第三十四章 エピローグ 前編

 義久とヴァンダムの討論があってから数日後。義久の家のベルが鳴った。


「はいはい、どなたー……って、いない?」


 モニターから扉の前を見ても、誰も映っていない。


「いるぞ。私だ。テオドールだ」


 甲高い声が聞こえたかと思うと、カメラの前で、小さな手の指先が微かに見えては消える。


「ま、まさか……」


 ある想像がよぎり、義久が扉を開けると、想像通りの者がそこにいた。

 幼児と言っていい年齢の、白人の可愛らしい子供が、義久を見上げ、にっこりと微笑んでいる。


「純子に改造してもらってね。本来の年齢から普通に歳を取って、ちゃんと子供時代も経験して、人生を始めることにしたんだ」

「そ、そっか……」


 やや引き気味になりながら、ぎこちない愛想笑いを浮かべる義久。


「それと、日本を去る予定が変更になって、しばらくはここにいる事になったよ。デーモン一族の中に、私の保護者になると言い出した者がいてね。彼が貸切油田屋の日本支部の長だからさ。日本にいても、国境イラネ記者団の代表としての、テオドール・シオン・デーモンの役目は果たす事ならできる」


 ラファエルの名は一応出さないでおくテオドールであった。


「まあ、あがりなよ」

「お邪魔します」


 義久に促されて、テオドールは勢いよくぺこりとお辞儀をして、家の中に入る。

 子供の体になって、おおらかにありのままに自分を出しているテオドールに、義久は微笑ましさを覚える。


「クローンであることも、一族の者にはバラしたし、彼等の前でもこの姿で振舞うことにしたよ。表舞台に立つ時だけは大人モードになるけどね。いちいち服が合わなくなるから、ほいほいと変身できないのが難点だな。年齢にあわせて成長するが、大人モードになってる時間は、子供モードの成長も止まっているから、大人モードの時間が長くなると成長もそのままというわけにはいかないと、純子が言っていた。なるべく子供モードにしていないとな。私もこちらの方がいいし」


 嬉しそうに身の上話をするテオドール。


「おっと、私のことばかり話していてもしょうがないな。経過も報告しないと」


 その後テオドールから聞いた話は、義久が知っている事と知らない事が半々といった所であった。


 国境イラネ記者団は各国のメディアに対して、偏向報道や情報操作やプロバガンダを行った場合、ちゃんと注意をするようになった。ヴァンダムが行おうとしていた事を、部分的にではあるが、実行しだした格好だ。


 元々、国境イラネ記者団は、貸切油田屋やデーモン一族にとって都合の悪いことは、一切報道させなかったほどに、世界中のマスコミを掌握していた組織であるので、抑止力は非常に高い。ヴァンダムは法規制を持ち出していたが、その必要がないほど、彼等を言いなりにできる力を持っている。

 各国のマスメディアからすると、国境イラネ記者団は以前からあまりよい目では見られていなかったが、貸切油田屋がバックにいるこの組織を的にすることもできず、よりチェック厳しくなった昨今も、苛立ちを覚えつつも渋々従っていた。


 さらにはグリムペニスも、国境イラネ記者団が取りこぼしている、マスコミの偏向報道や情報操作などを世界中にいる会員がチェックし、国境イラネ記者団に報告するという二重の監視構造が出来上がりつつある。これでヴァンダムの体面も保てた形だ。


「少しずつだが、世の中の報道の有様がよくなっているんじゃないですかね?」

 と、義久。


「敬語はいらないよ。私の方が年下だ。何しろ三歳児だしね」

「そっか」


 三歳児らしい可愛らしい笑顔でテオドールに言われ、義久も相好を崩す。元々顔立ちが整っている所に加え、表情豊かになっているので、余計に可愛らしく見える。


「これからもっとよくなるように頑張っていくよ。せっかく掴んだ生だ。私はこの命を世に役立つために活かす。人々が安心して受け止められるように、報道姿勢も改善していく。今回の件で、世界中のメディア・リテラシーが向上したと思う。人の世は少しずつ進歩していっている。愚かしさを改め、良い方向へと向かおうと、人々は頑張っている。マスメディアの根幹は、これまで何も進歩せず愚かなままだったが、それでは駄目だと、今回の件でわかった人達はきっと多いはずだ。ここから良い方向へと変えていかないとね。そのために、私は尽力するよ」


 熱っぽい声で意気込みを語るテオドールに、義久の胸も熱くなった。


「何かあったら君に電話してアドバイスを請うと思うが、その時はよろしく頼むよ」

「ガンガンかけてくれていいぜ。仕事の依頼の方もよろしく」


 そう言って義久は己の胸を拳で叩いてみせる。


「それと……こんなことを言うのは照れくさいが……」

 うつむき加減になり、もじもじしだすテオドール。


「もしよろしければ、私の友人になってほしい……私はその……君のことが気に入ってしまったからね」

「何言ってんだ。こっちはもうダチのつもりでいるぜ。ダチであり、同胞だろ」

「そ、そうか。よろしくな」


 会心の笑みと共に不器用なウインクをして言ってのける義久に、テオドールは安心して照れ笑いを浮かべた。


***


 ヴァンダム夫妻はすでに日本を去った。


 ケイトは自分の仕事を空けすぎていたので、すぐに復帰をしたいと思ったが、ヴァンダムに気分晴らしに休暇をとって夫婦で旅行に行こうと誘われ、そちらを優先した。

 二人でゆるやかな旅を楽しみ、命の洗濯をしていた矢先、悲劇は起こった。


「どうシマシタ? 貴方」


 ケイトはヴァンダムの様子がおかしいことに気がついて、声をかける。ホログラフィー・ディスプレイを凝視し、愕然とした顔でわなわなと震えていた。夫のこんな顔など、滅多に見ない。


 やがてヴァンダムの顔は怒りに歪み、ケイトを睨みつける。ケイトが反射的に怯えたが、それを見たヴァンダムの顔が今度は泣き出しそうなものへと、劇的に変化する。


「これは……本当なのか?」


 ディスプレイを反転させて問うヴァンダムに、ケイトは驚愕した。


 日本を出る前、義久の家にて、犬飼によって明かされた真相――ケイトがヨブ報酬の一員で、ヴァンダムの抑制のために近づいたという証拠が記されていた。

 犬飼が見せたものと文面は異なるし、真相を突き止めた記者達を殺してクローンにして操っていたことは書かれていない。あるいは画面に出ていないだけかもしれないが。


 一体誰がこの情報を夫に送りつけたのか? 真っ先に犬飼と義久が思い浮かぶケイトだが、彼等がこんな真似をするだろうかと疑問に思う。そもそもヴァンダムに暴露するくらいなら、わざわざ事前にケイトの前で披露してみせることも無いだろう。


「私は……ずっと騙されていたのか……?」

 ヴァンダムが涙を流しながら問う。


 違うとは言えないケイトであった。違わないからだ。それに下手な誤魔化しも通じない。

 自分がシスターと知己であることは夫も知っているが、画面の文面には、それ以外にも、ケイトがヨブの報酬に所属する確かな証拠が幾つも記されていた。ケイトのこれまでの仕事と、ヨブの報酬との関連性を示す記録の数々。それらの中には、先日犬飼に見せられたデータにも無かったものも、数多く含まれていた。


「否定してほしかったが、その反応を見た限り、これが真実ということか」


 泣きながらヴァンダムは、護身用の拳銃を抜く。


(神よ……。これも試練なのですか? どうしてこんなことに……)


 心の中で問いかけながら、ケイトも閉ざされた双眸から涙を流す。


 ケイトはヴァンダムを信じきっていた。例え真相を知られたとしても、それで傷つけてしまったとしても、彼は自分を愛するままであると、二人の絆は決して崩れはしないと、そう思いこんでいた。 

 だが現実は、泣きながら銃を突きつけてくる夫の姿であった。たっぷりの悲しみと、裏切られた痛みと憎しみと、そしてさらにたっぷりの愛情を入り混じらせて、それらの全てを殺意へと転換して。


「私のケイトは……穢れなき女神でなければいけないんだ。そうだろう?」


 震える声と共に、震える指先に少しずつ力が入っていく。


「最期に……言い残すことはあるか?」

「愛シテます……貴方……」


 両手を合わせて頭を垂れ、ケイトは一番伝えたいことを口にした。


「私もだ……。愛していた」


 銃声。


***


 そのニュースに、義久は仰天すると同時に激しく不審に思った。

 ケイト・ヴァンダムが急性肺炎で死去と報じられたのである。


 この――死因が肺炎というのは、曲者である。

 公にできない死因や不審死は、大抵が肺炎という事にされる。あるいは本当に死因不明の際も、肺炎ということになる。老衰で死んだ場合も肺炎扱いにされることがある。いずれにせよ死因が肺炎は、肺炎ではない死因であるケースがほとんどだ。


(まさか……殺された隠蔽……)


 最悪の想像が義久の中によぎるが、それならヴァンダムが黙っていないような気がする。彼の性格を考えれば、殺されたとはっきり告げるだろう。


 あるいは誰かに殺されて復讐するつもりだからこそ、黙っているのかとも考えられる。いずれにせよ、真実はわからない。ヴァンダムに直接聞いてみようとすら思わない。


 犬飼が暴露した話が嫌でも思いおこされる。あの件で――ヨブの報酬関連で何かよくないことに巻き込まれたのではないかと。ケイトにもかなりのダーティーな一面があった。彼女は聖女という役を演じることが役目であり、慈善事業も、ヴァンダムの妻でいる事さえも、大きな組織の指令の元に行っていただけだ。


 テオドールならば真実を知っているのではないかとも考えたものの、後ほど電話で会話したが、彼も何も知らないようであった。


 ハッピーエンドで終わったと思ったら、後日に唐突な訃報という、フィクションではネタにできそうにない酷い展開。事実は小説よりも忌なり――そんなしょうもないフレーズが、義久の脳裏に浮かぶ。

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