第三十五章 15

 オマルが生まれた中東の小国は、生まれた時から内乱状態にあった。


 オマルが十歳の頃に政府軍が家の中へと押しかけてきて、反政府軍の一味だと喚き、オマルの見ている前で両親を殺され、八歳の妹は兵士達の肉便器になった。泣き声を上げた六歳の弟はうるさいと言われて、頭に弾を撃ちこまれて永遠に静かになった。

 その後オマルと妹は近所の老婆に引き取られて、その四ヶ月後に内乱は終わった。


 三年後、国内には反政府軍の残党がテロリストとして跋扈するようになり、政府軍の横暴を忘れられぬ者達が新たにテロリストとして加わった。オマルも十一歳で大規模なテロ集団の一つに加わり、テロを繰り返しながらしぶとく生き延びた。


 延々とテロを繰り返す日々。何年も何年も、ひたすらテロを行って人を殺し続ける日々。

 オマルは次第に、自分が何のために戦っているのかわからなくなっていった。最初は怒りと憎しみに身を任せていたが、ある程度の破壊と殺戮を繰り返した事で、それらの感情は次第に薄れていった。怒りはひたすら吐き出せば、いずれ消えるということをオマルは思い知った。


 ある日、テロで死んだ人間の中に、自分が家族を失った際に世話になった老婆がいた事を知り、オマルは悲嘆に暮れて、十六年以上も続けたテロリストから足を洗う事を決め、日本へと逃亡した。二十八歳の頃の話だった。


 オマルは日本で重い欝病にかかった。さらには幻覚と幻聴と悪夢に悩まされるようになり、三十歳になった時、自殺の代わりに雪岡研究所の門を叩く。

 純子に改造されたオマルだが、精神病の方は改善されなかった。


 オマルは純子を女神のような存在と崇めて、必死に救いを求めたが、そんなオマルの振る舞いが純子の煩わしいセンサーに触れ、ラット扱いされて放置された。


 その後、未来と知り合い、愛し合うようになって、オマルの心は救われた。心の病も劇的に治まった。安定した。それでもうオマルは救われた。今は幸福な日々を送っているし、未来と一緒であれば、いつ死んでも構わないと思っている。

 ラット・コミュニティも未来の付き合いで入ったようなものだが、その未来がコミュニティなどどうでもいいという振る舞いを見せたので、オマルにとってもどうでもいい。オマルは未来についていくだけ。未来を守るだけだ。


 男性上位の思想の国で生まれたオマルだが、ここはそんな国ではないことはわかっているし、未来の前でそんな素振りなどできるはずもない。それで嫌われたら、今度こそ自殺するしかない。


「クラエッ」


 オマルが真に向けて掌のタトゥーを見せる。

 真はしっかりと目を瞑り、目を瞑ったまま、窓に向かって銃を撃った。慌てて引っ込むオマル。


「僕は見なくてもある程度戦えるから、お前の能力は効かないな」


 そういう訓練を、純子にみっちりと叩き込まれている真である。


「エ、ズルイ」


 自分のとっておきの能力が効かないとあって、オマルは動揺する。


 オマルは真と、過去二回戦った事があるが、最初の一回――真が傭兵をしていた頃の、まだまだ未熟だった頃はともかく、その後の雪岡研究所での交戦では、見違えるように成長していた。今はきっともっと強くなっているであろう真と、銃の撃ち合いで勝てるかどうか、かなり疑問だ。

 オマルとて、テロ活動の際に軍と交戦し、幾度となく銃撃戦を繰り広げてきた歴戦の兵であるが、身体能力も戦闘経験値も、今の真には及ばないであろうと、何となくわかっている。


 それでも全く勝機が無いわけでもない。ある程度劣る程度なら、あとは運と駆け引きと努力とで、何とかできる。ましてや真は今、目を瞑って戦おうとしている。


 オマルは殺気を消し、こっそりと窓から下へ降りていく。殺気頼みで反応している真には、この動きがわからないとオマルは踏んだ。


(殺気を消したってことは、移動しているな。多分下から不意打ちをかましてくる)


 しかし真はオマルの行動を読んで警戒していた。


 一方、未来は累と近接攻防を繰り広げていた。

 累はいつも通り突きを主体とした攻撃を用いる。


(このガキ、あたいと同じか、それ以上に速い。しかも……動きが洗練されてやがる)


 怪人化された自分以上の速度で動く累に、未来は舌を巻いていた。それに加え、攻撃が的確で鋭く、何度か体に剣が突き刺さっている。

 未来は再生能力こそ無いが、皮膚と筋肉の強化によって、ちょっとやそっとの攻撃ではダメージにならない。累の突きを何度か食らったが、肉圧に阻まれ、貫くことができなかった。切っ先がわずかに刺さった程度だ。そのうえ未来が高速で動くため、狙いも中々定まらない。


 累が隙を見せ、未来の攻撃を誘う。未来は乗ってきて、鋭い爪を累の頭部めがけて振りかぶる。

 その動きを予測していた累は、身を低くして、体ごと大きく剣を振りかぶって未来の腹部を斬りつける。


 手応えは無い。つまり、肉厚に阻まれることなく未来の腹を断ったと、累は判断する。


 目で見て確認すると、未来が腹から血と臓物をあふれさせ、血を吐いてうずくまるのが見えた。未来は泣きそうな顔になって、己の両手で、必死に臓物が外にあふれでないようにする。


 累と未来の勝負がついたことを、オマルも真も気づいていない。地上で始まった銃撃戦で、互いの敵にのみ神経を集中させていた。


 オマルがこっそり地上に降りての不意打ちをする事は、真に読まれていたが故に、成功しなかった。危うげなく銃弾をかわし、オマルの動きを気配で読み取り、銃を撃ち返す。

 視界を奪われた状態での戦闘訓練を嫌というほど叩き込まれた真には、目を閉じたままでの戦いは、それほど苦ではない。ただし、敵以外の動く物体の位置までは把握できないし、事前に地形もしっかり把握しておかないといけないので、ベストコンディシションでの戦闘とも言い難い。


 オマルが街路樹を盾にして撃つ。真も撃ち返そうしたが、思い留まり、引き金を引くタイミングをずらした。

 テンポが狂わされて、オマルは出てはいけないタイミングで、遮蔽物から身を乗り出してしまった。


 真はそのタイミングを読んでから撃つ。


「オオウ……」


 オマルの胸を真の銃弾が貫く。呻き声と共にオマルが崩れ落ちる。

 そこでオマルは見た。累に敗北し、血溜まりの中で倒れているミキの姿を。


「アウウ……ミキ……」


 倒れたミキに向かって手を伸ばすオマル。


「ミキ……ミキ……」


 泣きながら名を呼び、必死でミキの方へと這いずり、ミキを掴もうとするかのように、手を何度も伸ばす。


「ちっ……遠いよ……クソッタレ……」


 未来もオマルの方を向いて手を伸ばし、力なく微笑む。


 真が無言でオマルの方に近づいて、オマルの体を抱え上げると、ミキの側まで連れて行き、重ねるように下ろした。


「オオ……シン、アリガトウ……」


 ミキに覆いかぶさって、最後に残った力で精一杯抱きしめ、オマルが礼を口にする。


「馬鹿だね。せっかくのチャンスだったんだから、隙見てぶっ刺してやりゃよかったのに」


 オマルに抱かれて、至福の表情になりながら、憎まれ口を叩く未来。


「ソンナコトデキナイ。シン、イイヤツダカラ」

「わかってるよ。あんたも……いい奴だしね。お人好しだから……ゴホッ……あたいみたいなあばずれと……」

「ジュンコ……ジュンコ……アイタイ」


 いい気分だった所に、オマルがそんなことを口にしたので、未来は顔をしかめた。


「ちっ……あんたこんな時まで純子純子って……。あいつはあたいらを見捨てたんだよ」

「ウウウ……オレモウココデシヌ……ミキ……マモレナクテゴメンナサイ」

「いいさ。それよりさ……あんた、純子とあたい……どっちが好き?」


 答え次第で自分は天国か地獄に分かれる。そう意識しつつ、未来は訊ねる。


「ジュンコ……スキ」


 地獄確定と思い、未来はがっかりしかけたが――


「デモ、ミキハモットスキ……。ミキノホウガズットスキ。ダッテ、ヤラセテ……クレル……カラ」

「ゴホッ……あほかい」


 オマルが続けて口にした台詞に、未来は血を吐き出しながら笑ってしまった。ひどく救われたような――勝利したような気持ちを抱いてしまう。


(クソみたいな人生だったのに、死ぬ時は……世界で一番幸せって思えちまってるよ。皮肉なもんだわ……)


 先に事切れたオマルの顔を間近で見つめながら、未来はぼんやりとそんなことを考えつつ、意識が薄れ、自分が消えていくのを実感していた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る