第三十五章 31

 時間はパーティーが始まる前まで遡る。

 由紀枝は瑞穂にこう言われた。


「貴女は陸みたいになりたいというけど、現実的にあんな風になれると、本気で信じてるの? ただ、妄想に、願望に縋っているだけじゃない?」

「……」


 瑞穂のストレートな指摘に、由紀枝は顔色を失い、無言で俯く。


「この世界がゲーム云々っていう話だって、陸が言っていたからという理由で、それに合わせて自分も信じることで、陸の幻影にしがみついているだけでしょ。本当は貴女だってわかっているはずよ。現実が見えているでしょ?」

「現実はこの世界の外よ。私は認めないよ」


 冷たい声で指摘し続ける瑞穂に、聞く耳もたないを通さんとする由紀枝。


「陸のように世の中を視るといっても、具体的にどうしたらいいか、わかっているの? 目をえぐりとっただけじゃない」

「陸みたいになれるように、訓練だってしてる……。ずっと……いろいろ試してきたっ」


 掠れ気味の声で、誰かに訴えるかのように由紀枝は言う。


「絶対不可能とは言わないわ。陸という実例があるんだしね。でもああなるには、何か大きなきっかけがいる。覚悟とか、危機的状況とかね」


 由紀枝の思ったとおりの反応にほくそ笑みつつ、瑞穂は話を続ける。


「一つの賭けに出てみない? 貴女の命をかけてさ。貴女の命がけの覚悟で、私のイベントに協力してほしいの」


 そうして瑞穂は由紀枝に、止まったりぶつかったりしたら爆発して死ぬという条件で、歩き続ける人間爆弾の役割をしてほしいという話を持ちかけた。


「貴女はただリング上を歩くだけじゃない。陸みたいになれるように……空間を完全に把握して視ることができるようにならないといけない。止まれば爆発、戦っている連中に当たっても爆発。そんな状況だからこそ、必死になれる。進化できるかもしれない。超常の力が開花するかもしれない。どう? やってみない?」

「やる」


 由紀枝は見えぬ瑞穂の顔を見上げて即答した。何も無い双眸で、睨みつけられたような、そんな錯覚を覚える瑞穂。


「それくらいしないと、陸みたいにはなれない。ありがとう、瑞穂さん。これで例え失敗してゲームオーバーになっても恨まない。これがきっと、次のステップに進める限界突破のクエストなのよ」


 決意を込めて言い切る由紀枝。


「陸といた頃には戻れないけど、私は陸を忘れない。心の中に陸をセットしたまま、次のステージに進む。歩き続けるから」


 由紀枝のその宣言が、瑞穂の胸に嫌な痛みを与えた。


 瑞穂とて、次のステージへと進むつもりでいる。だからこそ新生ホルマリン漬け大統領を作ろうとしている。しかしその一方で、引きずっているからこそこの組織を蘇らせ、引きずっているからこそ、純子達にちょっかいをかけている。

 自分と由紀枝は変わらないはずだと、瑞穂は思う。由紀枝も一番幸せだった時間を引きずっているからこそ、自分の目を潰した。同じだ。同じはずだ。なのに今、違うと感じてしまった。そしてそれは刺となって、瑞穂に心に突き刺さった。


***


 かくして由紀枝は賭けに臨み、すぐ側で殺し合いが行われているリング上を、ふらふらと彷徨い続けている。

 失った目玉で開眼して、陸のように世界を認識できる最後の機会のつもりで、ただ歩き続けている。視ようと、周囲の空間を把握しようとして、必死に念じ、願い、想い続けながら、ひたすら歩いている。


 一方、そんな由紀枝のことなど誰もが失念し、アナウンスが流れたことでどよめく会場内。純子の近くにいた者達は純子に注目する。


「お前、出る予定だったのか?」

 真が純子に尋ねる。


「初耳だよー。普通に申し込んでも私が断るから、大勢の前で有無を言わせずって感じじゃないの?」


 微笑みながら答える純子。


「今、断れば問題無いですよね」

 と、累。


「そうすると瑞穂ちゃんの顔が潰れちゃうじゃない」


 言いつつ、純子が振り返り、会場内に現れた瑞穂に視線を向ける。


 瑞穂は純子と視線を合わせようとせず、その横を通り過ぎてリングへと向かう。


「お前も案外お人好しな所があるからな。あいつはその辺につけこんだって感じだな。気に入らないやり方だ」


 瑞穂を一瞥して言う真。


「まあねえ。やり方はズルいけど、まあ……こっちも引け目があるから、付き合うよ」


 そう言って純子はリングへと向かう。先に上がっている瑞穂が敵意に満ちた視線を純子に突き立てるが、今度は純子の方が視線を無視した。


 純子がリングに立つと、会場内が沸き立つ。


「由紀枝ちゃん、疲れない?」

 リングに上がった純子が声をかける。


「大丈夫……頑張る」


 純子の方を向いて小さく微笑み、由紀枝はなおもふらふらと歩く。


「冷血なくせに優しい振りしないでよ。反吐が出る」


 純子を睨んで悪態をつく瑞穂。


「優しい振りしなくていいなら、ここにいなくてもいいよね? 元々私は戦う気なんてなかったんだしさあ。瑞穂ちゃんの顔を立てて、ここに上がってあげたんだよ?」

「恩着せがましいわ。もし貴女が応じなかったら、この子を使って無理矢理上げさせただけの話だし、そんなことで恩義なんて感じない」

「悪ぶっちゃってまあ……。そういうのは瑞穂ちゃんのキャラじゃ無理があるよー。百合ちゃんならともかく」

「そこで私を引き合いに出さないでくださるかしら」


 二人の会話はリング下まで聞こえなかったが、読唇術で会話を読み取った百合が不機嫌そうに呟いた。


「瑞穂って人、純子に勝てるの?」


 百合の隣にいる亜希子のその問いに、百合は侮蔑たっぷりの嘲笑を浮かべた。


「実にくだらないですわね。瑞穂に万に一つも勝ち目などありませんのに、玉砕して想いの丈をぶつけたいとでもいうのかしら」


 あるいは何か企んでいるかだが、何をどう企もうと、瑞穂如きでは純子をどうにもできないであろうと、百合は見ている。


***


 美香はいつの間にか気を失っていた。


 意識が戻ると、医務室の床に寝転がらされていた。ベッドは複数あったが、全て使われていて満杯だった。先に戦った負傷者が寝ている。

 顔には氷嚢が当てられている。顔の痛みが酷い。右脚と右手首も負傷していた。


「大丈夫?」


 声がしたので、氷嚢を少しずらし、片目を開けると、心配そうに覗き込む睦月の顔があった。


「全く大丈夫ではないな……」


 叫ぶ気力も無く、苦笑いと共に答える美香。


「私をこんなにぼろぼろにしたことに、罪悪感でもあるのか? 私は全く恨んでないから、気にしなくていいぞ」

「あはっ、勝負なんだし、こっちだって死ぬ寸前までやられたんだから、そういうのは無い……と言いたい所だけど、うん、結構気にしちゃってるねえ」


 睦月が照れ笑いを浮かべる。


「舌戦で負けた恨みを晴らして、すっとしたんじゃないのか?」

「それはすっとしたけど、やりすぎたっていうか、昔の嫌なことを思い出しちゃってさあ」

「嫌なこと?」

「以前の俺は、君くらいの歳の女の子を見ると殺意が沸いて、殺していたからねえ。今はもうその衝動は消えたけど、君と戦って、やりすぎちゃって……あの時の自分をちょっと連想して、それで嫌悪感が沸いてるってのもある。いろいろ複雑」

「今その衝動が無いというのなら、それは関係無い。今と昔は違うと、理屈で違うと割り切るよう心がけろ。理屈は感情を抑えるためにも必要だ。もちろん全てを割り切ることはできんだろうが、それでも大分楽になる」

「うん、わかってる」


 自分を気遣ってくれる美香だが、やっぱり正論ばかりなんだなあと思う睦月。しかしその一方で、別のことも思っている。


「君は俺よりずっと大人なのかなあ。俺は社会に出て――と言っても裏通りだけど、三年か四年くらいしか生きてないし。それまではずっと家の中に閉じ込められていたし」


 以前、美香に言われたことを思い出す睦月。偉そうにいろいろ言ってくれたと腹を立てたが、それらは全て正しいのだろうと、理屈では受け入れている。


「裏通りでそれくらい生きれば、十分に社会経験豊富と言っていいだろう。私はまあ……二束のわらじを履いているという事もあり、いろいろ見てきた。だから……驕るわけではないが、客観的事実として、同年代の他の女子よりは大人びているだろうし、それで偉そうな物言いもするかもしれない。それで気が障ったらすまない」

「そっか……」


 美香の話を聞き、睦月は微笑ながら指先から針金虫を出し、美香の首筋に刺した。


「おいっ、何しやがんでーいっ」


 声をあげたのは少し離れた場所で様子を見守っていた二号だ。いたのかと思う美香。


「痛っ、何をした?」

「君から生命力を奪っちゃったからねえ。返すよ」


 言いつつ、睦月は針金虫を通して、美香の体に命のエネルギーを注入していく。


「君の方は平気なのか?」

「このために点滴の中の栄養を補給しておいたから、俺は大丈夫。傷の治りがよくなるように、少し過剰に注入しておくねえ。ま、ちょっと太るかもしれないけどぉ。あはっ」

「ふ、太るのは困る!」


 睦月の言葉に、美香はうろたえながら叫ぶ。


「お、そいつぁナイスなはからいっスね。オリジナルとクローンズの見分けがつきやすくなるし、じゃんじゃん注入しちゃっておくんなまし~」

「あははっ、おっけー」

「ややややめんかあっ!」


 二号の要求を受け、笑顔で応答する睦月と、狼狽しまくる美香。五人のセンターに、一人だけでっぷりと太った自分が歌う姿を、想像してしまった。


「ああ、それと忘れないうちに……言っておかないといけないことがある」


 美香が再び声のトーンを落として言った。


「何?」

「私も君が気にいった」


 にやりと笑って告げる美香に、睦月も微笑みを零すと、無言かつ自然に、美香の方へと握り締めた手を伸ばす。

 美香も手を上げて、睦月の拳に自分の拳を軽く打ちつけた。

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