第三十五章 34
その日、由紀枝は雪岡研究所に訪れた。
由紀枝だけではなく、亜希子とその恋人である佐野望も呼ばれた。理由は、望が霧崎剣によって谷口陸の脳組織を移植され、同様の能力が備わっているので、それを参考にして、由紀枝にも同じ能力を身につけることができないかと試みるためだ。
『それなら望君に移植した脳組織部分をクローン培養したまえ。私はとっくにしてあるぞ』
電話で霧崎にアドバイスを求めると、そのような答えが返ってきた。
「あー……それなら望君を呼ばずに、霧崎教授の方に行けばよかったねー」
『ただ、移植は相性が悪いと失敗するぞ。谷口陸と望君とは血液型も一致していたし、同性で年齢も近かったから可能だった。もしそれが異性であるとしたら……』
「大丈夫。昔、異なる性別でも脳組織移植して、妖術使えるようにした子もいるから」
『たまたまだろう。少しでも拒絶反応が出たらやめるべきだ。望君の場合は、嘘のように相性よく馴染んだが、誰にでもこうはいかない』
電話の内容は由紀枝と亜希子と望にも聞こえていた。霧崎の言葉を聞いて、由紀枝は不安げな面持ちになる。
「そんなわけで望君、ちょっと細胞ちょーだい」
「う、うん……」
純子に笑顔で頼まれて、躊躇いがちに頷く望。
望から採取した細胞を、核を除去した受精卵と結合し、人工子宮に入れ、さらに高速培養を試みる。ただし、普通にクローンを作るつもりはない。胎児に霊魂が宿る前に脳の部分だけを取り出し、他の体の部分は捨てて、脳組織だけを培養する。
この方法で、限定部位だけの生産が可能になる。真が戦って体を欠損した際にも、この部分クローンによって補っている。
「ちょっと時間かかるから待っててねー。望君と亜希子ちゃんはありがとさままま。もう帰ってもいいよー」
純子にそう言われたので、望と亜希子は研究所を去り、由紀枝は応接間で、脳の培養が済むまで待つ事になった。
「あのねえ、由紀枝ちゃん。大体のコンセプトはわかったけど、やっぱりそれじゃ不便だと思うんだよねー。平面――字や映像は見ることができないんだからさ」
「うん、陸も見えなかったから、私がその補助してたよ。でも、それでいい。私も陸みたいになりたいから」
「補助が必要ってのは不便だし、そこまでこだわる事も無いと思うんだよね。必要な時だけ見られるようにしておく方がいいと思うよー」
「うーん……」
純子に促され、由紀枝は考える。
「字とか読めないと、結局誰かに迷惑かけちゃう……か。わかった。でも基本的には陸と同じがいい」
「普段は目を閉じたままの陸君モードで、必要な時だけ目を開いて二次元も見るっていう感じで、由紀枝ちゃんが調整すればいいねー」
「お願いします」
立ち上がり、ぺこりとお辞儀をする由紀枝。
「うんうん、任せてー。でも由紀枝ちゃん、今後どうするのー?」
「瑞穂さんの所でお世話になるつもり。裏通りの組織の手伝いとか、面白そうだし」
「そっかー。そりゃよかった」
今回の気がかりの一つだった由紀枝も、落ち着く所に落ち着くようなので、これで純子の心残りはあと一つだけとなった。
***
「そんなわけで、あたしは最早オリジナルをも越えた存在だと、認識したわけ」
事務所が本格的に修復作業に入ったので、マンション自宅に拠点を移したクローン達を前に、二号が得意気に語る。
現在、美香はいない。また雪岡研究所で療養中だ。
「あたしはオリジナルの仇をしっかりと取ったが、オリジナルは無様に負けた。あんたらも見たよね? もうあんたらもオリジナルも、この二号様に一目置かなくちゃならない。その理屈もわかるよね? ん?」
「わかんない」
ジト目で即答する十一号。
「くっ……これだよ。認めたくない気持ちはわかりますけどねー。これが現実なんですぅ~。ふひっ」
「そうやって悪ぶって威張り散らす必要もないでしょう? 二号はオリジナルを守ろうとして頑張った。それでいいじゃないですか。それは私達も認めています」
肩をすくめてへらへらと笑う二号に、十三号が穏やかな笑みをたたえて言う。
「くっ、いい子ちゃんめっ。そんなこと言われるとあたしの続ける言葉がねーッス」
「にゃーはわかってるにゃー。二号は照れ隠しがしたいだけなんにゃー」
にやにやしながら七号。
「のーのーっ。違うからっ。あたしを見くびるなっ。あたしはお前ら凡俗クローン共と違って、大志があるんでーいっ。いずれ独立するし、そん時は世間がオリジナルよりあたしに注目してるっつーの」
「それは楽しみだな! 是非とも実現してみろ!」
聞きなれた叫び声を耳にし、クローン達が表情を輝かせる。
「おかえりなさい、オリジナル」
「おかえり」
「おえりにゃー、心配したにゃーっ」
「差し歯と整形はばっちりかね?」
「心配させて済まなかった! 二号! 余計なことを言うな! それに差し歯ではなく、部分クローンを用いて本物の私の歯を移植した!」
二日ぶりに顔を見せた美香は、二号以外に笑顔を向け、二号の頭は軽く小突いた。
「いろいろ迷惑をかけた! しかし私といるとまた迷惑をかける! 独立したいというなら止めはしないし支援もする!」
「ふひっ、いずれだ、いずれ。今はまだオリジナルは危なっかしくて放っておけねーし、あたしがメジャーになるための踏み台として、せいぜい利用させてもらうさ~」
小突かれた頭をさすりながら、二号は美香に背を向けて、なおも悪ぶる。
「それももう何度聞いたかわからない台詞だし、そろそろ別バージョン考えたら?」
「んんん……」
十一号に指摘され、二号は腕組みして唸る。
「七号が言うように照れ隠しと、悪ぶるキャラ維持だけなんだろうけど、いい加減疲れないの?」
「疲れないわーいっ! これが素のあたしでーいっ! キャラ作ってるわけじゃねーやーいっ!」
二号が唾を撒き散らして喚き、十一号は顔をしかめて手でガードする。
「ま、二号はもうこれでいい! しかし疲れたならいつでもやめていいからな!」
「オリジナルまでそんなこと言いやがって。そうやって見くびってるがいいさーっ」
にやにやと笑う美香を見て、二号はそっぽを向いて吐き捨てた。
***
安楽市絶好町繁華街南にある、夜叉踊り神社。その裏口。
百合は呆然として自分の両腕を見ていた。
地面に広がる夥しい血。そして血だまりの中に転がる己の両腕。
お気に入りの白い服は、今なお吹き出る大量の血によってあちこち赤く染まっているのが、自分でもわかる。
己の体の一部を失った絶望と、流れゆく血を見つめて予感する死と、死の恐怖。
敗北の屈辱など無かった。今まで戦っていた敵に、命乞いをしたいという感情にとらわれていた。いや、戦っていたと言えるかどうか怪しい。戦いが始まったと思ったその直後、こうなっていた。あっという間に両腕が切断されていた。
すがるような目で、自分の腕を奪った相手の真紅の瞳を見る。
「まだやるー?」
無感情な問いかけに、百合は泣きながら何度も首を横に振った。
沸き起こった感情は恐怖だけではない。絶対的な強さへの憧れも沸いていた。天狗だった自分の鼻をあっさりとへし折った者への畏怖と憧憬の念。
その時から、百合はこのマッドサイエンティストと共に歩み始めた。この時から、百合の新たな世界が始まったと言っても、過言ではない。
***
安楽市絶好町繁華街南にある、夜叉踊り神社。その裏口。
百合は黙然として自分の両腕を見ていた。
白手袋の内側にあるのは鋼鉄製の義手だ。元通りの腕に再生することは出来るが、あえてしない。これは大事な思い出として取っておくことにしたのだ。それは純子に対する友愛と、出会いへの記念の証のつもりだった。
純子と仲を違えてからも、百合は義手のままで、元の腕にしようとしなかった。純子と敵対したのならば、元に戻してもいいはずなのに、そうする気になれなかった。そのことは、なるべく考えないようにしていた。あるいは自分に嘘をついていた。
出会い、殺し合い、全てが始まった場所。あの時との違いは、出会った時は霧の立ち込める明け方だった事くらいだ。今は午前一時。霧も出ていないし、雲一つ無い晴天の夜空だ。丸い月が闇の中で無粋な自己主張をしていると、百合の目には映る。
満月が引力により人の精神をかき乱し、狂気を呼び覚ますと言われている。しかし百合の精神は平静そのものだ。それどころか、いつになく澄み渡っている。
どれだけの時間を待ったのか。長いような気もするし、あっという間だった気もするが、呼び出した相手は訪れた。
「こんばんは」
百合の方からにっこりと笑って挨拶をする。
「こんばー。この場所を選ぶなんて、相変わらずロマンチストだねえ、百合ちゃんは」
会った時と変わらぬ屈託の無い笑みをうかべ、純子が言った。
「私と正面切って戦うとか、どんな風の吹き回しなのかなー?」
笑顔のまま問う純子だが、嫌味とは感じない。
「真も私にかなわないとわかっていながら、果敢に向かってきましたわ。瑞穂だってそうでしょう? 貴女に一矢報いたいとして、必死に挑んでいましたわ。あれに感化されたのでしょうか」
「瑞穂ちゃんのは、百合ちゃんが私に決闘申し込んだ後じゃなーい」
「そうでしたわね。でも瑞穂の戦う姿を見て、感じ入るものもありましたわ。今の私はとても清々しい気分ですの。純子、他ならぬ貴女のおかげでね。貴女の呪いの話を聞いて落胆する一方で、それを自分でかけたものだと聞いて安堵し、とても心が澄み渡り、透き通った気分ですのよ。今の私なら、誰にも負けないような気がしますの。きっと……ただの錯覚なのでしょうけど」
偽らざる本心を語る百合。
「私とラット達では、微妙に貴女への想いもずれていますけれど、それでも私にはラット達の気持ちもわかりますわ。私も、貴女と出会ったばかりの頃、貴女が輝いて見えましたわ」
「はあ……わっからないなー。私なんかのどこにそんなに惹かれる所があるのか」
純子が腕組みして小首をかしげ、大きな溜息をつく。
「世の中をくだらないと感じる人達、誰も彼もつまらないと感じる人達、社会に背を向けて孤独を味わう人達からすれば、貴女は初めて出会った、面白い人間。価値のある人間。くだけた言い方ですが、こう言えばわかりますかしら? 貴女にはわからないでしょうが、私達からすれば、それはもう鮮烈なる衝撃ですのよ」
「んー……そういうものかなあ」
「理屈では伝えきれないことがありますから、口でいくら言ってもわからないでしょうね。人が人に惹かれるという現象に関しては、特にわからないでしょう。共感し、理解できるのは、同じ境遇や感性を持つ者だけですわ」
特に純子には、その気持ちが理解できないのだろうと、百合は思う。自身が長年、誰にも惹かれない呪いをかけていたのだから。
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