第三十五章 18

 最初は金を賭けるギャンブルを行うだけの瑞穂であったが、純子と零の三人で行動するようになり、改造もしてもらって力を身につけ、命を代償に金とスリルを得るゲームへと身を投じた。

 純子にラット扱いを受けて放置されてからも、瑞穂は快楽提供組織ホルマリン漬け大統領が提供する、死の遊戯に参加し続け、常連プレイヤーの一人となっていた。

 始末屋の傍らで続けるデスゲームは楽しかった。時折、零とも組んだ。零が死んだと聞いた後も一人で続けていた。かつて零と純子の三人で挑んだ思い出に浸りながら。


 しかしホルマリン漬け大統領までもが壊滅した事に、瑞穂は愕然とする。


 家族を失い、純子を失い、零を失い、そして思い出に浸る大事な場所まで失った。一体自分はどれだけ失い続ければいいのかと、瑞穂は運命を恨む。

 失い続ける人生。しかしその一方で得るものも有り、そして得たものもまた失う。どんなに足掻いても、どんなに抗っても、どんなに守ろうとしても、防げない。そうやって自分はずっと、見えざる運命に弄ばされ続けるのではないか?

 瑞穂の中には、そんな恐怖がずっとつきまとっている。意識する度に怖いし、悔しいし、恨めしいし、忌々しいし、腹立たしいし、苦しい。


「これが最後よ……」

 誰もいない闘技場で、ぽつりと呟く。


 ここは先日、大勢の人間で賑わっていた。高田義久とコルネリス・ヴァンダムの討論対決に使われた場所だ。


「これでまた駄目だったら、もう私は……全部捨ててしまう。きっと心が死んでしまう」

「おいおい、暗い顔で何を言ってるんだよ」


 いつの間にか側にやってきた宏が、瑞穂の独り言を聞いてぎょっとした顔で声をかける。


(そっか……こいつもいたな。次に失うのはこいつって可能性もある……か)


 宏の顔を見て、安堵の笑みをこぼす瑞穂だが、笑顔の裏では恐怖がよぎっていた。


(それはもっと避けたい……かな?)

 組織の設立失敗以上に――という意味でだ。


「宏、私と今後もパートナーとしてやっていくんでいいのよね?」


 笑顔でそんな確認してくる瑞穂を見て、宏はどきっとする。


(も、ももももしかして、とうとうきたかっ!? とうとうきたのか!? 俺に春が! 瑞穂も……俺のことをッ……!?)


 緊張してカチコチに固まる宏。


「あんた……ひょっとして勘違いしてない? 仕事の話よ」

「そ、そうですよね……」


 瑞穂が口にした台詞を聞いて、宏は泣きたくなった。


「あのさ、真面目な話、私はあんたのことを信頼しているし、このままパートナーでいてほしい」


 珍しく宏に向かって笑顔を向けて、瑞穂は語りかける。


「でも、怖いのよね。私、今まで失ってばかりの人生だったから。あんたも私の前から消えてしまうんじゃないかって……。死んじゃうんじゃないかって、それが凄く怖いの」


 笑顔であるが真剣に話す瑞穂に、宏も珍しく真剣モードになる。


「わかった。もっと鍛えるし、瑞穂のために死なないように、超気をつける。だから、怖がらなくていい」


 宏らしい回答に、瑞穂は心がじんわりと温まっていくのを実感する。

 自分の暗く冷たくなった心が、この男によっていつも温められていると、瑞穂は実感する。たまに――いや、わりとムカツく事も多いが、それでも有り難いと思っている。口に出せば絶対調子に乗るし、何より瑞穂自身が恥ずかしいから、今はまだ口にはできないが。


***


 昨夜、ようやく回復した美香は事務所へと戻っていた。


「由紀枝の行方はわからなくなってしまったな!」


 二号と十一号を前にして、美香が叫ぶ。七号は闇の安息所へと赴き、十三号はその付き添いだ。


「依頼はもう無意味じゃねーっスか? 依頼主も敵だし、助けてくれと言われてた奴も、敵とつるんでやがるんだし」


 二号が不愉快そうな面持ちで突っ込む。


「騙されているだけかもしれないだろう! それに彼女の精神状態は普通ではないし、私はもっとゆっくり話をしたい!」

「ぶひぃぶひぃ、流石いい子ちゃん、流石お人好し、流石偽善者」

「褒めてるのかけなしてるのか!」

「超けなしてるぜ~、げへげへけへ。ま、明らかにオリジナルのこと狙ってきてる奴等がいるわけだから、引き続き対処する事には変わりねーけど」

「それが偽善だとしても私は結構だ! 私は私の正しいと思ったことをする!」


 二号に揶揄されてむっとしつつも、美香はきっぱりと宣言する。


「ぺっぺっぺっ、それであたし達も苦労するんじゃーい」

 ぶーたれる二号。


「苦労してもいいけど、私達はオリジナルが必要以上に危険に巻き込まれるのを見て、やきもきしているのよ」

「すまないと思っている! しかし私は裏通りの始末屋! 危険も承知して覚悟しておけ!」


 十一号の言葉を受けて謝りつつも、美香はびしっと宣言する。


「それと二号! 私と話がしたいと言っていた、雨岸百合という諸悪の根源の所に、今から案内しろ! 私にどんな話をしたがっていたのか、聞きに行こうじゃないか!」

「えー? え~? ええぇ~? あたしがちゃんと代役しておいたんだから、それでいいべ。うん、いいってことにすべー」


 美香に要求され、あからさまに嫌そうな顔をする二号。


「よくないから言ってる! あんなふざけた対応をして私のイメージを悪くして、そのままでいられるか!」


 いつもより声の大きい怒号を浴びせられ、二号は縮こまった。


「向こうも、出来の悪い偽者だって気がついてたんじゃない?」

「ふぬーっ、出来が悪いって言うなーっ。あれでもあたしは頑張ったんでーいっ」


 十一号の言葉に、二号が主張する。


「いいから案内しろ! 十一号は留守番頼む! 襲撃があったら無理せず逃げろ!」

「へいへい……」

「了解……」


 二号も十一号も、美香の言いつけに不服そうな顔で頷いた。


***


 帰宅してからも百合はずっと沈んでいた。


 進んでいた道を閉ざされ、闇の中へと投げ出された心境。


 復讐は楽しい。それは大いなる目的だ。それは暗黒の正義だ。人を一人、一心不乱に追い続けるその行為が、楽しくなかろうはずがない。

 憎悪することは楽しい。人を一人、一心不乱に想い続けるその感情は、愛と同等の強い気持ちである。


 自分を裏切った者への復讐。これほど素晴らしい遊びは無い。一切の妥協無く労力をつぎ込み、相手を奈落へ突き落とすためにあらゆる方法を考える。これほど人を熱に駆り立てる遊びが、他にあろうか。


 しかしその矛先を失ってしまうと、今までの努力も想いも、全てが台無しになってしまう。

 百合はその反動で虚脱状態に陥っていた。


「あれって純子も被害者であって、ママに対して冷たい態度を取ったあげく捨てたのも、純子が悪意あってそうしたわけじゃないってこと?」

「そう聞こえたねえ。純子の本意ではなかったと。だからこそ百合だって、こうして落ち込んでいるんだしさあ」


 同じ室内で、亜希子と睦月が声をひそめて話す。


「百合様、御気を確かに。雪岡純子が嘘をついている可能性だってあるじゃないですか」


 とうとう堪えきれず、白金太郎が声をかけた。


「白金太郎……残念ですが、純子はよく嘘をつきますが、ああいう真面目な場面で嘘をつきませんわ。それに、真剣に人を傷つけるような嘘もつかない子ですのよ」


 慰める白金太郎に、力なく笑う百合。


「しかし……私の純子に対しての長年の恨みも、純子を恨むが故に私が行ってきたことの数々も、一体何だったのかという話になってしまいますから、どうしても……」


 話している途中に、百合の携帯電話が鳴った。相手は純子だ。


『言い忘れてたけど、その呪いをかけたのも私自身で自業自得だし、誰かの被害者ってわけじゃあないんだから、百合ちゃん、気にしないでよー』


 そう告げると、純子は一方的に電話を切った。


「だってさ……」


 亜希子が肩をすくめる。純子の声は百合以外の三人にも聞こえていた。


「人を傷つけるような陰険な嘘はつかなくても、言葉は足りないみたいだねえ……」


 睦月が苦笑いを浮かべる。


「落ち込んで損しましたわ。その呪いを自分自身でかけた理由というのは、どうせ真の転生に巡りあうためのものなのでしょうし。もう純子に楯突くのは辞めようと、一瞬でも考えた自分が猛烈に腹立たしくてよ」


 いつもの調子を取り戻して喋る百合。


「ママが元気になった……」

「あんな電話一本で元気になるとはねえ。どんだけ純子に依存してるのやら。あはっ」


 亜希子と睦月が微笑んでいるが、実際には空元気である。三人の手前、元気になったように演じただけだ。


 呪いを誰がかけたか云々は、大きな問題でもない。本人だろうが他人だろうがどうでもいい。

 純子が自分に心から謝罪したこと。それが百合にとって、どうしょうもないくらい最大で最悪の問題なのだ。


 もっとどうしょうもないほどに、徹底的に許しがたい、憎むべき敵であってほしかった。それなのに相手が心から非を認めてしまった。謝った。たったそれだけで、自分の復讐はどうしょうもないほどに、穢されてしまった。


「少々横になってきますわ。昨夜よく眠れてなくて……」


 そう言い残して百合は部屋を出る。


(百合様、元気にはなっていない。全然変わっていない。落ち込んだままだ)


 誰よりもよく百合を観察している白金太郎だけが、事実を見抜いていた。

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