法の道場一本絞ってさ)


 安楽市に中国拳法道場を開いた李磊である。しかし――


(そっちの経営も芳しくないけどね……。門下生少なすぎ)


 どっちを見てもろくなことがないと思い、李磊は嘆息した。

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