第三十五章 9

「オリジナルうっっ!」

 二号が目を剥いて悲鳴をあげる。


「不運の後払い!」


 炎に包み込まれる刹那、咄嗟に運命操作術を発動させる。


 強風が吹き荒れ、炎の威力が殺がれ、美香は慌ててその場を飛びのく。

 空気使いの能力者が風を誤作動させたものか、あるいは風で布を舞わせようと目論んだ所が、美香のいる場所と重なったか、とにかく美香にとって都合のいい偶然が呼び寄せられ、不運は回避された。


 しかしそれでも完全には防ぎきれず、美香の服のあちこちに火がついている。火だるまになることは防いだが、ダメージは受けてしまった。


「オリジナルーっ」


 床で転がりまわって火を消そうとする美香に、二号が上着を脱いで美香をはたき、火を消す手伝いをする。


「運命操作術の使い手とはね。気に入らない」

 ぽつりと呟く瑞穂。


「あちち……今のは何だっ!?」

「床や壁にカモフラージュしていると言ったろ。保護色だ」


 訊ねる美香に、真が答えた。


「僕が知る限り、瑞穂は三つの能力を持っている。自分の体から火を噴きだす『サラマンダー・サック』。自分の体を増殖分裂させて、布やビニールといった平面状のものを作り、見た目を変化させる『カメレオン・プリンター』。つまりここいらに散らばっている布は、瑞穂の体から分裂したものだ。しかも保護色で床にカモフラージュしているものもある」

「理解した! 残り一つは!?」

「運命操作術だ」


 真の答えに、美香は固まった。


(異なる殺気が微かに感じられる。他に二人ほど潜んでいるな。離れているから場所まではわかりづらいが。つまり布切れを飛ばしているのは別の奴だ。さっさと見つけて始末しないと……こっちが一方的にやられる展開になるぞ)


 殺気を感じる時点で視線が届く場所――つまり工場内のどこかに潜んでいると、真は見なした。


 工場内のあちこちから布がひらひらと舞い、三人を包囲するかのようにゆっくりと迫ってくる。夥しい数だ。

 それらが全て一斉に飛んできて発火したらと考え、二号は息を飲む。数秒後か十数秒後くらいには、想像通りになる可能性大だ。


「うひぃ……これ、かなりヤバい状況でげすよ~。どするどする?」


 二号が恐怖を紛らわせるために、おどけた声をあげる。


(確かにこれは絶体絶命に等しいぞ! だがどうする!? いくら運命操作術でも限度がある!)


 真が瑞穂に向かって銃を撃つ。瑞穂はかわす。


「美香、他の敵の位置を探してくれ。魂の死角を使って、効果が続いている間に見つけだして、できればそのまま斃せ」


 真が指示を出し、さらに銃を撃つ。これで瑞穂の意識を自分へと強く惹きつけた。


「承知! 魂の死角!」


 真の指示に従い、美香は運命操作術を発動させる。


 真は簡単に言ってくれたが、これはとても難度の高い、それこそ幸運の助けも借りなくては達成できないミッションだと、美香は判断する。


 魂の死角は、他者の認識から自分を消せる運命操作術だ。しかし確実性は無いうえに、他者の意識が自分に強く向いている状態からでは使えない。他に意識が向いている必要がある。囮となる者がいればなおよい。

 一つの行動を終える間か、ある程度の時間まで、能力は持続する。真が瑞穂の気を惹き続けていれば、長い時間、瑞穂から自分の認識を消し続けることができる。


 銃をすぐ撃てるように構えたまま、美香は工場内を駆ける。


(床に仕掛けられた保護色の布は、踏んだら自動的に火を吹くのか、それとも瑞穂の意識が必要か。もし前者なら危険だ)


 踏まない幸運が必要であり、踏んだとしたら、自動的には発動しない能力であることに賭けないといけない。


 工場内のあちこちに、ミシンが置かれた机が所狭しと並んでいる。隠れる場所は無数にある。

 そしていつ魂の死角が解除されるとも限らない、限られた時間内で、この広い工場の中から、隠れている敵を見つけ出さないといけない。かなり無茶な注文だ。しかし自分がそれを実行するのに適しているし、やらねば不利なことも、美香は理解している。


 机の裏側を片っ端から見て回る美香。


 真の銃声が途切れる。空中に浮かんで包囲していた布が風と共に動きだし、一斉に発火すると、火を纏った布が次から次へと続け様に飛来しだした。

 真は予め出していた鋼線を引く。相手に絡めるために先に錘のついた鋼線を、分胴鎖のように高速で振り回し、先端の錘で火の布に当てて絡めとり、あるいは打ち払っていく。


 二号もさらなるオーガニックトラップを発動させ、風に吹かれて次々と飛んでくる火の布を防いでいる。二号の作る罠は、手持ちの触媒と温存しているトラップが尽きたら、もうそれで打ち止めだ。それらが尽きれば、二号は自分の身を守ることができない。


 その時、美香の魂の死角が解除された。時間による自動解除である。


「なっ!?」


 思わず瑞穂が目を剥いて声をあげる。気がついたら美香の姿が消え、あらぬ場所にいたからだ。

 魂の死角の連続使用はできない。例え連続使用でなくても、一日のうちに何度も使うと、確実性がどんどん低下していく。しかし、似たような能力がもう一つある。


「殺意へのデコイ!」


 条件は魂の死角と似ているし、効果も似ている運命操作術――殺意へのデコイ。ただし発動条件は厳しい。自分に殺意を向けている者にしか効果が無いうえに、身替りとなる人物が必要で、しかもその身替りが親しい者でないといけない。持続時間は極めて短く、使用中に他者への殺意や敵意を抱くと、能力は解ける。

 条件が厳しい代わりのメリットは、確実に発動することだ。そして連続使用は無理だが、回数を重ねる事による劣化制限も無い。


 殺意へのデコイはすぐに解けた。しかし時間稼ぎには十分だった。

 美香は机の陰に潜んでいる男――金井満の姿を見つけた。


「ひぃッ!?」


 いつの間にかすぐ近くに迫っていた美香を見て、金井は恐怖に顔を引きつらせる。

 それを見ただけで美香はこの男が異なる能力者と見なして、問答無用で頭を撃ち抜いた。

 別人という可能性も考えなくはなかったが、躊躇している余裕は無かった。自分達の身の安全のためにも、撃つしかない。そもそも無関係者がこんな所にいる可能性は低い。


 吹き荒れる風が止み、宙を舞っていた布切れが一斉にひらひらと床へ落ちていく。


(正直……絶体絶命だったな。美香があと数秒遅れていたら、黒コゲだった)


 周囲に落ちた、無数の炎を纏った布切れを意識し、真は胸を撫で下ろす。四方八方から次々と飛んで来る布を、防ぐのがしんどくなっていた所だ。下手に走ったり転がったりして逃げようものなら、床や机に仕掛けられた布が発火するであろうし、同じ場所にいて、ひたすら受け続けるしかなかった。


「中々やってくれるわね。でも、面白い。ここであっさり死んでくれるよりかは面白い」


 金井が殺されて絶対的優位を失った瑞穂が、不敵に笑う。


 ふと、美香が間近で殺気を感じ、振り返る。

 誰もいない。机の陰に潜んでいるのかとも思い、移動して周囲を把握しようとしたその時、床に落ちていた布数枚が突然、美香の目の前で舞い上がった。


(不味いっ!)


 布が火を噴くのを警戒し、反射的に後退する美香。


(布を動かす力を持つ者がもう一人存在する……!)


 そう考えた直後、美香の腹部を熱い痛みが襲った。

 水色の槍のようなものが背後から伸び、美香の腰から腹部を貫いていた。


 美香の目の前で、水色の細い触手のようなものが、布の下から、机の引き出しの中から、何本も一斉に姿を現す。それらは先が尖っており、ショックで固まっている美香に向けて、先端の照準をつける。


 真がマシンピストルじゃじゃ馬馴らしの弾を全て撃つ。水色の触手の何本かの先端を撃ちぬき、美香への攻撃を防いだが、何本かは残っている。


「うがあっ!」


 無事な触手が攻撃するかと思ったが、悲鳴があがり、全ての触手がのたうちまわるようにして引っ込んだ。


 美香の体が横向きに倒れる。


 机の引き出しの中から、それは現れた。ぶよぶよと不定形に蠢く水色の人間の頭部。その首にあたる部分からは、細く長い触手が何十本と伸びている。

 男の顔だけは、怪人に変身する前の原型を留めている。ラットの一人、水島敦だった。


「あの馬鹿。出てきたら狙われるでしょ……」


 舌打ちする瑞穂。しかし美香は倒れ、二号の攻撃範囲ではなく、真はリロードの最中だったので、水島が逃げるだけの機会は十分にあった。

 怪人化した今の水島は、頭部の骨が全て軟化しているので、平面状になって狭い場所にも入ることができる。布の中や机の中を伝ってこっそりと移動し、美香が自分の攻撃できる地帯に入ったので、不意打ちをくらわしたのである。


「ひぃいぃっ」


 悲鳴をあげ、水島が姿を消す。痛みに驚いて思わず飛び出てしまったが、自分でも不味いことをしたと気づいたのだ。そして美香にとどめを刺すのも忘れ、布と机の下に潜って、ひたすら逃げる。


「こっちもお返しできてよかった。今日は引いておくわ。まだまたお楽しみはこれからよ」


 笑顔でそう告げると、瑞穂は真と向かい合ったまま早足で工場の裏口へと向かう。


 リロードを済ませた真が、瑞穂に向かって銃口を向ける。


「不運の後払い」


 瑞穂がぽつりと呟き、運命操作術を発動させる。己に起こる不運や危機の回避を行う術であるが、後々小さな不運が起こるという、初級運命操作術だ。美香もよく使っている。


「うぐぐ……」


 美香の呻き声を聞き、真は攻撃するのを思い留まった。逃げようとする相手など放っておいて、今は美香を先に助けにいった方がよいと判断した。先ほどの水色怪人が、まだ潜んでいる可能性があり、動けなくなった美香を再び襲うかもしれないと。


(この呻き声で呼び止めたのが、運命操作術の効果か……。美香もやられたし、僕も危なかったし、中々の強者達だな)


 舌を巻く真。特に瑞穂は、複数の能力を備えているうえに、保持している能力の全てが強力かつ厄介だ。


 二号と真、二人で美香の側へと駆け寄る。出血量はさほどではないが、どう考えても重傷である。


「ひっぐ……ひっぐ……オリジナル……」


 泣き出す二号。美香の服を脱がせ、淡々と応急処置をしていく真。その間も水色怪人の襲撃を警戒しているし、周囲には鋼線の結界を張ってある。


「泣くな……二号。たかが腹に穴が開いた程度。私はこれしきのことでは絶対死なん。信じて待ってろ……」


 美香が二号を見上げて笑顔を作り、弱々しい声で言い放つと、糸が切れたように首から力が抜けて、床に頭を垂れた。

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