第三十五章 32
瑞穂は躊躇なく純子に接近戦を挑んだ。
間を詰めて殴りかかる瑞穂の拳が、炎に包まれる。いや、炎が噴き出す。
爆発でも起こったかのように、純子と瑞穂の間で炎が飛散したが、純子は燃え盛る瑞穂の拳を平然と素手で受け止めている。
さらに驚くべきことは、炎が一切純子の側へと向かっていないことだ。火が見えない壁に遮られるかのようにして、阻まれている。
その光景を目にした瑞穂は、絶望感に等しい感情を抱きかけ、闘志が薄れそうになる。これが何を意味するのか、わからないはずがない。自分の最大の武器である炎は、敵には一切効かないと、示されたに等しい。
(勝てるなんて……思ってない。でも、自分の全部をぶつけてやる。今までの恨み……想い、全部っ)
百合の瑞穂に対する読みは当たっていた。正にそのために、この対戦カードを無理矢理組んだ。公衆の前で、自分を追い込むというニュアンスも込めて。
「不器用だねえ、瑞穂ちゃん」
屈託の無い笑みを浮かべ、嘲る響きでもなく、親しみをこめた声で言う純子。
一瞬心が揺れかけた瑞穂だが、歯噛みして、至近距離から膝蹴りを繰り出す。
純子は瑞穂の拳を手放して、後方に軽く跳び、瑞穂の膝蹴りをかわす。
(あっさり瞬殺しちゃうと瑞穂ちゃんが可哀想だし、かといって手加減して受けに回り続けても瑞穂ちゃんが怒りそうだし、んー……この場合どうしたらいいんだろう)
そんなことを考えて迷っている純子であった。
無駄とわかりつつも、至近距離から炎を噴射する瑞穂。
炎は全て遮断される。純子に届く気配は全く無い。
(真空を固定状態にして、私の周囲を覆っているから、ただの炎じゃ絶対に届かないんだよねえ。その事実に気づいて、その防御を解除できない限りは)
純子が手刀を振るう。振るった手の手首より先が消えている。
手首より先は空間を越え、咲の首筋へと現れる。
(え?)
首筋に手刀を叩き込んで気絶させようとした純子であるが、手応えのほとんどない奇妙な感触に驚いた。
瑞穂は自分の首を全て横に平面化し、まるで紙束が重なっているような状態にしたのである。その中を純子の手刀が切り裂くように突き抜けていく。
紙束状にしたのは一瞬だけだ。あまり長いことそのような状態にしていては、血液の循環も滞り、脳に血がいかなくなって死んでしまう。神経の伝達も働かない。
(そんなこともできるんだ。作った私が知らないとか。いや、思いつかなかったと言った方がいいかなあ)
驚きと感心の目で純子は瑞穂を見る。
「偶然の悪戯」
瑞穂が運命操作術を発動させる。
「おおっと」
リングと思って踏んでいたものが、リングのキャンバスに化けた瑞穂の一部で、運命操作術を発動させると同時に、動かして純子を転ばせようとした。普通に動かしただけでは逃げられる。しかし偶然の悪戯と組み合わせたため、いかに純子といえども避けられず、大きく体勢を崩す。
体勢を崩した純子めがけて、瑞穂が炎を吹き出さんとする
「不運の譲渡」
そう呟いたのは、瑞穂ではなく純子だった。純子も運命操作術を用いて、己の不運を瑞穂へとかぶせんとする。
純子が体勢を戻すと同時に、足元の布状の瑞穂の体の一部がリング上を滑り、由紀枝の方へと向かう。
瑞穂はその行為に気をとられ、急いで布状の体を回収した。純子への攻撃より、そちらを優先した。
純子からの攻撃を警戒し、バックステップして距離を取る瑞穂だが、純子はすぐには動かなかった。
(さっさとけりをつけた方がいいかなあ。長引かせるのも、嬲っているのと同じだし)
純子はそう判断し、攻撃へと転じた。平面状になって逃げられない攻撃を選ばないといけないが、さして難しい問題でもない。
純子が瑞穂に一気に肉薄する。前方に炎を噴出させる瑞穂だが、純子はものともせずに、炎の中に突っ込んで、瑞穂の目の前へと迫った。
基本的に熱変化による攻撃は、瞬間的に相当な広範囲な攻撃か、あるいは不意打ちでも無いかぎり、純子には通じない。周囲を真空状態にしなくても、物質の運動速度の加速も減速も自由に操れるので、絶対零度だろうと一兆度の火球だろうと、全て無効化できる。
瑞穂のこめかみを、人差し指と中指で軽く叩く。
叩いたその時に、軽く電気を流している。
意識が暗転し、何が起こったのかもわからずに崩れ落ちる瑞穂。これで勝負はあっさりとついてしまった。
『最終試合、雪岡純子選手の勝利!』
倒れたまま起き上がらない瑞穂を戦闘不能と見なし、純子の勝利がコールされる。
これまでもあっけなく瞬殺で終わる試合は幾つかあったが、それにしても一つ前の、美香と睦月戦が盛り上ったので、オマケで急遽追加された最終戦がこの有様であったことに、落胆した客も何名かいた。
瑞穂はすぐに気がつき、身を起こす。しかし立ち上がろうとはしない。
(あっさり負けた……。わかってはいたけど、それにしても無様)
リングの上にへたりこんだまま、惨めな気持ちでいっぱいになる。
『これにて今夜のイベントは全て終了です。今後も新生ホルマリン漬け大統領をよろしくお願いします』
アナウンスの後、パーティー会場にいた客達が惜しみなく拍手を送る。イベントが大成功で終わったことを告げていた。
にも関わらず、組織の長である瑞穂は、リングから降りてうなだれていた。
(嬉しくもなんともない。つまり、そういうことなんだ。思い出の組織を復活させた所で、あの日々は帰ってこない。零も死んじゃったし……)
瑞穂はそう受け止める。
(足掻いたけど、何もかなわない。掴めない。私のすること全部無駄。何かを得たとしても失うだけ……)
やがて客達も帰りだした。最後は瑞穂からの挨拶の予定があったが、瑞穂は落ち込んだまま動こうとしなかったので、代わりに宏が務めた。
「蛇足な戦いでしたわね。せっかく睦月と美香の戦いで、良い感じに盛り上っていましたのに」
最初に瑞穂の側にやってきて声をかけたのは百合であった。
言葉とは裏腹に、心から侮蔑はしていない。それどころか、瑞穂の戦いにも、今の瑞穂の心境にも、百合には感じ入る所がある。
真、純子、累も、防弾ガラスの内側へと入ってくる。
「真……百合、あんた達が一番幸せだった頃って何時? 一番自分が輝いていた時のことを思いだしてみて。私達は……同じなはずよ。あの子といた時間が――あの子を疑うことの無かった時間が、きっと一番輝いていた。そうでしょ? 私にはわかる」
自分と近しいと思える二人を名指しして、瑞穂は己の痛切なる想いを訴える。
「美しい思い出に縋ることが……人を好きになることが、悪だというの? そのおかげで私は苦しんでいるの? 純子、零、私の三人で過ごしたあの最高の時間を……他ならぬ純子が穢した事が許せない」
語りつつ、瑞穂は百合の方に顔を向ける。
「百合、あんたは私と同じだ。私の気持ち、わかるでしょう? 純子は今までそうやって人をたらしこんで、自分に夢中にさせて、そして飽きたら捨てる。そんなことをずっと繰り返してきたのよ。ラットとか言って放置して……最低最悪の残酷な悪魔よ」
「わかりますわ。でも……今の純子はもう違うらしいですから、貴女は存分に甘えたらよいのではなくて? 私は純子を許しませんけどね」
「あんた……自分は許さないと言って、私には甘えろですって? 馬鹿にしてるの?」
「ええ、馬鹿だと思ってますわよ。言葉で迷いを断ち切ってほしくて、先ほどから泣き言ばかり口にしていますもの。お望み通り、断ち切ってあげましたわ。さっさと和解して甘えなさいな。けど、私には迷いなどありませんのよ」
いつものように嘲笑交じりではなく、達観したような面持ちで語る百合を、純子も累も亜希子も睦月も、意外そうに見ていた。瑞穂はそれどころではなく、肩を落としてうつむき、見るも無惨に落ちこんでしまっている。
「百合に同意するのは癪だが、確かに百合の言うとおり、もういいだろ。復讐なんてそれでなくても馬鹿のする事だが、お前は復讐しなくちゃいけないっていう、強迫観念か、さもなければ義務感で動いているように見える。本心はもうそんな気は無いだろうに」
真のその言葉を聞き、瑞穂は再びうなだれる。
(私、馬鹿丸出しで、一人で踊っていただけなのかな。全部無駄だったのかな)
虚脱感に包まれたその時――
「おーい瑞穂、何て顔してるんだよ。そんなに雪岡純子に負けたのが悔しいのか?」
いつの間にか、事務室の方から会場にやってきた宏がリングの側にやってきて、声をかけた。瑞穂は顔を上げる。
「私はこれでも勝つつもりでいったからね……。奇跡の一つでも起きてくれないかなって。でも、やっぱり駄目だった。やっぱり私は何も得られない」
宏の方を見て、力なく笑う瑞穂。
「お、俺がいるじゃないかっ」
「……」
躊躇いがちに言った宏の言葉に、瑞穂はぽかーんとした顔になって、宏を見つめる。
既視感を覚える真。そしてすぐに思い出す。まだ出会ったばかりの頃に、自作自演での売り出しに失敗して、落ち込んでいる晃を十夜が励ましていた場面だ。
「あんた、私の何……? 恋人でもないし、この場面でいきなり唐突にその台詞、おかしくない?」
「おかしくないっ。恋人でなくても相棒だろうっ。瑞穂一人で生きているわけじゃない。それにお前はもう新生ホルマリン漬け大統領のボスだし、ラット達のまとめ役でもあるんだ。責任ある立場の人間がそんな弱気じゃ駄目だろっ」
「む……」
宏に叱咤され、瑞穂は自分の中に気力が戻ってくるのを実感した。
「瑞穂ちゃんがいろいろ行動したおかげで、いろんな人達に影響を及ぼして、未来が開けた部分もあるんだしさ、そっちの方を見たら? それが例え過去を引きずって、取り戻そうとして動いた結果だとしても、十分に意義はあると思うんだ」
優しい口調で諭す純子。
「そうね……純子には言われたくないけど」
皮肉げに微笑み、瑞穂はようやく立ち上がる。
「ていうか、いい加減あいつを止めてやれよ」
未だにリング上をふらふらと歩いている由紀枝を指す真。
「あ……仕掛け解除する。由紀枝、もう終わりよ」
瑞穂に声をかけられ、由紀枝は呆然と立ち尽くす。
「結局……駄目だった……」
由紀枝が呟く。
「何が?」
瑞穂が問う。
「私、これがラストチャンスだったのに。陸になるための……」
由紀枝のその台詞を聞いて、百合は、純子に言おうと思っていたことを思い出した。
「ああ、この前言い忘れていたこと、今がいい機会だから言っておきますわ。この前というか、今まですっかり忘れていましたが」
純子の方を向いて、百合が言う。
「由紀枝を陸と同じようにしなさい。無償で改造しなさいな。実験台となる代償のルールは認めませんわ」
有無を言わせぬ物言いに、純子が口を開こうとしたが、百合が手で制する。
「そもそもあの娘がこのようになってしまったのは、貴女達にも責任がありますからね。無論、私にも」
「代償があっても別にいいよ……。陸と同じになれるなら、私はそれが一番の望み。陸と同じように世界を見て、このゲームをクリアーしたいからさ」
百合の台詞を聞いて、由紀枝が主張する。
「その子を陸君と同じにしたら、同じことをやるんじゃないかな?」
「それはそれで愉快だと思いますわ」
純子に問われ、百合が笑顔で言ってのける。
(百合がやたらと純子に実験台志願者を送る理由は、縁を繋ぎとめていたいから……なのよね)
瑞穂は思う。指摘すれば絶対に百合は否定しそうだが、瑞穂はそう見ている。
「ところでさあ、本当に由紀枝ちゃんが止まると、爆発する仕掛けになっていたの?」
「本当よ」
純子の疑問に、瑞穂がリングのエプロンをめくってみせると、そこにはTNT爆弾がぎっしりと敷き詰められてあった。
「こんなのの上で火使ってたのか。危険すぎだろ」
「それどころか、これの上で銃器も使ってたんですよ。リングのマットに当たったら、それだけで大爆発です」
呆れて言う宏と累。
実際にはリングのマットも下に防弾プレート敷いてあったから大丈夫なはずだが、瑞穂はささやかな意地悪として、黙っておくことにした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます