第三十五章 16

 二号が百合と会談し、未来とオマルが敗れたその翌日。

 雨岸邸リビングルーム。百合、睦月、亜希子、白金太郎の面々が集合し、日課とも言えるティータイムに入っていた。


「ラット・コミュニティって百合がラットを集めて結成したわりに、あまり百合の言うこと聞いてない印象だねえ。あはっ」


 からかうように言う睦月。


「何人か言うことを聞いてくれたいい子は、皆死にましたわ。あとは出来損ないばかり残っていますわね」


 百合が邪悪な笑みを浮かべて言い放ち、ティーカップを口元にもっていく。


「ママの言ういい子って、ママにとって都合のいい子って意味だよね?」


 くすくすと笑って、亜希子もからかう。


「百合様に向かって何たる侮辱!」

「その通りですわ」

「もうヤだ……このパターン」


 激昂しかけた白金太郎が、しょんぼりとする。


「あれ? 白金太郎はそこで、速攻掌返してママのことを称えるまでがパターンじゃないの?」

 亜希子が訊く。


「実際は傷ついてるの! ダメージを誤魔化すためにやってたの!」

「そうでしたの……」


 白金太郎を見て、少し驚く百合。亜希子と睦月も意外そうな顔になっている。


「正直ラットの多くは、これは純子でなくても愛想尽かされても仕方無いと思える子達が、結構いますのよ。今ラット・コミュニティを仕切っている瑞穂も、その例外ではありませんわ」

「あははっ。百合、その発言はブーメランじゃないのぉ?」

「断じて認めません。純子と私の決裂は、純子が一方的に悪いものでしてよ。ラット達と比べてほしくありませんわね」


 からかう睦月を睨み、百合はかなり不機嫌そうな声を発した。


「とはいえ、私もラット達に同情しているからこそ、彼等を集めて利用しようと思った次第でしてよ。全てのラットを集めたわけでもありませんけどね」

「コミュニティ以外にもいるんだ」

「把握しているのは純子だけでしょう」


 亜希子の言葉に反応し、百合は答えた。


「ていうかママ、同情しているんだ」

「ラットにもよりますけどね。今言ったように、切られて当然のお馬鹿さんもわりといますし」


 亜希子の言葉に対し、侮蔑を込めて吐き捨てる。


「勝子という子は特に悲惨でしたわね。純子の改造が失敗して頭がおかしくなって、そのまま捨てられていましたわ」


 その悲惨な境遇を思い出し、うっとりとした笑みを浮かべる百合。それを見てむっとなる亜希子。


「ママは本当に他人の不幸が楽しくて仕方ないのね……」


 呆れて言う亜希子だが、百合は鼻で笑う。


「当たり前でしょう。悲劇とは美しい芸術なのですから。しかし勝子のケースは、私も同情していますわよ。ですから私が救いの手を差し伸べてあげましたのよ」

「あはっ、たまに百合もいいことするんだねえ」


 睦月が言う。そのたまにの中には、自分や亜希子もおそらく入っていると意識しつつ。


「たまには情けもかけますわ。しかし……今回は、情けをかけるより、発破をかけましょうか」

「ん?」


 百合の意味不明な言葉に、亜希子が怪訝な声をあげる。睦月と白金太郎も、百合の言葉の意味がわからない。


「お茶を終えたら、純子に会いに行きますわ。睦月、亜希子、白金太郎、着いてらっしゃい」

「え? 何しに……?」


 亜希子が問う。


「話があるだけでしてよ。争いに行くわけでもなくってよ。話をしにいった相手と争うほど、純子も無粋ではありませんが、でも真や累は違いますわ。もし他の者が邪魔しにまわったら、あなた達でそれを防ぎなさい」

「承知しました!」

「真はともかく、累は難しそうだねえ」


 白金太郎が勇ましく返事をし、睦月が冷静に言った。


「戦闘で防がなくても、貴女達が対話で望めば回避もできるでしょう。そのための貴女達ですわ」

「あはは、なるほど」


 百合の言葉を聞いて、睦月は納得して微笑んだ。


***


 水島には純子以外で唯一、心を開ける友人がいた。


 その男は、いろいろと自分と似ていると思った。同族だと感じた。自身を最底辺だと感じて常に下から上を見上げ、自己嫌悪に浸り、劣等感に苛まれ、卑下し、僻み、欝になる。そんな人種だと信じていた。

 しかし、そうではなかった。彼はあくまで別の人間であったし、自分とは決定的に違う面を持っていた。


「ずっと一緒に……最底辺でいよう」


 水島が冗談めかしてそう言って卑屈に笑いかけると、彼は悲しげな表情をして、否定してきた。


「僕は……最底辺にいると自覚はしていますが、ずっと最底辺にいたいわけじゃありませんよ。僕も……せめて人並くらいにはなりたいですし、かなうことなら、あの大空を自由に羽ばたきたい」


 彼のその言葉に、水島はショックを受けた。


「二人で羽ばたきましょうよ。底辺から這い上がって、大空に向かって、蝿のように雄々しくぶんぶんと羽ばたいていきましょう」


 彼が微笑みながらそう持ちかけたが、水島は怯えた顔になり、ぶんぶんと首を横に振った。


「何の夢も見てはいけないんだ。全てを諦めてかかれば、その分、楽になる。だからいつも諦めているんだ。悪い結果ばかりを覚悟しておけば……その分、楽になる。覚悟は自分を楽にするためにあるものさ」


 泣きそうな顔で言う水島。


「そうではありません……」


 友人――葉山が静かな声で、しかし力強く否定した。


「最底辺にいるからこそ……足掻くんですよ。後は上るだけです。最底辺でも、夢を持っていいんです。希望を抱いていいんです。そうでないと何で生きているのかわからない。最底辺にいようと、いつかあの大空を高く舞うことを夢見ていいし、努力してもいいんです」


 友はいつになく必死な表情で語っていた。この時の葉山の顔と声は、水島の脳裏に鮮明に焼きつくことになる。


「だから何も夢を見ないとか、足掻くのもやめて絶望しているのが楽だとか、そんな哀しいこと言わないでください。確かに今の僕らは、最底辺をうねうね這いずる蛆虫です。でも蛆虫だっていずれ蝿となり、いつしか大空をぶんぶん飛べるんです」


 水島はこの時から、葉山が自分とは違うと意識する一方で、自分も変わらないといけないのではないかと、意識するようになった。

 加えて言えば、葉山は自分と違うとわかったが、それで落胆や幻滅の感情も覚えていない。純子にも裏切られて絶望し、誰も信じず、誰にも心が開けなかった水島であるが、唯一の友に対してだけは、心を閉ざすことができなかった。そうしようとさえ思えない。


 友に倣って、自分も少しずつ歩いていこう。よじ登っていこうと、水島は思ったし、自分にそう思わせてくれた葉山には、心から感謝している。


***


 そこは闘技場だった。

 一週間ほど前、この闘技場はある事に使われた。マスコミの扱いの是非を巡り、討論バトルと、肉体を使っての実際のバトルが両方行われた場所だ。


 今は瑞穂と宏と水島の三人がいるだけで、他は誰もいない。


 あの討論が行われた直後、この物件は差し押さえておいた。他にも同様の施設は安楽市内に沢山有り、全て瑞穂の物としている。資金は百合に出してもらった。物件の買い取りには水島が奔走した。


「あの百合って人、結構な金持ちだよな。どこで何して稼いでるんだ?」

「きっと悪い事して稼いでるってことだけはわかるけど、それ以上は知らないし、興味もないわ」


 宏の疑問に、どうでもよさそうに言う瑞穂。


「水島は裏方仕事、いろいろとお疲れ様だったね。まあ、これで終りじゃないけど」

「俺なんかがお役に立てたのなら、それだけで嬉しいよ」

「そんな風に卑屈になる必要はないわ」


 労いの言葉をかけてやったら、ネガティブな発言で返す水島に、うんざりする瑞穂。


「ていうかさ、俺も結構いろいろ頑張ってたんだけど?」

「ありがと」


 アピールする宏に、瑞穂は素っ気無く労う。


「ううう……」

「面倒な奴ね。本当に感謝してる。私がテンション低いのは勘弁してよ」

「そ、そうか」


 瑞穂に面倒臭そうにフォローされ、宏は苦笑いを浮かべて、それで納得する事にした。


「ここからが始まりなんだからさ。上手いこと成功させたい」


 これも賭けだと瑞穂は意識する。新たに事業を起こすという事は、ギャンブルそのものであると。


「おっ、とうとう宣伝始まったね」


 ネットを開いた水島が明るい声をあげる。

 裏通りサイト用の宣伝バナーには、こう書かれていた。『ホルマリン漬け大統領・新生カウントダウン』と。

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