第三十六章 12

 純子の改造手術を受けた高嶺流妖術師孕杖初太郎もまた、安楽第三十八小学校へと向かっていた。


(よりによって小学校ジャックなどと……。何を考えているんだ。そして、殺人倶楽部と星炭の無能共は、何をやっているっ)


 自分の敗北を棚上げしているだけではなく、彼等に救ってもらった恩も忘却の彼方で、自分の役割を横からかっさらったハゲワシ程度の認識しかない、孕杖である。


(ケリをつけるのは俺でないといけない。命を代償にして力を得た俺以外の誰にも、譲りはしないっ)


 自分が死ぬということを強く意識し、無駄死には避けたいという気持ちが、復讐相手への妄執と化している孕杖であった。


***


『この間は失礼しました』


 鋭一達の前まで見進み出ると、まず深々と頭を下げる牛村姉妹。


「あんな威勢のいいこと言っておいて今更だけど」「この間はついつい粋がっちゃったけど水に流して」

『ここは私達に任せていただきたい』


 牛村伽耶と麻耶の申し出に、一同は顔を見合わせる。


「任せるとはどういうことですかあ?」

 優が訊ねる。


「説得する」「調教する」

 伽耶と麻耶が端的に答える。


「同じコンプレックスデビルの魔術師ってのは知ってるけど、あんたとあいつとはどんな関係なんだ?」

「顔焼きシャーリーさんと並んで有名ですよね」

「俊三は弟弟子。シャーリーさんは私の師匠」「先生をそんな呼び方するのやめて」


 鋭一の問いに伽耶が答え、竜二郎の軽口には麻耶がむっとした顔になって言う。


「あいつのことを逃がそうとするんじゃないか? この間は俺達と戦って助けたのに、今度は説得とか、信用しがたい」


 鋭一が腕組みして機動隊の車両に寄りかかり、胡散臭そうに牛村姉妹を見ながら言う。


『それはしないと約束する』

 声を合わせて力強く言う牛村姉妹。


「信用してみましょう」

 優が言った。


「芹沢の言うとおり、ターゲットを逃がす可能性があるぞ。せめて同伴して見張った方がいい」


 善治が優を見て進言した。優ならこの牛村姉妹にも対抗できるだけの力を秘めていると、鋭一と竜二郎から事前に聞いてある。


「見張りオッケー」「監視了解」

 善治の言葉に、姉妹は同時に頷いた。


 優だけついていくのかと善治は思ったが、そうではなく、四人全員でついていって、こっそり見守ることになった。


 校舎周辺には人影がちらほらいたが、こちらには反応しない。当然だ。竜二郎の能力を用いて、多重幻影結界層を通路状に伸ばし、その中を歩いてきたので、視覚的には彼等の姿は映らない。一方で、竜二郎達の目からも、彼等は映らない。同じ幻影層の者しか認識できなくなる。

 体育館に接近したところで、四人は幻影層の通路から出て、こっそりと中の様子を伺う。すでに伽耶と麻耶は体育館の中へ入った。


(これが……あいつの仕業か? 何て……奴だっ)


 体育館の中の惨状を目にして、歯軋りすらして怒りに打ち震える善治。


 その直後、善治は己の怒りを忘れた。自分よりはるかに強烈な怒りの気を発している者の存在に気がついたからだ。善治とはまた別のタイプの怒り方――凍りつくような怒りが迸っているのがわかった。

 自分以上に怒りまくっている鋭一のおかげで、自分の怒りが鋭一に持っていかれたような形になっているのを感じる善治だった。


「ここまで来たのか」

 姉妹の顔を見て俊三は苦笑いを浮かべる。


「何考えてるの?」「馬鹿なの?」

 冷ややかな声をかける、伽耶と麻耶。


「いや、幼稚園ジャックが駄目みたいなこと言われたから、一つ繰り上げて小学校ジャックにしたんだけど、それでもまだ問題あるのか?」

「どこをジャックしても悪い」「頭おかしいの?」


 姉妹が人質に取られている児童達を見回す。怯えた視線や、気持ち悪いものを見るような視線が、自分に集中しているのがよくわかる。子供は正直だ。ただでさえ殺人鬼の側で殺される恐怖に晒され、そこに二つの頭を持つ自分が現れたのでは仕方ないと、伽耶も麻耶も諦める。


「皆、早く逃げて」

「私達がこの男に手出しをさせないから、今のうちに逃げて」


 いつものように同時には喋らず、タイミングをずらして声をかける伽耶と麻耶。


「その子達も、そして教師も、君が現れた時、君のことを、化け物を見るような目で見ていたというのに、助けてやるのかい?」


 俊三が牛村姉妹の心情を見抜き、にやにや笑いながら指摘する。


「私はそんな目で見てません! いや、最初は驚いたけど、それでもそんなひどいこと思っていません! 化け物は貴方よ!」

 教師が叫ぶ。


「化け物というか馬鹿者」「いいからさっさと逃げて。そしてありがとう」

「でも……」


 教師の一人が逡巡したので、姉妹は同時に溜息をつく。


「馬鹿につける薬」「馬鹿は上で寝てて」


 二人が同時に即興の呪文を唱えると、不可視の力が俊三を襲い、俊三の体が天井まで吹っ飛ばされ、天井に大の字に張りつけられた状態になる。


『今のうち』


 姉妹に促され、教師達は息を飲みながらも頷き、児童達に声をかけて体育館の外へと脱出を促した。児童達が一斉に外へと逃げ出す。中には逃げながら、姉妹に礼を述べる子達もいたので、伽耶と麻耶は微笑を浮かべていた


 児童と教師がいなくなった所で、牛村姉妹は術を解く。ゆっくりと俊三が降りてくる。


「余計なことしてくれるなよ」

 諦めたように言う俊三。


「これは何?」「聞く必要もないけど」


 体育館の床に転がった無数の死体を指し、牛村姉妹が問う。


「暇つぶしの結果だけど、何か問題あるか? 先生だってよくやってることだ。おかげで触媒も多く手に入った。何より楽しかった」

「一般人まで殺しまくって、これじゃ擁護も難しい」

「お先真っ暗」


 麻耶と伽耶が同時に溜息をついてから、少しずらして言った。


 と、そこで鋭一が体育館の中に足を踏み入れ、俊三達のいる方へ荒い足取りで向かっていく。


「おい待て、芹沢っ」

「あーあ」


 善治が制止の声をかけ、竜二郎がけらけらと笑う。


「楽しかっただと?」

 冷たい声が鋭一より発せられる。


「こんな事の何が楽しいのか、具体的に教えてくれ」

「いや、何を楽しいと感じるかなんて人それぞれだし、口で言ったところで理解は得られないと思うな」


 鋭一を見て、俊三は肩をすくめて笑ってみせる。


「誰も殺されたいとは思っていない。この子達にも家族がいるし、殺された子の家族は悲しむだろう。それが楽しいのか?」


 なおもしつこく問いただす鋭一。


「いや、その意識は無かったな。意識すると楽しいかもしれないな。でもね、私はもっと単純に、くだらない命を消すのが楽しいんだ。パターンと化した命、ただの符号のようなつまらない命、人という事になっているが、どう見ても人とは思えない無個性な個。私はそれらを消したいと常々思っていたし、今、思う存分に消してまわっている。抑えていたものを爆発させた。とても楽しいな。さて……お望み通り解説したけど、理解していただけたかな? 無理だろう?」


 悪意を感じさせない和やかな雰囲気で語る俊三を見て、善治はぞっとし、竜二郎は感心したようににやにや笑い、優は無表情で何を考えているかわからず、鋭一はますます冷たく静かに怒りを募らせた。


「理解は無理だしする気も無い」「馬鹿の演説終わった?」


 伽耶と麻耶がどうでもよさそうに言う。


「お縄について」「犯した罪を償って」

「伽耶、麻耶……それは正気で言ってるのか?」


 姉妹に要求を聞き、呆れたように俊三。


「本気よ。もう貴方はおしまい。潔くして」「あんたに言われたらおしまい」

『もう罪を重ねないで』


 ハモった声には切実な響きがあった。


「こうなった以上、私が捕まったら死刑になるのは間違いないぞ?」


 俊三がフロアの死体を見渡し、両手を広げて言った。


「精神鑑定送りでOK」「頭がパーなら死刑回避」


 真顔で告げた牛村姉妹のその言葉に、吹いてしまう竜二郎。


「ごめん、伽耶、麻耶。気遣いを踏みにじってしまうけど、断らせてもらう。もう花火は打ち上げ始めてしまったんだよ」

「答えは決まったな!」


 姉妹が口を開く前に、鋭一が大声を出す。姉妹にこれ以上ぐだぐだ言わせないように。


 こんな悪党を精神鑑定に回して生き永らえさせてたまるかと、鋭一は思う。そして法の裁きにかける必要も無い。この場で――自分の手で死刑にしてやるのが一番いい。


 鋭一が俊三めがけてロックオンしようとした、その刹那――


「見つけたぞ!」


 善治と竜二郎の背後に現れた孕杖が、俊三を睨み、叫んだ。


「うっぐォおおおおおごおおっ!」


 咆哮をあげながら体育館の中へと駆け、俊三へと突進する孕杖の体に、異変が起こった。

 服が裂け、中から鮮やかなブルーの体毛があふれる。さらには体が膨張して巨大化する。


「ええっ!?」


 俊三も余裕をかましていられず、驚きの声をあげて、逃げ出した。


 孕杖の体は、直立せずとも頭部が天井につかえるほどに巨大になり、それ以上移動できなくなった。千人以上収容できる体育館のフロアが、青い毛で覆われた、犬と人を混ぜたような外見の巨大怪人となった孕杖一人の体で、ぱんぱんになっている状態だった。


「怪人というよりもうあれは怪獣だな」

「いや、怪獣というには小さいでしょー」


 体育館から離れながら、善治と竜二郎が言う。


「鋭一君、早くこちらへっ」


 優に声をかけられ、鋭一は渋々入り口へと戻った。このままでは孕杖が体育館を破壊して、天井の破片が上から降ってきて、下敷きにされかねないと思ったからだ。あるいは踏み潰されるかもしれない。


「一体その体はどうしたんだ?」

 壇上に上がった俊三が孕杖に問う。


「マッドサイエンティスト……雪岡純子に改造してもらった。お前を殺すために……」


 犬とも人ともつかぬ顔で、器用に人の声を発して答える孕杖。


(なるほど、裏通りでも生ける伝説と呼ばれる、あのマッドサイエンティストに改造してもらうというのはいい手だな)


 そう思いつつ、俊三が呪文を唱え、魔術を完成させる。


 相手のサイズがサイズなだけに、かなり強力な術を行使した。見た目の派手さは無いが、念動力による強力な衝撃波が放たれ、孕杖の巨体に直撃する。

 孕杖はひるみもしなかった。長い毛が少し揺れただけで、表情にも全く変化が無かった。


(マジで……?)


 あのサイズだから即死は無理でも、多少はダメージを与えられると踏んでいた俊三は、全くのノーダメージの孕杖を見て、血の気が引く思いを味わう。


 壇上の俊三めがけて突っ込む孕杖。俊三は危うく逃れる。

 孕杖はそのまま体育館を突きぬけて外へと出る。


 突然の怪獣もどきの出現をドローンで確認し、機動隊の面々は啞然としていた。


 俊三が体育館の中から、さらに攻撃呪文を唱える。バレーボールサイズの火球が四つ現われ、孕杖の頭部に全て当たり、毛が燃え出す。

 しかし、巨大化した手で燃えた部分を勢いよく何度か叩くと、それで火は消えた。痛覚が無いのか、熱がる様子も無い。


(私の手には負えない……か?)


 俊三がちらりと後方を見ると、すぐ側まで牛村姉妹が来ていた。


「ピンチになって期待の視線」「女に尻拭いをしてもらう情けない男」


 伽耶と麻耶が呟きつつ、俊三の脇をすり抜け、体育館の裏に開いた穴を潜り抜けて、怪獣もどきとなった孕杖の前に立ちはだかる。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る