第三十五章 7

 倒産した縫製工場。ここならば自分の能力を如何なく発揮できるはずだと、工場内部を見渡して瑞穂は思う。


「ここに罠を張って、月那美香を誘き寄せる。私と水島と、もう一人のラットで迎え討つ」


 水島に由紀枝をこの廃工場を連れてくる役目を頼んだ一方で、瑞穂はそのもう一人のラットと交渉していた。

 一応ラット・コミュニティの一人として勘定しているが、その男はかなり人格に問題がある人物だった。しかし能力の強さは純子の折り紙つきで、ラットの中でも上位に入るので、是非とも戦力として加えたかった。


「月那美香一人とは限らないしね。花野が捕らわれた時点で、純子や真に知られてしまった可能性があるし。純子はともかく、真が一緒に来る可能性は高い」


 月那美香の名を聞いて、懐かしい想いに浸る由紀枝。あの時も、陸が彼女を殺そうとしていた。


「真て人、陸と戦って負かした人だよね?」

 由紀枝が瑞穂に確認する。


「仇を討ちたい?」

 問い返すことで答える瑞穂。


「陸がゲームに負けたんだから仕方無い。陸だって恨んでないと思うし、私がそれを恨んで仇を討つとか、そんなこと考えていたら、陸はきっと溜息つきながら、やめろって言うよ」


 照れくさそうに微笑みながら、しかし確信を持って由紀枝は語る。


「そんなに固い絆で結ばれていた相手なのに、殺されて、その殺した奴等を恨まないとか、私にはわからないよ」


 私は凄く恨んでいる――と、口に出そうとして思い留まる瑞穂だった。


「殺したのは芦屋っていう刑事だし、その人も恨んでない。この世界はゲームなのよ? ゲームでバトルして競って、勝者と敗者がいるだけ。条件は同じなんだから、いちいち恨むとかそういうのは何だかねーって感じだもん」


 由紀枝のその台詞を聞いて、瑞穂と水島は表情を強張らせていた。不意打ちでとんでもない狂気を目の当たりにされたかのように感じ、言葉を失くし、寒気を覚えていた。


「でもね、仇は取りたいよ。恨んではないけど、仇は取ってあげたい。殺したいわけじゃないの。戦って勝てばそれでいい。でも私、そんな力も無いし……」


 由紀枝の最後の台詞は尻すぼみになっていた。


「私は陸の後を引き継ぎたい。陸が目指していたその先に行きたいの。陸は途中でゲームから脱落したから、その先を進む。陸もそう望んでいる。それにゲームを続けていれば、また陸に会えるかもしれない。もちろん中の人は同じでも、外面はきっと違っているだろうし、記憶だって無い可能性が高い。その陸の存在が……わかるようにもなりたい。ゲームを進めていれば、それが可能になるクエストだってあるかもしれない」


 恥ずかしげに己の夢を語る由紀枝に、瑞穂はかけてやる言葉が見つからない。会話を合わせてやることができない。


(百合や純子なら、こういう子に上手く合わせて話してあげられるんでしょうね)


 そう思い、小さく溜息をつく。


「夢があることはいいことだよ。それを信じていることも」

 そう言ったのは水島だった。


「俺にも夢はあるけど……かなわない夢だからさ」

「諦めたらそこでゲーム終了だよ。可能性の芽を自分で潰しちゃ駄目。私も……昔そんな風に絶望していたけど、もうそういう後ろ向きな気持ちにはならないって、自分で決めたよ」


 水島に向かって、力強い声で言う由紀枝。

 水島は乾いた笑みを浮かべただけで、それ以上は話そうとしなかった。


(この子はもう一度その絶望を知ることになるの? それとも、死ぬまで諦めない気なのかな?)


 行方知れずの希望を追い続ける由紀枝を見て、哀れみを込めて瑞穂は思う。


***


 常に口が半開きで、歯をカチカチと鳴らし続けているギョロ眼の男が、自室で壁を見上げている。正確には、壁一面にびっしりと貼られた、夥しい数の写真を見つめている。写真に映る美少女を。

 その男の名は金井満(かないみつる)。三十三歳。重度の鬱病を患っている。


 かつては実業家だった。金の亡者で、自分の利益になることしかしない主義であったが、ある時ふと、自分は何をやっているのだろうと思い、そこから欝になっていった。


 経営をすっぽかし、怪しい新興宗教にはまって金も全て寄付して無一文になった所で、信仰していた教祖から悪意に満ちたイラナイ子扱いを受けた。

 その復讐のために雪岡研究所を訪れて力を得て、教祖を殺害したうえで教祖になり代わった。


 金井の本当の復讐はここからだった。教祖を殺しただけでは気がすまない。教団全てを憎み、教団員にこう解いた。


「実はこの世界は地獄だったのです! 死ねば救われて天国へ行けます! 前の教祖はそれを知って、我々に何も告げずに天国へと旅立ちました! 我々も天国へと向かいましょう!」


 かくして新聞沙汰にもなった集団自殺が起こり、金井は憎き教団そのものを滅ぼすことに成功した。金井自身は己の死を偽装したうえで、うまく逃れている。


 経営者の立場にも、教祖の立場にも未練は無い。人をまとめる才能はあったが、金井には興味が無い。

 金井は崇められるよりも、頭を空にして、自身が信者になって崇めたい――そういう性質の持ち主だったのである。


 金井の信仰の矛先は、自分に力を与えてくれた純子へと向けられていた。純子の存在は、それまでの金井の人生観を引っくり返すほどの衝撃であった。


 壁一面の写真は全て純子のものだ。自分で撮ったものもあれば、ネットを漁って見つけたものもある。抱き枕にもプリントしている。等身大の石像まで作って玄関に置かれている。


 その金井に来客があった。


「どうぞ。入ってすぐ横の部屋にいる」


 インターホンに向かって告げ、家の門の扉を開ける。一度は無一文になった金井だが、今は宗教団体の金を巻き上げて、豪邸に住んでいた。


 現れたのは瑞穂だった。金井が所属するラット・コミュニティのリーダー格だが、金井はラット・コミュニティに籍を置くだけで、自分からは全く干渉しようとしないし、声をかけられても応じることはない。

 しかし今回だけは話が違った。


(こいつを説得するのは骨が折れた。私だってこんな狂人と関わりたくはないけど)


 ぼけーっと壁の写真を見つめている金井を見下ろし、瑞穂は思う。瑞穂の能力との組み合わせが最も良いのが、この金井だ。瑞穂の力を最大限に引き出してくれる。


「他のラット達は?」

「例の組織の立ち上げの準備をしているわ。百合にも手伝ってもらう予定。貴方にはこれから一緒に来てもらう場所がある」


 断定口調で言う瑞穂。


 金井は花野と同じく、ラットという扱いを受けて純子に見捨てられたという自覚が無い。そのうえ重い欝のせいで、意思の疎通すら困難だ。そのため、会話も普通の人間とは異なる形で行い、誘導する必要がある。


「女神よ、行ってまいります」


 恍惚とした表情で両手を合わせ、写真の中の純子に祈りを捧げて断りを入れる金井を見て、瑞穂は堪えきれない嫌悪感が沸き、顔をしかめた。


***


 美香が事務所にてネットで情報を漁っていると、情報屋からそれらしき情報がネットにあると連絡が入った。

 指定されたのはSNSにあげられた写真だった。


『キモい男が、中学生くらいの女子と手繋いで歩いてる』

『女の子、目が見えないんでしょ。変な意味じゃないんじゃない?』

『家族とかかもね』

『見たけど、男はやたらキョドってたぜ。手繋いで歩いてるのに抵抗ありそうだった』


 書き込みにあるように、目が閉じた少女と、臆病そうな男が、街中で手を繋いで歩いている写真が載っている。

 少女の顔はしっかり映っている。進藤由紀枝本人だ。


「あからさまに罠だな。誘き寄せようとしている!」

「書き込みも犯人の自演くせーな。ふへへ」


 ディスプレイを覗き、美香と二号が言う。


「この町に行けば手がかりが掴めるかもしれん! 罠でもいくぞ!」

「あたしも心配だから付き合うわ。嫌だって言っても行く」

「わかった! 来い!」


 二号の申し出に、美香はにやりと笑って了承した。


「大人数で待ち構えてるとかも考えられるし、真にも連絡しとくわ。きっと来てくれるべ」

「頼む!」


 電話を取る二号に、美香が力強く頷く。


「はっ!? 今、口さえ悪くなければ頼れる奴だという、オリジナルの心の声が響いた!」

「応! よくわかったな!」


 おどける二号に、堂々と肯定する美香であった。

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