第三十五章 21

 百合は喫茶店から電話をかけていた。


「その場に他に誰かいまして? 貴女だけと話したいので、よろしければ気遣いをしていただけないかしら」

『いいよー』


 百合がいつになく真面目な口調でお願いすると、純子は二つ返事で了承した。


「ラットとの諍いが終わった後でよいので、二人きりで会いたいのですけど……よろしいかしら」


 前置き無しに要望をぶつける百合。


『ふーん、どんな用?』

「言い忘れた用件がありましてね。由紀枝の件ですけど……それは会って話しますわ。それに加えて、もっと大事な用件も思いつきましたわ」

『ふーん、どんな用?』

「私達の争いに、決着をつけましょう」


 重ねて訊ねられ、百合は確信に触れる。自分でも驚くほど、声に力がこもっていた。


『私達のって、一方的に百合ちゃんが仕掛けてきてただけじゃなーい』

「それも終わりにしましょう。私の挑戦という形でも、どう解釈しても構いませんから、最後の戦いをしましょう」

『んー……わかったよー。わからないけど、わかったよー』


 何がきっかけで百合がそういう気持ちに至ったか、純子にはわからなかったが、百合の中で何かが大きく変わった事だけは、察していた。


「では、よろしく……」


 電話を切ると、百合は目の前にいる少女を見た。


「純子と電話してたんだ。しかも決闘するのね」


 向かい合って座っている由紀枝が言った。ここには水島に連れて来てもらった。水島は離れた席に座っている。


「ええ。本当はもっと時間をかけて、ネチネチといびり続けてあげるつもりでしたけど、気が変わりましたわ」

「私の件て言ったけど、どういうこと?」


 まるで百合の位置が見えているかのように、百合の顔に自分の顔を向けて訊ねる由紀枝。


「貴女の望みを純子ならかなえてくれるでしょうから、それを頼みに行きますのよ。頼むというか、無理矢理やらせますわ」

「決闘して純子さんを殺しちゃったら、改造もしてもらえないじゃない」

「あら、言われてみればそうでしたわね。貴女は純子が勝つように祈ってなさいな」


 由紀枝の指摘を受け、百合が微笑をこぼす。


「一つ伺っておきますわ。陸の後を継ぐと思ったのはどうしてかしら?」


 百合の質問を受け、由紀枝は照れくさそうに微笑む。


「陸の生きた証を示したいし、陸が好きだったし、陸にもこのゲームを最後までやってほしいと願われていたし、いろいろ……」

「それは本当に貴女の望みですの?」

「そうでなかったらわざわざ目玉をえぐりとったりしないよ」


 正直、違うのではないかと思いつつ、確認する百合であったが、由紀枝のあっさりとした答えに、小さく嘆息した。


(若さ故の勢いもあるでしょうけど、それにしても愚かしいこと。まあ、面白くはありますが)


 しかしその覚悟と行為が面白いだけで、その後には何も無いのではないかと、百合は思う。


「私はもう陸についていたような嘘をつくのは、面倒なので御免ですわ。あれを私の思い通りにしようと、合わせて騙していましたが、それでもあまり思い通りには動いてくれませんでしたし」

「百合さんが陸に嘘ついてたの、私は知ってた。でも陸はそれでよかったみたい。例え嘘でも、自分に合わせてくれる人がいた事で、陸は嬉しかったみたいだよ?」

「そのようでしたわね。こちらはとても面倒でしたけど」


 利用するために陸に合わせていた百合であったが、ああいうのは百合の趣味に合わなかった。趣味が合えば面倒でも構わなかったのだが。


「忠告しておきますけど、瑞穂とつるんでもいいことは無くってよ」

「つるむなら、百合さんの方が面白そうだよね。でもあの人は私を連れ出してくれた人だから……。私、行き場が無くて、どうしていいかわからなくていた所だし……」

「恩義があるから付き合うとでも言いますの?」

「うん……付き合わないと悪いかなーって……」


 躊躇いがちに言う由紀枝。


「貴女のことを餌程度にしか思ってないようでしてよ」

「わたし、餌になるのかな? 餌のクエストか。何か退屈」

「偽善者の月那美香は釣れているでしょうね」


 由紀枝は瑞穂に与している格好なのだから、美香が罠と承知で依頼に臨む意味など無い。美香がそれでもなお由紀枝を助けようとする事は、独りよがりな偽善そのものだと、百合には思えた。


***


 瑞穂の事務所に、宏とは初対面のラットが二人、訪れた。ハイティーンの少年と少女という組み合わせだ。


 ヒキガエルを連想させる顔をした、背の低い肥満体の少女が、ぶつぶつとうわ言を呟きながら、少年に擦り寄っている。少年はそんな少女に無反応だ。


 少年の名は清水長五郎、十七歳。


 少女の名は黒駒勝子、十八歳だが、こちらは顔つきから何となく未成年とわかる程度で、ぱっと見には年齢がわかりづらい。

 細い目とたるんだ肉と皮の頬に団子鼻。どう見ても不細工であるが、どこか愛嬌も感じさせる勝子の顔は、呟きながらめまぐるしく変化している。

 うっとりした幸せそうになった顔になったかと思ったら、急に眉間に皺を寄せて口元を歪ませて怒り出し、また恍惚とした表情になって長五郎に熱っぽい視線を向けたかと思えば、歯を剥いて長五郎を睨みつけて怒りだす。


「ちょーごろー……大好き……軽蔑してる……でも好き……。死んで欲しい……嫌い……憎い……でも好き……死ね……」


 うわ言のようにぶつぶつ呟きながら、肥満体を長五郎に押し付ける勝子。長五郎はそれを拒もうとはしない。抱き返すような真似もしないが。

 自分が狂気に侵された少女の居場所であることを、長五郎は理解している。だから拒まない。


 勝子が長五郎に惚れているのは明白だが、勝子が長五郎に惹かれた理由を知っている瑞穂からしてみると、哀しく感じる。

 オマルも純粋だったが、勝子の純粋さはオマルとはまた一味違う。勝子の方は、その純粋な部分が悲劇的だと、瑞穂は思う。


 ラット・コミュニティも、残りは瑞穂と水島、そしてこの長五郎と勝子を入れて四人だけだ。


「俺らにも純子と戦えってのか?」


 瑞穂に向かって、ダルそうに問う長五郎。


「正確には相沢真、月那美香、雫野累といった、純子と親しい連中ね」

「組織作りの手伝いならしてもいいけど、そいつらと戦うのはパスしたい」

「どうして?」

「俺はそいつらを恨んでない。どうして? は俺が言いたいことだ。何でそいつらを執拗に恨むんだ。俺が恨むのは純子の方だ」


 不機嫌そうに疑問を口にする長五郎に、瑞穂は視線をそらして考える。


「あんた、自分が何をやったと思ってるの。逆恨みもいい所よ」


 同じラットでありながらも、長五郎がラットにされた事情を知る瑞穂は、彼に激しく不快感を覚えている。


 長五郎はすぐ頭に血が上るタチだった。すぐに怒り、すぐに殺意へと繋がる。自分でもどうしてここまですぐにキレるのか、そして人を殺したくなるのか不思議なほどに。

 しかし必死に理性でそれを押さえて生きていた。自分だけがここまで簡単に殺意を抱く性分であることと、それを理性で抑え続けなければならない辛さに、理不尽さを覚えながら。


 ある日、とうとう殺意を抑えきれず、日頃からやかましい隣家の者を殺してしまう。

 殺した後で、人殺しになってしまったことを悔やむ一方で、人を殺した事への罪悪感は全く生じなかった。それよりも、理不尽な運命を背負った事への自己憐憫と、行き場の無い怒りが強かった。


 必死に我慢してきて、とうとう我慢しきれずに殺人を犯して、人生を台無しにしてしまった自分。そんな自分を世間は殺人犯として白い目で見て、そのうえ逮捕してしまう。それが許せない。世間の者達とて、自分と同じような性質を備えれば、同じように苦しみ、いずれは人を殺すだろうにと。自分はついてなかっただけだと。


 雪岡研究所に行って全ての事情を話した。


『やり直すことはできるよ。人を殺したことに罪悪感は無くても、後悔はしてるんでしょ?』


 純子に笑顔と共に優しい言葉をかけられて、そこで長五郎はあっさりと純子に惚れる。


 長五郎は改造され、他人に殺意を植え付けるという能力を得た。殺した隣家の家族にこの能力を使い、殺し合わせて、それによって長五郎への嫌疑が向くことは無くなった。


 その後、長五郎は純子にも自分の気持ちをわかってもらいたいと思って、純子にもこの能力を使ったが、効かなかった。

 純子は長五郎の見境の無さに呆れて、ラットとした。


「俺と同じ気持ちになれば、純子は俺のことを好きになってくれると、そう思ったんだ。でも今では馬鹿なことをしたと思って、後悔しているさ……。そのことを逆恨みしているんじゃない。俺のことで恨んでいるんじゃない。こいつの件でだ」


 そう言って長五郎は、自分にしがみついている勝子の頭に手を置く。それを聞いて、瑞穂も納得した。


「わかった。純子達に関してはいい。ただ、純子達を組織の設立記念パーティーに招待するつもりでいるから、そこで場合によっては、相手をしてもらうかも」

「そういうことなら構わない」

「ぱーてぃー……楽しそう……うるさそう……。楽しみ……行きたくない。ちょーごろーと行きたい……。ちょーごろーと一緒……嫌い……楽しみ……」


 瑞穂の話を聞き、長五郎は承諾し、勝子は依然として意味不明なうわ言をぶつぶつと呟いていた。


***


 百合が由紀枝と別れて帰宅すると、客間に月那美香と二号が待っていた。


「先日はこの出来の悪い影武者が世話になった!」

「出来の悪い影武者でござる!」

「あらあら、また今度も偽者でなければよいのですけど」


 続け様に叫ぶ同じ顔の二人を見て、百合はにっこりと笑ってみせた。

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