第三十五章 28

 ゴングが鳴る。


 リング上を不規則に歩き続ける由紀枝は、実際にリングに上がって戦いに入ると、想像していた以上にずっと邪魔に感じられた。

 向かい合う真と長五郎の前を歩く由紀枝。彼女が十分に離れない限り、迂闊に攻撃できない。

 由紀枝の動きを予測して銃を撃つくらいは、真の腕なら十分できる。

 しかしそれでは、銃の狙いもこちらの動きも、由紀枝という障害物を間に挟んでいるが故に、ある程度読まれてしまう。少なくとも真には見えている。長五郎が由紀枝を避けて銃を撃ってくるとしたら、撃つ場所が限定されることを。


 真には一つわかったことがある。長五郎の能力は接近戦向けではないということだ。それなら由紀枝を避けて、いや、動く爆弾である由紀枝を利用して、こちらに向かってきそうなものだ。


 戦いが開始されてもしばらく動かなかった両者だが、先に長五郎が仕掛けた。


 長五郎の服の下が激しく蠢く。服の下に何かいるかのように。

 服の袖や裾の内側から、何か長いものが四体飛び出し、真めがけて高速で飛来する。


(蛇? いや、ウツボか)


 飛来する物の正体を見てとりつつ、四匹のウツボが高速かつ連続で噛み付き攻撃をしてくるのを、転がり回ってかわす真。

 自然界のウツボに比べて、胴がずっと長い。二人のいるリングは一辺6メートル以上だが、このウツボの長さは、このリングの端から端まで到達できるかもと思わせるほどの長さだ。ウツボの中でも最長と言われるオナガウツボが、体長4メートルの記録を持つが、それより長く、また、細めのオナガウツボと違って、胴回りも太い。


「あれは……俺と同じ能力? ファミリアー・フレッシュ?」


 空飛ぶウツボを見て、睦月が呟くが、少し違いがあるように見えた。

 長五郎が出したウツボは、長五郎の体と連結した状態のままだ。睦月の場合は体内から出した後に、切り離して動かすことができるが、おそらく長五郎は切り離せない。


 由紀枝がまたややこしい場所に移動してきたので、長五郎はウツボを引っ込める。


(ちょっと……いや、わりと厄介な能力だな。四匹も出せるうえに、あの長さ、あの速度、あの変則的な動き、あの連続攻撃。由紀枝の存在に助けられた感もある)


 屋内で奇襲に用いたら、相当強力な能力のように真には思えた。いや、この狭いリングにおいても、十分な脅威だ。


(長引くと不利だ。こいつ、ラットの中でも……いや、マウス全体の中でも、戦闘力だけならかなり上位に位置するんじゃないかな)


 長五郎の手の内全てを見たわけではないが、たった一度のウツボ攻撃を見ただけで、真はそう考えるに至った。シンプルに強い。

 真と同じように受け取っている者は何人かいた。観客の中にも、この後にイベントバトルを控えているプレイヤーの中にも。


 真が身構える。銃を手にしたまま、袖からこっそりと超音波震動鋼線を伸ばし、銃を持った手で銃と共に握る。


 長五郎が再びウツボを放つ。やはり四匹。それぞれがまるで独自の意思を持つかのように、異なる軌道と角度で、真に咬みつきにかかる。


 最初の一匹は、自分に咬みつこうとするその瞬間を狙って、超音波震動鋼線を首に巻きつけた。切断はせず、首に巻きつけて動きを止めた状態のままだ。


 二匹目は、拘束した最初のウツボを振り回し、半ば盾代わりにして、咬みつきにかかる動作を途中で中断させる。


 三匹目の攻撃も、同様に一匹目を盾にしようとしたが、お構いなしに咬みついてきた。しかし真には届かず、盾代わりのウツボに咬みつく。


 最後の四匹目はバックステップして回避しようとしたが、避けきれず、太股に咬みつかれてしまう。肉がごっそりと咬み取られる。


 足をやられて、客視点では最早終わったかと思われたが、真はひるむことなく、拘束しているウツボの陰から銃口で狙いを定め、至近距離からウツボを二発撃った。

 銃弾はウツボを突き抜けて、長五郎の膝と肩に当たった。肩の方は防弾繊維で阻まれたが、膝の方は撃ちぬかれ、その場に崩れ落ちる。


 ここでさらにウツボを襲わせることもできた長五郎だが、そうすれば真は間違いなく自分を殺しにくると判断した。


「ギブアップだ」


 両手を上げてフリーズのポーズを取り、宣言する。ウツボが長五郎の体内へと引っ込んでいく。真はまだどうにか動けるであろうが、長五郎はとても無理だ。


「でも殺したければ殺していい。そういう約束だったしな」

 観念した顔で言う長五郎。


「殺さないでっ! ちょーごろーを殺さないで!」

「何の約束だよ……。そんな約束を交わした覚え、僕にはないし、これはゲームだから、もう勝負有りでいいだろ」


 勝子が悲痛な叫びをあげる一方で、真は冷めた口調で告げ、銃を懐に収めた。


『第一試合勝者! 相沢真!』


 コールされ、歓声と拍手が会場内を包んだ。


「向こうに殺す気は無かったんだな!」


 リングを降り、防弾ガラスの外に出た真に、美香が声をかける。


「あいつにはあいつで事情があったみたいだ」


 床に腰を下ろし、人前でもお構いなしにズボンを脱ぐ真。純子がいつの間にかやってきて、手当てにあたる。累は真の背後に腰を下ろし、ぴったりと寄り添っている。


(と、撮りたい!)


 下半身下着の真&累という組み合わせの構図を見て、邪な欲求が美香の中に沸き起こるが、必死に邪念を振り払った。


「私はてっきり、純子が謝罪したから和解路線になったのかと思った!」

「和解できるものなら和解した方がいいだろうけど、今の所、瑞穂にはその気が無いだろう。さっきの由紀枝にまつわる昔話を見ても、由紀枝を使ってあんな戦いをさせる所を見ても、恨み骨髄って感じだ」


 何か他にも企んでいる可能性が高いと、真は見ている。


「真だって百合とは和解できないだろう? そういうことさあ」


 いつしか側に来ていた睦月が、からかうように言った。


「でもお前は僕に復讐しないんだな。お前の仲間を皆殺しにしたのに」


 真の言葉に、睦月は小さく笑い、美香は目を剥いて二人を交互に見た。


「前にも言ったろ? チープな復讐なんかして、俺を守るために君と戦ったあいつらの死を穢したくない。あいつらも望まない。それに、俺も同じ立場だからねえ。俺に身内を殺された咲も、すぐには俺を許せないと言ってたよ。でもそのうち……とも言ってたけどねえ」

「百合は悪意で僕の周囲を殺した。お前はおかしな衝動に捉われて仕方なく殺した。僕とお前の仲間とは合意のうえで殺しあった。背景が全然違う」

「ん……まあそうだねえ」


 曖昧な笑みを浮かべて頷くと、睦月は立ち去った。


「何しに来たんだか」

「さっきの話とかあって、いろいろ揺れているんじゃないですか?」


 睦月の後姿を見て、真と累が言う。


「中々良い勝負だったな」


 今度はふてぶてしい面構えの白人男性がやってきて、真を見下ろして声をかける。アドニス・アダムスだ。


「すぐ終わったから見応えは無かったんじゃないか?」

「そんなことはない。敵の能力がああだから、長引くと不利と見て、短期決戦を仕掛けた判断は正しい。あの手数と速度、さらにはあの狭い空間では、確かに脅威だろう」


 アドニスも真と同様に見抜いていた。


「お前とやりあいたいと運営側にかけあったが、聞いてくれなかったようだ」

「残念だ」


 真もできればアドニスと決着をつけたかった。以前の勝負は全く勝った気がしない。

 無言で真の手当てを続けていた純子だが、真の手当てが丁度終わった所で、純子の視界に百合の姿が入った。手招きをしている。


「純子、瑞穂が何を考えているか、見当がつきますかしら?」


 純子が百合の側へと赴くと、百合はそう訊ねてきた。


「んー、考えてみたけどわからないなあ。そんなこと訊いてくるってことは、百合ちゃんと共謀しているわけじゃないの?」

「この組織を作るために、資金の投資他、いろいろとお手伝いはしましてよ。でも貴女にちょっかいをかける事に関しては、断片的に話を聞いただけですの」


 言いつつ百合は、リング上で未だふらふらと歩いている由紀枝を見た。


「鍵はあの子が握っているのかしら?」

「インターバル中もずっと歩いていなくちゃいけないのかー。休ませてあげればいいのに」


 百合の隣にいる亜希子が言う。


「何とも惨めな光景に見えますわ。あんな姿を晒し者にしている瑞穂の神経を疑いましてよ」


 目の見えない由紀枝が手探りで一人だけ歩き続けている光景を見て、百合は不機嫌そうに呟いた。


「おやおや、百合ちゃんにもそんな気持ちあったんだー」


 純子が屈託の無い笑みを浮かべ、百合の顔を覗き込む。


「私の嫌いなタイプでしたら、あのような無様な姿も楽しく感じますが、由紀枝は別にそうではありませんからね。一体どう言い含めて、あんなことをさせているのか知りませんが」


 からかう純子に真面目に答える百合。嫌いなタイプではないどころか、百合は由紀枝の事をわりと気に入っていたので、人前で徘徊し続けるよう言いつけられている姿を見て、よい気分はしない。


(私の言いつけで弄ばれているのならまだしも、他の誰かにされているのが気に入らないという理由もありますけど)


 声に出さず、百合はそう付け加えた。


***


 その後も対戦が続いていく。五戦目まで死人は一人しか出ず、途中でギブアップか続行不能と見なされて終わる。


「死人ごろごろのイベントを楽しむってわけでもないのね」


 睦月と隣り合って座っている亜希子が言った。さらに隣には白金太郎も百合もいる。


「最初の頃はそうだったけど、今は死ぬかもしれない程度の戦いを純粋に楽しむノリで、死人なんて出なければそれに越したことないっていう受け止め方らしい。人の死が見たい連中は、残酷ショーの方を見るか、貸し物競争やドラム缶蹴りみたいな、明らかに死人前提、な本来の意味でのデスゲームを見るってさあ」


 睦月が解説する。この知識は純子や真達が喋っていたことの受け売りだ。


『第六試合、アドニス・アダムスvs斉藤白金太郎!』

「あは、白金太郎の出番だ」

「白金太郎、ドジ踏まないといいけど~」

「俺はやればできる子なのっ」


 亜希子と睦月の方を向いて、自信満々の笑顔で言う白金太郎。


「あら、そうですの。なら、負けて無様を晒したら、特大の罰を与えても構いませんわよね?」

「あ……う……いや、は、はいっ、頑張って勝ってきます!」


 にっこりと笑って言う百合に、一瞬尻込みかけた白金太郎だが、気合いを入れて宣言しなおした。


「よし、俺が白金太郎のセコンドについてあげるよう」

「面白そう。私も行くわ~」

「いや、来なくていいよ」


 白金太郎は拒んだが、睦月と亜希子はお構いなしについていく。百合はその場にいる様子なので、白金太郎は落胆して肩を落とした。


 アドニスがリングに上がった際、真もコーナーポスト側に上がる。


「何だ、セコンドについてくれるのか?」

 アドニスが真に声をかける。


「向こうにもセコンドがいるようだしな」


 むっつりとした顔のまま言うアドニスに、真も無表情のまま答える。白金太郎サイドでは、亜希子と睦月がコーナーに上がり、二人がかりで何やらアドバイスしていた。


「あいつとは戦ったことがある。体が粘土で、弾はまともに通じない。かなり厄介だ。おまけに体の形も変形できる。体の部位を入れ替える事もできるしな」

「つまり、サブミッションの類は通じないってことか。打撃、斬撃はどうだ?」

「打撃も通じるが、いまいちだな。斬ってもおそらくすぐ繋がる」

「そうなると不死身に近いな」

「脳震盪を起こすことくらいはできるかもしれない」


 真とアドニスが淡々と会話をかわす一方で、白金太郎サイドは、亜希子と白金太郎が激しく言い合っていた。


「いいこと、白金太郎。あのふらふらしている女の子に触ったら、皆死ぬんだからね。貴方がドジれば、ママも私達も皆死ぬのよ。ママと睦月はその程度で死ぬかどうかわかんないけど、少なくとも私は死ぬのよ」

「わかってるってー。そんなの事前に説明されただろっ。お前ら、俺のこと真剣に馬鹿だと思ってるのかよーっ」

「うん」

「うん」


 真顔で頷く亜希子と睦月に、白金太郎はかちんときた。


「あー、もうっ、勝負前にこんなこと言うセコンドなんかいらないよっ。どっか行けーっ」

「うわ、何よ、その言い方っ。あんたの日頃の頼りなさと危なっかしさがなければねえ……」

「まあまあ、亜希子。そんくらいにしとこう。向こうは真とも知り合いだし、どうも白金太郎の情報も教えちゃっているみたいだねえ」


 アドニスと真が話すのを見て、睦月が言う。


『セコンドの人、そろそろ離れてくださーい』


 アナウンスの声に促され、真、睦月、亜希子はリングの下へと降りた。

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