第三十四章 38

 義久とヴァンダムの討論があった翌日。


 犬飼とケイトは、義久の家を訪れた。今回の騒動の締めくくりをしたいと、犬飼に言われて、また三人が集った。

 二人が来た所で、義久の元にテレンスからの電話が入る。


『彼岸を彷徨いました……。生きていたのが奇跡だそうです。手も繋がるそうです』

「そうか……でも無事でよかった」


 テレンスが無事だと知り、義久とケイトは安堵した。


「さてと……昨日のあれで御機嫌なところを悪いが、今日はちょっと不機嫌な話をさせてもらうぜ」


 いつもと違う真顔の犬飼が切り出し、何事かと思う義久。


「オーマイレイプの情報網ってすげーよなあ。肝杉と烏腹が実は死んでいたことまで、突き止めちまった。そしてあの二人は屑だったが、記者としての能力はあったんだ。こう言えば、俺が何を言いたいか、もうわかるよな?」


 犬飼の口から出たのはあまりにも脈絡の無い話で、義久には全く理解できなかった。そして犬飼は、ケイトに視線を向けて話しかけていた。

 義久がケイトの方を見ると、彼女は表情を強張らせている。犬飼の話を理解しているように、義久の目には見受けられた。


「あの二人は殺された。あんたの正体が、ヨーロッパの広範囲を支配域とする秘密結社、『ヨブの報酬』の一員だという事まで突き止めたんだからな。その後クローンを作り出され、二人は生きているかのように捏造された。捏造が十八番のマスゴミだけど、マスゴミの命まで捏造とかウケるわー」


 淡々と語る犬飼の話を聞いて、義久は驚いてケイトを見る。ケイトは否定せず、ますます顔を強張らせて、無言のままだ。このリアクションは、犬飼の突拍子も無い言葉を全肯定していると、義久は受け取った。


「あの二人以外にも、異様にケイトさんに粘着しているジャーナリスト、何人かいたよな? ていうか、随分とケイトさんに御執心なジャーナリストが多いよな。そいつら皆、不思議なくらいしつこく叩き続けていたよな?」

 犬飼が話を続ける。


(確かに……。俺はそれが不思議だった)

 義久にも同じ疑問はあった。


「で、そんな好奇心で、肝杉の身辺を調べるついでに、調べてみたんだ。ひょっとしたらあの二人は、国境イラネ記者団以外の勢力の息がかかっていて、ケイトさんの評判を貶めようとしていたんじゃないかとも思ってさ。しかしその結果は驚きだ」


 犬飼が複数のホログラフィー・ディスプレイを投影し、反転させて義久とケイトに見せる。


 そこに書かれていたのは、オーマイレイプによる烏腹と肝杉の調査結果であった。二人共、オリジナルは死んでいると記されたうえで、殺害したのはヨブの報酬であり、新しくクローンを作って知識もデータ化して植え付け、様々なマインドコントロールを施し、自分がクローンという事にも気付かず、その後もケイトに粘着し続けるようにされたというのだ。


 どうしてそんなことをしたかについては、推測として記されている。完全に人の精神を思うがままコントロールする事は、まだ現在の科学技術ではできない。少なくともヨブの報酬には無理だった。記憶の改ざんも難しい。記者達が突きとめた、ケイトがヨブの報酬のメンバーだという記憶だけを都合よく消す事はできない。

 しかし記憶そのものの転写はできるし、ゼロからの状態で人間を作り直すのであれば、思うが侭に人を動かせる。ある程度記憶の改ざんもできる。マインドコントロールも上手くいく。

 だから自分達にたてついた罪人を使い、新しくクローンを作った。本体の知識と遺伝子情報を奪い、邪魔な本体は処分し、クローンのジャーナリスト達を操った。


「あんたが殺したのは、肝杉と烏腹だけではないだろう。きっと真実に辿りついた記者達は他にもいて、それら皆を殺しているはずだ。そしてクローンにすりかえている。どうしてそんなことをするのか? 記憶の改ざんのためだけじゃない。制裁と制御のためだろ? 恐ろしいねえ。たてついた者へ死による罰を与えたうえで、そのクローンを作って利用する。おぞましいねえ。そしてクローンが暴走しすぎないよう、マインドコントロールも施しておく。烏腹を見た限り、あんまりマインドコントロールが上手くいってるようには思えないけどな」


 烏腹が赤村千晶を襲ったことを思い出しつつ、犬飼は言う。


 犬飼の話が真実だとしたら、確かに途轍もなく恐ろしくおぞましいと、義久は感じる。ケイトはとんでもない偽善者であり、邪悪そのものだったとも。


「結局さ、マスゴミはケイトさんに都合よく踊らされていたもんだよな。結局はマスゴミだって、誰かに利用されるだけの存在だ。他人に利用されることを何より嫌い、常に他人を利用する意識で優越感覚えているくだらねえ奴等だけど、無意識のうちにいろんな所に利用されまくっている。どこかの国に媚を売り、プロバガンダにいそしんでいる様なんて、正にそれだ。笑えるよ。報道の自由? ペンの正義? 第四の権力? いやいや、結局こいつらも、正体は首に輪をはめられて鎖を繋がれた犬だ。しかもプライドばかり無意味に高くて、走狗であることに無自覚という、どうしょうもない馬鹿犬だ」

「もう俺の前でそれ以上ディスるのやめてくれよなー。犬飼さん、本当人が悪いよ。俺が嫌がることわかってていつもいつもわざとやって、いじめるんだからさ」

「ははは、お前みたいにそういう余裕ある受け答えできるジャーナリストってのは、貴重だぞ。大抵のマスゴミは、他人を叩くのは得意でも、自分は叩かれ慣れてなくて、プライドが肥大化してるから、ディスられるとあっさりと不貞腐れるか発狂するからな」


 ぶーたれる義久に、犬飼は今日始めて笑ってみせる。


「それらは……概ネ真実です。ただし、制裁というニュアンスはアリません。ただの利用デス」


 それまで黙っていたケイトは口を開いた。


「私は悪い女デス。犬飼さんの言うとおり、私はマスメディアを利用してイマした。私を叩く人達の存在は、私ニとって都合のヨイ存在でしたカラ」

「都合がいい?」


 義久にはその意味がわからなかった。自分を叩く記者達を始末するだけならまだしも、クローンを作って引き続き叩かせる意味も不明だ。


「彼等が下世話なゴシップを書きたてるホド、私の評価ハ逆に上がり、マタ、同情されて、仕事やお金がヨク入ってキマシタから。彼等がどんなに私を悪く書イテモ、大衆はマスコミが思ってイルほど愚かではアリません。私はズット慈善事業を続ケテいますから、そちら方面で味方が増エテいきます。心無い人達によって悪く言ワレテ可哀想、マスコミは許せナイと、そうなってイクのです。今回もソウでしたデショウ? もちろん知名度モ維持できマシタし。私も実ハ、全て計算がアッタのです。私の犯した悪事ハ、犬飼サンの指摘通り、私の正体に辿りツイタ者を消シテ、クローンとチェンジし、マインドコントロールして制御しつつ、叩カセ続けたコトです。彼等にハ自分がクローンだった自覚も、マイイドコントロールされている自覚モありマセン」

「ケイトさんが本当にラスボスだったのか……」


 義久が唸る。


「別に意外でもねーよ。女ってのは皆悪人だし、信じちゃいけないもんだぞ。息を吸うように嘘をつく生き物だからな」


 遠くを見つめるような顔で語る犬飼。


「犬飼さん……随分捻くれた見方してるようだけど、過去に痛い目でもあったのか?」

「そりゃもうすっごく……女を信じて、すげえ痛い目にあいましたよっと」


 義久の問いに、おどけて方をすくめてみせる犬飼。


「さらにもう一つ、真実がある」


 犬飼がディスプレイを広げ、反転して二人に見せる。


 そこには次のようなことが書かれていた。

 ヨブの報酬は二千年とも言われるほど長く続く秘密結社であり、その活動の一環に、聖人や英雄を意図的に作り出すというものがある。歴史の教科書に載っているような偉人達の何名かは、ヨブの報酬によって作られた聖人だとも。そしてケイトは間違いなく、ヨブの報酬の人造聖人であると。

 そしてケイトはヨブの報酬の指令を受けて、ヴァンダムと結婚したと。ケイトがヴァンダムに近づいたのは、彼の抑制のためであると。

 ヴァンダムはグリムペニスという組織を巨大化し、世界に多大な影響を与えるようになって、ヨブの報酬他、数多くの世界の支配者層の者達によって、危険視されていた。しかし彼が失恋でその心が揺らいでいることを知り、ヨブの報酬の一員であるケイトが、うまいこと近づいた。


「人の弱い心を見抜き、そこに優しく触れるのが得意なようだしな。ヴァンダムほどの男でも、篭絡してしまうほどに」


 馬場とのインタビューの際、ケイトが馬場の心を掴んでいた場面を思い出しながら、犬飼は言う。


「この話は、コルネリスには絶対ニ知ラレたくない真実です。私は彼を愛シテいますカラ。トハイエ……彼も気付いているかもシレませんし、彼が真実を知ッテも、彼は私を責メルことなく、普段と同じヨウニ接し、愛シテくれるでしょう。彼はソウイウ人です」

(なんつー御目出度い思考回路だ……。自分勝手な解釈も甚だしい)


 あまり人に不快感などの感情を覚えない犬飼であるが、ケイトのこの発言にはかなり腹が立った。


「私がメディアに叩かれテイタ内容も、間違ってハイマセンでした。私が偽善者デアルという点に関してダケは。烏腹さんはかつてコンナ記事を書きまシタ。『ケイト・ヴァンダムはグリムペニスをしゃぶりつくすために、コルネリス・ヴァンダムを骨抜きにした魔性の女』と。恥ずかシイ話ですが、半分クライはあってます。デモ……私はコルネリスを愛してイマス。だから彼を騙しているコトが……トテモ苦しい……」


 涙声になるケイトであるが、犬飼は容赦せずに話を続ける。


「愛する者を騙していることへの罪悪感。そいつを紛らわせるために、マスゴミに自分を叩かせてたのか? 自作自演で自分を責めなじり続けて、とんだ聖女だよ」


 不快感を露わにして吐き捨てる犬飼。こんな犬飼を、義久は初めて見たかもしれない。


「さてと……これで、俺達も殺すか?」

 犬飼が問う。


「殺されるカモしれない危険を承知シテ、どうして明かシタのですカ? しかも高田さんマデ巻き込んで」

 ケイトが問い返す。


「こいつのためだよ」

 親指で義久を指す犬飼。


「こいつの成長のために、真実をはっきりとさせておきたかった。単純な正義の構図だけじゃないってことを教えておきたかった」

「どんな教育だよ。犬飼さん俺のこと子供扱いしすぎだよ。俺はそんなに青くないぞ? もう裏通りの住人だしさ」

「そうか? でもまあ、知っておいてよかっただろ? お前さんの経験値になったじゃないか」


 頭をかきながら苦笑気味に訴える義久に、犬飼は破顔する。


「ソレだけデスカ?」

 不思議そうに、なおも訊ねるケイト。


「ま、俺が真実を確認したかったっていう理由も、もちろんあるよ。それにケイトさんは俺達が相手なら、殺してクローンにすり替えるようなこともしないと、俺は踏んでいるからね。俺だけじゃない。ここにいる義久だって、この話を聞いても、ケイトさんが俺達にはそんなことしないって、きっと安心しきっているだろうぜ」


 そう言って犬飼が義久に目配せをする。


「まーな。俺達は肝杉や烏腹とは違うし、ケイトさんがまさか俺達にまでそんなことするって、想像しにくいしな」


 腑に落ちない表情で、義久も犬飼に合わせた。


(がっかりした部分もあるが、ケイトさんはケイトさんでいろいろ辛かったんだろうとも思う。でもそれ以前に……別にこんなこと知らなくてよかったぜ。俺への教育とか、余計なお世話だよ。それ以外の狙いがあるのかもしれないけどさ)


 義久は犬飼の言葉を、額面通り受けたわけでもない。


「私モ貴方達がこの情報を暴露スルトハ思っていませんヨ」

 にっこりと微笑むケイト。


(甘いわ。これだから性善説を信じる奴は駄目だわ。義久もケイトも)

 こっそりと嘆息する犬飼。


(そしてケイトは罪悪感に苦しんでいても、自分がどれだけの悪行を働いているかは、無自覚なんだよな。そもそも罪悪感に苦しむ一方で、自分に酔っていそうだし。典型的馬鹿女だ。嘘をついても裏切っていても、バレなけりゃいいと思ってる。罪を犯した悲劇のヒロインだと自己陶酔する。自分を誤魔化しているのか知らねーけど、罪を犯しているのは明らかなんだよ)


 犬飼はわりと早い段階でケイトの本質に気づき、不快感を覚えていたが、今がそのマックスだった。ケイトは真相を明らかにされてなお、心底偽善者だった。偽善者である自分を悲劇のヒロインに見立てて酔っていると、そう見なした。

 犬飼の中で、いつもの衝動への欲求が膨らんでいたが、そこに苛立ちと不快感が混じるのは珍しいと、自分でも意識していた。

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