第三十五章 33
ホルマリン漬け大統領新生記念パーティーの翌日。雪岡研究所。
昨日まで実験台として体中をいじられていた花野は、いろいろ改造したものの、生かしたまま解放された。
花野の能力『呑気なテロリスト』は、危険であるという理由により、使えなくした。純子からすれば、一度付与した能力を封じるのは本意ではなかったが、能力に加えて花野の人間性が危険だと、真に催促されたからだ。その後、花野は瑞穂の組織で引き取るという流れになった。
「イェア、これにて一件落着か~」
花野を研究所の外に放り出した所で、リビングに戻ってきた純子に向かって、みどりが歯を見せて笑う。
「全てのラットと和解したわけではないけど、多くのラットに連絡つけて謝ったし、一応解決したと見ていいかなあ」
「もうラットという言葉も使わない方がいい」
「うん、そうだねえ」
真に注意され、純子は曖昧な笑みを浮かべて頷く。
「今回の件は私にとって、大きな変化と進展があったかなあ。もちろん元ラットのマウス達もだけどさ」
ソファーに腰掛け、天井を仰ぎながら言う純子。
「瑞穂が反乱起こした事には、確かな意義があったわけですね」
「殺され損の奴も何人かいるけどな」
累と真が言う。
「今後も、純姉の背負った計り知れない数の業を、こうして少しずつ晴らしていきたいもんだよね」
「全くだ」
おちゃらけるみどりだったが、真は大真面目に同意して純子に視線を向ける。
「あううう……何だか真君の視線が痛いんだけど」
「今後も雪岡の業を全て浄化する協力はするさ。でもできれば、これ以上業を増やさないでほしいもんだ」
「んー……すまんこ……」
難しい話だと純子は思ったが、それを口にすることはできなかった。
「百合の問題は解決していないんですよね。考えているんですか?」
「んー……」
累の指摘に、純子は百合に決闘を申し込まれたことを思い出す。実は誰にも話してはいないし、話すつもりもない。
「解決しなくていいぞ。僕がケリをつけるんだから。あれは僕の獲物だ。余計なことしたら許さない」
累と純子を交互に睨み、強めの口調で念押しする真。累は嘆息し、純子はそっぽを向いて頬をかいている。
「こんなこと言うと、真兄や御先祖様は怒るかもしれないけどさ、あの百合って人も可哀想だと、あたしは思うんだよね」
「怒らないよ」
みどりが言ったが、真は即座に言った。
「これでも失恋経験はあるし、ラットや百合の感情を失恋になぞえていいのかどうか知らないけど、殺意や狂気にまで変わるってことは、きっとそれよりひどい痛みなんだろう。ラットになら同情する。百合も、あんなことしなければ同情に値する」
口には出さないが、ラット達と自分を重ねて見ている部分も、真の中にある。
(僕にもあいつらと同じように、雪岡との間に、凄くいい思い出がある。何度も思い出す。あの頃に帰りたいという気持ちも、あるに決まっている。失うことになった悔しさもわかる……。あのままじゃ駄目だったのかと、運命を呪う。いろいろと奪ってくれた百合を恨むし呪うし、このままでは済まさない。でも……)
そこまで考えた所で、真の考えは中断させられる。
「へーい、真兄、じゃあもっと怒りそうなこと言わせて。これだけは言っておきたい」
真に向かってみどりが真顔で告げた。
「はっきり言うけど、あの百合を復讐に駆らせた元凶は、純姉というよりも、純姉を自ら呪いへ導く原因となった、真兄の前世なんだぜィ。輪廻の枠を飛び越えた因果応報といえるわ。真兄の周囲はそのとばっちりで殺されたんだ。こんな考え、真兄には受け入れられないだろうけどさァ」
「……」
前世だの転生だの輪廻だのは、真の一番好まざる所だ。しかしその一方でその好まざる領域を、こっそり利用してやろうとも目論んでいるし、その事実をみどりだけが知っているので、何も言えなくなってしまった真である。
「復讐なんて馬鹿のすることって、真兄はよく言うけど、理屈でわかっていて感情で止められないから馬鹿だって、真兄も理屈でわかっているからこそだろォ~? で、真兄自身も感情を抑えられず、馬鹿だとわかりながら復讐を諦めきれない。真兄が復讐すりゃ、延々と続く憎しみの連鎖はまた続いていくのもわかったうえでさァ」
「そうだな……」
みどりがどういう意図でこんな台詞をここで口にしているか、真は知っている。
真は知っている。みどりはすでに自分がどうするか知っている。だからこそ協力してくれているし、わざわざ純子と累の前で、諭している。
真があっさりとみどりの言葉に頷いたのを、累は意外に思った。いつもの真なら、もっと反発していそうなものだと。
(真も大人になったのでしょうか……)
そんな風に考える累。
一方で真は、先ほどの続きを考えていた。
(でも……百合が僕を狙ってきたからこそ、僕は新しい生き方を見出し、新しい世界が開けた。あの時と違う今がこうして存在している。正直、それはそれで悪くないんだ。殺された奴等には悪いし、こんなこと考えちゃいけないんだろうけど……)
そう思い、真はふと純子の方に視線を向ける。
(こいつとの付き合い方も……変化したけど、今は今で悪いもんじゃない)
今の日々も嫌いではないが、真はいつまでもこのままでいたいとも思っていない。自分の目的は、誓いは、必ず果たすつもりでいる。
***
『そもそもの出会いは、今のような形を望んだわけでもなく、私はあなた達を利用するためだけに……あるいはただの好奇心で……』
そこまで書きかけて、草稿を破り捨て、丸めて捨てる。
『短い間でしたが、本当に楽しい思い出でした。あなた達と共に暮らしていた日々は、私の人生の中でこれ以上は無いというほど、心安らぐ時間……』
また破って捨てる。すでにゴミ箱は紙であふれている。
『私を恨んで……』
数文字書いただけで丸めて捨てる。
とうとう書くのを諦め、鉛筆を置いて額に手を当てる。
自室にこもること二時間、同じ作業の繰り返し。時計を見て、時刻の経過に呆れてしまう。そろそろティータイムの時間だ。
「馬鹿馬鹿しいですわね。置手紙なんて……」
最後まで書き上げることはできず、最後にそう結論づけて、百合はその行為自体を辞めた。
気晴らしにリビングへ赴く。置手紙の相手である三人が、いつも通りくつろいでいた。さらにもう一人見知った人物がいる。
「あ、百合様、そろそろお呼びしようかと思っていた所です」
「お久しぶり、蛆虫ですけどお邪魔しています」
百合の顔を見て、紅茶を淹れていた白金太郎と、久しぶりに訪れた葉山が、百合に声をかけてくる。
「葉山は随分と逞しくなりましたわね」
一目見て百合はそう感じた。武者修行の旅に出るなどと言い残し、最近はほとんど顔を出さなくなったが、以前見た時より明らかに腕を上げたと見なす。
「僕如きがそんな……でもそう言われると嬉しいです。うねうねうね……」
照れたようにもじもじと身を揺らす葉山。
「そういや葉山さんがこないだ連れてきたイルカはどうしたのー?」
「アンジェリーナなら、僕の師匠の家でお世話になっています。僕と一緒に行動しても、危険に巻きこむ可能性が高いので、別々に生きることとなりました」
亜希子に問われ、葉山は心なしか寂しそうに答える。
「あはっ、葉山が愛想つかされたとか、そういうんじゃないんだ。でもあのイルカ、葉山に懐いていた感あるし、葉山は寂しくないのぉ?」
睦月がからかうと、葉山はふっと笑う。
「寂しいに決まってますよ。でも、永遠の別れというわけでもありませんし、アンジェリーナはアンジェリーナで、新しい環境にも馴染んでいましたから、あれでいいと思うのです。僕は僕で、蝿になって大空を自由に飛べる日を目指し、僕の道を進みます」
気色の悪い表現はともかくとして、先の希望を見据えている葉山を見て、百合は気持ちが滅入りそうになる。
(私にはもう……ありませんわ。私は失ってしまいました)
これまでは、一つのものを見て生きていた。何十年もずっとそれを見て、頭の中で縋っていた。追い続けていた。想い続けていた。
百合の中には、とても暖かなものがあった。憎しみという名の希望が、未来があった。しかしもうそれは、着地点を失い、虚無の海へと向かって滑空している最中である。
虚無の海の中に落ちて溺れ死ぬことは許せない。その前にせめて、海の中から愛しい怪物を引きずり出して、食い殺してもらう。それが百合の最後の願望だ。
(皆さん、お元気で……。とても楽しかったですわ)
口に出さず、心の中で先に別れを告げておく百合であった。
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