第三十五章 6
「真を一人で百合と戦わせて……平気なのですか……?」
一晩明けた雪岡研究所。深夜にまた真が百合へ襲撃をかけたと聞いて、累は呆れ気味に純子に問う。
「これで私が知る限り三度目だし、平気でしょー」
キッチンで朝食を作りながら答える純子。リビングにはみどりと毅の姿もあるが、真はいない。眠気を覚ますためにシャワーを浴びている。
「そもそも累君、おかしいと思わない? いや、おかしいと気づいていても、黙っているんだろうと思うけど」
回りくどい言い方をする純子。累はその言葉の意味がわからない。
「私にしても百合ちゃんにしても、人智を超えた力を持つオーバーライフを相手にして、頑なに超常の力を身につけることを拒み、私とのゲームにしても、いつもシンプルでアバウトな手段ばかりで対抗してくる真君さ。あれで本当に勝てるつもりでいるのかなって、普通なら不思議に思うよねえ」
そこまで言われて、累は純子が何を言わんとしているか理解する。
「でも真君て、そんなに頭悪い子じゃないんだよー? アバウトな所は確かにあるけれど、一方で思慮深い面もあるしさあ。もしかしたら今までの真君の行動全て、自分を猪突猛進タイプに見せかけている演技って風にも考えられなーい? その一方で、何かしら力を身につけているとかさー」
純子にそう言われ、累はまずみどりのことを意識した。彼女の力を借りるために、真はみどりを雪岡研究所に連れてきたのだ。
(とはいえ、今みどりは連れていこうとしないし、昨日の戦いの経過を聞いた限り、遠方から力を借りた形跡もないようですが)
先程まで部屋にいた真に、累は具体的にどのような攻防があったか、真から聞き出していた。真が嘘をついていない限り、自分の力のみで戦ったようであった。
(真兄、案の定純姉に見抜かれてるぜィ。ま、真兄もそんくらい想定してるとは思うけど)
聞いてない振りをして聞き耳を立てていたみどりが思った。
***
水島敦はいつも世界を見上げる意識だった。自分はこの世の最底辺に位置する存在だと思っていた。
夜の繁華街。道を歩いている人間にいちいち目がいく。そして考える。
あの男は顔がいいから、女にはモテるだろう。あの初老の男は賢そうだし誠実そうだから、人に尊敬されているに違いない。あの女の子達は日々楽しく生きているし、これからも楽しい人生があるはずだ。あのスーツの男はきっと自分より年収がいいと思われる。
ただの通行人を見て、そんなことをいちいち意識する。奈落の底から見上げている。
そしてさらに意識する。それなのに自分は……と。
水島は自分を最底辺に置いて、いつも見上げるポジションを取って、他者をやっかむのが習性になっている。全てにおいてネガるし、卑屈だった。
「どうして俺がこんな子の世話なんか……」
その水島が、事もあろうか、可愛い女の子と手を繋いで歩いていた。
しかし嬉しくはない。この少女が、自分と嫌々手を繋いでいるに違いないと意識すると、喜べるわけがない。
(きっと俺のことキモいって思ってる。畜生……きっと心の中でそう思って見下している)
誰に対してもそう思う意識を、自分の半分程度くらいしか生きていなさそうな少女に対しても、水島は向ける。
(それに通行人だって、俺みたいなキモい奴と女の子が手繋いで歩いているのを不審に思うはずだ。畜生……俺だって好きでやってるんじゃないぞ。この子は一人じゃまともに外歩けないから……)
いるかどうかもわからない誰かを意識し、その誰かに向かって心の中で言い訳し続ける。
水島は常に思っている。世界中の人間は皆自分を見下している。人は人を見下すのが大好きな生き物だ。優劣をつけ、上下をつけ、他者を見下して悦に入る醜い生き物だ。
自分だけは違うと、水島は意識する。自分は世界で一番キモくて役に立たなくて、誰からも見下される最底辺の男だが、自分は誰も見下さない。だからこそこの世で唯一の綺麗な心を持つ人間だと、そう信じている。
かつて二人だけ、自分を見下さないと思っていた人物がいた。
そのうちの一人は、水島好みの美少女であった。彼女は自分と対等に接してくれたどころか、自分を必要とまで言ってくれた。
水島は天にも上る気持ちになり、喜んで少女のために我が身を差し出し、怪しい改造手術の実験台となった。
しかし水島が女神の如く崇めた少女は、どういうわけか自分と距離を置くようになり、そのうち完全に放置された事に気がついた。
百合という女に事情を聞き、自分がラットとされた事を知り、やはり自分は見下されるだけの存在だと再認識し、一時の幸福から地の底へと落とされたショックで、一日中泣き喚き、そのうえストレスで胃潰瘍になって入院するまでに至った。
「水島さん」
「えっ!? な、何っ!?」
手を繋いで歩いている少女に声をかけられ、うわずった声をあげる。
(きたーっ、キモいとか、手に汗が出てキモいとか、手を握る温かみがキモいとか、きっと言われるんだっ。とうとう口にだして言われて、自分がキモいことはわかっていても、はっきりとキモいと言われて、俺は傷つくんだ~っ)
そう思い、身構える水島。
「ごめんね、こんな役目させちゃって。きっと面倒臭い子だと思ってるでしょ……」
「え?」
盲目の少女から全く予想外の言葉が出たので、水島はきょとんとする。
「私、目を取ってから、まともに訓練とかしてなかったし……。ちゃんと病院の人の言うとおり、杖で歩く訓練しておけばよかった。別の方法で見るって言って反発してたから、人に迷惑かけることになっちゃった」
「いや……迷惑なんかじゃあない。俺こそ、由紀枝ちゃんの迷惑かもしれないってのに……」
「何で?」
不思議そうに訊ねる少女――由紀枝。
「だって……由紀枝ちゃんは目が見えないからわからないだろうけど、俺は……その……キモいから」
「私は見た目で人のことそんな風に差別しないよ。私が軽蔑したりキモがったりするのは、もっと別の要素でだよ。性格とかね」
由紀枝が安心させるように言い、目を閉じたまま水島を見上げて微笑みかける。
(いい子だなあ……。でも俺は、肝心の性格の方だっていろいろとキモいんだ……)
そう意識して、水島はうなだれる。
(いい子だけど、それを知ればきっと俺をキモがる。だから……信じない)
もう裏切られるのが怖いから、水島は人を信じない。たった一人残った友以外、誰にも心を許せない。
自分はこの世の底を舐め続ける者。それを世界中の全ての人間から見下され続ける者。これを心にセットしておけば、もうあんな痛みは味わうことはなくて済む。この世の全ては自分を嘲笑う。彼一人を除いて……
***
午前十時。雪岡研究所。
真も昨夜は徹夜であったが、純子も同様に一晩寝ずに過ごした。真は今寝ているが、徹夜慣れしている純子はまだ起きている。
純子が徹夜で何をしていたかというと、花野を一晩たっぷり拷問していた。その結果、花野が口にしてラット・コミュニティというものの実態と、メンバーは誰なのかを知ることができた。創設者が百合であることも。
「ラット達が接触している話は聞いてたけど、そんなものまで作られていたとはねえ。しかも百合ちゃんがまとめたとは」
顎に手をやり、にやにやと笑う純子。いつもの純子の悪巧みポーズだ。
そんな純子の目の前には、全身の皮を剥かれて神経を露出され、体中に小さなピンを突き刺され、ススの葉を体のあちこちに縫い付けられて、逆さ吊りにされた花野の姿があった。
「嗚呼……幸せだ。今が一番幸せだ。こうして純子ちゃんと側にいられる。純子ちゃんが私を自分の家に連れて来てくれた。こんな幸せはない」
唇も切断され、歯茎まで全て露出し、しかも歯は何本か抜かれて、歯茎に何本も焼けた釘が刺さった花野が、へらへらと笑いながらうっとりとした顔で呟いている。
「他のラットも皆こいつみたいに、倒錯した愛情を純姉に抱いてるのォ~?」
純子による拷問の凄惨さと、これだけ拷問されたにも関わらず、へらへら笑って純子ラブを口にする花野の、両方に引くみどり。
「んー……この人は特別おかしいと思う。他はここまでは……いや、この人に近いレベルの人もいるかなあ……」
「ていうか拷問する必要あったのォ~? こんだけ純姉のこと慕ってるなら、何でも喋ったんじゃなーい?」
「いや、拷問は趣味だから。この人も私の趣味を理解したうえで、付き合ってくれたんだから、その心遣いはありがたく受け取らないと」
屈託の無い笑顔で話す純子に、みどりはこれ以上突っ込むのはやめておくことにした。
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