第三十四章 エピローグ 後編

 ――誰かの心の呟き――


 俺は真実を知っても、その時点ではこんな結末を思い描いてはいなかった。こんなことをするつもりはなかった。


 一部のマスコミ連中がやたらとケイトに執着していた事に、俺でなくても疑問に思う者はいたはずだ。


 真相はこうだ。ケイトは自分に絡んできて、真実に辿りついた記者達を殺害し、クローンにすりかえ、マインドコントロールを施して、そのまま粘着させたから。

 その話を聞いて、マスゴミ連中がケイトにつきまとっていた謎が解けたかといえば、俺はノーだ。納得できない。俺には大きな疑問が残り続けていた。義久の奴は納得しちゃったみたいだけどな。


 根本的な疑問は、だ。そもそもマスゴミ連中は、殺されてクローンとすりかえられる以前に、どうしてケイトに目をつけて追っていたのか? 結局これってケイトにネタとして惹かれるものがあったからだろう? 鶏と卵、最初はどちら? それは知らんが、必ず最初はどこかにあるだろう?


 ここで振り出しに戻る。もう一度問う。どうして何匹ものマスゴミらはケイトに惹かれて、暴こうとしていたのかという、振り出しに戻った。結局その疑問にまた戻った。さて、その答えは?


 ようするに彼等は、優秀な嗅覚を備えた記者だったってことだよ。

 世間一般では聖女扱いされていたケイト・ヴァンダムという人物に、その並外れた嗅覚で、胡散臭さを感じていたんだ。聖女の仮面を被った偽善者だと、直感で悟っていた。腹の中におぞましい魔物を飼っていることが、うっすらと見えていたんだ。

 だからこそ、記者の嗅覚がケイトの魂の汚臭に惹かれ、彼女の身辺を探り、何人もが真実に辿りついてしまったというわけさ。


 で、ここでまた問題。そもそも偽善とは――偽善者とは何なんだろうねえ。


 やらない善よりやる偽善なんていう珍妙な言葉があるが、あんなのは偽善者扱いされる事への防波堤であり、皮肉にすぎない。善は善だろう。

 俺の学生時代に、友人が海外の地震被災地にボランティアをしていたのは、明らかにファッション気分の延長だったが、それでもそいつのボランティアは役に立っていた。地震の被災地に援助している企業は宣伝目的もあっただろうが、それでも援助物資は大いに役に立った。不純な動機があろうと、善行は善行なのだ。


 偽善とは、善人の振りや善行の振る舞いをして、実際には何も善い成果をもたらさない事ではないかと、俺は考える。あるいは、善行の一方で悪行も働き、善行はカモフラージュで悪行が本命の場合だ。

 後者の偽善者は、疑いようのない悪だ。一方で、宣伝目的や自己満足程度では、とても悪とは呼べないし、後者には該当しない。その程度の下心があってもいいと俺は考える。俺はね。


 さて、ケイト・ヴァンダムの場合だが、彼女は夫のコルネリス・ヴァンダムにとって、裏切り者の偽善者だった。自分を嗅ぎまわる者の命を奪ったうえに、その存在を利用する偽善者だった。つまり悪人だった。

 それを自覚して心を痛める一方で、あの女は確実に自分を悲劇のヒロインに見立てて酔っていた。発言の節々で、俺はそう感じた。


 しかしケイト、あんたはやっぱり女だな。それも典型的な馬鹿女だな。自分が手前勝手な愛を盲信するから、相手もそうだろうと勝手に決め付けていた。そして……コルネリス・ヴァンダムという男の本質を見誤っていた。会った事のない俺でさえ、あっさり見抜けたっていうのに、肌を重ねたあんたがわからないとはね。


 コルネリス・ヴァンダムは世間で言われているような、サイコパスなどでは断じてない。人の心の善性に惹かれる、極悪人にはなりきれないチョイ悪人だ。そして自らがチョイ悪人であるからこそ、己の伴侶は、気を許せる清らかな女神でなくてはならなかった。


 ケイト・ヴァンダム、あんたはそれがわからなかった。夫の心を見ていなかった。自分のイメージで見ていただけだ。

 ケイトは悪人であり、善人でもある。あんたは人の良心につけこむ仕事をずっとしていた。ヴァンダムの良心を信じて、それを利用していた悪女だった。性悪説より性善説を信じていた善人であると同時に、性善を信じる者を利用する悪人だった。


 ケイトは夫が自分を深く愛しているから、例え真実を知っても、自分が裏切り者だと知られても、夫は自分を許してくれるだろうと、俺達の前でぬけぬけとほざいていた。よくそんなことを堂々と口にできるもんだ。いい歳こいて、頭がとろとろ蜂蜜漬けスイーツな女子かよ。虫がよすぎて虫唾が走るぜ。


 それはケイトのただの一方的な思い込みだろうと、俺は呆れていた。あの時、あの台詞を聞いて、俺は破滅のスイッチを入れたくなっちまった。あんな台詞を吐かなければ、俺は何もせず終わらせていただろうにな。

 この偽善者全開の馬鹿女に、自分の思い違いを思い知らせて、絶望と恐怖を味わって死んでもらいたいと、そう思っちまった。しかもそれが簡単にできるんだぜ? そりゃもうやるっきゃないでしょー。


 コルネリス・ヴァンダムにとっては、妻ケイトはあくまで天使か女神か聖女のような存在でなくてはならなかったんだ。それが――実は悪魔でしたと知って、許せるわけがない。深く、強く愛しているが故に、許せないし許さないんだ。ヴァンダムはそういう男だ。会ってなくても、話に聞く人物像だけでも、俺には容易にわかったよ。小説家だからな。

 そして俺がスイッチ一つ押すだけで、この結末になることもわかったよ。確信できたよ。そういう結末にできると、確信したよ。小説家だからな。


 ところで――この物語は、偽善者で悪人のケイト・ヴァンダムを、正義の味方の俺が成敗した――そういうオチという認識でいいのかな? 全然そんな実感無いけど、結果だけ見りゃそうなるよな?


***


 時間を一日ほど巻き戻す。ケイト・ヴァンダムの訃報が全世界に伝えられるより前に。


「うううう……うぐぐ……うう……」


 銃を撃ってから、ヴァンダムはしばらくうつむいて嗚咽を漏らしていたが、やがて意を決したように、妻を見た。


「これで……聖女ケイトは死んだ。私の中の女神も死んだ」

「……」


 無言で佇むケイトの背の側の壁に、弾痕があった。ケイトからは大分離れた位置に。


「本当に命を取るには至らなかった私のことを、馬鹿にするかね? それでも結構だが、その理由をまず聞きたまえ」


 泣きながら語りだすヴァンダム。その声はいつもの余裕ある響きではなく、泣き声混じりのまま掠れ気味であった。


「私は君を許さない。私を欺き、裏切った君が許せない。だが私は堪える。私の気持ちが消えたわけではないからな」


 夫の言葉に、ケイトの双眸から再び涙が零れだす。


「それに、だ。どこの何者かは知らんが、私の性格をある程度見抜いて、私を操って君を殺そうとした者がいると、直感した。私に直接この情報をいきなり送ってくる時点で、そうとしか思えん。私にこの情報を寄越した者から、筆舌にしがたいおぞましい悪意を感じる。本気で君を殺すつもりだったが、引き金に力を込める直前に、その何者かの存在に気がついて、思い留まった。そんな奴に踊らされてなるものか。そんな奴の思い通りになってたまるか。君は……誰の仕業か、心当たりは無いか?」


 ヴァンダムに問われ、ケイトは再び義久と犬飼を思い出すが、とても彼等とは思えない。疑いたくはない。


「君は社会的に死んだ扱いにする」


 有無を言わせぬ口調でヴァンダムは告げた。声のトーンが変わっていた。涙声でもなく、感情も込められていない。


「君の正体は聖女でも何でもないのだからな。ただの卑怯で嘘つきな女だ。そんな女が世間で聖女扱いされ続けているなど、虫唾が走る。断じて許せん。それに……何者か知らぬが、君が生きているとなると、また狙われる可能性があるし、君の悪行が世間にバラされる可能性もある。せめて世間には、美しく清らかな存在のまま生涯を終えたということにしよう。加えて……私にこのデータを送り届けた者に、いずれ落とし前をつけてやるためにもな」


 涙をぬぐい、ひどく冷めた口調で語るヴァンダム。これまでケイトが一度も見たことないような、かつてないほどの冷たい怒りを感じた。触れただけで完全に凍りつくような氷柱が、目の前に立っているような、そんなヴィジョンが見えた。


「私に対してほんの少しも気持ちが無いのなら、私に対してわずかたりとも罪悪感を抱いていないのなら、私の言いつけなどに従う必要はない。私も止めない。君を無理矢理監禁する事もない。傷つけもしない。私の元を離れ、好きなだけ偽りの聖女を続けるがいい。しかし少しでも私への気持ちがあるなら、死んだ事にして、偽りの聖女の役目から身を引き、私の……ただの妻として、静かに暮らしてほしい」


 ヴァンダムの要求を聞き、ケイトはヴァンダムの方へ、ふらふらと頼りない足取りで歩を進める。


「ごめんナサイ……貴方……今までズット……私は……」


 泣き崩れるケイトの体を、ヴァンダムはしっかりと抱きしめた。答えは出ている。


「君も今まで辛かったろう……。だがこれでもう、辛い想いはしなくて済む。そうだろう?」


 ヴァンダムが耳元でそっと囁くと、ケイトは堰を切ったように号泣しだした。


 ヴァンダムはふと思い出す。この間の誕生日の会話を。勝手に神聖視して、理想と違う行動をしたと、怒ったり見損なったりしても困ると、ケイトに言われた事を。


(感謝しなくてはならんな。この情報を送りつけてきた何者かに。おかげで私達は、本当の夫婦の絆で結ばれ、ケイトの心の枷も解き放つことが出来た。しかし……こうなる展開は、君に予測できたか? 顔も名も知れぬ、悪意ある者よ。君は見誤ったのではないか? いずれ必ず探しあてて、然るべき返礼をしてやるから、覚悟しておくがいい。感謝はするが、容赦はしない)


 自分に悪意の贈り物を届けた何者かを意識して、声には出さず語りかけつつ、ヴァンダムは怒りと闘志を滾らせ、逆襲を誓った。



第三十四章 人の姿をした蝿を叩いて遊ぼう 終

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