第三十五章 22

「飲む勇気はありまして?」


 美香と二号のティーカップに茶を淹れて、百合は微笑む。


「毒が入っていたら純子に何とかしてもらう!」


 そう叫んで躊躇いなくカップに口をつける美香。二号は逡巡している。


「即効性の毒だったらどうしてますの?」

「防ぐ手立てはある! 企業秘密だがな!」


 防ぐというより、致死性の毒ならば感じることができる。運命操作術『夢使の報せ』により、察知が可能である。


「過去に谷口陸を使って、私の命を狙ったのは貴女の差し金だそうだな!」

「どこからその情報を仕入れたのか知りませんが、その通りでしてよ」


 睦月か亜希子辺りが真や純子に教えたのだろうと察するが、責める気も無い。特に亜希子は頻繁に雪岡研究所に足を運んでいるし、こちらの情報をある程度流しているのは織り込み済みだ。


「私に何の恨みがある!」

「おや? 動機は聞いてらっしゃらないの? 私の狙いは相沢真でしてよ。あの子と親しくなった人間を殺していって、あの子を悲しませてあげる予定でしたの。いろいろあって、もうそれはやめましたけどね。ああ、やめた理由は私の口からは言わないでおきますわ。面倒ですし、あまり気分のよい話でもありませんから」


 そこまで話して、百合も茶を飲んだ。


「では真に何の恨みがある!」

「恨みというより、純子へのあてつけですわね。あの純子が本気で好きになった子のようですし、それは壊し甲斐があるというもの。しかし……事はそう単純でもありませんでした。純子は真をこちら側に引きずり込むのに抵抗を感じつつ、一方で真がこちら側の性質であることもわかっていました。そこに私がちょっかいをだし、彼をこちらに堕としたうえに、彼の心身を鍛えるきっかけも与えた。そう……睦月や亜希子がそうであるように、相沢真も、私と純子の共同作品と言えますわね」

「それでは……狙いは真というより、純子……だな」


 百合の話を聞き、美香は憮然とした顔で、声を潜めて言った。


「そうですわね。純子への恨みを晴らすため、純子がこの世で最も愛する子の運命を狂わせて遊ぶ。素敵だと思いませんこと?」

「思わん! 最低最悪だ!」


 怒りを込めて叫び、獰猛な視線をぶつけてくる美香を見て、百合は嘆息と共に嘲笑をこぼす。


「貴女は反応がいちいちストレートすぎて、いまいち面白くない子ですわね」

「素晴らしい、頑張れ、とでも言ってほしかったのか!?」

「余計に白けましてよ」

「私は私の感じたままの反応をする! 誰かを面白がらせるために反応するわけではなく、な!」

「反応の仕方で、底が割れるというものです。ここまではっきりと言わなければ、伝わらなかったかしら?」

「無闇にディスりたい奴だということは伝わった!」

「思ったことを口にしているだけですわ。貴女と同じく、自分の感じたままの反応をしているだけでしてよ」

「なら性根が腐ってる! 純子をいたぶるため、真をいたぶる! そのやり方が、真の親しい者を殺して追い詰めるというやり方からしてみても、腐った性根であることはわかるがな!」

「芸術活動の一環でしてよ。凡人には理解できない領域ですし、私がこう言うと必ず、理解したくもないと言われるまでが、パターンになっていますわね」


 口では否定して罵るものの、即座にストレートな返答を行う美香との応酬は、実はわりと楽しいと感じている百合であった。


「私と不毛なディスりあいがしたかったのか!?」

「それはそれで興の一つでしてよ。会話を弾ませるためにも、相手を推し量るためにも」

「全くそうは感じない! 不快なだけだ!」

「それは残念ですわね。どうやら貴女と私は、全てにおいて、折り合いがつかないようですわね。貴女が私の敵であってよかったと、心から思いますわ」

「それは残念だな! しかしこちらからすれば、収穫はあったとだけ言っておく!」

「どのような?」


 ここで初めて美香が口ごもった。言葉を選んでいるのか探しているといった所だろうと、百合は見る。


「どんな人物かはわかった! それだけだ!」

「まあまあ、これまたつまらない答えですこと。間を置いて考えて、その程度?」


 つまらないと言いつつ、おかしげに笑う百合。


「言葉が下手で悪かったな!」

「ええ、悪いですわ。口下手な人との会話は疲れますし」

「ふひっ、そのわりには面白そうじゃんよ……」


 口出しを禁じられていた二号が、とうとう堪えきれなくなって突っ込む。百合の顔が真顔へと変わる。


「確かに……。口とは裏腹に楽しそうだったじゃないかっ! つまり楽しいのだな!」

「ええ、会話は楽しくありませんが、珍獣を見る喜びくらいはありましてよ」

「ぐっ……」


 百合の意地悪い返しに、美香は顔をしかめて呻く。


「この間、そちらの影武者さんにいろいろと質問しましたけど、あれは全て正しい答えだったのでしょうか?」


 話題を変える百合であったが、その話題そのものがさらに意地が悪い代物だと、美香は感じる。百合にはそのつもりは全く無かったが。


「そんなわけあるか! こいつは私が不在なのをいいことに、あることないこと適当に並び立てただけだ!」


 美香が横にいる二号を睨みつける。二号は顔をそらして必死に笑いを堪えている。


「どの辺が間違いですの?」

「枕営業どうこうの部分や、不細工だったとか、その辺が嘘だ!」


 それは言われなくても嘘とわかっていた百合である。


「そうですか。では、純子が貴女のどこを気にいったかは答えられまして?」

「知らん! いちいち気にもしない!」

「その子は趣味の繋がりと仰ってましたわよ」


 二号を見る百合。顔を背けたままの二号。再び二号に怒りの視線をぶつける美香。


「否定はできん! そうかもしれん! それだけではないとも思いたいが!」


 美香からすれば、そう言うのが精一杯だった。


「それだけではないでしょうね。純子の好きなタイプではあると思いますわ。あの子が好むのは誠実な者ですから。私とは真逆ですわね。私からすれば、誠実な人間は嫌いなタイプでしてよ。しかし……だからこそ私は貴女との出会いを大切に思いますわ。嫌いな人間との遭遇――それは壊し甲斐のある者を発見したということですからね」


 にこにこと微笑みながら告げる百合に、美香の表情が引き締まる。


「では今後もちょっかいをかけ続けるということか!」

「いいえ、それはしないと約束しましたから。約束を破らないのが、私のルールですわ。ただし……あくまで、真との約束によるものですから、別の理由で貴女が私の前に立ちはだかったら、約束も無効となりましてよ。せいぜい私と敵対……」


 言いかけて百合ははっとした。

 先ほど喫茶店で、純子に電話をかけて決闘を申し込んできた事を思い出す。


「失礼……今口にしたことは無しで。忘れてくださいな」


 自嘲めいた笑みをこぼして、急に発言の撤回をする百合に、美香も二号も怪訝な顔になる。


「どうしたんだ!?」


 明らかに百合の様子がおかしいので、美香は突っ込んで聞いて見ることにした。


「敵に回ることは……おそらく無いということです。気が変わりました」


 適当に誤魔化す百合。


(もうその機会は無いというのが正解ですわね)


 そして百合は口に出さずに付け加える。もう、自分は全てに決着をつけることに決めた。美香を狙う事も無ければ、真を狙う事も無い。もう自分には、一人しかいない。


「今の貴女の空気は……死にゆく者のそれだな! どこか体でも悪いのか!?」


 感じたことをそのまま口にする美香に、百合はおかしくて笑ってしまう。


「ふふふ、意外と察しはよろしいのですね。でも、貴女には関係の無い事でしょう?」


 体が悪いどうこうは的外れだが、それ以外は合っている。


「純子に治してもらえばいい!」

「馬鹿なことを言わないでくださる?」

「純子は貴女に謝ったと聞く! 何なら私から頼んでみてやってもいいぞ!」

「勘違いされていますわ。体は別に悪くはありませんことよ」


 暴走気味の美香に対し、百合は疲れ気味に息を吐きながら言った。


「他に……私に言いたいことはありませんかしら。無ければお開きにしましょう」

「言いたいことはあるが、言っても聞かんだろう」


 トーンを押さえて、心なしか哀しげな響きの声を発する美香。


「ええ、聞きませんわね」

「だがそれでも言う! 貴女は純子や真や私にとっては敵だが、貴女を慕う者もいるようだし、それらを裏切るな! 以上!」


 美香が発した台詞に、百合は呆気に取られてしまった。


「撤回しますわ……」

 百合が感心したように吐息をつく。


「つまらなくはありませんでしたわ。中々愉快で有意義な時間でしたわ」

「そうか! それはよかった!」


 笑顔で告げる百合を見て、美香もまんざらではない表情で叫んでいた。

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