第三十五章 13

 雪岡研究所に戻った二号は、純子、真、みどり、累、それに意識の戻った美香の前で、録音した内容を聞かせた。


「貴様……」


 途中何度も美香が、ベッドに寝たまま、二号に険悪な視線を向けたが、二号はその度に口笛を吹いてそっぽを向く。


「じゃあバカヤローに文句を言ってくれ」


 百合と二号の会話を聞き終えた所で、真が二号に言う。


「このバカヤローめ。純子が悪いっ」


 きっぱり言い切って、腕組みして口をへの字にした二号が、純子を睨む。


「事情も聞かずそれはあるまい……。しかも言うことはその程度か」

 静かな声で美香が言う。


「そもそもラットという者達を何故冷遇したんだ?」


 美香が純子に問うた。まだ完治したというわけではなく、いつものように叫んで喋るだけの力が無い。


「それ、僕もわからないんですよね。前々から疑問でした。郁恵のように、一部変な連中もいて、それを純子が嫌うのは理解できますが、単に性格が悪いとか狂っているとかだけではなく、嫌う条件は、純子を崇拝したり一定以上の好意を抱いたり、そういう人達が多いんです」


 累がここぞとばかりに、前々からの疑問を口にする。今までは触れにくかったが、今こそ解き明かす時だと思い、突っ込んでみる気になった。


「その理由は一体何なんですか?」

「んー……」


 純子が累から視線を逸らし、頬をかく。


「ラットは確かにろくでもない奴が多いけど、雪岡の接し方もおかしいな。そして実験台ではないが、百合もラットと同様の扱いをした。だからこそ雪岡を恨んで、その恨みの矛先は僕に向けたわけだ。発端は雪岡と言えなくもない」

「んぐぐ……」


 真の言葉を聞き、純子が苦しげに唸る。


「ふえ~、疑問なんだけどさァ。いくらなんでもこんなにラットとかいうのが繁殖してるの、おかしくね? 発端つーか原因は明らかに純姉だけどさ。真兄の言う通り、露骨に冷遇するのってどうなんよォ~。純姉だって馬鹿じゃねーんだから、自分のやってることおかしいってわかるでしょー?」


 と、みどり。


「ラットが繁殖ってのもおかしい表現だろ。ラットというカテゴリーを作って、放置しているのは雪岡自身だし」

「あ、確かに」


 真に突っ込まれ、みどりは微笑む。


「んー……確かに……皆の言うとおりだと思うけど……。でも、私に対する感情がある一線を越えた子に対しては、物凄い煩わしさを感じちゃうんだよね。シスターもみどりちゃんも美香ちゃんも累君も、私に対してそこまでの気持ちは無いんだよ。仮にそういう気持ちが芽生えたら、今言った人達だろうと、私は煩わしくなると思う。唯一の例外は……本人の目の前で言うのも何だけど、真君ね」

「ぺっぺっ、その煩わしさが放置してきた理由だからっつっても、勝手すぎねーかって話なんだよ。あたしは普通に百合って人が可哀想に思えたわ」


 純子の話を聞いて、二号が不愉快そうに吐き捨てる。


「あいつ自身が極悪人だから、同情はいらないけどな。しかしもう一度言うけど、種を撒いたのは雪岡だし、対処の仕方そのものが悪かったのは事実だろ。今後も同じようなことをするつもりか?」

「んー……不味いよね。うん、不味い」


 真に問い詰められた純子が、珍しく申し訳無さそうに縮こまる。


「へーい、みどりが調べてみよっか? 何か心の病気かもしんない。トラウマとか。あるいは誰かに術か呪いをかけられたとか」

「んー……実は心当たりはあるんだなー、これが」


 頬をぽりぽりとかき、苦笑する純子。


(蒼月祭の時、私に呪いがかかっている状態だったってわかった。でも私が私にかけた呪いは、真君と出会った事で解けているはずなんだよね。なのに呪いはかかったまま。呪いの効果も持続している。どういうことなんだろ。調べてみた方がいいかも)


 そう思い、純子はみどりにお願いすることにした。


「私は昔、自分で自分に呪いをかけたんだよ。大好きな人の生まれ変わりと再会するまで、誰にも恋心を抱かず、愛しもしない呪い」


 純子のその話を聞いて、真は頭の中で嫌そうな自分の顔を思い浮かべる。


「自分を崇拝、信奉する者への興味の過度な喪失は、自分で自分にかけた呪いの後遺症であるということですか……。例え呪いが解けても、残ってしまっていると」


 真を横目で見やり、累が言った。


「多分……ね。みどりちゃんに診てもらえば、さらにはっきりすると思う」

「イェア。診るだけじゃなくて、それが真相なら、みどりの力で後遺症も取り除いてやることができるぜィ」


 みどりが純子に向かって、にかっと歯を見せて笑ってみせる。


「じゃあ、お願い」

「がってんだー」


 みどりが精神分裂体を投射し、純子の精神の中へと自分の精神をダイブさせる。


(ああ、確かに精神にかけた呪いの痕跡がある。そして……呪いはすでに解かれているのに、精神に影響が残っちゃってるわ)


 すぐにみどりはそれを探りあてた。そして……他にも一つ、重大なことがわかった。


「他人に精神を預けるなど……ぞっとしないな」

 美香が小さく呟く。


「医者に治療してもらっているようなもんだ。仕方無い」


 真がそう言った後、信頼している間柄だからこそできることだと、口の中で付け加える。


「はい、終わり。純姉が自分にかけた呪いってのは、すでに解けている。解けているけど――今言ったように、後遺症で呪いの効果だけが一人歩きして精神を蝕んでいたわ。その症状はあたしが、ちょちょいのちょいと治しておいたぜィ」


 みどりがそう言って微笑みかけながら、瞑目している純子のおでこを軽くつっついた。


 一方でみどりは、純子に伝えなくてはならないことがあったが、それを口にする前に、純子が口を開く。


「みどりちゃん、ありがとさままま。んー……ラットの皆にも、百合ちゃんにも。悪いことしちゃったね……。あはは、何とも罪深いな、私。笑い事じゃないけどさ」

「露骨に異常な奴は避けてもいいだろうけど、それにしたってやりようがあるな」


 小さく溜息をつき、真が言った。


「それとみどりちゃん、私にまだ呪い、かかってる?」


 みどりが言い出す前に、純子の方から訊ねた。


「うん、かかってた。でも呪いそのものにかなり強烈なプロテクトがかかっていて、あたしには外すの無理だわさ。これまたマインドコントロールの類の呪いだけどね。解くつもりなら、もっと優秀な御祓い師に見てもらった方がいいよォ~」

「んー……」


 どんな呪いか興味がある一方で、何となく触れてはいけない予感もしている純子である。


「ただ、あたしはあまりオススメしないけどね。精神に影響する呪いは、その正体が判明しないまま、無闇にいじらない方がいいぜィ。『呪い』であるにも関わらず、呪いのかかった者を護っているケースもあるからね~」

「うん、私もその手の話は聞いたことがあるから、正体もわからないままいじるのはやめておくよ」


 忠告するみどりに、純子が微笑む。


「その百合という女性と、今度は私が話をしてみたい! 私を指名だったのだしな!」


 美香の元気が戻ってきたようで、いつもの叫ぶ喋りに戻っていた。


「僕と雪岡にとっての敵だ。あまり馴れ合いはしないでくれ。二号はそうはならないと踏んでいたから、安心して行かせたが」

「そりゃどういう意味じゃ~。あたしなら、元から話を滅茶苦茶にすると踏んでたんかーい」


 真の言葉に、にやにや笑いながら突っ込む二号。


「雪岡へのあてつけで、僕の家族やダチを皆殺しにした奴だからな。美香が谷口陸に狙われたのもそうだ。僕の恋人もそいつに殺された。ただ、ある事件でそいつは、僕の周囲にはもう手出ししないっていう約束をしたけど」

「百合ちゃんは約束を守るから、それは安心していいと思う」


 真が言い、純子が口添えする。


「まあ、僕の目的の一つは、そいつを斃すことだ。僕よりはるかに強くて、中々難しいけどな。おまけにそいつの身内が、僕や雪岡と親しくなってしまって、複雑だ」


 真がそう言ったその時、二号と美香の携帯電話にメッセージが届く。


「私の事務所が襲撃されたらしい! 三人は……かろうじて逃げのびた! 襲撃者はそのまま事務所に居座っているそうだ!」


 書かれていた内容を報告する美香。


「美香ちゃんの帰りを待っているんだろうねえ」

 と、純子。


「ふざけやがって……」


 二号が呻く。二号と美香、いつもは顔つきの異なる二人が、今は全く同じ怒りの形相になっている。


「行くぞ! 二号!」

「いくら朱美ちゃんに治してもらって、傷口が塞がったからっていっても、あと一日は安静にしてないとだめだよー」


 ベッドから起き上がる美香を、純子が止めた。美香は口ごもり、渋々従い、また寝転がる。


「僕が代わりに行ってやる。大人しくしてろ」

「暇だから僕も付き合いますよ」


 真と累が申し出る。


「くっ……! 頼むっ!」

 口惜しげに叫ぶ美香。


「美香姉、『くっ……! 殺せっ!』って言ってみて」

「断る! みどりがオークになって襲いかかってくるんだろう!」


 みどりの言葉に、美香が微笑みながらそう言って拒んだ。

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