第三十五章 17

「百合ちゃんが来るってさ」


 電話を切って、純子はリビングにいる真、累、みどりに報告した。


「数分後に」

「早いな。すぐ側まで着てから連絡を入れたのか」

「ひとっ走り行って殺してきますか」

「そうだな」


 真と累が立ち上がる。


「睦月ちゃん達も一緒に来てるし、話がしたいと言ってるから、手出しはしないでおいてよー」


 どこか寂しげな微笑を口元に浮かべ、純子は言った。純子がこんな顔をするのは珍しいので、三人共驚く。


「どんな用事だか知らないけど、私の方からも……ケリをつけようと思う。いい機会だし、せっかくみどりちゃんに、私にかかった呪いの後遺症も治してもらったしね」

(ケリって何だ?)


 その言葉に反応し、不審に思う真。


「あたしは席を外しておくわー」


 真を意識して、みどりが申し出た。もちろん真経由で会話は把握することができる。真と精神を共有しているので、真の感覚から得た情報も全てみどりに伝わる。


 やがて百合、白金太郎、睦月、亜希子の四名が訪れ、応接間へと通された。純子だけでなく、真と累も同伴である。


「ちょっとちょっと真君」


 遭遇するなり、白金太郎と至近距離で視殺戦を行う真を、純子が後ろから手を引っ張って引き離す。


「向こうが先にガン飛ばしてきたんだ」

「不良の言い分ですね」


 言い張る真に、累がぽつりと呟く。


「それに応じる方もどうかしらね」

 呆れたように笑う百合。


「そうだそうだー」

 白金太郎が小気味良さそうに笑う。


「貴方はこの対話を台無しにする気ですの?」

「痛だだだだっ! ずびばせぬ!」


 百合に鼻をつままれてねじりあげられ、白金太郎が喚く。


「あっちサイドにおけるこっちの累ポジションて所か」

「嫌ですよ、あんなのと同列とか……」


 真の言葉を聞いてげんなりとした顔になる累。


「でも僕も累にあれと同じことしたしな」

「真が勝手に僕にしたことで、同じポジションにしないでください」

「外野は少し黙っていてくださる?」


 お喋りをする真と累をうるさそうに睨んで、冷たい言葉をぶつける百合。


「従う謂れは無いが、雪岡の顔を立てて、少し努力してやるよ」


 百合以上に冷ややかな響きの声で、真が吐き捨てる。累も凍りつくような怒りの視線を百合に向けているが、百合は素知らぬ顔だ。


「いきなりギスギスしまくりだわ~」

「あはっ、真達もいるとなると、やっぱりこうなるよねえ」


 百合の後ろに待機している亜希子と睦月が、ひそひそと囁きあう。


「んー、三人引き連れてまで訪問したからには余程の用件がありそうだけど、何なのかなあ?」


 百合と向かい合って座った純子が、屈託の無い笑顔で訊ねた。


「期待しているのでしたら期待外れになりそうですけど、大した用事でもないですわ。三人を連れてきたのは、争いを避けて大人しく話すためでしてよ」

「ふーん、で?」

「貴女の大嫌いなラット達を、研究所で家族扱いして、置いてくださらないかしら?」


 にこにこと笑いながら、百合は要求をぶつけた。


 きっと受け入れないだろうと、口にしている百合もわかりきっている要求だ。純子がどんな反応をするか、まず楽しもうという趣旨でもある。


「条件はー?」

「ラット達に、貴女の大事な真を殺すよう言いつけますから、殺した者を真の代わりにするというルールを提示しますわ」

「髄分なルールだねえ。私にとって何も得が無いじゃなーい」

「ていうかそれルールでも何でもないじゃない」


 苦笑する純子と、呆れて突っ込む亜希子。


「ラット・コミュニティは百合ちゃんがまとめた組織だって言うけど、今回瑞穂ちゃん達が微妙なちょっかいかけてきたのも、百合ちゃんの命令? どうも違うような気もするんだけど」

「まあ……その見方であってますわ。それについてはあまり深くは触れないでおきます。私も一応、関わりがありますが……」


 純子の指摘を受け、若干言葉を濁す百合。瑞穂の組織作りに、事務的、金銭的な領域に関してのみ、百合は協力している。付き合い上と、興味本位での、軽い気持ちによる投資のようなものだ。

 現時点では純子に話せないこともあるので、黙っておきたい。百合からすればどうでもいいことだが、瑞穂からすればまだ喋ってほしくないだろうと、彼女に配慮した。


「純子。貴女はラット達に対して、可哀想という気持ちはありませんの? 悪いことをしたとは全く考えませんの? 貴女を信奉し、入れ込み、敬い、愛した者達が、貴女にあっさりと見放され、どれだけ絶望して苦しんだか、全く考えてはいませんの?」


 百合が百合らしからぬ言葉を口にしたことに、累と純子は驚いていた。ただおちょくっているだけ――ではなく、本音も含まれているように感じたからこその驚きだ。


(無意識の共感と同情って所なのかな? ラット・コミュニティを作ったのも、百合ちゃんと境遇が似ているからこそ……だと思っていたけど)


 百合が聞けばきっと怒って否定するであろうが、純子から見れば、百合もラットも似たようなものという認識である。


「私は捨てられた子達を集め、傷を舐めあう集団を作りましたの。それがラット・コミュニティですわ。しかし瑞穂がラット達を引き連れて、真や月那美香を襲いだしている。おそらく瑞穂達は全滅するでしょう。でも、それで本当によろしいの? オマルや勝子のような、ただ純粋なだけの者もいれば、水島のような卑屈なだけの者もいる。彼等はこのまま救われず、絶望しながら死ぬ運命ですの? ああ、花野は殺しておいて結構ですわ。あれは生かしておかない方がよろしくてよ」

(勝子ちゃんもいるんだね……)


 百合が口にしたその者の名を、純子は特に意識した。滅多に罪悪感という感情を覚えない純子だが、全く無いわけでもない。みどりによって精神治療を施された今となっては余計に意識してしまう。


 百合が沈黙する。いや、純子がずっと沈黙したままで、笑みも消して、珍しく真剣な顔を見せているので、百合はしばらく黙って反応を伺った。

 しかし純子は口を開こうとしない。こんな純子を見るのは百合も初めてのことだ。


「この研究所で家族として扱え――は、言いすぎでしたわね。しかしせめて、ラットというくくりは解いたらどうですの? それもできませんか?」


 仕方なく百合の方からさらに追求する。


 百合としては、純子がラットという冷遇処置をしている件を、真や累、さらには睦月や亜希子の前で、追及しまくることで、純子に対する反感の意識を向けさせたいという目論見もある。だからこそ、睦月達を連れてきた。

 自分の気にいった人間には親切に接するが、自分が冷めた相手にはひどく冷たい態度を取る事を面と向かって批難され、果たしてどういう反応をするか。それをこの面子の前で見せてやりたい。

 純子の対応次第では、周囲の目も変わるかもしれない。そういう期待も込められている。ラット・コミュニティとの戦いも、真や累に躊躇いが生じる可能性が大だと踏んでいる。


(貴女がネズミ達に冷たくしたおかげで、貴女のお気に入りの子達が貴女を見る目も変わってしまう。そんな皮肉な展開になってくれると嬉しいですわね)


 期待程度で揺さぶりをかけた百合だが、多分この手は上手くいくのではないかと見ていた。


 ただ、気になるのは純子のリアクションだ。


 百合の予想では、いつものように笑いながら、あっさりと拒否して、のらりくらりと言い訳をしてくると思っていた。しかし純子は今まで百合が見たことのないような、真剣な顔になっている。


「百合ちゃん、すまんこ」

「え?」


 純子の口から出た脈絡の無い謝罪の言葉に、百合は一瞬耳を疑った。


「だからさ、昔百合ちゃんに冷たくしてすまんこ。今では悪いと思ってるよー」

「……」


 己の耳を疑った後に、百合は純子の頭を疑った。


「何か悪いものでも食べましたの? それともまた私をおちょくっているだけでして?」

「そういう呪いがかかっていたせいなんだよ。つい最近判明したけどな」

「は?」


 真に口出しをされ、百合は啞然とする。


「人を好きにならないように、避けてしまう呪い。自分にある一定以上の好意――恋愛感情やら忠誠やら崇拝といった念を抱いた子は、疎ましくなっちゃうんだ。まあ百合ちゃんには他の要素もあったけど、いずれにしてもすまんこ」

「……」


 突然の謝罪と、想像もつかなかった真相に、百合は呆然として言葉を失っていた。


(一体私は……何十年も純子のことを恨み続けて……私は一体何を……)


 アイディンティティが大きくぐらついているのが、百合自身ではっきりとわかる。


「昔、百合ちゃんにちょっと言いすぎたかなあと、今じゃ反省している部分もあるんだよー。百合ちゃんはさ、私に認めてもらいたかっただけなんだよねえ? 精一杯悪いことしまくって、それで私に悪い子悪い子って、頭撫でて褒めてもらいたかっただけなんだよねえ?」


 固まってしまった百合に、純子が優しい声音で語りかける。


「でもさあ、私、自分以外の悪い子って好きじゃないんだよー。悪い子はこの世に私一人で十分だしねー。百合ちゃんには悪いことしたと思っているけど、一方でこれだけは退けないかなあ……。百合ちゃんのそういうノリだけは、今も昔もついていけない。でも、それをあんな風な意地悪な言い方して、百合ちゃんのこと傷つけたのはすまんこ。それだってもっと傷つけない言い方があったよね。本当すまんこ」


 テーブルにくっつくほどに頭を下げ、謝罪する純子。

 百合はそんな純子のことを、信じられないような目で見ていた。そして今にも泣き出しそうな表情になっていた。


「ゆ、百合様……」

「ママ……」


 百合のあまりの痛ましい様子に、白金太郎と亜希子が思わず声をかけるが、百合は反応しない。


「百合、今日はもう帰ろう」


 そう声をかけたのは睦月だった。白金太郎と亜希子が動揺しまくる一方で、睦月は冷静に対処しようと心がける。


(このままじゃ百合は、この面子の見ている前で泣き出しかねないし、そんな姿を見られたいわけがないからねえ)


 そう睦月は判断し、後ろから百合の体を掴んで強引に立たせる。


「大丈夫ですわ……」


 睦月の心遣いを察し、気恥ずかしそうに微笑みながら、百合はそれ以上純子を見ることもなく、純子に声をかけることすらなく、部屋を出ていった。


「純子には……そんなつもりは全く無かったのでしょうけど、これ以下は絶対無いというくらい残酷なことを、百合にしましたね」


 未だ頭を下げた格好のままの純子を見下ろし、累が小気味よさそうに呟いた。


「え? 残酷? あ、百合ちゃんがいない」

「お前は……千年も生きているくせに、今自分が口にしたことが、あいつの心にどんな影響を及ぼしたのか、わからないのか?」


 ようやく頭を上げて、そんなことを口走る純子に、真は呆れる。


「謝ったじゃなーい。だからこれでもう百合ちゃんだって、苦しむことも憎むこともない、と」

「悪意の無い悪って一番タチが悪いですよね……」


 純子のその台詞を聞いて、累も呆れる。


「それで済むはずがないだろ。あいつは……僕がいつも口にする台詞――復讐なんて馬鹿のすることだってのを、正に今ここで証明されてしまった。いや、その構図が体現されたとでも言うかな」

「ああ……」


 真に説明されて、ようやく純子も理解する。


「お前への復讐が、唐突にこれで終わってしまったんだ。それでもなお憎悪に心を焦がすタイプもいるかもしれないけど、あの様子を見た限り、あいつはそういう奴じゃあなかったようだな」

「うん……」


 純子が居心地悪そうな顔で頷く。


「ちょっと気晴らししてくる」


 純子がそう言って応接間を出たので、真と累も廊下に出た。


「真兄、以前頼まれてたアレだけどさ。やっぱやりたくない」


 廊下でみどりが真に声をかけてくる。

 みどりは先ほど、百合が哀しそうな顔で歩いている所をこっそりと目撃していた。


「どうして?」


 真が静かに訊ねる。本気でわからないわけでもない。責めるつもりもない。ただ聞いておきたかった。


「ふえぇ……自分でもわかってるじゃんよ? 復讐は馬鹿のすることだって。そして今のあの百合こそが、復讐で馬鹿を見た人間の末路なんだよ。今、正に目撃したじゃんよ? それでもなお復讐したいのォ~?」


 百合のあの辛そうな顔が、みどりの脳裏に焼きついていた。


「真兄のために、やりたくないんだわさ。そういう汚い手を使う形で、真兄を汚したくない。今は真兄もそれでいいと思ってるかもしれないけど、真兄が歳取ってから……いや、わりと早い段階で、絶対激しく後悔するのが目に見えてるもんよ」

「いや……後悔はしないよ。どうしても……それはやってもらいたい」


 みどりの肩にそっと手を置き、真は告げる。


「それがないと、僕は復讐ができない。僕の復讐は、みどりがいて完成する。みどりも僕も納得できる形の復讐だ。でもそれがないと、僕は納得できない。罪には罰がいる。僕が裁きを下すが、裁きの実行はみどりに頼まないとできない。死刑で例えるなら、裁判官は僕で、執行人がみどりだ」

「ふえぇぇ~……その時点でどうかと……」

「もう一度言う。絶対みどりに嫌な思いはさせない。僕もそれをみどりにやらせて、後悔はしない。復讐なんて馬鹿のやることだが、僕の大事な人達を奪った百合をこのまま放っておくことはできない」


 と、真がそこまで言った所で、累がやってきた。


「面白いことが起こりました」


 累がディスプレイを投影し、反転して真達に見せる。


「残党がいたのか?」


 映し出されたサイトに書かれたサイト名と煽り文を見て、真が言った。


『期待に応えてとうとう復活! 新生ホルマリン漬け大統領! 近日始動!』


 ホルマリン漬け大統領――大幹部全員が爆死されて、謎の壊滅を遂げたと思われていた、純子や真とは因縁のある組織である。


「確かに需要はあるだろうから、後を引き継ぐ者が現れても無理は無い、か」

「スクロールして一番下を見てください」


 累に言われ、真は画面をスクロールしてみる。

 真が微かに眉根を寄せる。そこにはこう書かれていた。


『オーナー――甘粕瑞穂』

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る