第三十五章 12
月那美香事務所の破壊された応接間の天井は、この一件にケリがついてから改修工事をするという次第になった。また襲撃者がやってきたら、工事の人を巻き込みかねないと危惧したからである。
おまけに自宅に帰れば自宅とその周辺にも被害が出る可能性があるので、しばらく全員事務所に寝泊りすることにもなった。
留守番しているクローン三名は、すでに美香の負傷を聞いており、暗い面持ちで待機していた。
「オリジナルのお見舞い、行った方がよくない?」
十一号が口を開く。
「二号が来なくていいと言ってましたし、私達はオリジナルが元気になって戻るまで、留守番していましょう。一応峠は越えたようですし」
十三号が言った。美香がいない際のクローン達のリーダーは、十三号が自然とそのポジションに収まっていた。
「どうして来なくていいとか言ったんだろう」
その辺に何か理由が有りそうな気がしてならない十一号。
二号が拒んだ理由は、どうせ寝ているだけだし、治ると言われているのだから来ても仕方無いという、あっさりとした代物だった。
「オリジナルが死んだら、にゃーも死ぬにゃー。オリジナルのいない世界なんて、わくわく暗黒わーるどでしかないにゃー」
「暗黒の前にわくわくがつく意味がわかんないんだけど」
死んだ魚のような目で呟く七号に、十一号が突っ込む。
その七号の目に生気が戻る。
「殺気にゃー」
七号が鋭い声で告げ、十三号と十一号も警戒して気配を探ると、確かにほのかな殺気が感じられた。
銃声が何発も鳴り響く。玄関の扉に向けて撃たれたようだ。しかし扉も防弾仕様なので、銃弾で鍵を破壊することはできない。
銃声が止む。その十秒後、爆音が響いた。
プラスチック爆弾で扉を破壊して、襲撃者達は悠々と事務所内へと入ってくる。
「三人か。クローンかオリジナルかわかんないね」
そう言いながら現れたのは、尻に食い込んだホットパンツに、胸元に大きく切れ込みが入ったシャツという、露出度の高い服装をした、二十代前半と思われる女性だった。厚化粧で、人相はよろしくない。
「ゼンブコロセバ、モンダイナイ」
女性の後ろから、褐色の肌の中肉中背の男が現れて、片言の日本語で言う。頭にはターバンを巻き、白い貫頭衣の上に迷彩柄のチョッキを着た、アラブ系の男だ。年齢はいまいちわかりづらいが、おそらくは若いと思われる。
女の名は古代未来(ふるしろみき)。男の名はオマル。二人共ラット・コミュニティに属していたラットであった。
「ジャージオン! ピンクジャージ! ジャージ戦隊ジャジレンジャー!」
服の下にスーツを着込んでいた十一号が、ヘルムをかぶって名乗りをあげ、高速で変身を完了する。
「あっはははははっ、ヒーロー系マウスかよ。こいつはいいね。あたいは怪人系マウスだから、いい組み合わせだ」
未来がダミ声で笑い、銃を懐にしまうと、その姿が変貌していく。
露出した肌の色が変わり、薄い青紫――竜胆色の体毛がびっしりと生えていく。手の爪は伸び、腕と脚の筋肉も膨れ上がったかのように見える。
変身を完全に終える前に、十一号が未来に向かって突っ込んだ。
が、その十一号の動きが、急に停止した。
(え……?)
(ふにゃ?)
十三号と七号が驚く。十一号の動きが急に緩慢になったかと思うと、前のめりによろけて倒れそうになっている。
(何?)
十一号も驚いた。気がつくと自分がわずかな距離を移動していて、倒れそうになっていたのだから。
慌てて体勢を立て直したが、その時には変身を終えた未来が十一号の横に回りこんでいた。
「なっ!?」
十一号から見れば、敵が瞬間移動したかのように見えた。
未来の爪が十一号の胸を袈裟懸けに引き裂く。服は引き裂かれたがしかし、服の内側のピンクジャージスーツには爪が通らず、未来は舌打ちする。
(今、どうなったの? あの人の手を見て……それで……時間が跳んだみたいに……)
十一号はほんの三秒ほど、意識を失っていた。意識を失っていたことさえ気がついておらず、時間が吹っ飛んだかのような、そんな感覚がある。
意識が消える前、十一号は見た。オマルが自分に向けて掌をかざしたのを。掌に目玉のような紋様のタトゥーが描かれていたのを。
(あれを見ておかしくなった?)
不審がる十一号に、オマルがまた手をかざしてくる。
反射的に顔を背ける十一号。そこに隙が生じ、未来が続け様に攻撃する。今度は回し蹴りを放ってきた。
「げほっ」
腹部に蹴りを食らった十一号は、スーツの防御力をもっても衝撃を殺せず、横向きに倒れて、血反吐を吐く。
「十一号っ、こにゃくそーっ!」
七号が能力を発動させようとしたが、そこにオマルが手をかざす。
七号の動きがそれで止まった。
「あれ?」
七号の能力は発動しなかった。集中力が途中で途切れたことを意識し、不審げにオマルを見ると、まだこちらに手をかざしている。そこでまた七号は呆けたように停止する。
オマルの能力は、約三秒、掌のタトゥーを見せた相手の意識を失わせるという代物だった。意識を失う時間が短い故に、能力にかかった者は、自分が意識を喪失したことすら気がつかない。
戦闘中に三秒も意識を失うなど、致命的と言える。未来の攻撃がスーツに阻まれていなかったら、十一号も死んでいた。
「男の手を見ないで!」
七号の意識が戻ったのを見計らって、十一号が叫んだ。
「ミタクナクテモ、ミセテヤルゾ」
そう言うと、七号と十三号に向かって両手をかざすオマル。
二人の動きが止まった。三秒経ってまた意識が戻っても、そこにはまた意識を奪うタトゥーがあるので、また意識を失ってしまう。その間にふらふらと体が揺れ、倒れそうになった所を意識が戻り、反射的に体勢を立て直した直後にまたオマルの手を見て意識を失うという、悪循環だ。
二人には敵の能力の正体がわからないうえに、自分の身に何が起こっているかさえもわからないので、目を瞑るという考えに至らない。すでにオマルの能力を見抜いた十一号なら話は別だが。
オマルが十三号と七号を制している間、十一号は未来と肉弾戦を行っていた。
未来の速度は、十一号のそれをはるかに上回っている。激しい連続攻撃と巧みなコンビネーションに、十一号は防戦一方だ。
「二人とも目を閉じて! 目を閉じろ! 目を閉じろ!」
意識が戻った際に聞こえるように何度も叫ぶ十一号。
「るっせーな」
未来が忌々しげに吐き捨て、渾身の蹴りを繰り出す。
吹き飛んで倒れる十一号。しかし十一号はこれを逆にチャンスだと受けとった。
すぐに起き上がる十一号。そのタイミングを狙って未来が跳躍して攻撃を仕掛けたが、危うい所でかわす。
十一号は十三号と七号めがけてダッシュすると、二人に向かって突っ込んで押し倒し、二人の目を無理矢理手で塞いだ。
「何にゃーっ!?」
「あいつの掌を見たら駄目なの! 意識が消えて何もできなくなる!」
やっとのことで伝えることができて、その点に関してだけは安堵する十一号。
「ゆけー、ゆけー、ぼくらのぴんくじゃーじー。たたーかーえー、ひっさつぴんばずーがー♪」
倒れて目を閉じたまま歌いだす十三号。すると十一号の全身に力が漲る。
未来が跳躍して十一号に襲いかかる。
上からエルボーが振り下ろされるが、十一号はそれを片手で受け止めた。
「むっ……」
驚く未来の体を、十一号は片手でブン回し、床に思いっきり叩きつけた。
十一号がオマルの方を向く。すると掌をかざすのをやめて、懐から銃を取り出す場面が、丁度視界に入った。
銃声が立て続けに響く。目を閉じて倒れたまま無防備で動かない十三号と七号は、これで死んだと、十一号は絶望した。
しかし、二人共無傷のままだ。
銃弾は空中で停止していた。
「ナンダ、コレハ……。チョーノーリョクカ?」
空中で停止した弾を見て、オマルが呻く。
実際には七号が無意識で発動させた能力であり、磁力の結界を築いて銃弾を空中に止めていたのだが、誰もその真実を知る事はできなかった。能力を発動させた七号にすら、その認識は無い。七号の力は、無意識下で発動することが多いうえに、何が起こるか本人にもわからないという代物だ。
(このままじゃジリ貧ね。私一人じゃ、この二人相手に、このまま七号と十三号は守りきれない。勝てる見込みも薄い)
十一号はそう判断し、未来が起き上がる前に逃げることを決め、七号と十三号を担ぎ上げる。
「逃がす……な……げほっ」
途轍もない怪力で床に打ちつけられ、未来は咳き込みながらオマルに命じる。
「ミキ……ダイジョウブカ?」
「馬鹿……あたいはいいから……って、あーあ……」
駆け寄ってきて心配そうに覗き込むオマルと、窓をぶち破って逃走した十一号を見やり、未来は顔をしかめた。
「デモ、ミキ、ピンチ、ホーッテオケナイ。ミキハ、オマルノタイヨウ。メガミ。オマル、ホーッテオケナイ」
「あんたは医者かっての。仮にあたいが重傷だろうと、あんたがこっちに来てもできることないし、しゃーないだろ。ったく……。でも、あんがとな」
おろおろするオマルを見て、未来は苦笑いを浮かべて礼を述べると、上体を起こして、オマルの唇に自分の唇を押し当てる。
「本体はいなかったようだし、ここで待っていよう」
「オオオ、オマルノハートニファイヤーッ。ミキ、ヤロウッ。イマスグヤロウッ」
「はいはい、好きにしなよ」
「オオオ、ミキ、アイシテル。チョーアイシテル」
鼻息を荒げて覆いかぶさってくるオマルの後頭部に腕を回し、未来は優しく微笑みかけ、頬をすり寄せた。
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