第三十五章 23

「ホルマリン漬け大統領新生記念パーティーを開きたいの」


 瑞穂は電話をかけた相手に、まずそう告げた。


『私と敵対していた組織を復活させるお祝いは、したくないなあ』


 電話の相手――純子が明るい声で否定的なことを口にする。


「以前のような殺人ショーは一切しないつもり。ゲームの見世物と賭博に絞った組織にする予定よ。それでも不快? ラットのやることだから不快?」


 瑞穂の目論見としては、純子や真や美香もそれに参加させるつもりでいる。そこで決着をつけるつもりでいる。

 罠にかけるつもりもない。正々堂々と撃破しなければ意味が無い。そして人前でそれを行う事には大きな意義がある。新しく設立する組織の株も上がる。


『んー……ちょっと話はそれるけど、そのラット云々のことで、謝りたいことがあってさ』

「謝りたいこと?」


 言いにくそうに、らしからぬ台詞を口にする純子に、訝る瑞穂。


『もうラットっていう区分けはしないことにしたよ。今まですまんこ』


 純子の謝罪の言葉を受け、瑞穂はしばらくの間固まっていたが、やがてふつふつと怒りが沸いてきた。


「はあ? 今更? どういう心変わりか知らないけど、私達ラットがどんな想いをしてきたと思ってるの?」

『だからすまんこ。実はワケがあって……』


 それから純子は、百合に話したのと同じく、呪いの件について語った。


「それって結局純子が悪いんだし、今更そんなこと言われて、元の鞘に収まる気になんて……」


 震える声で言い、瑞穂は途中で口ごもる。


『他のラット扱いされた子達にも伝えておくよ。私に愛想尽きちゃったって子は仕方ないけど、そうでない子は、また普通に実験台扱いしていくつもりだからさ』

「今更和解とか……私は許せないっ。貴女達は……零を奪ったじゃない。殺したじゃない。私を裏切ったじゃない。どう許せっていうのよ……。他にも何人もラットを悲しませ、絶望させ、殺した……それを今更! この……悪魔!」


 怒り任せに罵り、瑞穂は言葉が止まった。


 何という残酷な真似をするのだろうと、瑞穂は歯軋りし、指先携帯電話を握りつぶしてしまいたい衝動に駆られる。純子への憎悪と怒りが、かつてないほど増大していた。

 その一方で、別の気持ちが膨れ上がっている。いや、この気持ちを刺激したからこそ、憎しみがさらに膨れ上がったのだ。


『話の腰折っちゃってすまんこ。それでそっちの用件の方は?』


 しばしの沈黙の後、純子の方から会話の続きを促した。


「新しいホルマリン漬け大統領設立記念パーティーに貴女達を招待したいのよ」

『いいよー。真君と美香ちゃん含めてだよね?』

「ええ。でね、見世物の戦いに出て、パーティーを盛り上げて欲しい。謝意があるっていうなら、そのくらい協力してよ。いいでしょ? 和解するんでしょ?」

『見世物の戦いってのはどんな形式なのかな?』

「ついこの間、マスゴミ騒動でも、真が見世物の戦いに出てたじゃない。あれと大体同じよ。一対一の戦いをするだけ。ホルマリン漬け大統領の興行に参加してた事も、何度かあったでしょう?」

『なるほどー。伝えておくよー。楽しみにしてるから、頑張ってねー』


 弾んだ声で応援する純子に、かっとなって瑞穂は電話を切った。


 頭にきたのは、純子に対してだけではなく、純子の声と言葉に嬉しさを覚えてしまった、自分に対してだ。


「今更……あの悪魔……。どうせまた……」


 涙が出そうになるのを堪え、瑞穂は一人、身を震わせていた。


***


 純子と電話をしてから数十分後、瑞穂は水島、長五郎、勝子の三名を集め、純子が謝罪をしてきたことに関して話した。


「ああ、さっき電話がきたよ。仲直りしようだとよ。今更だろう。バカにしてる」

 長五郎が吐き捨てる。


「私も同じ気持ちよ。断じて受け入れられない」

 と、瑞穂。


「俺は受け入れていいと思ったよ」


 水島が言う。瑞穂と長五郎に睨まれるが、水島は臆せず己の気持ちを口にする。


「だってさ……所詮俺は最底辺のゴミだ。見捨てられても仕方無い。それをまた拾ってくれるなんて、ありがたいことじゃないか」

「じゃああんたもうラット・コミュニティを抜ける?」

「いや……それもちょっと……。俺は瑞穂に拾われて、新しい居場所を得たわけだし、裏切れない」


 瑞穂に問われ、うつむき加減になりながら、弱々しい声で答える水島。


「裏切れないと言ってる時点で、お前は最底辺のゴミなんかじゃねーよ。ていうかね、殺人衝動持ちの俺の方がよほどゴミだ。世の中にいてはいけないとされる存在だ。人間汚物だ」


 たっぷりと自虐を込めて毒づく長五郎。


「ちょーごろー……好き……嫌いだけど好き……好きだけど嫌い……殺したい……愛してる……。ちょーごろー、いてほしい……消えてほしい。でも……いてほしい」


 突然、いつもより大きめの声を出す勝子。どうやら長五郎の台詞に反応して、強調しているようだ。


「じゅんことも……仲直りしたい。じゅんこ嫌い……でも好き」


 勝子の泣きそうな声を聞き、瑞穂と長五郎は毒気が抜けるような感覚を味わう。


「純子、設立記念パーティーに出るってさ」

 まず先に報告すべきだった事を、瑞穂は伝えた。


「そこで仕掛けるつもりか?」

 水島が尋ねる。


「仕掛けるというか、至極単純な見世物の決闘を持ちかけたわ。その時に白黒つける」

「勝てるのかな……」


 不安げにぽつりと呟く水島。


「由紀枝にも協力してもらって、とっておきのデスゲームを用意する予定。それで……私が純子をやっつける。真正面から……正々堂々と」

「デスゲームといっても、絶対死ぬわけじゃないんだろ?」


 長五郎が確認する。


「私は殺すつもりでいるけどね」

 瑞穂が怒りをこめた声を発する。


 デスゲームというが、実際には必ずしもどちらかが死ぬものばかりではない。初期の頃はどちらかが必ず死ぬ内容の、文字通りのデスゲームであったが、次第に、死ぬ可能性もあるという意味でのデスゲームに、変質してしまった。

 そのように変質した理由はシンプルだ。ゲームの度に死人を出していたら、プレイヤーが何人いても足りない。客には贔屓のプレイヤーも出てくるし、客視点でも、いちいち死人ごろごろより、死のリスクもある程度に留めておいた方がよいという認識になっていった。


 そもそも人前で戦う姿を晒してくれる者が、貴重である。多くは嫌がる。かつてのホルマリン漬け大統領は、プレイヤーになってくれる人間が不足しがちで、海外からも高額でかき集めていたほどだ。

 もちろん中には、ドラム缶蹴りのような、死人無しでは終わらない内容もある。


「俺はゲームに出てもいいが、こいつは出させるな」

「わかった」


 長五郎が勝子を一瞥して要求し、瑞穂も頷いた。


***


 暗黒魔神竜庵。純子は美香を呼び、真と累とみどりも同伴させて、昼食を取りながら、瑞穂からの誘いについての話をした。


「真君と美香ちゃんには出て欲しいみたいだよー」

「また人前で見世物戦闘か。この前やったばかりなのに」


 頭の中で肩をすくめる自分を想像する真。

 それ以前にもホルマリン漬け大統領主催のイベントで、見世物になるのを承知のうえで戦ったことが、真は何度かある。ドラム缶蹴りのような、もっと死亡率の高い陰惨なデスゲームも幾つか参加した。


「何か企んではいるのかもしれないけどさ。もし瑞穂ちゃんに協力しないとなれば、また別の方法でちょっかいかけてくると思うんだよね」


 純子の考えに、他の面々も同感であった。


「だろうな! ああ、それと報告が遅れた! 昨日雨岸百合と話をしてきた!」


 美香の報告に、真と累の視線が鋭くなる。


「ディスりあいもしたが……少し様子がおかしかったな!」

「どんな風にです?」


 累が訊ねる。


「まるで自分が余命幾許もないような、そんな雰囲気だったぞ! 病気か何かじゃないかと私は疑ったが!」

「何だと……」


 真が怒りの表情を露わにしたので、美香は息を飲んだ。


「真兄……どうどう」


 隣に座っていたみどりが真の肩をぽんぽんと叩き、なだめる。


「どういうことか、詳しく聞いてこなかったのか?」


 怒りは抑えた真だが、今度は憮然とした顔を露わにして問う。


「教えてくれなかったな! しかしあの雰囲気は……」

「へーい、美香姉。録音はしなかったのォ~?」

「すまん!」


 みどりに突っ込まれ、美香は顔の前に片手を立てて、軽く頭を下げた。


「純子には心当たりがあるようですね」


 累が純子の表情を見て言った。真、美香、みどりも純子に注目する。


「すまんこ。黙秘するね」

 頬をかきながら目を泳がす純子。


「不治の病だというんなら、治してやれ。僕が復讐を果たす前に死なれてたまるか」


 真の要求を聞き、累は呆れて溜息をつき、純子は余計に目を泳がす。


「うっひゃあ、そうなったら復讐は馬鹿のすることと、いつも罵ってる真兄が、正に馬鹿を見るね~」


 意地悪く言って、歯を見せて笑うみどり。


「あばばばばばばっ!」

「真君、プロレスごっこ禁止令は解除してないよー」


 みどりにヘッドロックをかける真を、純子がやんわりと注意した。

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