第三十五章 10

 百合の元に、瑞穂から電話がかかってきた。


『金井が死んだわ。奴等、中々やる。こっちも美香の腹に穴を開けてやったけど、是非とも生き延びてほしいところよ』

「金井がね……」


 百合も金井の能力は知っている。かなりの広範囲の空気を自在に操る。言葉にしてしまえば簡単だが、それが扱い方次第でどれほど驚異となる能力か、百合は理解している。


「貴女が金井の能力の扱いを誤ったのではなくて?」

『状況も見てないのに責めるの? 長生きしているわりにはあまりオツムがよろしくないようで』

「おやおや、図星を突かれて御立腹ですの? いつも冷めている貴女にしては珍しく、とても人間味のある愉快な反応ですわね」


 険悪な声を発する瑞穂に、百合はおかしそうに笑いながらからかう。


『しばらく合間を開けて、様子を見る。その間に組織作りの方を進めるわ。もう大分出来ているけどね』


 必要最低限の報告をすると、瑞穂は百合の言葉を待たずに電話を切った。


(あの子にも火がついてきたのでしょうか。よい傾向ですわね)


 そう思いつつ、百合は室内にいた睦月の方を見た。


「睦月、おつかいを頼めまして?」

「んん? 何か悪巧みかい?」

「大した用事ではなくってよ。月那美香にとどめをさしてきてほしいだけですわ」

「何でそんなことするのさ?」


 百合の要求を聞いて、睦月は半眼になる。


「瑞穂はまだ美香を生かして欲しいと思っていますし、自分の手で殺したいと考えているでしょうから、サプライズですわ」


 楽しそうな笑顔で百合は答える。


「そういうのはサプライズじゃなくて、ただの意地悪って言うの」


 呆れた顔になって、溜息混じりに言う睦月。


「お気に召さなくて?」

「もう俺……知りもしない人間を無闇に殺す気にはなれない……」


 睦月が百合から視線を外し、哀しげな面持ちとなって言ったので、百合もこれは無理だと判断した。


「では方針を変更しましょう。私が会話をしたいから、捕まえてここに連れて来てくださるかしら?」


 月那美香がどういう人物なのか百合も知らないし、純子や真と懇意のようなので、一度挨拶をとも考える。可能であれば、その心を揺さぶりたいとも企んでいる。


「ま……それならいっか……。それも一苦労だけどねえ」

「別に捕まえなくても、同意のうえでもよろしくてよ」

「あはっ、その方がいいなあ。じゃあそれでいくよお。今日はもう遅いから明日行くねえ」


 百合の言葉を聞いて、睦月は了承した。


***


 美香が重体で雪岡研究所に運ばれ、一晩が過ぎた。

 二号は事務所に帰らず、研究所で一晩過ごした。


 朝早くから雪岡研究所に、朱美という名のマウスが呼ばれた。彼女は強力な治癒能力を持っていて、純子の手をもってしても厄介と判断された傷を治す際に呼ばれる。真も何度か世話になった。

 今回治す相手は当然、腹に穴を開けられた美香である。


「ふぐぅ……本当に治るの? あんな傷、普通なら致命傷じゃんよ……。普通死ぬって……。漫画じゃ腹に穴開いたくらいじゃ軽傷扱いだけど、現実じゃ死ぬって……ううう……」


 リビングで二号が泣きじゃくっている。治療には怖くて立ちあえなかった。


「へーい、美香姉がそんな簡単にくたばるわきゃねーって。あんたは美香姉のこと信じてねーの? 美香姉のゴキブリにも勝る生命力を信じなよォ~」


 その二号の頭を撫で、励ますみどり。


「宿敵みどりに慰められるなんて、でもありがとおぉぉ~っ。ひいぃぃ~んっ」


 突っ伏して本格的に泣き出す二号。


「七号もそうだけど、泣き虫属性多いんかね~?」


 鼻水をかませるためのティッシュを取りに行きつつ、みどりが呟く。


「ほとんどのクローンが一歳前後だからねえ。二号ちゃんも一歳と半年程度くらいかな」


 丁度純子がリビングに現れて言った。真もいる。朱美はすでに帰った。


「お、オリジナルはっ!?」


 涙と鼻水まみれになったぐちゃぐちゃの顔をあげ、目を大きく見開いて問う二号。


(美香と同じ顔していてこれだからな……)


 見てはいけないものを見てしまった気がする真。


「大丈夫だよ。でもしばらく安静にしておかないとねー」

「うへっ、うひひっ……えがった。やっぱりオリジナル、みどりの言うとおり、オリジナルの正体はゴキブリだった……うへへへ」

「いや、そんなこと言ってないけどォ~」


 純子の言葉に、二号は安堵して泣きながらへらへらと笑い、みどりが突っ込む。


 その時、研究所の呼び鈴が鳴った。来客だ。


「おや、睦月ちゃんだ」

 入り口のモニターを映し、純子が言う。


「何しに来たんだ」


 真が呟く。ラット・コミュニティを作ったのが百合だという話であるし、タイミング的に考えて、今回の件に無関係であるとは考えがたい。


 睦月がリビングへと通される。


「百合が美香と話をしたいって言ってるんだよねえ」

 用件を告げる睦月。


「あいつがこの件の黒幕か?」


 ストレートに訊ねる真に、睦月は肩をすくめて曖昧な表情を浮かべる。


「関わってないと言えば嘘になるけど、例えば月那美香を襲っているのは、百合の命令じゃないよお」

「んー、ラット達ともうまく連携が取れてないか、あるいはラット達が独断で動いていて、ズレがあるってところかな? だからラットは美香ちゃんに手出しをしたし、百合ちゃんはラットの動きを無視して、睦月ちゃんを遣いに寄越した、と」

「あはっ、本当はさらってこいと言われたんだけど、平和的に連れてきた方がいいと思ってさあ。話がしたいからって言ってたのは本当だよぉ」


 睦月の言葉に、純子と真が顔を見合わせる。それを真似するかのように、みどりと二号も顔を見合わせた。


「狙いがわからないねえ」

 純子が言う。


「うんうん、俺にもわからないねえ。何か悪いこと考えているのは確かだけどさあ」

 再び肩をすくめる睦月。


「よくわかんねーけど、いずれにしてもオリジナルは今動けないから、お引取りしてほしいっス」


 二号が睦月に向かって言った。

 ふと、真がその二号の方を見て、閃いた。


「僕にいい考えがある。こいつを美香ってことにして送ろう」

「へ?」

「ちょっとちょっと真君、そんなことして何の意味があるの?」


 真の言葉を聞いて、二号が声をあげ、純子が突っ込む。みどりと睦月も何じゃそりゃという顔をしている。


「雪岡らしくないな。お前のレベルに合わせた発想だし、お前も同じこと考えていると思ったのに」

「んー……確かに面白そうだけど」


 真の考えを聞いて、純子は微苦笑を浮かべて顎に手をやる。


「ふぇ~、面白いだけじゃん。二号のことだからきっと滅茶苦茶するだろうし」


 みどりがそう言うと、二号がむっとした顔になった。


「うわ、今の、すっげーカチンときたわ。みどりはやっぱあたしの敵だわ。よろしいっ。受けて立つべー。オリジナルは今度こそ守ってみせるッス」


 みどりの台詞に触発され、やる気になる二号。


「会話はちゃんと録音しておけよ」

 釘をさす真。


「イエッサー! あたしが責任もって、オリジナルの名誉を地に落としてきてやんよ」


 二号が顔の前で拳を固く握り締めて意気込む。


「ふわぁ……地に落とすのォ~? 結局あたしの言うとおりじゃんよー」


 後頭部に両手を回し、みどりが歯を見せて笑った。


***


 瑞穂は由紀枝を連れて、自分の事務所へと向かった。


「この男は危ないから気をつけてね。と言っても、気をつけようが無いし、私と一緒にいる時以外、こいつと二人きりにはしないようにするけど」


 事務所にいた宏を指し、由紀枝に注意する瑞穂。


「え、何で俺が危ないの?」

「どうして危ないの?」


 宏は呆然として、由紀枝は興味本位に尋ねる。


「ロリコンだから」

「そっかー」


 速攻の答えに、速攻で納得する由紀枝。


「おい、人聞き悪いこと言わんでくれ。いや、仮に事実だとしたらもっと悪いし、大体この娘はもう十二歳か十三歳くらいだから、ロリコンの範疇には入らない。俺は認めない。これがロリだというなら、それは世間の方が間違っているっ」


 力説する宏だったが、瑞穂も由紀枝もノーリアクションだった。


(それに俺は瑞穂一筋だからな)

 口には出さずに付け加える宏。


「組織のサイトの骨子は出来上がったぜ。とは言っても、80%以上、元になったサイトの流用なんだけどな。チェックしておいてくれ。あとは宣伝して上げるだけだな。情報組織に頼んでステマもしてもらおう」

「御苦労様。でも組織そのものがまだ作っている最中なのよね。水島の方の進捗がどうだか」


 あれこれと思案する瑞穂。


「これからどうするの?」

 そんな瑞穂に、由紀枝が声をかける。


「月那美香が復帰するまで少し待つ。どうせ純子に頼んで、わりと早い時間で完治するでしょうけど。それに、こっちの準備もあるし」

「こっちの準備って?」

「今も宏と話してたけど、ある組織を作っている最中でね。そのオープンセレモニーには、相沢真と月那美香、それに雪岡純子も招待したいと考えてるの」


 そこで決着をつけようと考えている瑞穂だった。数時間前に行われた戦いは、挨拶程度の代物だ。できればその挨拶で、美香か真のどちらかは殺しておきたかったが。


 電話がかかってきた。瑞穂が無言で取る。


『悪い報告といい報告がある』

 相手は水島だった。


『まず、いい報告から。また新たに生き残りを見つけたよ。生き残りという表現も変だな。まあ元幹部とその部下達だ』

「交渉は任せるわ」


 短く告げる瑞穂。


『もう済ませてある。皆乗り気だよ』

「前組織自体も完全に消滅したわけではなく、一部で細々と運営は続けていたって聞いてるけど、そっちとの話はついたの?」

『組織内で相談しているらしい。でも前組織から抜けた連中が集っていることを知って、そのうえこちらが力を見せ付ければ、吸収できるだろう』

「御苦労様。彼等の手腕は是非借りたい所だし、頑張って交渉し続けて。頼りにしてる」

『了解……』


 労われ、励まされて、電話の向こうで声を詰まらせる水島。他人から褒められたり励まされたりする事に慣れていないし、それらが行われると、警戒してしまうタチなのだ。


「で、悪い報告は?」

『古代未来(ふるしろみき)とオマルが離反したよ。勝手にやるってさ……。多分相沢真と月那美香……それに純子も狙うつもりだ』

「ああ、あの二人か……」


 瑞穂は納得して溜息をついた。


「百合でさえ手を焼いていた二人だし、そのうち裏切るのもわかってたけど、このタイミングでとはね。放っておいていいわ」


 どうせ返り討ちにされるだろうと見なし、瑞穂は冷たく告げた。

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