第三十五章 20
美香が雨岸百合の家へと辿りついた頃には、夕方になっていた。
一度行った事のある二号に案内をさせたのだが、二号の記憶が曖昧で、何度も電車を乗り間違えたおかげである。結局最後は真に聞いて、正確な場所を教えてもらって呆れた。絶好町からそう遠く離れていない場所だったからだ。
場所を聞いてからタクシーを呼んで直接行った。
「最初は電車で連れてってもらったからさ……。あの家の人間はタクシーより、電車使うのが好きなんだとさ」
二号が最初に電車で行こうとした理由を説明する。
「なるほど! しかし私が会話できないのが難点だ!」
電車の中で声をあげて、来夢にうるさいうるさいと何度も注意された思い出が蘇る美香。
館の呼び鈴を押し、出迎えたのは睦月だった。
「あはっ、同じ顔が二つも揃って来たよ」
「いよう、男女。白いのいる?」
睦月に向かって手を上げ、声をかける二号。
「いないよう。前もって連絡してくれればいいのに」
「そっかー、じゃあ帰ろう」
踵を返す二号の襟首を捕まえる美香。
「私が意識の無い時にお呼びがかかったと聞いた! この出来の悪い影武者が行ったことも知っているし、会話も聞いている!」
「我こそは出来の悪い影武者でござる!」
「故に今度は本物が来た! ここで帰ってくるのを待ってもいいか!?」
「拙者は今すぐ帰りたいでござる! 案内も面倒だったでござる!」
続け様に交互に叫ぶ美香と二号。
「どうぞ。いつ帰ってくるかわからないし」
睦月が二人を家の中へと招き入れる。
「タブーの睦月! どうして純子と相対する者に与している!? 純子を恨んでいるからか!?」
廊下を歩きながら訊ねる。美香も睦月のことは知っている。純子のマウスであるということも含めて。
「あはぁ……俺のことなんかどうでもよくない? 百合と話にきたんだろう?」
「君にも興味がある! しかし答えたくないなら答えなくていい!」
「純子は恨んでないよ。真はちょっと恨んでいるけど」
言いつつ睦月が客間の扉を開き、美香と二号を中に入るよう促す。
「真を恨んでいる理由は何故だ!? 『掃き溜めバカンス』の件か!?」
真によって睦月以外皆殺しにされた話は、裏通りでも知られていたため、当然美香も知っている。
「普通に考えればそうだけど、俺の答えは『違う』だねえ。掃き溜めバカンスの皆は俺を守るために、真と殺し合いに興じた。そして死んでいった。あいつらは、俺に真を恨んで生きろとか、復讐しろとか、そんなこと微塵も考えないってわかってる。むしろそんなこと望んでいないさ。あいつらの死を穢したくないし、その理由では恨まないようにしているんだよねえ」
茶を淹れながら睦月は語る。
「復讐する気は無いうえに、仲間を殺された恨みでもなく、それでもなお、どんな理由で恨んでいるんだ!?」
「えっとねえ……あいつにデリカシーが無いから」
問い詰める美香に、睦月は思ったままを答えた。
「わかる!」
「それでわかるんかーいっ」
腕組みして力強く頷いて得心がいった美香と、突っ込む二号。
「あはっ、もっと具体的に言うと、俺の中にいるもう一人の人格を気遣ってくれないし、否定したからねえ。それが頭にきて仕方ないんだ」
自虐的な笑みをこぼして言うと、睦月は茶をすすった。
「二重人格か!」
「うん、今いる俺の方が擬似人格みたいなもんで、この体の本当の人格は、沙耶っていう名の女の子さ。沙耶はひどい抑圧を受け続けた結果、救いを求めて、俺という人格を生み出すことで慰めにしていたけど、やがて心の奥底の引きこもってしまったんだよう。俺にこの体の全権を放り投げてさあ」
「そしてその沙耶は……そういうことか」
声のトーンを落とす美香。女の勘で直感してしまった。
「あははっ、君もか~い?」
睦月も、美香のその様子と台詞だけで、直感的に察し、おかしそうに笑う。
「真は俺の中の沙耶を認めず、気遣わず、だから俺はムカついている。俺のことは見てくれても、沙耶のことは否定する。俺の中にいる沙耶は、真のことが好きで仕方無いんだよねえ。だから真なら、沙耶を助けられるはずなんだ。でも真はあれこれ屁理屈つけて、沙耶と向き合ってくれない。困ったもんだよ。あはっ」
「真に頼ってどうするんだ……」
呆れ気味に口にした美香の言葉に、睦月の笑みが消える。
「他に見込みが無いんだもん。でも……正直真も微妙というか、睦月である俺から見ると、いろいろと問題もあるしねえ」
「どんな問題だ!?」
「俺のことたらしこんで利用しようとしてきたし。押し倒してきてさあ」
睦月のその言葉に、美香は絶句してしまう。
「女を自分の都合で利用しようとする、最悪なことしてきてさあ。でも、悪い男が女をたらしこむような、そんなノリでもないんだよねえ。あれはどう見ても、デリカシー不足というか……。もう真だから仕方ない的に、俺も諦めてる感があるけど、それでも腹が立つなあ」
真がデリカシーに欠ける点や、やたらアバウトな一面を持っているのは、美香も十分承知しているし、それに苛々きたことも度々あるので、睦月の気持ちもわかる。しかし――
「もう一度言うぞ! 真に頼るのはやめろ!」
「どうして? 君も真が好きだから、近づくなってことぉ?」
「違う! 私は所詮振られた身! これは君のために言っている! 特定人物に救いを求めて執着するな! 依存するな! 自分で解決すべきことだ!」
意地悪い口調で問う睦月に、美香は真摯に訴える。
「あのさ……あんたがあのぶっきらボーイを好きでも、救いを求められても困ると思うんよ。相手が自分の思い通りに動かないことに腹立てるとか、そんなの絶対おかしいっつーの」
「だな! それは君の願望であって、真には関係あるまい!」
二号が珍しく真面目に諭し、美香は厳しい声で断言した。
「ふうん、そういうこと言うんだ……」
声のトーンだけではなく、睦月の顔色が変わった。
「暴力は反対だっ。らぶあんどぴーすっ。脳内お花畑でGO!」
二号が喚きながら美香を盾にしようとするが、美香はあっさりと二号を振り払う。
「気に入らないねえ……。正論ばかりで」
「正論通りに生きられたら苦労しない! しかし正論通りに生きるのも苦労する!」
「あはっ、何が言いたいのさ」
不機嫌になりかけた睦月だが、美香のその台詞に笑ってしまう。
「真理だ! 気に入らない気持ちもわかる! 常に正しい形に生きられるのなら、私とて裏通りに堕ちてなどいない! しかし自分が一番楽になるためには、どうしたらいいかという事も考えた方がいい! 私の今はそれを考えた結果だ!」
「だからさ……俺が楽になるには……」
「頼れない他人に頼ろうとしていたら、楽にはなれない! 真は頼りにならない!」
睦月の言葉を遮り、大声で怒鳴る。最後の断言に、睦月はもう一度笑ってしまったが、その笑いもすぐに消え、意気消沈した顔つきになった。
「やっかましいなー。何の騒ぎ……って、月並み美香だっ」
「うわ、月那美香が二人いるっ。本物とクローン?」
白金太郎と亜希子が客間を覗き込んでくる。
「誰が月並みだ! 私のどこが月並みだ!」
「ま……君の言うとおりだよ。俺が間違ってるんだろうさ……」
睦月が立ち上がり、生気に欠けた顔で告げると、亜希子と白金太郎の間をかきわけ、部屋を出ていった。
「ねえ……睦月と何があったの? あの子に何か言ったの?」
亜希子が美香を咎める目つきで見ながら問う。
「睦月があんな顔するのは初めて見るし、余程のことだと俺は見たっ」
「少し厳しいことを言ったが、罵ったわけではない! 彼女のためと思って言った! 余計なお世話だったかもしれんが、間違ったことは言っていないと思う!」
白金太郎も真顔になって、美香を責める眼差しをぶつけるが、美香はひるまない。
「悪意があって傷つけたんじゃないならいいけど、それでも気になるよ~。睦月は……血は繋がってないけど家族だもん」
「そうか! すまないっ!」
「すまんこ!」
亜希子に言われ、素直に頭を下げる美香と二号。
「純子の真似などするな!」
「すまんこ!」
美香に叱られても懲りない二号を見て、亜希子と白金太郎は小さく微笑んだ。
***
雪岡研究所。リビングルーム。
「呪いとやらが解けたのなら、それほど狂ってない奴は、面倒みてやればいい」
純子に向かって、真が話しかける。
「エンジェル君とかは、ラットからマウスに扱いを戻してるんだけどねー。冷遇はもうやめると伝えればいいかな。百合ちゃんが要求するような、家族扱いはさすがに無理だけど」
「結局問題ある人が多いんでしょう? ラットは」
腕組みして難しそうな顔で話す純子に、累が心なしか冷めた顔で言った。
「んー……まあ、そうなんだけどさあ」
微苦笑をこぼす純子。
「今更そうした所で、瑞穂の気がそれで治まるかどうかわからないけどな。敵意剥き出しって感じだったしな」
(敵意剥き出しだった百合ちゃんは、私の話を聞いて心変わりしたかもしれないし、話してみるだけでも違うと思うけどねえ)
真の言葉を聞いてそう思う純子であったが、百合を敵視している真の手前、言わないでおく。それに百合の心境の変化も、正確にはわからない。
「新生ホルマリン漬け大統領は、ラット・コミュニティで運営する気でしょうか」
ソファーに寝転んで、顔の上に投影したディスプレイを見上げながら累。開いているのは新生ホルマリン漬け大統領のサイトだ。
「多分ねー。瑞穂ちゃんはあの組織が運営するデスゲームの常連プレイヤーだったし、気に入ってたんだろうねえ」
昔、一緒に遊んでいたことを思い出し、複雑な気分になる純子であった。
(呪いの後遺症で、瑞穂ちゃんも零君も、途轍もなく煩わしく感じて、それで遠ざけたけど、向こうは向こうで私を慕ってくれていたし、それを裏切った形になっちゃうわけかー……。今更すぎるけどね。それをちゃんと意識するなんて)
正直ラットをどう扱おうと、純子は罪悪感など全く覚えることがなかったし、彼等の心情など考慮したことは無かった。
しかし今となっては、自分の行ったことに対し、ちょっとだけ後ろめたさも感じている。
「デスゲームだけならいいけど、前のように残酷な殺人を見世物にするようだったら、潰しておきたいな」
と、真。ホルマリン漬け大統領は大嫌いな組織であったし、潰れてせいせいしていたのに、それを立て直そうとする行為を、好ましく思うはずがない。
「ホルマリン漬け大統領は、発足当初はデスゲームを見世物にする組織だったんだけどね。いつの間にか残酷ショーとかもするようになっていったけど。ま、デスゲームと謳ってるけど、実際には必ず死ぬわけでもないし、あくまで死の危険性があるだけのゲームだよ。必ず死んでたら、プレイヤーいなくなるし」
純子が喋っていると、電話が鳴った。
相手は百合だった。
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